第76話 自衛隊でも
朝の情報番組で、水門ダンジョンの映像が流れていた。
実際の配信映像そのままではない。画面の一部にはぼかしが入り、音声も抑えられている。銃声は短く加工され、敵性生物がカメラへ迫る場面は静止画に差し替えられていた。それでも、濡れた床を踏みしめる二メートル級のカエル型と、水路の奥から姿を現した山椒魚型の大きさは伝わった。壁面を移動するイモリ型の映像には、赤い丸がつけられている。
画面下のテロップには、こう書かれていた。
【水門第二層確認作業中に敵性生物と接触】
【自衛隊員・同行者らは全員脱出】
【重傷者・行方不明者なし】
アナウンサーは、抑えた声で原稿を読んでいた。
「政府は昨日、水門ダンジョン第二層で行われた確認作業中、複数の敵性生物との接触があったことを明らかにしました。現場には自衛隊員、研究関係者、記録担当者、民間協力者が同行していましたが、重傷者、行方不明者は確認されていません」
そこで映像が切り替わる。
亀山の報告配信だった。
白い背景の前で、亀山が頭を下げている。
『僕は無事です。同行していた方々も、重傷者や行方不明者は出ていません』
その声が流れたあと、スタジオへ映像が戻った。
司会者は安堵したように息を吐いたが、すぐに表情を引き締めた。
「全員が戻られたという点では、本当に良かったと思います。ただ、映像を見る限り、非常に危険な状況だったことも分かります」
隣に座る元自衛官の解説者が頷いた。
「はい。今回、自衛隊は死者を出さずに戻しています。そこはまず評価されるべきです。非戦闘員を含む隊列で、複数方向から接触を受け、結果として全員を撤退させている。これは簡単なことではありません」
「一方で、銃弾が命中しているように見える場面でも、敵性生物が止まっていません」
「そこが今回、多くの人に衝撃を与えた部分だと思います。これまでは、危険なダンジョンであっても、自衛隊が入れば、銃火器で一定程度は制圧できるという見方がありました。しかし今回の映像では、少なくとも一部の敵性生物に対して、通常の射撃だけでは即時停止に至らない場面が確認されています」
スタジオに、加工済みの静止画が表示された。
カエル型の厚い皮膚には、弾痕がいくつも残っている。だが、その姿勢は崩れていない。
コメンテーターの一人が眉を寄せた。
「これ、自衛隊の方が外したわけではないんですよね」
「映像を見る限り、命中はしています」
「命中しても止まらない」
「はい。そこが問題です」
短い会話だったが、それだけで十分だった。
自衛隊が撃っている。
当たっている。
それでも止まらない。
その事実は、専門用語よりも分かりやすく、画面の向こう側へ届いた。
番組は続けて、街頭インタビューを流した。
駅前で足を止めた会社員の男性は、少し困ったように笑ってから言った。
「正直、自衛隊がいれば大丈夫なんだろうって思ってました。でも、あれを見ると、民間人なんか絶対無理ですよね。銃を持ってる人たちでもああなるなら、普通の人間は逃げるしかない」
別の女性は、買い物袋を持ったまま首を振った。
「子どもが動画を見たがるんです。友達の間でもホワイトスウォームとか言っているみたいで。でも、あれって人が死んでいてもおかしくなかった映像ですよね。もう、面白がって見るものじゃないと思います」
大学生らしい若者は、言葉を選びながら答えた。
「白い虫のやつは、正直ちょっとすごいと思いました。でも、それが出なかったら助からなかったかもしれないって考えると怖いです。あと、亀山さんをテイマーって呼ぶのは、さすがに本人がかわいそうかなって」
一方で、別の若者は違う反応を見せた。
「怖いですけど、逆に本当に何かあるんだって思いました。今までダンジョンって、ニュースの中の話って感じだったんですけど、あの映像を見たら、行きたい人は増えると思います。危ないって分かっていても、見たい人はいると思う」
その発言に、スタジオの空気が少し重くなった。
次に流れたのは、商店街での聞き込みだった。
