第418話 これはどういう事でしょうか
公園を抜けた先は、さっきまでより人の流れが濃かった。
研究学園駅の周辺まで近づくと、歩道の向こうに大きな商業施設が見える。サチは日傘を差したまま、ガラス張りの建物や出入りする人を順番に見ていた。立ち止まるほどではないが、一度見たものへ少ししてからまた顔を向ける。
「中、気になる?」
問いかけると、サチは建物を見たまま一度頷いた。
師匠にはさすがに車で待ってもらうことになる。隣を見ると、本人は植え込みの匂いを嗅いでいた。ここまで人が増えても落ち着いたままで、こちらの心配をよそにいつも通りである。
「師匠、ちょっと車で待っててもらってもいいですか?」
顔が上がった。
「サチと少しだけ中を見てきます。長居はしませんので」
師匠は俺を見たあと、尾を一度振った。
「ありがとうございます」
駐車場へ戻り、師匠には後部を広く使ってもらう。駐車中でも空調を維持できる状態にしておいた。二人とも真夏の暑さを気にする様子はないが、車内に巨大な犬を残しているところを見られれば、今度はそっちで騒ぎになりかねない。
「では師匠、お願いします。何かお土産買ってきますから」
後部座席で伏せた師匠の耳が動いた。
「……そこには反応するんですね」
尾が座席を一度叩いたので、その返事を信じてサチと二人で車を離れた。
商業施設の入口へ近づくにつれて、人の数は公園より増えた。自動ドアの前では家族連れとすれ違い、中へ入れば買い物袋を持った人が横を抜けていく。
サチが最初に足を止めたのは、その自動ドアだった。開いた扉を見て、閉じるところまで見る。次の人が近づいてまた開くと、もう一度そちらへ顔を向けた。
「そこからか」
もっと派手な店頭や大型モニターへ食いつくと思っていたので少し意外だった。
そのまま共用通路を進む。衣料品店の前ではマネキンを見て、雑貨店では吊り下げられた小物へ顔を向ける。店へ入るより、今は歩いて見るだけで結構忙しそうだ。
しばらくすると、サチの顔が一軒の店へ向いた。アイスを売っている。
「……食べる?」
すぐにこちらを見た。
「分かりやすいな」
一度頷く。
前とは違う種類を二つ買い、人の流れから少し外れた休憩スペースへ移った。壁際の席を選び、俺が通路側へ座る。
サチは手袋を少しずらし、テーブルの下へ白い手首を隠した。
「ここなら見えないか」
アイスを渡すと、手首へ触れた部分から少しずつ沈み込んでいく。本人も外でやっていることは分かっているらしく、腕はテーブルの下に収めたままだった。
前よりさらに早い。残った棒を受け取ると、サチの顔が俺の手元へ向いた。
「これは俺の分」
まだ見ている。
「同じの買っただろ」
顔が自分の手元へ向いた。そこにはもう棒しか残っていない。
「味わって食べる事ができないのが難点だな」
俺のアイスが半分にも届かないうちに、一人だけ終わっている。サチはしばらく俺の方を見ていたが、そのうち近くを通った買い物客へ顔を向けた。
……次から二個買うか。いや、それをやったら際限がなくなる気もする。
食べ終わってから、もう少し中を歩いた。吹き抜けへ出たところでサチの足が止まり、二階へ続くエスカレーターを見上げる。
「乗ってみる?」
こちらを見る。
「立ってるだけで上に行くぞ」
サチがエスカレーターを見てから一度頷いた。
「じゃ、前に乗って」
乗る瞬間だけ足元を確認していたが、危なげなく踏み込んだ。手すりには触れず、動く床をじっと見ている。
二階へ着くと、そのまま降りた。
「どうだった?」
首が少し傾く。
「まあ、そうなるか」
何を聞いているんだ俺は。
二階では案内板を見上げ、ガラス越しの商品を眺め、店内で流れる音へ顔を向ける。何でも触ろうとする様子はなく、気になったものを見て、少し歩いてからまた別のものを見る。
人と近い距離ですれ違うことも何度かあった。サチへ向く視線はほぼ通りすがりの範囲で収まっている。日傘を畳んでいる分、外より普通に見えている気さえした。
もう少し歩けそうだが、師匠を車に待たせている。
「そろそろ戻るか」
サチは少し先の店を見てから、こちらへ向き直って頷いた。
駐車場へ向かう途中で、約束していた師匠への土産を思い出す。肉系のものを探すか。パンでもいい気はする。アイスは持ち帰るまでに面倒だ。
いくつか店を見て、最終的にドーナツ屋の前で止まった。
「……ドーナツでいいかな」
サチがショーケースを見る。
「師匠のだからな」
顔がこちらへ向いた。
「なんで微妙に罪悪感が湧くんだろうな」
チョコやクリームのかかったものを避け、シンプルなものを一つ買った。師匠なら何でも普通に食べそうだが、そこは一応、人間側の食べ物として選んでおく。
