第93話 見に行くだけ
正式五級登録者向けの通知は、昼過ぎに届いていた。戸張はスマートフォンの画面を下へ送る。件名は長い。
異常空間入口情報提供協力金制度に関する試験運用開始予定のお知らせ。
本文には、制度の概要が並んでいた。正式五級登録者は、異常空間入口の疑いがある場所について、位置情報、写真、周辺状況、通信異常、温度差、音、臭気、既存地図との照合情報などを専用フォームから提出できる。国が調査対象として採用した場合には協力金、管理対象候補または異常空間と確認された場合には追加協力金の対象となる。
ただし、私有地への無断立入り、封鎖区域への侵入、虚偽申請、危険を煽る撮影や配信、違法に取得された情報は対象外。悪質な場合、登録停止を含む処分がある。
戸張はそこで指を止めた。文章は丁寧だった。できることと、できないことが分けられている。五級登録者を無理に送り出す文面ではない。それでも、動いてほしいという意図は十分に伝わってきた。
民間の目を使う。民間の足を使う。ただし、線は引く。そういう制度だった。
画面の上部に、新しい通知が重なった。互助会準備会のグループチャットだった。
槙野@準備会:皆さん、正式五級向けの通知は確認しましたか。
安全靴の民:見ました。協力金のやつですよね。
紙の盾:五級限定って書いてありました。
草色ジャケット:民間会社も動きそうですね。
ポケット石:もう動いてると思います。
戸張はチャットを開いた。表示名は、相変わらずばらばらだった。槙野@準備会、五級見習い、安全靴の民、紙の盾、泥つき手袋、ポケット石、草色ジャケット、見学中。省略して呼ぶ時は、槙野、安全靴、紙盾、泥つき、ポケット、草色。戸張の表示名も、何度か「見学」と呼ばれている。本名を出さない距離感としては、ちょうどよかった。
槙野@準備会:最初に確認しておきます。これは「見つけたら入っていい」という制度ではありません。できるのは、合法範囲での外観確認、位置情報、写真、周辺状況の記録、報告までです。
紙の盾:中に入らなければいい、で合ってます?
槙野@準備会:それも少し違います。入らなくても、私有地への無断立入りや封鎖区域への接近はアウトです。
泥つき手袋:公道から見える範囲なら?
槙野@準備会:基本はそこからです。管理者が分かる場所なら、許可を取る。分からない場所は無理をしない。
槙野の文面は、いつも通りだった。先に戻ることを教える。先に相談することを教える。先に契約と規約の怖さを教える。
草色ジャケット:企業から候補情報を買うのはどうなんでしょう。
槙野@準備会:通知上は禁止ではありません。ただし、取得経路が確認できない情報や、違法取得の疑いがある情報は対象外です。
草色ジャケット:ありがとうございます。これ、思ったより見るところ多いですね。
槙野@準備会:多いです。向こうが悪意を持っているとは限りません。ただ、悪意がなくても条件が雑だと、事故が起きた時に全部こちらへ来ます。
紙の盾:契約こわい。
安全靴の民:チャンネル名回収が早い。
泥つき手袋:これ、知らずに受けてたら普通に危なかったやつですね。
草色ジャケット:前の件、ここで相談してよかったです。
槙野@準備会:相談してくれたので整理できました。企業、調査会社、情報サイトを全部悪者扱いする必要はありません。ただ、こちらが条件を読めないまま受けるのは危ないです。
悪い人間ばかりではない。戸張はそう思った。画面の向こうにいるのは、少なくとも今は、無謀に突っ込もうとしている集団ではなかった。通知を読み、禁止事項を確認し、協力金に反応しながらも、槙野の釘刺しを受け入れている。
ただ、全員が同じ重さで危険を見ているわけではない。そこも、画面越しに分かった。
地図読み:すみません、初めて発言します。少し候補っぽい場所を見つけました。
新しい名前が入ってきた。地図読み。戸張は、その表示名を見てから、続く投稿を読んだ。
地図読み:市の古い排水路図と、今の地図でズレている場所があります。廃業した倉庫の裏手なんですが、昔の図面だと地下搬入口みたいな記号が残っています。
安全靴の民:場所は?
