表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/86

第48話 個別確認

残った人数は、思ったより多かった。

全体講習が終わり、ほとんどの参加者が部屋を出ていった後も、会場には十数人ほどが残っていた。作業着の中年、会社員風の女、若い二人組の片方、端の席の老人。あとは、見た目だけでは何を持ってきたのか分からない人間が何人か。

全員、静かだった。

さっきまで同じ講習を受けていたはずなのに、残った途端、空気が変わった。講習会場というより、病院の検査待ちか、警察署の廊下に近い。誰も悪いことをしたとは言われていない。だが、少なくとも後ろめたいものを持っている。

俺もその一人だ。

職員が名簿を持って入ってきた。

「これから個別確認を行います。お呼びした方から、前方の扉の先へお進みください。採取物や危険物は、職員の指示があるまで出さないでください」

何人かが頷いた。

最初に呼ばれたのは、作業着の中年だった。男は小さな保冷バッグのようなものを持って立ち上がり、前方の扉の向こうへ消えた。保冷バッグ。中身を想像したくない。だが、たぶん俺の鞄も人のことを言えない。

一人、また一人と呼ばれていく。

待っている間、俺は資料を読み返すふりをした。内容は頭に入ってこない。視線だけが文字の上を滑る。死亡、重傷、未知感染、身体変化、採取物管理、法令遵守。どれも今日だけで何度も見た言葉だ。

「戸張透さん、お願いします」

俺の名前が呼ばれた。

立ち上がる。足元の鞄を持つ。重い。中身の重量以上に重い。

前方の扉を抜けると、廊下の先に小さな会議室がいくつか並んでいた。そのうち一室へ案内される。中には長机が一つ。向かい側に職員が三人いた。さっき講習で話していた女性職員と、白衣ではないが医療関係者っぽい男、それから端末を開いた若い職員。

机の上には透明なトレー、番号シール、記録用カメラ、使い捨て手袋、厚手の袋、プラスチックケースが置かれている。

思ったより本格的だった。

「お疲れさまです。こちらへお座りください」

女性職員の声は、講習中より少し柔らかかった。

俺は椅子に座り、鞄を膝の横に置いた。

「まず、申請内容の確認をします。未確認の異常空間と思われる場所へ進入。入口付近で小型敵性生物複数と遭遇。危険回避の過程で素材らしきものを回収。内部に箱状の残置物を確認し、短刀状の危険物を発見。制度開始に伴い、入口位置および採取物を申告希望。こちらで間違いありませんか」

自分で書いた文章なのに、読み上げられると胃が重くなる。

「はい」

「登録前の進入であることは理解していますね」

「はい」

「本来は、未確認入口を発見した時点で進入せず通報していただく必要があります」

「はい。すみません」

謝ると、女性職員は一度だけ頷いた。

「責めるために確認しているわけではありません。ただ、この点はかなり大事です」

声が、少しだけ硬くなった。

「未確認入口を放置した場合、あなた以外の方が入ってしまう可能性があります。特に、入口が分かりにくい場合はなおさらです。あなたが危険を理解して戻れたとしても、次に入る人が同じように戻れるとは限りません」

胸のあたりが、重くなった。

俺は、あの雑木林を思い出した。

住宅街の端。小さな緑地。二本の木。普通の落ち葉。犬の声。車の音。あんな場所に、近日中に誰かが入るとはあまり考えていなかった。いや、考えなかったことにしていた。

だが、散歩の人間が通るかもしれない。子供が入るかもしれない。犬に引っ張られた老人が、二本の木の間を抜けるかもしれない。

そうなった時、俺は知らなかったとは言えない。

俺は知っていた。

知っていて、後回しにした。

「……はい」

今度の返事は、さっきより少し低くなった。

「次に同様の場所を見つけた場合は、進入せず、必ず速やかに報告してください。これは強くお願いします」

「分かりました」

本当に、これは分かった。

俺が死ぬのは俺の判断だ。嫌だが、まだ自分の問題にできる。

だが、知らない誰かが入って死ぬのは違う。俺が入口を知っていたなら、なおさらだ。

女性職員は、それ以上責めるような言い方はしなかった。

「では、採取物を一点ずつ確認します。こちらのトレーへ、職員の指示に従って出してください」

俺は鞄を開けた。

まず、小さな魔石を入れた袋。次に牙。欠けたもの、短いもの、形の似たもの。最後に、布で包んだケース。

大型コボルトの魔石と大きな牙は、ここにはない。

家に置いてきた。

正確には、置いてこざるを得なかった。

あれを出したら、説明が必要になる。上位個体。広場。取り巻き。戦闘。吸収。どこかで必ず話がつながる。短刀だけでも十分危ないのに、ボスの証拠まで自分から出す理由はない。

