第406話 帰ってきた言葉
三通のメールを送ってから二日、槙野のところへ目立った動きは届かなかった。
アビス・ラインからの勧誘は続いているものの、数は増えていない。合同探索をANVILが妨げているという話も、新しく相談へ来た所属者は一人だけだった。
企業側も同じで、素材の供給量について問い合わせてきた会社からは、それぞれ通常の返答が来ている。何も起きなければ、それでよかった。
「槙野さん、これ見てもらえます?」
昼前、倉庫担当がタブレットを持ってきた。
「どれです?」
「取引先から転送されたメールです。先方にも別会社から問い合わせが来たみたいで」
画面を受け取り、文面を読む。
ダンジョン素材を扱う加工会社から、ANVILの取引先へ送られた問い合わせだった。今後の供給見通しについて情報を持っていないか、共同調達の余地はないかという、ごく普通の営業文面に見える。
途中まで読んだところで、槙野の指が止まった。
『ANVIL側では、既存契約の範囲を基準として取扱量を検討しているとの情報もあり――』
「帰ってきましたね」
「何がです?」
「言葉が」
槙野は自分の端末から、二日前に送った三種類の回答を開いた。
三社目へ送った文章には、
『既存契約の範囲を基準として、今後の取扱量を検討いたします』
と書いてある。
「これ、そこにしか送ってないんですか?」
「少なくとも、この言い回しでは送っていません」
意味の似た説明なら他にもしている。供給量を急に増やす予定がないことも、既存取引を優先することも秘密ではない。
ただ、『既存契約の範囲を基準として取扱量を検討』という並びは、相手を識別するためにわざと選んだものだった。
「じゃあ、その会社から漏れた?」
「可能性は高いですね。ただ、まだそこまでです」
「その先は?」
「このメールを送ってきた会社が、どこから聞いたかですね」
槙野は転送元の担当者へ連絡し、問い合わせ元の情報を確認した。
返ってきた会社名を検索すると、ダンジョン素材そのものを直接大量に扱う企業ではなかった。加工技術の仲介や共同開発先の紹介、調達支援などを行っている会社で、複数の素材企業と取引がある。その中には、昨日話していたアビス・ラインの提携企業も含まれていた。
「繋がりました?」
「線は一本できました」
「それって同じじゃないですか?」
「全然違いますよ」
倉庫担当が露骨に面倒そうな顔をする。
「三社目から情報が出た可能性が高い。出た情報を、この仲介会社が持っている。その仲介会社が、アビス・ラインの提携企業とも取引している。今分かるのはそこまでです」
「でも怪しいですよね」
「怪しいですねえ」
「じゃあ」
「怪しいだけです」
槙野は画面を返した。
峰岸が提携企業へ話したのかもしれない。提携企業がANVILの周囲を調べ始め、仲介会社へ情報収集を頼んだ可能性もある。
逆に、仲介会社が業界内で勝手に集めた情報を複数社へ売っているだけかもしれないし、三社目の担当者が何気なく別の取引先へ話したものが回っただけかもしれない。
「ここで決めつけると、こっちが雑になりますからね」
「じゃあ、もう少し待つ?」
「待ちます。別の言葉も帰ってくるかもしれませんし」
その日の午後、別件で所属探索者から面談を求められた。入ってきたのは三層を主な活動場所にしている男で、先日アビス・ラインから勧誘を受けた一人だった。
「話って、あの勧誘ですか?」
「はい」
「何か変なこと言われました?」
「いや、そういうのじゃなくて」
男は座ってから、膝の上で両手を組んだ。
「向こうに行こうかなと思ってます」
「そうですか」
返した槙野を見て、男の方が戸惑った。
「……それだけです?」
「引き止めてほしいです?」
「いや、それは違いますけど」
「ならいいじゃないですか」
槙野は机の横に置いていた端末を取る。
「理由は聞いても?」
「もっと上へ行きたいんです」
