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寄生虫と行く現代ダンジョン  作者: 脳タリン


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第91話 亀山案件


 外務省から回ってきた資料には、赤い付箋が三枚貼られていた。

 一枚目は、米国側からの照会。

 二枚目は、中国側研究機関からの照会。

 三枚目は、第三国経由で持ち込まれた、出資元の確認が必要な海外取材企画だった。

 村瀬は付箋の位置だけを見て、紙をめくる手を一度止めた。入口情報提供協力金制度案の会議が終わって、まだ一時間も経っていない。同じ会議室ではなかったが、同じ建物の中で、別の民間人の扱いが議題に上がっていた。

 表紙には、亀山の氏名がある。

 肩書きは、公式記録協力者。

 調査員ではない。五級登録者でもない。職員でもない。

「水門第二層の未分類群体に関する海外照会です」

 外務省の担当者が言った。

「米国側からは、本人の安全確保と共同研究協力を兼ねた短期滞在の打診。中国側からは、群体行動研究および映像データ共有に関する照会。第三国経由の取材企画については、制作会社の背後関係を確認中です」

 会議室の空気は、先ほどよりも重かった。

 入口情報の制度は、まだ設計できる。金額を決め、対象を絞り、禁止事項を書き、登録停止の規定を置く。抜け道は出る。それでも、手順に落とし込む余地があった。

 亀山の件は違う。

 本人が何かを望んで始めた話ではない。望んでいないものが、外から押し寄せている。

「米国側の文面は、かなり丁寧です」

 外務省の担当者は、翻訳資料を配った。

「本人および家族の安全確保、専門施設での非接触観察、心理的ケア、日米共同研究への協力。表向きの形は整っています」

「保護という言葉は」

「直接は使っていません。ただ、趣旨としては近いです」

 警察庁側の担当者が資料を見ながら眉を寄せた。

「短期滞在、専門施設、本人の安全確保。受ければ、実質的には国外で管理下に置かれる」

「断れば、協力拒否に見える」

 内閣府の課長補佐が言った。

「同盟国相手ですから、返し方を間違えると面倒になります」

 村瀬は米国側資料の末尾を見た。協力、保護、安全、研究。どれも悪い言葉ではない。悪い言葉ではないからこそ、断り方が難しい。

「中国側は」

「研究機関名義です。群体行動、生物制御、異常空間内未分類生物の非接触観察に関する共同研究の提案。映像データ、環境条件、当時の同行者情報、現場の温湿度、照明、音声記録の提供を求めています」

「同行者情報までですか」

「はい」

 外務省の担当者は、そこだけ声を少し落とした。

「公開済み映像と編集済み記録以上のものを求めています」

 研究班の担当者が資料を閉じた。

「未分類群体については、こちらも分類できていません。群体行動と呼んでいいのかも保留です。生物なのか、異常空間内の反応なのか、寄生性を持つのか、環境依存なのか。どれも結論を出す段階ではありません」

「亀山氏に操作能力は確認されていません」

 村瀬は言った。

 それは、会議のたびに確認している言葉だった。

「本人も、一貫して否定しています。記録協力者であって、調査員ではありません。未分類群体を呼び出せる人物として扱うべきではありません」

「ただ、海外はそう見ていません」

 外務省の担当者が、別紙を机の中央へ置いた。

 海外メディアの見出し、動画サイトの切り抜きタイトル、SNS投稿の翻訳。そこには、亀山の名前と白い群体の通称が繰り返し並んでいた。

 本人の否定発言も、引用されている。だが、否定は否定として消費されていなかった。圧力があるから否定している。本人が自覚していないだけではないか。日本政府が管理しているのではないか。そんな言葉が、翻訳文の中で静かに増えていた。

「隠していないと説明すれば、なぜ安全確保が必要なのかと聞かれる」

 課長補佐が言った。

「安全確保をしなければ、何かあった時に放置したと言われる」

「本人は民間人です」

 村瀬は、もう一度言った。

「こちらの管理対象ではありません」

「ですが、保護の必要はあります」

 警察庁側の担当者が返した。

「個人連絡先、過去の活動履歴、知人関係、SNS。全部は閉じられません。すでに海外から直接連絡を試みた形跡があります。取材、研究協力、講演依頼、映像利用の打診。通常の問い合わせと、不自然なものが混ざっています」

「閉じすぎれば、囲っているように見える」

「はい」

「開けすぎれば、接触される」

「はい」

 短いやりとりで、話は止まった。

 研究班の担当者が、別の資料を開く。そこには、面談記録と書かれていた。

「亀山氏への聞き取りです。概要だけ共有します」

 村瀬は顔を上げた。

「睡眠は浅い。白い群体の映像は、長時間見られない。自分が呼んだ、操った、隠しているという前提で話されることに強い負担を感じている。取材依頼の文面にも反応が出ています」