いや、理由はある。

本当は出した方がいい。制度上は、間違いなくそうだ。

だが、俺は出さなかった。

トレーの上に並んだ小さな魔石と牙を見る。これだけでも、初回申告としては多いはずだ。多いが、大きすぎない。説明できる範囲に見える。

職員たちの目が、少しだけ変わった。

若い職員がカメラを構える。医療関係者っぽい男が手袋をはめる。女性職員は表情を大きく変えないが、視線が鋭くなった。

「……数が多いですね」

「そう、ですか」

「初回申告としては、多い方です」

褒められているのか、面倒な奴だと思われているのか分からない。

たぶん両方だ。

医療関係者っぽい男が、袋越しに魔石を確認する。

「小型個体由来と思われるものが複数。形状はおおむね揃っていますね」

揃っている。

同じコボルトを何体も倒したからだ。だが、そこまでは言わない。

「敵性生物の詳細は覚えていますか」

女性職員が聞いた。

「小型で、獣に近い感じでした。犬みたいな顔で、二足で動くものもいました。武器のようなものを持っている個体もいました」

「複数体ですか」

「はい」

「交戦は」

「逃げる途中で、何度か」

何度か。

便利な言葉だ。十二匹と取り巻きを、何度かに押し込んだ。自分でもひどい圧縮だと思う。

女性職員は端末に何かを入力した。

「負傷はありましたか」

「軽い擦り傷程度です。今はありません」

「今は、ありません」

繰り返されると少し怖い。

医療関係者っぽい男がこちらを見た。視線が腕と腹のあたりを一瞬だけ通る。服の上からでは分かるはずがない。それでも、何か見られている気がした。

「後ほど簡易健康確認と採血があります。傷や体調変化について、思い出したことがあれば必ず申告してください」

「はい」

必ず。

できる範囲で、とは言ってくれなかった。

次に、短刀の確認になった。

布を開き、ケースを開ける。鈍い銀色の刃が、会議室の蛍光灯を拾った。

三人の空気が、明らかに変わった。

「触れずに、そのままでお願いします」

女性職員が言った。

俺は手を引っ込めた。

若い職員が角度を変えて写真を撮る。医療関係者っぽい男ではなく、部屋の外にいた別の職員が呼ばれた。防刃手袋のようなものをして、短刀をケースごと持ち上げる。

「刃渡り、形状、材質不明。人工物に近いですね」

「発見時の状況を説明してください」

女性職員に言われ、俺は用意していた説明を頭の中でなぞった。

「入口から少し進んだ場所に、開けた空間がありました。その端に、木箱というか、箱状の残置物がありました。完全な箱かは分かりません。壊れていたので。その中、というか、近くにこれがありました」

言いながら、自分でも苦しいと思った。

だが、完全な嘘ではない。広場はあった。残置物らしきものも、なくはなかった。短刀が大型コボルトの手にあっただけだ。大きな違いだ。大きすぎる違いだが、今は小さく扱う。

女性職員は、俺の顔ではなく端末を見ていた。

「敵性生物が使用していた可能性はありますか」

来た。

俺は一拍だけ置いた。

「分かりません。近くに敵性生物はいました」

「その個体と交戦しましたか」

「接近されました。危険だったので、距離を取って逃げました」

これはもう、だいぶ曲がっている。

逃げたのは最後だ。倒した後に帰った。

女性職員は、少しだけこちらを見た。

その目は、疑っているというより、分かった上で線を引いている目に見えた。

「分かりました。詳細確認対象として扱います」

それ以上は、その場では踏み込まれなかった。

助かった、と思った。

同時に、後で来るな、とも思った。

短刀は専用のケースに移された。番号シールが貼られる。魔石と牙にも番号が振られる。俺の名前ではなく、申請番号で管理されるらしい。少し安心したが、端末の中では当然つながっている。現代の管理を甘く見てはいけない。

