第75話 報告配信
配信画面が開いた時、そこに映っていたのは異常空間ではなかった。
灰色の壁も、濡れた床も、水路もない。
机。
白い背景。
正面に置かれたカメラ。
その手前に座っている亀山の顔は、いつもの屋外配信の時より少し硬かった。
画面右上には、見慣れない表示が出ている。
【公式報告配信/水門第二層確認作業について】
開始前から、コメント欄は流れ続けていた。
『亀さん!』
『無事だった』
『生きてる』
『ほんとに無事?』
『テイマーきた』
『ホワイトスウォーム呼んで』
『虫使い』
『僕じゃないです待機』
『政府に怒られた?』
『今日は水辺じゃないんだ』
『背景が役所』
亀山はコメントを見て、少しだけ目を細めた。
笑おうとしたようにも見えたが、結局、口元は引きつったままだった。
隣には、安全管理側の職員が一人座っている。顔は映っていない。声を出す時だけ、マイクに入る位置にいた。
「ええと、亀山です。本日は、水門第二層確認作業中に発生した件について、僕の方からもご報告をさせていただきます」
『堅い』
『亀さんが役所語になってる』
『ご報告』
『無理してる』
『頑張れ』
『テイマー報告』
「まず、僕は無事です。同行していた方々も、重傷者や行方不明者は出ていません。軽い怪我をされた方はいますが、命に関わるようなものではないと聞いています」
そこで亀山は、一度深く息を吐いた。
「ご心配をおかけしました」
コメント欄の速度が、少しだけ変わった。
『よかった』
『ほんとよかった』
『カメラマンさんも無事?』
『軽傷で済んだの奇跡だろ』
『あれで死者なしはすごい』
『無事ならいい』
『泣きそう』
『でも怖かったぞ』
『ちゃんと休んで』
亀山は、手元の紙へ視線を落とした。
紙には、いくつかの文が印刷されている。
だが、読み上げる前に、亀山は画面を見た。
「今回、配信の停止が遅れたことで、かなり危険な映像がそのまま流れてしまいました。見ていた方の中には、強い不安や恐怖を感じた方もいると思います。それについては、すみません」
隣の職員が小さく首を動かした。
謝罪の範囲を考えているようだった。
亀山は続ける。
「ただ、現場の指示系統や配信停止の手順については、関係機関の方で見直しが進んでいます。僕から詳しくお話しできることは限られますが、今後、同じ形の生配信を続けることはありません」
『え』
『生配信やめるの?』
『まあそうなる』
『そりゃそう』
『あの事故のあとだし』
『完全攻略配信終了?』
『録画になる感じ?』
『安全第一』
『でも見たい』
『見たいけど怖い』
「少なくとも、しばらくの間、異常空間内からの生放送は停止になります」
亀山は、少し言いにくそうに言った。
「今後、映像を公開する場合も、遅延配信や、確認済みの録画映像になると聞いています。僕個人の判断ではありませんが、僕もそれでいいと思っています」
『しばらく停止か』
『妥当』
『亀さんは悪くない』
『いや生で見られないの寂しい』
『でも命優先』
『生配信で死にかけたんだから当然』
『公式が判断してくれてよかった』
『切り抜き勢は泣いてる』
『切り抜き勢は反省しろ』
亀山はそこで、わずかに表情を緩めた。
「あと、切り抜きについてですが、危険な場面や負傷者が映っている部分の拡散は控えてください。すでに多く出回っていることは承知していますが、お願いします」
『ごめん』
『もう世界中にある』
『海外の方が広がってる』
『ホワイトスウォームで検索すると地獄』
『テイマーKAMEYAMA』
『海外ミームになってる』
『本人に見せるな』
『もう見てそう』
亀山は、黙った。
見ている顔だった。
隣の職員が、少しだけ姿勢を変える。
亀山は紙をめくった。
「次に、配信中に確認された白い虫のような群体についてです」
コメント欄が跳ねた。
『きた』
『ホワイトスウォーム』
『本題』
『白い虫』
『テイム説明』
『亀さんの相棒』
『主認定イベント』
『虫使い覚醒』
『呼べる?』
『名前つけた?』
『餌は何?』
「呼べません」
亀山が、最初にそれだけ言った。
コメント欄が一瞬、別の意味で加速した。
『草』
『最初に否定した』
『呼べません』
『即答』
『かわいそう』
『呼べません助かる』
『本当に呼べない?』
『本人が本当のこと言うわけないって海外で言われてるぞ』
『無意識テイマーだから本人も知らない説』
『もう詰んでる』
「本当に呼べません」
亀山は、少し眉を下げた。
「というか、僕はあれが何なのか知りません。現場で初めて見ました。事前に知っていたわけでもありませんし、呼んだわけでも、命令したわけでもありません」
『でも虫って言ってた』
『元虫配信者だから?』
『虫を見て虫って言っただけでテイマー扱い』
『それはそう』
『亀さん虫詳しいもんな』
『詳しいから来たんじゃない?』
『虫に好かれる男』
「虫に好かれるとか、そういう話でもないです」
亀山の声は、少し弱かった。