「なるほど」
「ANVILが嫌とかじゃないですよ。装備の相談も助かったし、二層で一回逃げた時も、ここだったから続けられたと思ってます」
そこで一度言葉を探してから、男は続けた。
「でも三層まで来て、四層も見えてきたら、その先も行けるところまで行ってみたくなって。アビスの方が、そのための班は多いんで」
「いいと思いますよ」
「本当に?」
「それをやりたい人が、やりやすいところへ行くんでしょう?」
男が少し笑った。
「ギルマス同士、揉めてるって聞いたんですけど」
「誰からです?」
「それは……まあ、噂です」
「そこはいいです。その話と、あなたの移籍は別ですから」
槙野は必要な手続きを確認し、引き継ぎが必要な貸与品や未精算案件だけを洗い出した。席を立とうとした男は、そこで少し迷ってから振り返る。
「囲ってるって話、あれ何だったんですかね」
「さあ」
「俺、普通に出ていけますよね」
「手続きが終われば」
「ですよね」
男が帰ったあと、槙野は面談内容を簡単に残しながら、必要な移籍手続きへ回した。本人が上へ行きたくて移るというのなら止める理由はないし、むしろ今ここで引き止めれば、峰岸が口にした囲い込みを自分たちで形にすることになる。
ANVILに残りたい人間を無理に外へ出すつもりも、外へ行きたい人間を看板のために縛るつもりもない。その方針は昨日までと何も変わらなかった。
夕方になると、事務担当がまた一枚の印刷物を持ってきた。
「二つ目、来たかもしれません」
「どれです?」
「今度は掲示板の転載です」
探索者向けの小規模な情報交換板で、ANVILの素材供給について話している中に一つ気になる書き込みがあった。
『急に供給増やす予定ないらしいぞ』
「これは弱いですね」
「違います?」
「二社目に送った内容と似ていますけど、この程度なら誰でも推測できます」
「じゃあ使えない?」
「今は」
槙野は印刷物を横へ置き、最初に戻ってきたメールと見比べた。最初の『既存契約の範囲を基準として』はかなり特徴があるが、掲示板の書き込みは二社目へ送った内容と似ているだけで根拠にはしにくい。一社目へ送った『現在の取引実績を基準に調整』という言葉も、まだどこからも戻ってきていなかった。
情報が全部同じところへ流れているなら、いずれ似た形で出てくる可能性がある。出てこなければ、それも材料になる。
「今のところ、三社目から外へ出た可能性が高い。そこから仲介会社までは見えた。ただ、その先はまだ推測ですね」
「アビスの提携企業まで繋がってるのに?」
「取引関係があるだけですから」
「慎重ですね」
「こっちが間違えて殴ったら、向こうが被害者になりますよ」
峰岸との録音には、ANVILを囲い込み組織だと受け取られても仕方がない、と本人が口にした記録が残っている。だからこそ、その後に起きたことまで都合よく一つの筋書きへまとめる必要はなかった。
「それより、移籍の方はどうなりました?」
「本人は行くそうです」
「止めなかったんですね」
「何で止めるんです?」
「いや、今この状況だから」
「今この状況だから止めたら、それこそ向こうの話を補強するでしょう」
事務担当がしばらく黙る。
「……わざと行かせたわけじゃないですよね?」
「その人に失礼ですよ」
「あ、すみません」
「本人が行きたいから行く。それだけです」
槙野は端末を閉じた。移籍の結果として、ANVILが探索者を囲っているという話が少し崩れるなら、それはこちらにとって都合がいいというだけのことだった。
「まだ何もしないんですか?」
「もう少し見ます」
「いつまで?」
「相手の動きが分かるまでですね」
「長くなりそうだなあ」
「そうでもないかもしれませんよ」
槙野は最初に戻ってきたメールをもう一度開いた。こちらが渡した文章が、わずか二日で別の会社から戻ってきている。
「思っていたより、皆さんよく喋るみたいですから」




