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第54話 国所有ダンジョン 2

小型甲虫型の処理が終わった後、現場はしばらく採取と確認の時間になった。魔石状結晶、外殻片、床の傷、突進跡、俺が投げた石の位置。全部に目が向けられる。俺としては、石を投げて短棒で殴っただけなのだが、制度側にかかるとそれも記録対象になるらしい。投擲位置、対象の進路変化、短棒接触部位、後退距離。原始人戦法が、どんどん文明の言葉へ変換されていく。


俺は指示された位置で待機していた。短棒は左右に下げたまま。フルフェイスの内側は少し蒸れる。呼吸音が近い。戦闘そのものより、撮られていることと、終わった後に何を聞かれるかの方が気疲れした。敵性生物は一体だった。しかも小型の甲虫型だ。暗渠のゴブリンやレッドキャップ、雑木林のコボルトに比べれば、かなり分かりやすい相手だった。それでも、制度内で戦うというのは妙に疲れる。


採取担当の職員が離れ、安全管理要員の二人が少し後ろで装備を確認していた。距離はある。だが、ダンジョン内は音が妙に通る。壁に反響するせいか、ヘルメット越しでも声が拾えた。

「すげえな」

低い声だった。

「何がです」

「さっきの五級の人。あんな後ろから声掛けられて、よく冷静に対処できるな。素人だろ、あの人」

俺は、聞こえなかったことにした。

「まあ、登録上は五級仮登録ですからね」

「俺なら黙ってろって言うかもな。横から口挟むな、って」

もう一人が小さく笑った。

「実際、あのやり方は辞めさせた方がいいと思うけどな。集中力欠いてケガする可能性の方が高いぞ。指示を聞く訓練を受けてる人間ならともかく、民間の仮登録者に戦闘中あれは危ない」

笑い混じりではあったが、内容は真面目だった。

俺は短棒の握りを少しだけ緩めた。なるほど、と思った。俺はたぶん、後ろからの声を聞きながら動くことに慣れすぎている。いや、慣れているというより、頭の中に別の処理が増えた状態で動くことに、体が少しずつ順応している。寄生体の感覚、匂い、敵の動き、足場、撮影、職員の声。それらを並べて処理していた。

普通は、邪魔なのかもしれない。

いや、普通に邪魔だと思う。戦っている時に後ろから「腹側を狙ってください」と言われたら、普通は「今やってる」となる。俺も少し思った。言わなかっただけだ。

その会話は、近くにいた指示役の職員にも聞こえていたらしい。端末を持ったまま、妙に固まっていた。こちらを見て、後ろの安全管理要員を見て、また端末を見た。数秒ほど間が空く。

「あーーーー」

職員は、非常に気まずそうな声を出した。

「戸張さん」

「はい」

「次からは、こちらの細かい戦闘指示は控えます。安全上の停止指示、撤退指示、禁止指示は出しますが、対象への具体的な対処は、戸張さんの判断でお願いします」

「自由に対応していいということですか」

「はい。もちろん、活動範囲と安全基準の中で、ですが」

職員は咳払いをした。

「行動の解析はこちらで後付けしますので」

言い方。

俺は一瞬、返事に困った。

後付けしますので。つまり、俺が何かをして、後からそれを「投擲による誘導」だの「短棒による進路制御」だのに変換するということだ。石を投げて棒で殴る行為に、後から名前が付く。さっきと同じだ。制度側も、まだ現場でやりながら調整しているのだろう。

「分かりました。危ないと思ったら下がります」

「お願いします。あと、投石を使う場合は周囲確認だけ必ずお願いします」

「はい」

そこは変わらないらしい。

安全管理要員の一人が、気まずそうに片手を上げた。

「すみません、聞こえてました?」

「少し」

「悪口じゃないです」

「分かってます」

本当に悪口ではなかったと思う。むしろ、たぶん評価されていた。ただ、評価のされ方が少し変だっただけだ。後ろから口を出されても怒らず、動きが止まらない。ダンジョン時代の褒め言葉は、やはり少しおかしい。