「僕も、虫は好きです。水辺の生き物も好きです。でも、あれは僕が今まで見てきた虫とは違います。見た目は虫のようでしたが、同じものとして扱っていいのかも分かりません」
隣の職員が、ここで初めて声を入れた。
「当該群体については、現在調査中です。現時点で、亀山氏が当該群体を操作した事実は確認されていません。また、視聴者の皆様におかれましては、当該群体を探す目的で水門周辺、封鎖区域、または類似環境に近づくことは絶対におやめください」
『役所声きた』
『絶対におやめください』
『つまり探すな』
『探すやついるんだろうな』
『もういそう』
『餌撒くなよ』
『白い釣り餌禁止』
『ホワイトスウォーム捕獲キット買ったやついる?』
『買うな』
『売るな』
亀山はコメントを見て、目を閉じた。
「本当に、やめてください」
その声には、台本とは違う疲れがあった。
「あれが人を避けたように見えたのは事実です。僕も、現場でそう見えました。でも、それが安全という意味ではありません。味方という意味でもありません。次も同じ動きをする保証はありません」
『真面目』
『その通り』
『でも亀さんは見られてたよね』
『最後こっち見てた』
『あれ何だったの』
『主認定では?』
『観察されてた説』
『虫の方が亀さんを見に来た』
亀山の表情が、そこで少し強張った。
あの瞬間を思い出している顔だった。
「……見られていた、という感覚はありました」
亀山は、言葉を選びながら言った。
「ただ、それが僕を見ていたのか、カメラを見ていたのか、人間を見ていたのか、何か別のものに反応していたのか、分かりません。僕に分かることではないです」
『でも見られてたんだ』
『本人も認めた』
『はいテイマー』
『違うだろ』
『観察対象になっただけでは』
『それはそれで怖い』
『亀さん大丈夫?』
「大丈夫ではあります」
亀山は答えた。
「ただ、あれからあまり眠れてはいないです」
コメント欄が少し静かになった。
『休め』
『ごめん』
『本当に休んで』
『無理しないで』
『テイマーとか言ってごめん』
『でもテイマー説は消えない』
『消せ』
『消えないよなあ』
亀山は、苦笑とも言えない顔をした。
「ええと、その、テイマー説についても、少し話します」
『本人からテイマー説』
『きた』
『公式否定くる』
『テイマー会見』
『ジョブ発表』
『ステータス画面出して』
『ふざけるな』
「僕はテイマーではありません」
亀山は、はっきり言った。
「少なくとも、自分で何かを操った覚えはありません。命令もしていません。合図もしていません。何か特別な感覚があったわけでもありません」
『でも本人が本当のこと言うわけないって』
『海外ニキが言ってた』
『本人が一番知らないパターン』
『無自覚テイマー』
『能力説明は後から来る』
『やめろ』
「その言い方をされると、僕にはどうしようもないんですよ」
亀山は、少しだけ困ったように笑った。
「僕が違いますと言っても、本人が嘘をついているとか、本人が知らないだけとか言われると、否定のしようがないので」
『たしかに』
『詰んでる』
『かわいそう』
『否定不能型ミーム』
『本人が違うと言うほど怪しくなるやつ』
『政府胃痛』
『亀山胃痛』
『亀さん胃痛』
隣の職員が、マイクの位置を調整した。
「亀山氏に対する過度な接触、個人情報の探索、過去動画への荒らし行為などはお控えください」
『過去動画掘られてるもんな』
『海外でまとめられてた』
『虫配信者時代』
『亀さんの昔の水辺動画好きだったのに』
『荒らすなよ』
『テイマー認定しに行くな』
『コメント欄もう手遅れでは』
亀山は小さく頭を下げた。
「昔の動画を見てくださるのは、ありがたいです。ただ、今の件と結びつけて、あまり変な方向に広げないでもらえると助かります。昔から虫を撮っていたから、あの群体を呼べたとか、そういうことはありません」
『本当に?』
『だから聞くな』
『虫に縁があるのは事実』
『縁と能力は違う』
『亀さんが真面目に否定してるのに』
『でも絵面が強すぎる』
『元虫配信者が白い虫群に見られるの、物語として強い』
「物語ではないので」
亀山は、そこだけ少し早口になった。
「現場では本当に危険でした。カメラマンの方が倒れて、イモリ型が飛びかかって、正面ではカエル型と山椒魚型がいて、自衛隊の方が対応していて……あの群体が出なければ、どうなっていたか分かりません」
言いながら、亀山の視線が少しだけ下がった。
「だから、面白いものとしてだけは見ないでほしいです」
コメント欄の流れが、また少し変わる。
『ごめん』
『そうだよな』
『事故だったんだよな』
『配信で見てると忘れる』
『命かかってた』
『カメラマンさん無事でよかった』
『自衛隊もすごかった』
『亀さんも怖かったよな』
『無事でよかった』
だが、流れが完全に落ち着くことはなかった。
『でもホワイトスウォームはかっこいい』
『名前はもう広がってる』
『公式名は?』
