第81話 ギルド未満
槙野から渡されたカードは、机の上に置いたままだった。仮登録者互助会準備会。印刷された文字は妙に真面目で、その下に小さく、参加用フォームの二次元コードと連絡用メールアドレスが載っている。ギルドへの招待状というより、地域清掃の参加案内に近い。それが逆に怪しい。
俺はカードを裏返した。裏面には注意事項があった。
未確認入口の位置情報共有は禁止。採取物、魔石、装備品の売買は禁止。貸与武器の持ち出し相談は禁止。違法行為、制度逃れ、無断進入の斡旋は禁止。
一番上に書いてあるのが禁止事項の時点で、かなり現代日本だった。
「ギルド……」
声に出してみる。思っていたより、口にすると恥ずかしい。昔なら、ゲームの中でギルドに入るのは普通だった。依頼を受けて、素材を納品して、酒場で仲間を探す。そういう単語としてなら、何もおかしくない。だが、現実の三十歳無職が、合同庁舎の帰りに渡されたカードを見ながら「ギルド」とつぶやくと、急に危ない。
俺はしばらく迷ってから、スマホで二次元コードを読み込んだ。参加する気はない。見るだけだ。そう思った時点で、昨日と同じような言い訳をしている気がして、少し嫌になった。
表示されたページは、思ったよりちゃんとしていた。派手なロゴも、剣と盾のマークもない。白い背景に黒い文字で、仮登録者互助会準備会、参加前確認と出ている。
最初に出てきたのは、槙野の挨拶文だった。
――――――
仮登録者互助会準備会へようこそ。
この会は、異常空間民間調査員制度の仮登録者同士が、制度の範囲内で経験や注意点を共有するための非公式な集まりです。
公式機関ではありません。
未確認入口への無断進入、採取物の売買、貸与装備の持ち出し、違法な武器携帯、制度逃れの相談は扱いません。
探索者ギルドを名乗りたい気持ちはありますが、現時点では名乗ると各方面から怒られる可能性が高いため、互助会準備会です。
まずは、生きて戻る話から始めましょう。
――――――
最後の一文だけ、少し柔らかかった。生きて戻る話。攻略でも、討伐でも、稼ぎでもなく、戻る話。
俺は指を止めた。昨日、黒い階段の下から戻った。戻ったと言っていいのかは分からない。一体を置いてきた。それでも俺自身は戻った。この会に書ける話ではない。絶対に書けない。
参加前確認を読み進めると、表示名の設定画面になった。本名でなくてよい。ただし、登録者確認のため、登録証の番号と氏名は運営側にのみ確認される、とある。
運営側。槙野だろうか。別の誰かも見ているのか。
俺はそこでまた止まった。信用していない相手に登録番号と氏名を渡すのは気持ちが悪い。だが、槙野はもう俺の個別確認の滞在時間を拾っている。完全な匿名のつもりでいても、こちらが思うほど隠れていない。
迷った末に、俺は必要事項を入れた。表示名は、未設定のままにしようとしたが、空欄では進めなかった。少し考えて、「見学中」と入力する。かなり逃げた名前だと思う。
認証はすぐ終わらなかった。準備会の確認待ちになるらしい。まあ、その方がまともではある。二十分ほどして、メールが届いた。件名は、参加承認のお知らせ。本文には、クローズド掲示板へのリンクが貼られていた。
俺は少しだけ息を吐き、開いた。
最初に表示されたのは、チャンネル一覧だった。
#はじめに読んでください
#撤退報告
#装備と返却
#報告書の書き方
#体調変化
#制度に聞きにくい質問
#ギルド名募集
#雑談
思っていたより、生活感があった。
#はじめに読んでくださいを開く。
槙野@準備会:
未確認入口の場所共有は禁止です。見つけた場合は公式窓口へ報告してください。
採取物、魔石、敵性生物の残留物の売買は禁止です。協力金や申告手続きの一般的な話は可。
貸与装備の持ち出し・改造・隠匿の相談は禁止です。返却時に怒られた話は可。
戦闘自慢より撤退報告を歓迎します。戻った人の話が次の人を戻します。
ギルドと呼びたい人は心の中で呼んでください。画面上では互助会です。
五級見習い:
心の中ならセーフなんですね
安全靴の民:
脳内ギルド
紙の盾:
互助会って字面が強すぎる。町内会感ある
槙野@準備会:
町内会の方が継続率は高いので見習いたいです
俺は少し笑いそうになった。思っていたより、軽い。そして、思っていたより真面目だった。
#撤退報告を開く。一番上に固定表示があった。
槙野@準備会:
ここは「倒した話」より「戻った話」を残す場所です。
進まなかった理由、怖かったもの、引き返した判断、後から考えた反省などを書いてください。
笑いものにしないこと。
逃げた話を馬鹿にした人は退室です。
安全靴の民:
管理済み区域で、曲がり角の先からカリカリ音がして戻りました。姿は未確認。職員に報告したら「確認せず戻ったのは正しいです」と言われた。正直、確認しなかったのをちょっと後悔してたので助かった。
紙の盾:
自分は光る苔みたいなの見つけて、採取できそうで近づきかけたけど、同行の人に止められて戻った。後で聞いたら床が濡れてたらしい。足元見てなかった。恥ずかしいけど書く。
槙野@準備会:
こういう話が一番助かります。光ってるものはだいたい人間を止めます。
五級見習い:
止めますって表現が怖い
撤退報告という名前なのに、妙に読める。俺は椅子に座り直した。
昨日の俺なら、何を書けるだろう。黒い階段の下を確認しようとして降りました。敵がいました。戻るのが遅れて、ついてきた寄生ゴブリンを一体失いました。
書けるわけがない。いや、最初の一行から駄目だ。未確認の階層に自己判断で入った時点で、ここでもアウトだろう。
俺は画面を閉じかけて、やめた。
#装備と返却を見る。
泥つき手袋:
貸与手袋、泥を落としたつもりで返したら指の間に何か詰まってて注意されました。水洗いだけじゃ落ちない。乾くと固まる。次からブラシ持っていく。
安全靴の民:
ブラシって持ち込みいいんですか?