職員が気を取り直すように、端末を確認した。

「では、活動を再開します。次の小目標は、前方分岐手前までの確認です。戸張さんの判断を優先します。安全管理要員は支援可能位置を維持。記録担当は距離を保ってください」

「了解しました」

俺は短棒を握り直した。左右の先端が、わずかに重い。だが、もう手の中で暴れる感じはない。ポケットには拳大の石がいくつか入っている。歩くたびに、重さが腰のあたりで小さく揺れた。次に何か出たら、今度は自分の順番で動くことになる。

制度の中で、少しだけ自由になった。

それが良いことなのかどうかは、まだ分からなかった。

右壁沿いに進む。さっきより、後ろの空気が少し静かだった。職員は記録を続けているが、俺の手元へ細かく口を挟むことはない。安全管理要員の足音は一定の距離を保っている。亀山のカメラも後ろにある。近すぎない。遠すぎない。撮られている感じは相変わらずあるが、声が減った分だけ頭の中が少し広くなった。

前方の通路は、ゆるく右へ曲がっていた。壁の盛り上がりが増え、床の砂利も少し粗くなる。ライトの光が、曲がり角の先で細く揺れた。風ではない。何かが動いた時の、影の揺れだった。

俺は足を止めた。

「停止します」

今回は、誰かに言われる前に言った。

後ろで職員が小さく反応する。

「停止確認。理由をお願いします」

「この先に敵性生物がいます。音は小さいですが、床の砂利が動いています。二体だと思います」

安全管理要員が一歩前へ出かけたが、俺は左手を少しだけ上げた。

「今回は自由対応とのことなので、接近される前に対処します」

言ってから、少しだけ自分でも驚いた。かなり探索者っぽいことを言った気がする。だが、間違ったことは言っていない。近づかれる前にやる。あのサイズの虫型が飛びかかってきたら面倒だ。人型よりも、こういう細い手足と鎌のある相手の方が、装備の隙間に入りそうで嫌だった。

「支援可能位置を維持。危険時は即時後退してください」

「了解」

俺は短棒を下げたまま、半歩だけ前に出た。曲がり角の先を、ライトが斜めに照らす。壁際に細い影が二つあった。

蟷螂だった。

正確には、蟷螂に似た敵性生物だ。人間の腰くらいの高さ。細い胴体に、三角に近い頭部。前脚は鎌のように曲がっていて、先端が黒く硬そうだった。体色は枯葉と砂利の中間のような灰色。甲虫型ほどの外殻はない。薄い殻と節のある脚。防御力は高くなさそうだが、その分、動きは軽そうだった。

二体はまだこちらに完全には気づいていない。壁際の何かをつついているように見える。餌か、残骸か、ただの砂利かは分からない。分からないが、確認しに行く趣味はない。

俺はポケットの石を指で掴んだ。

拳大。片手で投げるには少し重い。だが、当たれば十分だ。ここまで来る途中で拾ったものが、まだいくつか残っている。足りる。

距離は、だいたい八メートル。ヘルメット越しで視界は少し狭い。だが、的は小さくない。薄い胴体ではなく、頭と胸のつなぎ目。甲虫型ほど硬くないなら、石で十分いける。

俺は右手の短棒を左脇に引っかけるように下げ、右手で石を持った。肩を大きく回しすぎない。撮られている。派手に振りかぶると、いかにも投げるという動きになる。別に相手が人間のように見ているかは分からないが、虫型は動きに反応しそうだった。

息を吐く。

投げた。

石は低く飛んだ。通路の暗がりを抜け、手前の蟷螂型の頭部に当たる。乾いた音。甲虫型の外殻とは違う、薄いものが割れる音だった。蟷螂型の体が横へ倒れ、鎌状の前脚が一度だけ床を掻いた。