「次に、入口について伺います」

女性職員が画面を切り替えた。

ここからが、本当の報告だった。

「申請では、入口形状が不明瞭とあります。具体的に説明してください」

「見た目は、普通の場所でした。穴とか扉ではありません。境目を越えたら、音が消えました」

「音が消えた?」

若い職員が顔を上げた。

「車の音とか、外の生活音です。通る前は聞こえていました。中に入ると消えて、戻るとまた聞こえました」

女性職員の指が止まる。

さっきまで採取物の数や短刀に向いていた関心が、入口の話へ移ったのが分かった。

「視覚的な変化は」

「振り返った時に、外側の景色が違って見えました。普通の場所だったはずなのに、奥の方が深い森みたいになっていて。明るさも変でした」

「境界の前後で通信状況は」

「不安定でした。完全に駄目というより、電波が弱くなったり戻ったりする感じです」

「入口の目印はありますか」

俺は少し迷った。

言うしかない。

「目印にできる木が二本ありました。その間を通ると変わります。ただ、見た目は本当に普通です。知らなければ入口だとは思わないと思います」

部屋が静かになった。

短刀を見た時とは違う静けさだった。危険物を見た緊張ではない。もっと現場寄りの、まずい情報を聞いた時の沈黙。

女性職員が、隣の若い職員へ小さく合図した。

若い職員が別の入力欄を開く。

「境界型、または誤進入型の可能性があります」

女性職員が言った。

「誤進入型」

「入口だと認識しにくく、一般人が意図せず進入するおそれのあるものです。敵性生物の強さとは別に、確認優先度が上がります」

俺は、自分のメモに書いた一文を思い出した。

誤進入の危険あり。

あれは正しかったらしい。

「そこを、誰かが散歩で通ったら」

「内部に入る可能性があります」

女性職員は迷わず言った。

「戻れるかどうかは、その異常空間の状態によります。あなたは戻れた。ですが、誰でも戻れるとは限りません」

口の中が少し乾いた。

俺は戻れた。何度も出入りして確認した。だが、それは俺だからだったのかもしれない。体の中の白いものが反応していた。匂いで帰り道も分かった。普通の人間が同じことをできる保証はない。

俺は、さっき注意された意味をようやく腹の底で理解した。

あそこは、俺だけの隠し場所ではなかった。

ただの雑木林に見える場所だった。誰かの日常のすぐ横にある場所だった。

「……すみません。軽く考えていました」

言ってから、自分でも少し驚いた。

謝るための言葉ではなく、本当にそう思った。

「すぐ誰かが入る場所ではないと思っていました。でも、入口だと分からないなら、そうとは言い切れないですね」

女性職員は、少しだけ表情を緩めた。

「その認識を持っていただけるなら、ここで確認した意味があります」

そしてすぐに、また仕事の顔に戻る。

「位置情報は提出できますか」

「はい。外側の地図と、周辺の目印はメモしています。中の詳しい地図はありません」

「十分です。後ほど確認班の対象になります。現地には近づかないでください」

「はい」

今度は、さっきよりちゃんと返事をした。

たぶん、しばらくは近づかない。

いや、少なくとも確認班が入るまでは絶対に近づかない。

これは、自分の中で決めておく必要があった。

「動画もあるとのことですが」

「あります。ただ、中で撮ったものがどこまで残っているかは分かりません」

スマホを出す。指定された方法で職員に渡す。データを直接コピーするのではなく、専用端末へ一時転送するらしい。手順が細かい。勝手にスマホの中身を見られるわけではないと説明されたが、それでも少し緊張した。

