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第69話 緩めるための条件

 最初に手を挙げたのは、先ほど入口の話をしたベテラン作家だった。

「入口を、物理的に密閉することです」

 村瀬の隣にいた職員が、すぐにペンを動かした。

「危険な行為、という意味でよろしいでしょうか」

「はい。ダンジョンの入口をコンクリートで塞ぐのは、物語上はたいてい悪手です。封印したつもりで圧力を掛けると、別の場所に出口が開く。入口が移動する。内部の状態が見えなくなる。あるいは、塞いだこと自体が次の段階へ進む条件になる」

 若いWeb作家が、隣でうなずいた。

「入口って、ただの穴じゃなくて接続点なんですよね。物理的に塞いでも、接続が切れるとは限らない」

「では、物理封鎖は避けるべきだと」

 村瀬が確認する。

「少なくとも、正体が分からない段階で完全密閉は危険です。封鎖するなら、入口そのものではなく周辺を封鎖して、見張れる状態にするべきだと思います」

 職員たちは笑わない。茶化さない。真面目に記録している。

 それが、かえって妙だった。

「構造物の破壊も危ないと思います」

 ゲームシナリオライターが続けた。

「壁を壊してショートカットするとか、爆破して入口を広げるとか。ゲームならバグ技です。現実でやると、マップの外に落ちるか、別の判定を踏む」

「別の判定、とは」

「たとえば、攻略不能と判定される。侵入者ではなく破壊者として扱われる。内部防衛が強くなる。階層が崩れる。閉鎖条件が変わる」

「ダンジョンに意思がある前提ですか」

 若い職員が尋ねる。

 シナリオライターは、少し困った顔をした。

「意思というより、ルールです。罠に感情はなくても、踏めば作動しますよね。それと同じです」

 村瀬が小さく頷いた。

 別の作家が、手を挙げる。

「攻略を急ぎすぎるのも危険です。ボスを倒せば終わると考えるのは、かなり危ない」

「一般的な創作では、ボス撃破が終了条件では」

「作品によります。倒したことで次の階層が開く場合もあります。封印が解ける場合もある。あるいは、管理者を失ったことで内部生物が外へ散ることもある」

「スタンピードですね」

 誰かが言った。

 その言葉に、村瀬の視線がほんの少しだけ動いた。

「政府としては、その表現は使用していません。現時点で、国内において敵性生物の大規模外部流出は確認されていません」

「外部展開リスク、ですか」

「はい」

「長いですね」

「短い言葉は、勝手に走ります」

 村瀬はすぐに返した。

 その返答に、三枝は少し感心した。

 役所の人間も、言葉の怖さを知っている。

「では、外部展開リスクを早める行為として、何が考えられますか」

 村瀬が問う。

 そこからは、発言が続いた。

「入口の完全密閉」

「内部構造の大規模破壊」

「中途半端な攻略」

「ボス格への刺激だけして撤退」

「魔石や核のようなものだけを抜き取る」

「死体や血を放置して、内部生物を入口付近に集める」

「外部の動物を入り込ませる」

「入口周辺に人を集めすぎる。配信者、野次馬、報道ヘリ、そういうものも含めて」

 職員たちのペンが止まらない。

 若いWeb作家が、少し手を上げた。

「夢のある話をしてもいいですか」

 村瀬は一瞬だけ目を瞬かせた。

「どうぞ」

「宝箱です」

 会議室の何人かが、少しだけ笑った。

 だが、若い作家は真面目だった。

「宝箱があるなら、人は止まりません。魔石、ポーション、武器、素材。名前は何でもいいですけど、甘い報酬があるなら、危険を説明しても入る人は出ます」

「報酬が誘引になる、ということですね」

「はい。というか、ダンジョンを作る側の視点で考えるなら、そこが一番いやらしいです」

 村瀬が続きを促す。

 若い作家は、少し言葉を選んだ。

「ただ、さっきの話と合わせるなら、餌だから悪い、とも言い切れません。報酬があるから人は入る。人が入るから経験者が育つ。経験者が育つから、いざという時に対処できる」

「危険を承知で、誘引を利用するということですか」

「はい。山も海も鉱山も、危ないから完全封鎖したわけではないですよね。技術と規則と職業を作って、生活に取り込んできた。ダンジョンも、最終的にはそうなる可能性があります」

 会議室が静かになった。

 危険な異常空間を、人類の生活様式に取り込む。

 それは楽観にも聞こえたし、避けようのない未来にも聞こえた。

 三枝はそこで手を挙げた。

「締め付ける方針は必要だと思います」

 村瀬が視線を向ける。

「制度の言葉も、報酬の見せ方も、入口の扱いも、間違えると人が死ぬ。だから、締めるべきところは締めなければならない」

 三枝は一度言葉を切った。

「ですが、締め付ける方針があるなら、緩める方針もまた必要です」

 職員の一人が顔を上げる。

「緩める、ですか」

「はい。全部を禁止にすれば、安全に見えます。けれど、もし外部展開リスクが現実のものになるなら、現行の速度で本当に間に合いますか」

 会議室の空気が、また変わった。

 三枝は資料を指で押さえた。

「入口を見つける。通報する。封鎖する。調査する。危険度を分類する。許可を出す。人員を手配する。装備を貸与する。中に入る。報告する。正しい手順です。でも、その間に内部生物が増えるとしたら。入口付近に集まり始めるとしたら。外に出る兆候が出た時点で、すでに遅いとしたら」