地図読み:ここです。
地図画像が貼られた。画面上に、赤いピンが一つ立っている。市街地の外れ、川沿いの倉庫跡。最寄り駅からは少し歩く。周囲には住宅がまばらにあり、近くに小さな公園と古い資材置き場が見えた。
二駅先:そこ、家から二駅です。
また新しい表示名だった。
二駅先:倉庫はもう使ってないと思います。前を通ったことありますけど、裏手はフェンスあります。
槙野@準備会:フェンス内には入りません。管理者が分かるなら、先に連絡を取ります。許可が取れない場合は、公道から見える範囲だけです。
二駅先:看板が残ってたかもしれません。次に通る時、外から確認してみます。
槙野@準備会:お願いします。写真を撮る場合は、敷地内に入らず、住所や周辺住民が映らない範囲で。
草色ジャケット:地下搬入口が本当に残ってるなら、外から写真だけでも報告材料にはなりそうですね。
紙の盾:これ、数人で見に行きませんか。
その一文で、チャットの流れが少し変わった。戸張は画面を見つめたまま、親指を止める。
安全靴の民:外観確認だけならありだと思います。
泥つき手袋:一人よりは複数の方がいいですね。
五級見習い:行くなら日曜午前がいいです。人通りもありますし。
槙野@準備会:日曜午前は仮にしましょう。管理者に連絡がつかなければ、公道側からの確認のみ。許可が取れた場合でも、中には入りません。建物や地下搬入口には触れないことを条件にします。
紙の盾:了解です。
安全靴の民:装備はどの程度にします?
槙野@準備会:探索装備ではなく、外出装備です。歩きやすい靴、手袋、ライト、マスク、スマホの予備バッテリー程度。武器に見えるものは持たない方がいいです。
草色ジャケット:小型カメラは?
槙野@準備会:撮影するなら、撮影目的と範囲を明確に。配信はなしです。許可が取れた場合でも、撮影範囲は事前に確認します。
草色ジャケット:了解です。今回はスマホだけにします。
草色ジャケットは、以前よりも発言が増えている。企業からモニター依頼を受けた件があるせいか、機材や撮影の話になると反応が早い。戸張はそこも記憶した。
正式五級になった人間が、どういうところに興味を持つのか。どういう言葉で危険を抑えようとするのか。どこで前のめりになるのか。見ておく価値はあった。
別の入口。
頭の奥で、意識が細くそちらへ向いた。
言葉ではない。ただ、向きたがる感覚だけがあった。
戸張は画面から目を離さないまま、息を浅く吐いた。
見るだけだ、と自分へ言い聞かせる。
入らない。他人がいる。
頭の奥の疼きは、すぐには引かなかった。
二駅先:日曜午前なら案内できます。駅から歩くルートも分かります。
安全靴の民:行けます。
紙の盾:自分も午前なら。
草色ジャケット:行けます。
槙野@準備会:私は同行します。現地判断で中止にする可能性もあります。あと、管理者確認の結果次第で内容は変えます。
五級見習い:今回は見送ります。仕事です。
泥つき手袋:自分も予定ありです。
戸張は返信欄を開いた。参加します、と打てば、それで済む。断る理由もある。まだ互助会の中で目立つ必要はない。現地で何かあれば、寄生体の反応を抑える必要がある。他の五級登録者に、自分の判断や動きを見られるかもしれない。
だが、参加する理由もあった。
一般の五級が、通知をどう受け取り、どう動くのか。槙野がどこまで止めるのか。民間情報から生まれた候補地が、どの程度の精度なのか。
見に行くだけなら、得られるものはある。
戸張は返信欄に文字を入れた。
見学中:日曜午前なら行けます。外観確認だけでお願いします。
送信すると、すぐに槙野から返事が来た。
槙野@準備会:ありがとうございます。見学さんも参加で把握しました。現地では無理をしない方針でお願いします。
安全靴の民:よろしくお願いします。
紙の盾:よろしくです。
二駅先:駅からの道、あとで貼ります。
草色ジャケット:よろしくお願いします。
戸張は短く返した。
見学中:よろしくお願いします。
画面の地図には、赤いピンがまだ残っていた。倉庫跡。地下搬入口。古い排水路図とのズレ。どれも、文字の上ではただの候補だった。
戸張はその地図を保存した。保存済みの小さな表示が出て、すぐに消えた。




