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REVENANT: SHONAN ZERO  作者: 狐目の仮面
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第四章:硝煙の糧 [第五十一話]死闘


 不気味な静寂を切り裂いたのは、耳を刺すような高周波の金属音だった。

 地下二階、備蓄倉庫の奥底で、ついに臨界点に達した高圧アンモニアと非常用燃料が、

 一筋の火花をきっかけに爆発的な連鎖反応を引き起こした。

 ドォォォォォォンッ!

 内臓を直接掴み、揺さぶるような大轟音が轟き、倉庫の床が跳ね上がる。

 衝撃波がコンクリートの壁を駆け抜け、天井の照明を粉々に砕き散らした。

 赤い非常灯さえも消え失せ、視界を支配したのは、

 燃え盛る燃料が放つ禍々しいまでの紅蓮の炎と、噴出する白濁としたガスの霧だった。


 グランド・アークという巨大な巨体が、内部から内臓を焼かれるように震え、断末魔の叫びを上げる。

 地下フロアの構造体は無慈悲に崩落を始めた。

 数トンものコンクリート塊が、

 かつての平和の象徴であったショッピングセンターを埋め尽くしていく。

 しかし、その絶望的な崩落の中で、食糧備蓄倉庫だけは異様な威容を保っていた。

 戦時下の避難所としての機能も想定されていたその区画は、

 分厚い特殊強化コンクリートと鉄骨の檻によって守られ、降り注ぐ瓦礫を跳ね除けていた。

 その「鉄の檻」の中で、沙耶と徴収官の殺し合いは、加速した。


「……計算は、もう終わった。……あとは、塗りつぶすだけ」


 沙耶は逆手に持ったナイフを掌の中で躍らせ、自身の脳内にある生存リミッターを、

 物理的に引きちぎった。

 視界が深紅に染まり、血管を流れる血液が沸騰したかのような熱量が全身を駆け巡る。

 彼女は、かつて自分が「効率的な道具」であった頃には決して許されなかった、

 自己破壊的な過負荷オーバーロード状態へと、自らの意志で踏み込んだ。

 筋肉が軋み、細胞が一つ一つ悲鳴を上げる音が、彼女の鋭敏な聴覚には鮮明に届いている。

 だが、沙耶の思考を占めていたのは、その激痛ではなかった。


(恭二が、私の名前を呼んだ。……康二が、私に未来を託した。……正人が、私を仲間だと認めた)


