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第47話 5級講習

五級講習の会場は、県の合同庁舎だった。

ギルドではない。酒場でもない。受付嬢もいない。白い壁と、案内板と、少し古い床の匂いがあるだけの、普通の役所だった。

正面入口の横に、臨時の看板が立っている。

異常空間民間調査員制度

五級登録初回講習会場

その文字を見た瞬間、少しだけ足が止まった。

本当に制度になっている。

ネットの祭りでも、ニュースの見出しでもない。俺が名前と住所を入れ、採取物あり、危険物あり、と申告したものの続きが、ここにある。

鞄の中には、指定された通りに袋分けした魔石と牙が入っている。短刀も布で包んで、さらにケースに入れた。赤錆の山刀は家だ。あれは絶対に持ってこない。持ってきた時点で、俺は講習会場ではなく取調室に行く。

受付で名前を伝えると、職員が端末を確認した。

一瞬だけ、画面を見る目が変わった気がした。

「採取物ありで申請されていますね。講習後、別途確認がありますので、終了後はそのまま会場にお残りください」

「はい」

声は普通に出た。

普通に出たので、自分で少し驚いた。

資料を受け取り、指定された部屋へ向かう。廊下には同じ方向へ歩く人間が何人もいた。作業着の中年。登山靴の若い男。会社員風の女。大学生くらいの男二人組。妙に姿勢の良い老人。付き添いらしき家族と小声で話している人もいる。

普通の講習会には見えなかった。

かといって、冒険者の集まりにも見えない。

ただ、何かを見てしまった人間と、これから見に行こうとしている人間が、同じ部屋に押し込まれている。そんな空気だった。

会場に入ると、長机とパイプ椅子が並んでいた。前方にはスクリーン。横にホワイトボード。机の上には資料、誓約書、注意事項、アンケート、緊急連絡先確認用紙。紙が多い。異世界感はまったくない。現代日本で何かが制度になると、まず紙が増える。

俺は後ろ寄りの席に座った。

鞄は足元に置く。中身を意識しないようにしたが、無理だった。足元に昨日までの異常がある。いや、昨日ではない。日数の感覚が少し怪しい。最近の俺は、ダンジョンに入るたびに一日分ずつ人生の管理が雑になっている気がする。まあ何とかなるという意識がある、変な度胸付いてきたな。

開始時間になると、前方に三人の職員が立った。

中央の女性がマイクの前に出る。四十代くらい。スーツ姿で、疲れた顔をしていた。だが、声ははっきりしている。

「本日は、異常空間民間調査員制度、五級登録初回講習にご参加いただき、ありがとうございます」

会場のざわつきが少し落ちた。

「まず初めに、皆さまが危険を承知の上で申請し、国および地域社会の安全確保に協力しようとしてくださっていることに、深く感謝申し上げます」

そう言って、女性は頭を下げた。

横の職員二人も頭を下げる。

思っていたより深かった。

会場の空気が、少し変わった。隣の若い男が背筋を伸ばす。前の席の中年が、資料から顔を上げる。俺も、何となく座り直した。

「未確認入口の申告、採取物の提出、記録の提供は、今後の被害を防ぐために極めて大きな意味を持ちます。すでに危険な経験をされた方もいると思います。怖い思いをされた方、判断に迷われた方、申告すること自体に不安を覚えた方もいると思います。それでも今日ここに来てくださったことを、私たちは軽く考えていません」

胸のあたりが、少し重くなった。

感謝される資格があるのかは分からない。

俺は善意だけで来たわけではない。制度の内側に入りたい。採血が浅いうちに通りたい。暗渠を隠したい。赤錆の山刀を隠している。体の中の白いものも、当然言えない。

それでも、申告はした。

全部ではないが、何も出さないよりはましだ。

そう思うことにした。

女性は顔を上げた。

「その上で、ここから先は厳しい話をします」

声の温度が変わった。

「五級登録は、安全を保証するものではありません。五級、低危険度、短時間活動という言葉は、死亡しないことを意味しません。登録後の活動において、死亡、重傷、後遺障害、行方不明、未知感染、身体変化が発生する可能性があります」

さっき緩みかけた空気が、すぐに固まった。

資料の一枚目にも同じようなことが書いてある。だが、声に出されると重さが違う。

死亡。重傷。行方不明。未知感染。身体変化。

俺は自分の腹を思い出した。大型コボルトの短刀で切られた傷は、もうほとんど残っていない。腕も同じだ。普通ではない。資料に書いてある身体変化の欄へ、まっすぐ引っかかる。

申告できるわけがない。

「未確認入口を発見した場合は、原則として進入しないでください。位置情報、周辺状況、安全な距離からの写真、可能であれば目撃情報を記録し、速やかに指定窓口へ通報してください」

入った。

普通に入った。

俺は視線を資料へ落とした。

「採取物、魔石と思われるもの、敵性生物の一部、液体、武器状の物体、その他危険物は、全量申告してください。自己判断での廃棄、売買、譲渡、加工、使用は禁止です」

いくつか当てはまる。当てはまりすぎている、さて、ここにいる何人が油汗を流してるだろうか。

「また、登録前に異常空間へ進入した経験がある方、採取物を所持している方は、講習後に個別確認を行います。申告内容に不備がある場合でも、直ちに処罰することを目的としたものではありません。まずは管理下に置くこと、危険を広げないことを優先します」

会場のどこかで、誰かが小さく息を吐いた。

俺だけではないらしい。

そのことに少し安心して、すぐに嫌になった。安心するような話ではない。

講習は淡々と進んだ。

低危険度区域の定義。活動時間。帰還報告。同行推奨。単独活動時の注意。緊急連絡先。体調不良時の申告。採取物管理。記録の取り方。動画を撮る場合の注意。配信禁止区域。位置情報の秘匿。未確認入口の扱い。

