第98話 説明会
説明会という名前だったが、戸張には事情聴取の続きにしか思えなかった。
案内された部屋は、前に使われた取調室のような場所ではなかった。長机があり、白い壁があり、端に水の入った紙コップが置かれている。窓はあるが、ブラインドは半分下ろされていた。
正面に座っているのは、管理窓口の職員二人と、警察側の担当者一人。それから、少し遅れて村瀬が入ってきた。
戸張は村瀬の顔を知っている。正式登録の説明会や、制度関係の場で何度か見た顔だった。向こうが戸張をどこまで覚えているかは分からない。ただ、席についた時の目は、登録番号ではなく人間を確認する目だった。
「お待たせしました」
村瀬は短く頭を下げた。
戸張も軽く頭を下げる。
「本日は、先日の廃業倉庫奥異常空間事案について、登録者としての扱いと、今後の注意事項を説明します。事情聴取ではありません。確認のため録音は行いますが、主目的は処分通知と運用説明です」
処分通知。
その言葉で、戸張の背中が少し硬くなった。
村瀬は手元の書類を開いた。
「結論からお伝えします。今回の件について、戸張透さんに対する正式な登録停止処分、資格取消処分、活動制限処分は行いません」
言葉は、思ったより淡々としていた。
戸張はすぐに返事ができなかった。
許された、とは思えなかった。逃げ切った、とも思えなかった。ただ、今すぐ首に縄をかけられるわけではないのだと、少し遅れて理解した。
「理由を説明します」
村瀬は続けた。
「第一に、戸張さんは事件発覚時点で、警察、管理窓口、互助会側へ位置情報と状況を共有しています。通報、証拠写真、チャット上の緊急連絡は確認済みです。逃亡や隠蔽を目的とした行動は、少なくとも初動からは確認されていません」
書類の上に、指が一度だけ置かれる。
「第二に、現場は銃器を持った犯罪者が存在し、拉致された登録者二名が生命の危険にさらされていた場所です。救急、警察の到着前に、被害者二名が死亡する可能性は否定できませんでした」
戸張は、草色ジャケットの脚と、地図読みの血の色を思い出した。
あの時、本当に間に合わないと思った。
それは嘘ではない。
「第三に、未申告の回復薬、またはポーション類似物を使用した疑いについてです」
村瀬の声は変わらなかった。
管理窓口の職員が少しだけ姿勢を直した。
「戸張さんは、後の説明で『透明なものを使った』と供述しています。過去に申告した異常空間で取得したもの、申告漏れで荷物に残っていたもの、無我夢中で使用したもの、という説明でしたね」
「はい」
戸張は答えた。
「現在、その物品は確認されていません。容器、包材、残液、破片、付着成分のいずれも現場からは見つかっていません。被搬送者二名に対する検査でも、既知のポーション由来成分、異常空間由来薬剤と推定できる残留物、継続的な身体異常は確認されませんでした」
つまり、証拠がない。
そう言われているのだと分かった。
だが、村瀬はそこで終わらせなかった。
「ただし、疑いが消えたわけではありません」
戸張は顔を上げた。
「救急隊到着時点の被害者二名の状態は、通常の応急処置だけで説明しづらい部分があります。草色ジャケットさんの出血量、地図読みさんの血液付着と外傷の不一致、搬送後の安定状態。いずれも、単独では決定的な証拠ではありません。しかし、総合すると、何らかの処置が行われた可能性は高い」
言い逃れの余地を残している。
しかし、信用はしていない。
戸張にはそう聞こえた。
「では、なぜ処分しないのか」
村瀬は自分で問いを置いた。
「現物がないからです。残留成分がないからです。被搬送者に継続的異常が出ていないからです。そして、仮に何らかの未申告物品を使用したとしても、その目的は救命であった可能性が高いからです。案外水だったのでは?」
警察側の担当者が、黙って書類を見ている。
管理窓口の職員も、反論しない。明らかに見逃してくれようとしている。
「制度は、登録者を罰するためだけにあるものではありません。登録者が異常空間内で取得した物品を無断使用することは、当然、看過できません。ですが、救命目的の緊急使用と、利益目的の隠匿使用、検査逃れ、流通目的の持ち出しを、同じ重さで扱うこともできません」
村瀬の言葉は、きれいすぎるほどではなかった。
むしろ、事務的だった。
だからこそ、言い訳には聞こえなかった。
「今回、正式処分は行いません。ただし、注意記録は残します」
戸張は、ゆっくり息を吐いた。
やはり、何もなかったことにはならない。
「注意記録、ですか」
「はい。戸張さんの登録記録に、廃業倉庫奥異常空間事案における未申告回復薬使用疑いとして内部記録を残します。これは資格停止ではありません。現時点で活動制限もかけません。ただし、今後、同様の未申告物品の所持、使用、譲渡、隠匿が確認された場合、今回の記録は判断材料になります」
戸張は頷いた。
「分かりました」
「また、今後、異常空間内で薬液、粉末、結晶、肉片、液体、用途不明の容器、その他の身体作用が疑われるものを発見、取得、保管した場合は、量や使用予定の有無にかかわらず、速やかに申告してください。緊急使用した場合も、事後速やかに報告してください」
「はい」
「今回のように、命に関わる場面で使用したと主張する場合でも、申告義務は消えません」
そこは、はっきり言われた。
戸張はもう一度頷いた。
「分かりました」
村瀬は書類を一枚めくった。
「次に、被搬送者二名についてです。草色ジャケットさん、地図読みさんはいずれも精密検査を受けました。追加で、異常空間由来薬剤またはポーション類似物の投与疑いによる経過観察対象として検査を行いましたが、現時点で継続的な異常は確認されていません」
戸張の肩から、少しだけ力が抜けた。
それは本当に、よかった。