 誰も、すぐには答えなかった。

「現場の方々だけで全国の入口を見続けるのは難しいはずです。警察も自衛隊も消防も、無限にいるわけではない。なら、管理された民間人を増やすしかない。でも、今の制度で、必要な数と速度の経験者は育ちますか」

 村瀬の表情は変わらない。

 ただ、隣の職員のペンが止まっていた。

「素人を入れろと言っているわけではありません」

 三枝は続けた。

「むしろ逆です。素人を入れないために、素人ではない人間を育てる必要がある。五級、四級、三級という区分があるなら、危険な時に動ける人間を、平時から作っておかないといけない」

「それは、制度の制限緩和を意味します」

 村瀬が言った。

「はい」

「事故も増えます」

「増えると思います」

 その返答に、室内が少しざわついた。

 三枝は逃げなかった。

「ですが、事故をゼロにする制度と、外部展開時に間に合う制度は、たぶん同じではありません」

 その言葉は、会議室に重く残った。

 迷宮戦記ものの作家が、静かにうなずく。

「戦国時代なら、死ぬ者を数えなかっただけかもしれません。だから戻る必要はない。でも、現代は死なせないために、動ける者まで止めすぎる可能性がある」

 ゲームシナリオライターが言った。

「経験値を得る場を消すと、レベルが上がらないんですよね」

 若い職員が顔をしかめる。

 シナリオライターは慌てて手を振った。

「すみません、言い方が軽かったです。でも、意味はそのままです。管理された失敗や、管理された危険がないと、人は慣れない。いきなり本番に出されても死にます」

 村瀬は、その発言も記録させた。

「緩める場合、どこから緩めるべきだと思われますか」

 その問いに、作家たちは一斉には答えなかった。

 少し考え、少しずつ言葉を出し始める。

 対象は、管理済み区域の浅層に限るべきだという意見が出た。

 帰還報告を何度も出していること。採取物を隠していないこと。撤退命令を守った実績があること。単独活動ではなく、最初は近場の巡回や入口周辺の異常確認から始めること。

 迷宮攻略漫画の原作者が、そこに言い添えた。

「討伐ではなく、間引き。攻略ではなく、密度管理ですね」

「自由探索という言葉は絶対に駄目です」

「駄目ですね」

「走ります」

「絶対走ります」

 少しだけ笑いが起きた。

 村瀬も、笑いはしなかったが、否定はしなかった。

「では、仮に制度上表現するとすれば」

 三枝は、資料の余白を見ながら言った。

「緊急時特例による、実績登録者の指定区域内自律調査、でしょうか」

「長いですね」

 若いWeb作家が言う。

「長い方がいいんです」

 三枝は返した。

「村瀬さんの言葉を借りるなら、短い言葉は、勝手に走りますから」

 村瀬が、そこで初めてほんの少しだけ目元を緩めた。

 会議はさらに続いた。

 入口を見つけた者を罰しすぎると、通報されなくなる。

 魔石やポーションの価値を強調しすぎれば、人は危険を軽く見る。

 逆に危険だけを強調すれば、隠れた成功例が神話になる。

 低危険度という言葉は、安全ではなく、比較的まし、に置き換えた方がいい。

 動物の誤進入も監視すべきだ。

 人間だけでなく、野良猫、犬、鳥、害獣が何かを持ち出す可能性がある。

 微生物やウイルスの警戒は必要だが、ダンジョンが報酬を出すなら、主な罠は感染より誘引にあるかもしれない。

 どれも、紙の上では空想に近かった。

 だが、職員たちは一つずつ拾っていった。

 最後に、村瀬は資料の束を閉じた。

「本日いただいたご意見は、今後の封鎖手順、広報文言、通報体制、危険度分類、ならびに民間調査員制度の運用見直しに反映します」

 そこで終わりかと思った。

 しかし、村瀬はもう一枚、薄い資料を机の上に置いた。

 表紙には、海外事例、暫定、とある。

「最後に、これは未確認情報を含みます。取り扱いには十分注意してください」

 会議室の全員が、ほとんど同時に資料を見た。

 海外の郊外地域。

 民間警備会社による封鎖。

 入口部への重機投入。

 内部構造の一部崩落。

 封鎖線突破。

 複数名死亡。

 行方不明者多数。

 敵性生物の外部活動の可能性。

 誰も、すぐには声を出さなかった。

 さっきまで創作上の悪手として挙げていたものが、紙の上で現実の事例になっていた。

 村瀬が静かに言う。

「繰り返します。国内で同様の事案は確認されていません」

 確認されていない。

 起きない、ではない。

 三枝は資料の文字を見つめたまま、喉の奥が乾くのを感じた。

 物語なら、ここで誰かが言う。

 始まったな、と。

 だが現実の会議室で、そんなことを口にする者はいなかった。

 ただ、全員が理解していた。

 締め付けるだけでは、足りない。

 緩めるだけでも、足りない。

 空想として呼ばれたはずのものは、もう空想だけでは済まなくなっていた。

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