どれも役所の言葉だった。

だが、内容はほとんど死に方の一覧だった。

滑落。噛傷。刺傷。圧迫。窒息。毒。未知の発熱。意識障害。通信途絶。帰還不能。

スクリーンには、実例映像も流れた。ぼかしの入った短い映像だ。暗い通路で足を滑らせた人間。小型の飛行生物に顔を狙われる調査員。半透明の粘性体に近づきすぎ、棒を取られる映像。どれも短い。派手な戦闘映像ではない。むしろ地味だった。地味な失敗が、そのまま致命傷へつながる。

「敵性生物を倒すことより、帰還することを優先してください」

女性職員が言った。

「採取物を得ることより、報告することを優先してください。記録することより、撤退することを優先してください。五級に求められるのは攻略ではありません。生きて戻り、正確に報告することです」

その言葉で、前の方に座っていた若い男が少し肩を落とした。

気持ちは分かる。

攻略ではない。

でも、攻略したい奴がここにはいる。

俺もたぶん、その中に入る。

休憩を挟んで、質疑応答になった。

最初に手を上げたのは、作業着の男だった。

「近接戦闘の方が、身体能力が伸びるという話がありますが、本当ですか」

会場の空気が少し動いた。

みんな気になっていたらしい。俺も気になっていた。かなり。

女性職員は、少し間を置いてから答えた。

「そのような傾向を示す報告はあります。ただし、近接戦闘を推奨するものではありません」

予想通りの答えだった。

「銃火器、遠距離攻撃、近接戦闘、投擲、逃走行動、負傷後の回復など、異常空間内で発生する身体変化については現在調査中です。現時点で言えるのは、生還した一部の方に変化が確認されている、ということだけです。生還した事例だけを見て、危険行為を正当化しないでください」

生還した事例だけ。

俺はその言葉を頭の中で繰り返した。

確かにそうだ。死んだ奴は、身体能力が伸びたかどうかを話せない。

次に、別の男が手を上げた。大学生くらいに見える。

「スタンピードは、本当にあるんですか」

今度は会場全体が静かになった。

女性職員の表情は変わらなかった。

「現時点で、国内において大規模な外部流出事案は確認されていません」

国内において。

大規模な。

外部流出事案。

言葉が慎重すぎて、逆に怖い。

「ただし、未確認入口の放置、内部構造の安定化、敵性生物の増加は、危険要因として扱われています。公式に断定できる段階ではありませんが、可能性を無視することはできません。そのため、入口情報の申告と早期管理が重要になります」

スタンピードとは言わない。

でも、警戒はしている。

掲示板で見た話が、役所の言葉になって目の前に出てきた。

作家がどうとか、ゲーム的にどうとか、ネットでは半分笑い話だった。ここでは笑えない。放置すれば外に出るかもしれない。そういう可能性があるだけで、国は動くしかない。

次の質問は、女性だった。

「身体変化があった場合、申告すると活動停止になりますか」

何人かが顔を上げた。

俺も、資料を見るふりをしながら聞いた。

「内容によります。発熱、意識障害、感染症状、傷の異常、感覚変化、筋力変化、その他ご自身で異常と感じるものがある場合は必ず申告してください。申告したことのみを理由に、直ちに登録を取り消すとは限りません」

のみを理由に。

また慎重な言葉だ。

「ただし、本人または周囲に危険があると判断される場合、活動制限、医療機関での確認、追加検査をお願いすることがあります」

申告できるわけがない。

そう思った。

同時に、申告しない奴は俺だけではないだろうとも思った。

この会場の中に、夜目が利くようになった奴、反応が変わった奴、傷の治りが早くなった奴がいるかもしれない。掲示板の中だけの話ではなく、本当にそういう人間がここに座っている。

制度の中に入るということは、そういう人間たちの中に入るということだった。

質疑応答が終わると、最後に誓約書の説明があった。

死亡時の連絡先。救助の限界。自己判断による逸脱行為。禁止事項。採取物の所有権。報告義務。違反時の処分。

文字が多い。

重い文字ばかりだった。

それでも、ペンを持つ人間は多かった。

会場のあちこちで、紙に名前を書く音がする。

俺も名前を書いた。

三十歳の元会社員が、自分の名前を紙に書くだけの行為に、こんなに重さを感じる日が来るとは思わなかった。

講習の終了が告げられる。

「本日の全体講習は以上です。採取物あり、危険物あり、未確認入口申告あり、身体変化申告ありの方は、このあと個別確認を行います。該当する方は、席を立たずにそのままお待ちください」

椅子を引く音が、あちこちで鳴った。

立ち上がる人間がいる。資料を鞄にしまい、出口へ向かう人間がいる。家族に電話をかける人もいる。

一方で、立たない人間もいた。

俺は立たない側だった。

前方の作業着の男も残っている。斜め前の女も残っている。若い二人組の片方だけが座ったままだ。端の席の老人も、静かに資料を見ている。

思ったより多い。

そう感じた。

同時に、少しだけ息が楽になった。

俺だけではない。

けれど、俺と同じでもない。

足元の鞄の中で、ケースに入れた短刀が少し重く感じた。体の奥の白いものは静かだった。こういう時だけ、妙に大人しい。

職員が前方の扉を開ける。

廊下の向こうに、別の受付机が見えた。

「それでは、順番にお呼びします」

五級講習は終わった。

だが、ここから先は、ただの講習ではなかった。


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