動画は再生できた。

短い映像だ。外側の普通の景色。足元。木々。通過した後の暗い林。音は少し変だった。聞こえるはずの外の音が薄くなり、落ち葉を踏む音だけがやけにはっきり入っている。

女性職員は、無言で見ていた。

若い職員が、時間と位置情報の欄に何かを入力する。

「これは、かなり有用な記録です」

女性職員が言った。

褒められた。

というより、資料として使えると言われた。

「これだけ持ち帰れて、入口の記録もある。初回申告としては、かなり情報量があります」

「そうなんですか」

「はい。ただし」

来た。

「今後、同様の入口を発見した場合は、進入しないでください。記録は安全な範囲で。採取や内部確認は、制度上の許可と指示を受けてから行ってください」

「はい」

「あなたが無事に帰還できたことと、その行動が推奨されることは別です」

まったくその通りだった。

言い返す余地がない。

確認はさらに続いた。

遭遇した敵性生物の大きさ。数。武器の有無。足音。匂い。内部の明るさ。足場。水の有無。虫の有無。戻る時の感覚。気分不良の有無。帰宅後の発熱。採取物の保管方法。

俺は答えられる範囲で答えた。

答えられないところは曖昧にした。倒した数は少なめにした。大型個体は、見かけて危険を感じた個体という扱いにした。広場の奥に続く道の話は、見えたが進んでいないと答えた。これは本当だ。

確認が終わる頃には、喉が乾いていた。

女性職員が、最後に一枚の紙を差し出した。

「本日の確認内容に基づく、初回注意事項です。登録の可否は、健康確認と採血、提出物の仮判定を経て通知されます」

紙を受け取る。

そこには、俺の名前と申請番号、確認済み項目、提出物一覧が並んでいた。下の方に、注意事項がある。

今後は、法令および制度上の手続きを遵守するよう心がけてください。

未確認入口を発見した場合は、進入せず、速やかに指定窓口へ通報してください。

採取物および危険物は、自己判断で保管・使用・廃棄せず、必ず申告してください。

体調変化、感覚変化、外傷の異常、その他身体変化が疑われる場合は、速やかに申告してください。

柔らかい文面だった。

柔らかいが、言っていることははっきりしている。

次はやるな。

隠すな。

勝手に入るな。

体がおかしければ言え。

俺は紙を見つめた。

「確認担当としては、あなたの記録と採取物は評価しています」

女性職員が言った。

俺は顔を上げる。

「ただ、危険な判断も多い。制度は、能力のある人を自由に動かすためだけのものではありません。危険を管理するためのものでもあります」

「はい」

「あなたが制度の中で活動することは、こちらにとっても意味があります。ですから、制度の外で勝手に危険を増やさないでください」

少しだけ、変な言い方だった。

頼まれているようで、釘を刺されている。

たぶん、両方だ。

「分かりました」

今度は、さっきより本当に分かった。

少なくとも、神隠しみたいな入口を見つけた時は、すぐ報告する。

それだけは決めた。

その後、簡易健康確認を受けた。体温、血圧、問診。服の上から分かる範囲の確認。最後に採血。

針が腕に入る瞬間、体の奥がわずかに動いた気がした。

俺は心の中で言った。

大人しくしてろ。

返事はない。

採血管に、普通の赤い血が溜まっていく。

少なくとも見た目は普通だった。

見た目だけなら、俺はまだ人間だった。

全てが終わると、外は夕方に近かった。

合同庁舎の出口を出る。空気が少し冷たい。駐車場の向こうで、車が普通に走っている。役所へ書類を出しに来た人。電話しながら歩く会社員。自転車に乗った高校生。

世界は相変わらず普通だった。

俺の手元には、提出物の預かり証と、初回注意事項の紙がある。

小さな魔石と牙と短刀は、もう鞄の中にない。

軽くなったはずなのに、肩は重かった。

「制度の中、か」

小さく呟く。

内側に入れたのかは、まだ分からない。

だが、少なくとも外側だけにはいなくなった。

それが安全なのか、余計に面倒な場所へ踏み込んだだけなのかは分からない。

ただ、ひとつだけはっきりしている。

神隠しみたいな入口は、もう俺だけのものではなくなった。

俺は注意事項の紙を折り、鞄にしまった。

法令および制度上の手続きを遵守するよう心がけてください。

柔らかい言葉だ。

だが、俺にはこう読めた。

次は見ているぞ。


「さて、吉とでるか凶と出るか」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