『未分類群体?』
『ホワイトスウォームの方がいい』
『政府は絶対使わなそう』
『亀さんは何て呼ぶ?』
亀山は、また困った顔をした。
「名前は、僕が決めるものではないと思います」
『でも最初に見た人じゃん』
『命名権』
『テイマーの命名イベント』
『やめろ』
「最初に見た人でもないと思います。現場には他の方もいましたし、僕だけのものではありません。もちろん、僕のものでもありません」
その言い方に、コメント欄が反応する。
『僕のものでもありません』
『所有否定』
『テイムモンスターじゃない宣言』
『でも向こうは亀さんを見てた』
『もう逃げられない』
『逃がしてやれ』
隣の職員が、資料を一枚めくった。
「繰り返しになりますが、当該群体は未分類です。敵性、非敵性、あるいはその他の分類についても調査中です。現時点では、接触を試みること、誘引を試みること、関連する餌や薬剤を使用することは、極めて危険です」
『餌や薬剤』
『もう把握してる』
『捕獲キット対策だ』
『海外通販見たんだろうな』
『白い釣り餌』
『草』
『草じゃない』
『入口に撒くな』
亀山はうなずいた。
「僕からもお願いします。水辺に何かを撒くとか、封鎖区域に近づくとか、真似をするとか、絶対にしないでください。普通の水辺でもやめてください。生き物にも迷惑です」
『そこは亀さん』
『普通の水辺の生き物にも配慮』
『亀さんらしい』
『ちょっと安心した』
『虫配信者の魂』
『だから虫に好かれる』
「好かれてはいないです」
『即否定』
『本日何回目の否定』
『否定RTA』
『かわいそう』
その後も、配信は質疑応答の形で続いた。
質問は事前に選ばれたものだけだった。
現場の詳しい位置は言えない。
敵性生物の検体についても言えない。
白い群体の採取状況も言えない。
亀山自身の検査内容についても言えない。
言えないことばかりだった。
『検査されたの?』
『虫との親和性検査?』
『ステータス測った?』
『魔力あった?』
『テイマー適性は?』
『答えられないやつ』
「体調確認は受けています」
亀山は言った。
「それ以上のことについては、僕からはお話しできません」
『やっぱり検査されてる』
『そりゃされる』
『本人も大変だな』
『テイマー適性検査』
『だから決めつけるな』
『でも検査はするよな』
亀山は、否定しなかった。
否定できないこともある。
それがさらに憶測を呼ぶことも分かっていた。
分かっていても、言える範囲は決まっている。
やがて、職員が小さく合図を出した。
配信終了の時間だった。
亀山は姿勢を正し、カメラを見る。
「最後に、改めてお伝えします。僕は無事です。現場にいた方々も、重傷者や行方不明者はいません。白い群体については調査中です。僕が操ったものではありません。危険ですので、探したり、呼ぼうとしたり、真似をしたりしないでください」
そこで一度、言葉が止まった。
コメント欄はまだ流れている。
『無事でよかった』
『休んで』
『また水辺配信して』
『ダンジョンじゃなくて普通の川でいい』
『生配信停止了解』
『テイマーじゃなくても応援してる』
『でもホワイトスウォームは気になる』
『亀さんありがとう』
『僕じゃないですもう一回』
『言わせるな』
亀山は、少しだけ笑った。
疲れた顔ではあったが、最初よりは少し自然だった。
「今後の配信についてですが、異常空間内からの生放送はしばらくありません。通常の水辺の動画や、録画したものについては、体調や状況を見ながら、また少しずつ出せればと思っています」
『待ってる』
『普通の虫配信でいい』
『むしろ普通の虫が見たい』
『亀さん休め』
『無理しないで』
『ホワイトスウォーム禁止』
『白くない虫で頼む』
亀山はうなずいた。
「白くない虫でいきます」
コメント欄に、少しだけ笑いが戻った。
『草』
『白くない虫』
『安全な虫』
『普通の虫最高』
『日常回待ってる』
『亀さんお疲れ』
『政府の人もお疲れ』
終了直前、コメント欄の中にまた同じ言葉が流れた。
『でも世界はもうテイマーだと思ってるぞ』
亀山はそれを見たのか、見なかったのか。
少しだけ目を伏せてから、カメラに向かって頭を下げた。
「今日はありがとうございました」
配信は、そこで終了した。
画面が暗くなる。
コメント欄も消える。
だが、配信の外では終わらなかった。
切り抜きはすぐに作られた。
亀山が「呼べません」と言った部分。
「僕はテイマーではありません」と言った部分。
「見られていた、という感覚はありました」と言った部分。
そして、最後の「白くない虫でいきます」という部分。
否定は、否定として広がらなかった。
困惑は、困惑として消費された。
休止の報告でさえ、次の期待に変えられた。
亀山は画面の向こうで、もう一度だけ小さく息を吐いた。
公式配信は終わった。
生放送もしばらく止まる。
それでも、ホワイトスウォームという名前だけは、止まる気配がなかった。