年配の男性が、腕を組みながら話している。
「昔から山でも海でも危ない場所はあったんですよ。熊もいるし、崖もあるし、川も増水する。でも、あれはそういう危なさとは違う。壁を走るようなものがいて、銃で撃ってもすぐ止まらない。あれが外に出てきたら、どうするんですか」
アナウンサーが、その言葉を受けるように原稿を続けた。
「今回、視聴者から多く寄せられているのが、“もし敵性生物が異常空間の外へ出てきた場合、対応できるのか”という不安です」
スタジオには、再びカエル型の静止画が表示された。
輪郭はぼかされている。それでも、人間より大きな体格と、濡れた皮膚の厚みは分かる。
司会者が元自衛官の解説者へ視線を向けた。
「現時点で、こうした敵性生物が外へ出てくるということは確認されているのでしょうか」
「継続的に外部へ出現しているという確認はありません。そこは冷静に見る必要があります。今回の出来事も、あくまで異常空間内で発生したものです」
解説者はそこで一拍置いた。
「ただし、不安を覚えるのは当然です。二メートル級のカエル型、三メートル級の山椒魚型、壁面を移動する小型のイモリ型。これらが仮に住宅地、地下街、駅構内、学校の近くに出た場合、通常の避難誘導だけでは間に合わない可能性があります」
別のコメンテーターが口を開く。
「しかも、警察官の拳銃で対応できる相手ではないかもしれない」
「はい。害獣駆除や熊対策の延長で考えるには無理があります。もちろん、外に出ると決まったわけではありません。しかし、想定しない理由にもなりません」
その言葉に、スタジオの空気が変わった。
外に出ると決まったわけではない。
だが、出ないと断言されたわけでもない。
画面の向こうの視聴者は、その隙間に不安を見た。
街頭インタビューは、さらに続いた。
幼い子どもを連れた母親が、カメラから少し視線を外して答える。
「今までは、ダンジョンの中の話だと思っていました。入らなければ関係ないって。でも、もしあれが外に来るかもしれないって考えたら、急に自分たちの話になります。学校とか、公園とか、そういう場所に出たらどうするんだろうって」
駅前の男性は、少し怒ったように言った。
「政府は外に出ないって言ってるんですか。今のところ確認されていない、って言ってるだけじゃないですか。それが一番怖いんですよ。確認された時には、もう出てきてるってことですよね」
別の女性は、スマートフォンを握りしめながら言った。
「地下街とか駅だったら逃げ場がないですよね。あのイモリみたいなの、壁を走ってましたよね。あれが天井にいたら、気づけないと思います」
若い男性は、少し迷ったあとで言った。
「でも、全部隠されるのも嫌です。危ない映像をそのまま流すのは駄目だと思うんですけど、何が危ないのか分からないままだと、それはそれで困る。生配信は止めてもいいけど、情報は出してほしいです」
番組の画面下には、SNSの反応が流れていた。
『自衛隊でもあそこまで追い込まれるのか』
『いや、死者なしで戻したのは普通にすごい』
『銃が効かないなら終わりでは』
『効かないんじゃなくて止まりきらないんだろ』
『ホワイトスウォームいなかったらどうなってたんだ』
『亀山さんをテイマー扱いするのやめろ』
『でも最後見られてたよね』
『生配信停止は当然』
『情報公開は続けてくれ』
『あれが外に出たら無理』
『学校に出たらどうするんだよ』
『封鎖ちゃんとできてるの?』
『ダンジョン近くの土地価格終わりそう』
『むしろ調査員志望者増えそうで怖い』
『怖いけど知りたい』
『知りたいけど見たくない』
別のニュース番組では、危機管理の専門家が出演していた。
その番組では、より直接的に「自衛隊は敗北したのか」という見出しが使われていた。
専門家は、その見出しを見て、はっきりと首を振った。
「敗北という言葉は適切ではありません。今回、自衛隊は撤退判断を行い、非戦闘員を守り、死者を出さずに戻しています。むしろ、現場対応としては非常に重要な結果を残しました」
司会者が問い返す。