一体目、停止。

「前方一体、活動低下。もう一体、反応」

職員が読み上げるより早く、二体目がこちらを向いた。三角の頭が跳ねるように動く。鎌が開く。脚が床を蹴った。

速い

さっきの甲虫型とは違う。軽い。跳ねる。まっすぐではなく、斜めに来る。虫らしい嫌な動きだった。俺はポケットから次の石を掴んだ。拳大の重さが手の中に乗る。

当たればいい。

そのくらいのつもりで投げた。狙いすぎるより、相手がこちらへ来る線へ置く。石は蟷螂型の頭部を狙って飛んだが、今度は当たらなかった。

蟷螂型は、体を薄く横へ流した。前脚の鎌を開き、石を避ける。反応がいい。だが、避け方は大きくない。横へ逃げるというより、こちらへ跳ぶための角度を変えた動きだった。

そこへ一歩入った。

俺は左足を前へ出し、右手の短棒を横に振った。振り切らない。避けた先へ、先に短棒を合わせる。蟷螂型の胸部側面に、先端の重さが入った。

軽い。

だが、折れる。

甲虫型の時のような重い抵抗はなかった。薄い外殻と節のある胴体が、短棒の先で嫌な形に曲がる。蟷螂型の体が横へ飛び、壁に当たって落ちた。鎌状の前脚が二度、三度と床を叩く。まだ動く。

俺は追いすぎない。右手の短棒を戻し、左の短棒を下げたまま一歩詰める。頭部がこちらを向く前に、左で上から押さえる。右で胸部下を打つ。短く、一度。

動きが止まった。

「後退します」

俺は自分で言って、三歩下がった。短棒を下げすぎず、上げすぎず。さっきと同じ。敵が動かなくなっても、勝手に触らない。採取しない。追加で殴らない。制度内では、終わった後の方がルールが多い。

後ろで少し間が空いた。

「……前方、蟷螂型と思われる敵性生物二体。二体とも活動停止。五級仮登録者による対処。安全管理要員、確認へ」

職員の声が、ほんの少し遅れた。

安全管理要員が前に出る。二体の蟷螂型を棒の先で確認し、動きがないことを確かめる。亀山のカメラは横から距離を保っている。俺はフルフェイスの内側で息を吐いた。今度は少し息が上がっていた。主に、見られていることのせいで。

「戸張さん、負傷は」

「ありません」

「装備破損は」

「ありません」

「体調変化は」

「ありません」

同じやり取り。今度は少しだけ慣れた。

指示役の職員が、端末を見ながらこちらへ来た。何かを入力しようとして、少し止まる。俺と、床の拳大の石と、停止した蟷螂型を順番に見た。

「今の動きについて、後ほど確認します」

「はい」

俺は少し迷ってから言った。

「今のも、後付けでお願いします」

職員は、非常に困った顔をした。

安全管理要員の一人が、今度こそ少し笑った気配がした。

蟷螂型の体が、薄く崩れ始める。甲虫型より消えるのが早い。残ったのは、小さな緑がかった魔石状結晶と、鎌の先に似た黒い欠片だった。採取担当が前に出て、番号付きの袋へ入れていく。俺は何もしない。ただ見ている。

さっきより、少し静かだった。

たぶん、後ろの人たちが考えている。自由にやらせた方が早いのか。だが、自由にやらせていいのか。映像教材として、今の動きは使えるのか。投石と短棒二本と踏み込みを、どういう言葉にするのか。

俺も少し考えていた。

自由にやると、楽だ。

そして、やっぱり少し困る。癖が出る。石を拾う。音で誘導する。避けた先へ入る。短棒をこん棒みたいに使う。撮られていることを忘れてはいないが、体の判断はどうしても先に出る。普通はこんな精密動作不可能だ。

職員が採取記録を終え、次の区画を確認した。

「本日の戦闘記録は十分取れています。次は分岐手前まで進み、内部構造を確認したうえで撤退します。追加の敵性生物が出た場合は、安全管理要員の判断で対応します」

「了解しました」

つまり、次の目標は撤退前の構造確認。これ以上、教材用の戦闘を増やす気はないらしい。少し安心した。少しだけ残念にも思った。その感覚には、気づかなかったことにした。

俺は短棒を握り直し、右壁沿いに立った。ポケットには、まだ拳大の石が残っている。歩けば、腰のあたりで小さく重さが揺れた。

それが少しだけ心強かった。


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