 その記憶が、彼女のニューロンを凄まじい熱で焼き尽くしていく。

 自分はもう、単なる演算装置ではない。

 誰かのために命を燃やす、「沙耶」という名の一人の人間なのだ。

 その確信が、彼女の動きに神速を超えた「鬼気」を宿らせた。

 爆発の衝撃で肩口の皮膚が裂け、鮮血が噴き出していることさえ、

 彼女にとっては「仲間へ糧を届けるためのコスト」に過ぎなかった。


 徴収官が、咆哮と共に巨大な鉄柱を槍のように構え、突進してきた。

 崩落する天井から降り注ぐ火の粉と瓦礫の雨を切り裂き、怪物の質量が沙耶の眼前に迫る。

 沙耶は地を蹴った。

 足元のコンクリートが爆発的な脚力によってクモの巣状に砕け散る。

 彼女は正面から、その暴力の嵐へと突っ込んだ。

 徴収官が放った一撃を、沙耶は上半身をわずかに捻るだけで回避する。

 彼女の頬を、熱せられた鉄の風圧が切り裂いたが、沙耶の瞳は瞬き一つしなかった。


「ア、アァァァッ!」


 怪物の咆哮が至近距離で炸裂する。

 沙耶は空中を舞い、重力を無視した軌道で徴収官の懐へと潜り込んだ。

 彼女の脳内では、怪物の全身を巡る血管の脈動、筋肉の収縮、

 そして「核」となる部位がスローモーションのように克明に描かれている。

 沙耶は右手のナイフを逆手に叩き込み、徴収官の分厚い皮を裂いて、

 その奥にある腱を力任せに抉り取った。

 手応えがあった。

 同時に、怪物の巨大な拳が沙耶の脇腹を捉え、彼女の体をコンテナの壁面へと無慈悲に叩きつける。


激突。

 肺から空気がすべて絞り出され、視覚が明滅する。

 背骨が軋む音と共に、口内にどろりとした鉄の味が広がった。

 だが、沙耶の意識は、その深い闇に沈むことを断固として拒絶した。

 彼女の脳裏に浮かぶのは、市役所で空腹に耐える栞の顔、

 そして自分を「人間」にしてくれた恭二の温かな掌だった。

 あの光を、この醜悪な怪物に奪わせるわけにはいかない。

 沙耶は、肺を焼くようなアンモニアと硝煙の霧を強引に吸い込み、

 血を吐き出しながら再び地面を蹴った。


「……まだだ。……私は、まだ壊れていない。……壊れるわけにはいかない」


 彼女の思考は、既に論理の域を遥かに超えていた。

 かつては「効率」を追求するための冷徹な装置だった彼女の魂は、

 今や「愛」という名の過負荷に焼かれながら、

 たった一つの奇跡を現出させるための導火線と化していた。

 沙耶は、立ち上がる紅蓮の炎を瞳に映し、不敵に口元を歪めた。

 崩壊しゆく地下倉庫、吹き荒れる爆炎、そして命を喰らう怪物。

 その絶望の真ん中で、少女は最も残酷で、最も美しい守護者として、

 死の舞踏を再開した。


 爆発の衝撃波が次々と壁を剥ぎ取り、天井が崩れ落ちる。

 だが、沙耶の心臓は、崩壊する建物よりも激しく、高く、その鼓動を刻み続けていた。


 頭上から降り注ぐコンクリートの雨が、赤黒い炎に照らされて、

 巨大なつぶてとなって襲いかかる。

 沙耶は、視界を塞ぐ白濁としたアンモニアの霧を、切り裂くような速さで地を蹴った。

 彼女の足首は、着地のたびに砕けた床の破片を噛み、爆発的な推進力を生み出す。

 徴収官は、折れ曲がった鉄柱を棍棒のように振り回し、

 迫り来る少女の影を力任せに打ち据えようと咆哮した。


 激突の瞬間。

 沙耶は身を沈め、熱せられた鉄柱のわずか数ミリ下を滑り抜ける。

 通過する風圧が、彼女の頬に残る鮮血を瞬時に乾燥させ、皮膚を熱で焦がした。

 彼女は、自身の肋骨が軋み、肺が悲鳴を上げている事実を、

 ただの「ノイズ」として脳内の深層へと追いやった。

 彼女が今、全身の細胞で感じ取っているのは、

 自分を呼び止めた恭二の指の震えと、彼が託した重い責任の重みだけだった。


「アガ、ァァァッ!」


 徴収官は、空振りの勢いを殺すことなく、そのまま巨大な踵を沙耶の頭上へ振り下ろした。

 沙耶は、回避するのではなく、落ちていたコンクリートの鉄筋を両手で掴み取り、

 それを盾にして衝撃を真っ向から受け止める。

 凄まじい衝撃が彼女の腕を伝わり、肩の関節が不気味な音を立てて外れかけた。

 彼女は顔を歪めながらも、外れた肩を壁に叩きつけて強引に嵌め直し、

 そのまま怪物の股下を潜り抜けて背後を取った。


 沙耶の右手に握られたナイフが、怪物の腰の裏にある、肉の継ぎ目を正確に刺し貫く。

 彼女は、自身の指が熱で焼けるのも構わず、刃を奥深くへと押し込み、横一文字に引き裂いた。

 噴き出したドス黒い血液が、周囲の炎に触れて不気味な火柱を上げる。

 怪物は狂乱し、周囲に立ち並ぶ巨大なコンテナを、八つ当たりするように次々と叩き壊した。


(……まだだ。……トラックは、まだ安全圏に達していない)