 担当者は、資料の一部を読み上げた。

「『呼べません。呼んでいません。何度言っても、そこから話が始まらないんです』」

 会議室の中で、誰かが小さく息を吐いた。

 その言葉は、感情的な訴えではなかった。疲れた人間が、同じ説明を何度も繰り返した後に残した言葉だった。

「本人から、公式記録協力の辞退希望は」

「現時点ではありません。ただ、次の同行や追加の現場確認については、強い不安を示しています」

「当然でしょう」

 警察庁側の担当者が言った。

「再投入はあり得ません」

 研究班の担当者も頷いた。

「未分類群体を刺激する検証は行いません。亀山氏を現場条件として扱うことも避けるべきです。本人の存在と群体の出現条件を、結びつけて実験計画にする段階ではありません」

「段階ではない、ではなく、やらないと書いてください」

 村瀬は言った。

 研究班の担当者が、少しだけ目を瞬かせた。

「安全上、実施しない。倫理上、求めない。本人の同意があっても、こちらから誘導しない。文案はそうしてください」

「分かりました」

 外務省の担当者が資料にメモを取る。

「米国側への回答にも、その線を入れます。本人の国外滞在を前提にした検証には応じない。共同研究は、公開済みデータと安全上共有可能な範囲で別途協議」

「中国側も同様です」

 課長補佐が言った。

「映像データは公開済み、編集済みのものまで。同行者情報は出さない。個人に紐づく情報は出さない」

「第三国経由の取材企画は」

「本人への直接連絡を避けるよう、窓口を案内します。出資元の確認が取れるまで、こちらから便宜は図らない」

 手順は積まれていく。

 積まれていくほど、亀山という個人は紙の中で何度も言い換えられた。公式記録協力者。民間人。安全確保支援対象。問い合わせ対応対象。未分類群体関連人物。

 どの言葉も間違いではない。

 だが、どれも亀山本人ではなかった。

「本人への説明は、どうしますか」

 警察庁側の担当者が聞いた。

「海外からの接触は専用窓口へ回してもらう。個人で返信しない。断る場合も、こちらで文案を用意する。家族や知人への接触があった場合も報告してもらう。強制ではなく、安全確保支援として案内します」

「保護対象という言葉は使わない」

「使いません」

 村瀬は答えた。

「その言葉を使った瞬間、本人の扱いが変わります」

 課長補佐が、面談記録の紙を裏返した。

「本人は、なぜ自分が疑われ続けるのかを気にしています。未分類群体の出現について、自分では説明できない。だからこそ、誰かが何かを見ていたのではないかと考えているようです」

 村瀬は、その言葉に反応しかけて、止めた。

 亀山が何を覚えているのか。何を言わずにいるのか。どこまで自分の中で整理しているのか。

 そこへ踏み込むのは、今の議題ではない。

「その部分は、本人の心理支援に回してください」

 村瀬は言った。

「問い合わせ対応の文面には入れない」

「承知しました」

 会議は、その後も続いた。

 米国側への回答は、本人の国外滞在を前提にしない。中国側への回答は、公開済み情報と安全上共有可能な範囲に限る。未分類群体の再現実験、接触実験、亀山を条件にした検証は実施しない。海外取材や研究協力の依頼は、専用窓口へ一本化する。本人への案内は、安全確保支援として行い、保護対象という言葉は使わない。個人情報、家族情報、同行者情報は出さない。

 一つずつ決めていくたびに、亀山へ届く言葉は増えた。

 連絡は窓口へ。個人で返事はしない。家族や知人への接触は報告する。

 どれも守るための手順だった。

 本人に渡す時には、制限の形をしていた。

 会議が終わった後、村瀬は残った資料を整理した。

 米国側照会、中国側照会、海外取材企画、面談記録の概要、本人説明用の文案。すべて同じ封筒に入れるには厚すぎた。

 村瀬は、本人説明用の文案だけを抜き出した。

 冒頭には、こう書かれている。

 亀山様は、政府の安全確保支援の対象となります。

 村瀬はしばらくその一文を見た。

 間違ってはいない。支援は必要だった。専用窓口も必要だった。個人で海外からの接触を受け続ければ、亀山本人も周囲も保たない。

 それでも紙の上では、亀山という人間がまた一つ別の名前に置き換えられていた。

 村瀬は赤ペンを持ち上げかけて、置いた。

 今ここで直せるのは、文面だけだった。

 本人説明用の紙を裏返し、ほかの資料とは別の封筒に入れる。

 廊下の向こうで、別の会議室の扉が開く音がした。

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