槙野@準備会:
清掃用具として事前申告すれば通りやすいです。ただし金属ブラシは場所によって確認されるかも。職員に聞いてください。
ポケット石:
石をポケットに入れたまま退場して注意されました。持ち帰る気はなかった。本当に忘れてた。
五級見習い:
名前がもう反省してない
ポケット石:
反省してます
槙野@準備会:
現地物の持ち帰りは意図がなくても問題になります。石でもです。退場前にポケット確認を推奨します。
石でもです。
俺はそこを二度見した。石でも、制度の話になる。俺のポケットが、ますます肩身の狭い場所になっていく。
#報告書の書き方。
槙野@準備会:
悪い例:「ぬるっとしたやつが出た」
少し良い例:「灰色、膝下程度、六本脚、突進あり。正面硬い。腹側不明」
良い例:「灰色外殻、膝下程度、六本脚。約五メートル先で停止後、低姿勢から突進。正面打撃は効きにくい。腹側は未確認。撤退」
書けないことは書かなくていいです。ただ、見た範囲は具体的に。
紙の盾:
ぬるっとしたやつ、便利なのに
槙野@準備会:
便利な言葉ほど報告書で死にます
安全靴の民:
「なんか嫌な感じ」は?
槙野@準備会:
「臭気あり」「湿度変化あり」「音の反響が変化」など、分解できる範囲で分解してください。分解できない場合は「強い不安感」として体感欄へ。
槙野は、思ったより細かい。ギルドに憧れている男が、報告書の悪い例を添削している。夢が現実に削られている。削られているが、形にはなっている。それが少しだけ面白かった。
#体調変化を開くと、空気が少し変わった。
五級見習い:
活動後、翌日にめちゃくちゃ腹が減る。これ普通?
安全靴の民:
自分もあります。普段食べない量を食べた。
泥つき手袋:
筋肉痛が変な場所に来る。太ももじゃなくて脇腹とか首の後ろとか。
紙の盾:
夢を見る。通路を戻ってる夢。起きると疲れてる。
槙野@準備会:
医療相談はここでは判断できません。強い症状や長引く場合は公式窓口へ。共有自体は助かりますが、自己診断と薬の勧め合いは禁止です。
紙の盾:
夢の話はどこまで書いていいんですか
槙野@準備会:
個人特定や場所特定につながる内容はぼかしてください。怖かった、戻れなかった、音が残る、匂いが残る、程度でも十分です。
戻れなかった。
俺はその文字を見て、指を止めた。俺は戻った。でも一体は戻らなかった。そう書ける場所は、ここにはない。当たり前だ。ここは普通の五級仮登録者の互助会で、寄生ゴブリンを失った人間の懺悔場所ではない。
#ギルド名募集は、予想通りひどかった。
五級見習い:
探索者ギルド
槙野@準備会:
却下ではないですが保留。理由は察してください。
紙の盾:
異常空間民間調査員相互支援連絡準備会
安全靴の民:
長い
泥つき手袋:
五級の会
ポケット石:
石の会
槙野@準備会:
石から離れてください
紙の盾:
帰宅部
五級見習い:
それいい
槙野@準備会:
良くないです。いや、趣旨はかなり近いですが。
帰宅部。
俺は今度こそ少し笑った。ダンジョンに入る人間の集まりが、帰宅部。かなり正しい。強さより、攻略より、帰ること。
この会がふざけているのか真面目なのか、分からなくなってくる。たぶん両方なのだろう。槙野という男も、たぶんそうだ。ゲームのギルドに憧れて、人をリスト化して、違法行為は禁止と書き、撤退報告を集め、ギルド名募集で「石から離れてください」と返す。
胡散臭い。だが、完全に馬鹿にはできない。
俺はしばらく眺めたあと、書き込み欄を開いた。表示名、見学中。空欄が白く光っている。
何を書けるだろう。
活動後に夢を見る。匂いが残る。見てはいけない階段の奥を見たくなる。化け物はどちらだと思う。
全部、書けない。
俺は結局、何も入力せずに閉じた。
見るだけ。今日はそれでいい。そう思ってから、また言い訳だなと思った。ただ、昨日の「確認だけ」とは少し違う。これは、誰かの場所へ勝手に踏み込んだわけではない。槙野が作った入口から、決められた範囲を覗いているだけだ。
怪しい入口だ。でも、黒い階段よりはまだ明るい。
スマホを伏せる前に、もう一度#はじめに読んでくださいを開いた。
戻った人の話が次の人を戻します。
その一文を見て、俺はしばらく動けなかった。俺が戻った話は、ここには書けない。だが、戻れなかった一体のことを、なかったことにはできない。
鞄の中には、槙野のカードがまだ入っている。暗渠の奥には、黒い階段がまだある。そしてスマホの中には、ギルド未満の、小さな帰宅部みたいな場所ができていた。
俺は画面を閉じた。
書き込む日は、たぶん来る。
その時、何を書くのかはまだ分からなかった。