 沙耶は、崩れ落ちるコンテナから溢れ出した小麦粉が、

 炎に触れて粉塵爆発を起こすのを、冷徹な計算で予見した。

 彼女は爆風に背中を向け、その衝撃を利用して、さらに怪物の懐深くへと弾丸のように飛び込む。

 彼女の制服は既に焼け焦げ、剥き出しの肌には無数の裂傷が刻まれていた。

 だが、沙耶の瞳は、かつてないほど澄み渡り、

 迫り来る死の予感を「愛おしい対価」として抱き締めていた。


 徴収官は、逃げ場を失った恐怖を打ち消すように、

 手近な瓦礫の下に埋まったレヴァナントの残骸を再び貪り食った。

 引き千切られた肉が、怪物の胸板の傷口を無理やり塞ぎ、新たな歪な筋肉となって盛り上がる。

 沙耶は、その醜悪な再生を阻むべく、もう一本のナイフを抜き放ち、両手の刃を交差させた。

 彼女は、自身の命を燃料にして燃え上がる心臓の鼓動を、勝利への確信に変えて地を蹴り上げた。


「……お前の『徴収』は、ここで、私が終わらせる」


 沙耶の声は、炎の爆ぜる音を切り裂き、怪物の耳朶を鋭く射抜いた。

 彼女は、崩落する天井の梁を足場にして空中を翔け、重力を無視した軌道で獲物の喉元へと肉薄する。

 少女の姿は、赤く染まった霧の中で、命を削って踊る死神の舞踏そのものだった。

 爆発の連鎖は、さらに地下倉庫の奥深くへと侵食し、最期の時を告げる鐘の音のように響き渡った。


 沙耶は、自身の感覚が研ぎ澄まされ、世界の時間が止まったかのような錯覚の中にいた。

 彼女の脳裏には、明日、市役所のロビーで、

 仲間たちが奪ってきた糧を囲んで笑う姿が、克明に描かれていた。


 しかし天井が断末魔のような呻きを上げ。

 巨大なコンクリートの塊が、火の粉を散らしながら床へと叩きつけられた。

 沙耶の視界は、流れ落ちる鮮血によって赤く縁取られ。

 意識の端々が、焦熱の熱気によって蝕まれていく。

 彼女は、震える膝を自身の拳で強く叩き。

 立ち上がることを拒む肉体に、非情な命令を下し続けた。


 徴収官は、折れ曲がった鉄柱を槍のように構え。

 残された片目を血走らせて、獲物の喉笛を狙い定める。

 怪物の足元では、漏れ出した重油が真っ赤な炎の池を作り。

 その熱気が、周囲の空気を歪んだ陽炎へと変えていた。

 怪物は、もはや再生の限界を超え。

 剥き出しになった筋肉の繊維が、熱で焼け焦げるたびに苦悶の咆哮を上げた。


「……あ、が……ッ!」


 沙耶の左腕が、鉄柱の払撃をまともに受けて不気味な音を立てて折れ曲がった。

 彼女は、絶叫を喉の奥で噛み殺し。

 折れた腕を支えにして、怪物の顎下へと肉薄した。

 彼女の脳内では、痛覚を遮断するための電気信号が激しく火花を散らし。

 ただ、恭二から教わった「仲間のために生きる」という執念だけが、彼女の神経を繋ぎ止めていた。


 沙耶は、右手のナイフを怪物の喉元へ突き立てる。

 鋼鉄と筋肉がぶつかり合い、指先に激しい衝撃が走り抜けた。

 彼女は、自身の指が熱で焼ける感触を無視し。

 体重のすべてを刃に乗せて、怪物の頸椎を断ち切らんと力を込める。

 徴収官の巨大な手が沙耶の頭を掴み、そのまま床へと叩きつけようと力を込めた。


(……恭二。……ごめん。……少しだけ、壊れる)


 沙耶の脳裏に、市役所を出発する前に分け合った、あのチョコレートの一片の味が蘇った。

 あの微かな甘みが、凍りついていた彼女の心を溶かし。

 今、この地獄の中で、彼女に「人間」としての力を与えていた。

 彼女は、自身の心臓が限界を超えて脈打つのを感じながら。

 折れた左腕を怪物の眼窩へと突き刺した。


「アガ、ガァァァァァッ!!」


 徴収官の絶叫が、倉庫の壁を震わせた。

 怪物は狂乱し、沙耶を抱えたまま、燃え盛るコンテナの山へと突進した。

 凄まじい衝撃と共に、沙耶の背中が鉄の壁に叩きつけられる。

 彼女は、肺の中の空気がすべて外へ弾け飛ぶのを感じながらも。

 決してその刃を離さなかった。

 