サチが袋を見る。
「これは師匠の」
もう一度言っておき、そのまま車へ戻ると、師匠は後部座席で伏せたまま待っていた。
「ありがとうございます。お待たせしました」
頭が上がる。
「お土産もありますよ」
今度はすぐ身体を起こし、袋からドーナツを出した時には鼻先まで寄ってきた。
「これにしました。気に入るかは分かりませんけど」
渡すと、一度匂いを確かめてから食べ始めた。どうやら外れではなかったらしい。
横ではサチが見ている。
「サチはアイス食べただろ」
こちらを見る。
「師匠は待っててくれたからお土産」
数秒して、サチは師匠へ顔を戻した。師匠は気にせず食べている。
駄目だ、多分そのうち圧に負ける気しかしない。
帰り道では、サチが窓の外を眺めていた。高い建物が減り、道路沿いの店がまばらになっても、しばらく顔の向きは変わらない。
今回はこれでいいだろう。人の多い場所を歩き、師匠は何度も見られた。サチは商業施設の中まで入り、そこで人に囲まれながら歩くこともできた。そのまま家まで問題なく帰ってこられた。
荷物を降ろし、二人が落ち着いたところでスマホを確認すると、指が止まった。妹のすみれからメッセージが来ている。
『これはどういう事でしょうか』
その下には画像が一枚添付されていた。今日の研究学園で撮られた写真で、歩道を歩く俺の横には日傘を差したサチがいて、さらにその隣を師匠が歩いている。
「…………」
しっかり撮られていた。前に気づいた二人組かと思ったが、角度を見る限り別の場所だ。
さらに画面を下へ動かすと、すみれからの着信履歴が何件も並んでいた。一度や二度で諦めるつもりだった形跡はまるでない。
「……終わったわ」
国とか、政府とか、その辺より先に警戒しておくべき相手を一人忘れていた。家族だ。しかも、すみれ本人がSNSでこの投稿を見つけている。
選択肢も浮かばず、そのまま通話ボタンを押す。二度目の呼び出し音で繋がった。
「お兄ちゃん! 彼女できないからってパパ活は駄目だよ!」
「違う」
なんて事をいいやがる。
「じゃあ誰なのその子!」
声の勢いですぐ分かった。冗談を言っている調子ではなく、本気で俺が何か道を踏み外したと思っている。
「いや、これはですね」
「小学生くらいだよね!?」
「そのくらいには見えるけど」
「見えるけどって何!?」
初手を間違えた。
「とりあえず落ち着いて」
「落ち着いてる!」
「その音量で?」
「お兄ちゃんが説明すればもっと落ち着く!」
正論だった。
しかし説明できる範囲が狭すぎる。サチが何者か、師匠がどこから来たのか、どうして俺と一緒に研究学園を歩いていたのか。この辺を真正面から聞かれると、まともに返せる話がほとんど残らない。
「知り合いの……」
「誰の?」
「えーと」
「なんで詰まるの!」
そこからかなり長かった。
すみれは勢いこそあるが、途中で適当に納得して終わる性格でもない。俺が曖昧なことを言えば、そこを拾って次を聞いてくる。しかも今回は本気で心配している。適当に笑って流す方向へ持っていくのは無理だった。身内が道を踏み外してるかもしれないという不安は確かに大きいか。
最終的に、詳しい事情は話せないこと、犯罪に関係するような話とは無縁であること、サチ本人も安全であることだけを何度も説明して、どうにか通話を終えた。スマホを耳から離した時には、今日一日歩き回った時より疲れていた。
「……大樹」
思わず名前が出る。
『気にしすぎだよ』
あれはたぶん、世間一般についての話だったんじゃないだろうか。身内については、大樹の想定から外れていたことにしておきたい。
ソファへ座り、改めて送られてきた画像を開く。投稿元には『研究学園でめちゃくちゃ大きい犬いた』という一文と一緒に写真が載っていた。
主役は師匠で、俺とサチはその横に写り込んでいる。顔がはっきり分かる距離ではない。それでも、身内には通用しなかった。いや、むしろこの写り方に問題があるのかもしれない。
「……やっぱり、これはちょっと考えないと駄目だなあ」
元凶のアカウントを眺めながら肩を落とす。写真を撮る人全員へ声をかけて回るのは現実的でもないし、サチと師匠を外へ出せば、また似たことは起きるだろう。
少し考えてからスマホを伏せた。もうどうにでもなーれの精神で、聞かれて困ることは全部同じ答えで押し通そう。誰なのか、どこから来たのか、どういう関係なのかと聞かれても「答えられません」で通す。これでいく。
その方針へ辿り着くまでに、すみれへの説明でかなり精神を削られた。