「本人たちへは、詳細な投与疑いの内容までは伝えていません。不要な不安を与えるためではありません。検査が長引いた理由については、異常空間内事件に巻き込まれたための追加確認と説明しています」
戸張は目を伏せた。
二人は知らないままでいる。
それを望んだのは自分だ。
それでも、胸の奥に何か重いものが残った。
「犯人側の証言については」
村瀬が、少しだけ声を落とした。
「白いもの、体内に入った、体が動かない、という断片的な発言が複数あります。ただし、犯人側は拉致、銃撃、死体遺棄関連の疑いがある当事者です。現場は異常空間内であり、負傷、恐怖、錯乱、責任逃れの可能性が高い。現時点で、その証言をもって戸張さんに新たな能力、薬剤、未確認生物との関係を認定することはできません」
認定することはできない。
知られていない、とは言われていない。
戸張はその違いを、聞き逃さなかった。
「ですが、記録には残すのですね」
戸張が言うと、村瀬はうなずいた。
「残します」
即答だった。
「残さない理由がありません」
「そうですか」
「はい」
村瀬は書類を閉じた。
「戸張さん」
「はい」
「今回、あなたが中へ入った判断そのものを、ここで全面的に推奨することはできません。制度上は、通報後に待機すべき場面です。銃器が確認されているなら、なおさらです」
「はい」
「ですが、結果として二名は生存し、犯人五名は確保されました。黒い袋の中身についても、別件捜査につながっています。そこも無視しません」
戸張は、黒い袋の形を思い出した。
人間一人分に近い重さと形。
あれを見た警察官の表情。
救ったのは二人だけではなかったのかもしれない。
そう思うこともできた。
だが、それで楽になるわけではなかった。
「この判断は、あなたを信用したという意味ではありません」
村瀬は言った。
戸張は、むしろその方が納得できた。
「証拠と結果、制度への影響を見て、正式処分を行わないと判断しただけです」
「はい」
「今後、同じ説明が通るとは思わないでください」
「分かっています」
そこだけは、はっきり言えた。
同じ説明は通らない。
そもそも、同じことをもう一度やりたいとは思わない。
「では、本件の登録者向け通知文を確認してください」
管理窓口の職員が、別紙を戸張の前へ置いた。
そこには、個人名を伏せた形で、今回の事案に関する注意喚起がまとめられていた。
廃業倉庫奥異常空間において、正式登録者二名が犯罪行為に巻き込まれたこと。公道からの外観確認であっても、第三者による暴力、誘導、拉致のリスクがあること。入口疑い情報の確認は、複数名であっても安全を保証しないこと。異常空間内で取得した物品、薬剤類、用途不明の液体等は、発見、取得、保管、使用のいずれの場合も申告対象であること。
最後に、太字で一文があった。
緊急時の救命行為であっても、事後報告義務は免除されない。
戸張は、その一文をしばらく見た。
自分に向けられた言葉だった。
同時に、自分だけに向けられた言葉ではなくなっていた。
「この通知に、あなたの名前は出しません」
村瀬が言った。
「ただし、関係者が読めば、ある程度は察します」
「でしょうね」
「それでも、制度としては個別処分より先に、再発防止を優先します」
戸張は別紙を返した。
「分かりました」
「以上です。質問はありますか」
質問。
いくつもあった。
本当に処分しなくていいのか。
どこまで疑っているのか。
二人は本当に大丈夫なのか。
犯人たちは、まだ体内に何か残っているのか。
自分の中のものは、次に何をするのか。
だが、そのどれも、この場で聞けるものではなかった。
「ありません」
戸張は言った。
説明会は、それで終わった。
部屋を出ると、廊下の窓の外はもう夕方だった。ガラスに自分の顔が薄く映っている。疲れた顔だった。人を助けた顔には見えない。何かを隠している顔には見えた。
スマホを見ると、互助会のチャットに管理窓口からの通知文が共有されていた。槙野がすぐに補足を入れている。
槙野@準備会:今回の件について、個人名や詳細の詮索はしないでください。入口候補確認のルールは全面的に見直します。
安全靴の民:二人は無事なんですか
槙野@準備会:命に別状はないと聞いています。ただ、本人たちの負担を考えて、連絡は控えてください。
紙の盾:了解です
泥つき手袋:外から見るだけでも駄目な時は駄目ってことか
槙野@準備会:駄目ではありません。ただ、安全確認の考え方を変えます。人間の危険も含めます。
草色ジャケットと地図読みの名前は出ていない。
戸張の名前も出ていない。
それでも、チャットの空気は重かった。
見学中、という表示名で入力欄を開き、戸張はしばらく何も打てなかった。
礼を言うのも違う。
謝るのも違う。
無事でよかった、と書くには、自分が知っていることが多すぎた。
結局、何も打たずに画面を閉じた。
その夜、正式な通知が戸張の登録者用ページに届いた。
件名は、廃業倉庫奥異常空間事案に関する登録者対応について。
処分なし。
活動制限なし。
ただし、未申告異常物品使用疑いとして注意記録を残す。
今後、同種の未申告使用が確認された場合は、登録資格停止を含む措置の対象となる。
戸張は文面を最後まで読んだ。
許されたわけではない。
見逃されたわけでもない。
疑われたまま、今回は処分しないと決められただけだった。
それでも、登録番号は消えていなかった。
画面を閉じると、頭の奥で、冷たいものがかすかに沈んでいるのを感じた。
返事はない。
会話でもない。
ただ、何かが黙ってそこにいる。
戸張は椅子の背にもたれ、天井を見た。
「次はないぞ」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
寄生体は、何も答えなかった。