 崩落した天井の梁が、二人の頭上へと無慈悲に降り注ぐ。

 沙耶は、朦朧とする意識の中で、遠ざかっていったトラックのエンジン音を幻聴した。

 彼女は、仲間たちが無事に闇を抜けることを祈り。

 自身の魂のすべてを、その一振りの刃へと凝縮させた。

 鋼鉄の断末魔が響き渡り。

 炎の海の中で、二つの影は瓦礫の山へと飲み込まれていった。


 瓦礫の隙間から、血に濡れた細い指先が這い出した。

 炎に焼かれ、煤にまみれたコンクリートの山を、沙耶は砕けた爪を立てて押し退ける。

 彼女の視界は、どろりとした鮮血と熱気で歪み、焦点はもはや定まっていない。

 それでも、彼女の脳内にある唯一の光

 ——恭二たちが逃げ延びるための「時間」という名の座標だけが、彼女を死の淵から引き戻していた。


「……ぁ、……っ」


 喉の奥から漏れたのは、言葉以前の、掠れた喘鳴だった。

 正面。

 瓦礫の向こう側から、焦げ付いた肉の匂いを漂わせながら、徴収官がその巨体を再び持ち上げた。

 怪物の皮膚は炎に焼かれ、剥き出しの赤い筋肉が、

 熱風に触れるたびに不気味な脈動を繰り返している。

 そいつは、折れ曲がった巨大な鉄柱を杖のように突き立て、

 沙耶を、あるいは世界すべてを呪うような琥珀色の瞳で睨み据えた。


 沙耶は、立ち上がろうとした瞬間に、自身の体の「異変」を悟った。

 右足が、自分の意志とは無関係に、冷たい地面を引きずっている。

 脇腹からは、熱い鉄を押し当てられたような激痛が絶え間なく溢れ出し、

 彼女の意識を白く塗りつぶそうとしていた。

 彼女は、自身の折れた肋骨が肺を刺している感覚を、冷徹なデータとして処理しようと試みる。

 だが、そのノイズを遮断するには、今の彼女はあまりに「人間」になりすぎていた。


 怪物が、断末魔のような咆哮を上げた。

 徴収官は、残された最後の力を振り絞り、その巨大な鉄柱を槍のように構えて突進してきた。

 その速度は、死を目前にした生物特有の、狂気的なまでの瞬発力。

 沙耶には、それを回避するだけの筋力も、反応速度も、もはや残されていなかった。


 ドォォォォォンッ!


 鈍い衝撃音が、倉庫の壁に反響した。

 沙耶は、避けることを最初から放棄していた。

 彼女は、迫り来る鉄柱を、自身の左肩で敢えて受け止めた。

 肉が裂け、骨が砕ける生々しい音が、彼女の耳のすぐ側で鳴り響く。

 鉄柱の先端は、沙耶の肩を貫通し、背後のコンクリート壁へと彼女を縫い付けた。


「……ガ、……ぁぁあぁッ!!」


 沙耶は、絶叫と共に大量の血を吐き出した。

 激痛が全身の神経を駆け巡り、彼女の脳細胞を一つ一つ焼き切っていく。

 だが、彼女はその激痛を、怪物を固定するための「楔」に変えた。

 串刺しにされたまま、彼女は自由な右手に握りしめたナイフを、

 至近距離に迫った怪物の喉元へと突き立てた。


「……徴収、完了だ」


 彼女は、自身の命を絞り出すようにして、刃を怪物の頸椎の隙間へと、深く、深く押し込んだ。

 徴収官の瞳から光が消え、巨大な肉塊が、沙耶を貫いた鉄柱に寄りかかるようにして崩れ落ちる。

 怪物の最期の吐息が、沙耶の顔にかかり、彼女の視界は完全な闇に包まれた。


 肩を貫く冷たい鉄の感触。

 腹部を流れる、自身の温かい血の感触。

 沙耶は、薄れゆく意識の中で、遠い昔に恭二に名前を呼ばれた時の、あの温かさを思い出していた。

 彼女は、自身の役目を果たしたことを確信し、力なく笑みを浮かべた。

 崩落し続ける天井から降り注ぐ瓦礫が、彼女と、

 物言わぬ肉塊となった王を、等しく飲み込もうとしていた。


 炎の海の中で。

 少女は、深紅の王冠を戴くように、自身の血に染まったまま静かに目を閉じた。

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