「では、何が問題だったのでしょうか」
「現行の装備と隊列の限界が見えた、ということです。これまでは、銃火器を持つ組織が入れば安全性が大きく上がると考えられてきました。それ自体は間違いではありません。ただ、敵性生物の種類、環境、撤退経路、非戦闘員の有無によっては、銃火器だけで解決できない」
「今後、何が必要になりますか」
「敵を倒す前に止めること。退路を確保すること。後方を守ること。異常空間に入る人員の役割を、これまで以上に明確にすることです。自衛隊が弱かったのではありません。異常空間が、これまでの前提を許してくれない」
その言葉は、短い切り抜きになって拡散された。
昼過ぎには、別の話題も広がり始めていた。
ダンジョン近くの住民説明会を求める声。
封鎖区域周辺の避難計画を確認したいという声。
学校での避難訓練に、異常空間由来生物を想定した項目を入れるべきだという声。
一方で、過剰反応だという反論もあった。
『外に出た事例がないのに騒ぎすぎ』
『騒ぎすぎと言ってたら出た時に遅い』
『熊と同じように考えるな』
『でも熊対策すら地域差あるだろ』
『ダンジョン近くに住んでる人は不安だよな』
『不安を煽るな』
『煽ってるのは映像そのもの』
『公式が映像出したんじゃなくて切り忘れだろ』
『だから生配信は止まった』
『止めたら止めたで隠してるって言うやつが出る』
『もう何をしても燃える』
夕方のニュースでは、亀山の報告配信も改めて取り上げられた。
亀山が「僕はテイマーではありません」と言う場面。
「呼べません」と即答する場面。
「見られていた、という感覚はありました」と言う場面。
そして「白くない虫でいきます」と、疲れた顔で少し笑った場面。
スタジオでは軽く笑いが起きたが、その笑いはすぐに消えた。
亀山本人の困惑は、画面越しにも伝わっていた。
「亀山さん個人への過度な接触や、過去動画への荒らしも確認されているということです」
アナウンサーがそう言うと、コメンテーターが顔をしかめた。
「今回の件で、亀山さんを面白がる空気がありますが、本人は危険な現場から戻ったばかりです。しかも、彼が何かを操ったと確認されたわけではない。そこは冷静になるべきです」
別の出演者が頷く。
「ただ、映像の印象が強すぎるんですよね。白い群れが現れて、敵を止めて、人間を避けて、最後に亀山さんの方を見る。そう見えてしまった。人はどうしても物語にしてしまう」
画面には、ホワイトスウォームという言葉が大きく表示されていた。
公式名称ではない。
それでも、もう多くの人がその名で呼んでいた。
夜になっても、話題は消えなかった。
家の食卓で。
会社の休憩室で。
駅のホームで。
学校の教室で。
水門ダンジョンの話は、少しずつ形を変えながら繰り返された。
「自衛隊でも危ないなら、誰が入るんだよ」
その言葉は、どこにでもあった。
不安として。
批判として。
単なる感想として。
「でも、誰も入らなかったら何も分からないだろ」
それに対する答えも、どこかで必ず出た。
危ないから入るな。
分からないから調べろ。
隠すな。
流すな。
守れ。
知りたい。
近づくな。
備えろ。
矛盾した言葉が、同じ画面の中で流れ続ける。
水門ダンジョンの中で起きたことは、もう中だけの話ではなくなっていた。
敵性生物が外に出たわけではない。
封鎖が破られたわけでもない。
それでも、二メートル級のカエル型、三メートル級の山椒魚型、壁を走るイモリ型は、人々の想像の中で住宅街に現れ、駅の天井を這い、学校の窓に張り付いていた。
自衛隊がいれば大丈夫。
銃があれば何とかなる。
公式配信なら安全確認済みだろう。
危ないのは、勝手に入った人間だけだ。
そうした曖昧な安心は、水門の映像でひび割れた。
自衛隊は戻った。
死者は出なかった。
それは確かな成果だった。
だが、追い込まれたこともまた、確かな事実だった。
危ないから近づくな。
けれど、誰も近づかなければ何も分からない。
その矛盾が、ようやくテレビの向こう側にも届き始めていた。




