第405話 どこから聞いた
翌日の午後、槙野は加入希望者との面談を一件終えたところで、事務担当から声を掛けられた。
「ギルマス、ちょっといいですか。相談したいって人が来てます」
「誰です?」
「所属の人です。別に揉め事じゃないみたいですけど」
応接スペースへ行くと、待っていた男は槙野の顔を見るなり困ったように頭を掻いた。二層を中心に活動している探索者で、加入してから半年ほどになる。
「すみません、忙しいところ」
「いえ。どうしました?」
「ちょっと確認だけしたくて。うちって、他のギルドとの合同探索とか駄目なんですか?」
槙野は椅子を引きながら手を止めた。
「駄目じゃないですよ。申請が必要な案件なら手続きはしてもらいますけど、ANVILが一律で禁止していることはありません」
「ですよね」
「何か言われました?」
男はスマートフォンを取り出し、画面を槙野へ向けた。
「昨日、一緒になった探索者と話してたら、そんな話になって。ANVILって最近、上へ行けそうな奴を他所に出さなくなったらしいぞって」
「誰から聞いたか分かります?」
「いや、そいつも人から聞いたってだけで。アビスの人じゃないです。たぶん」
「たぶんですか」
「所属までは聞いてないんで」
画面には短いやり取りが残っていた。合同探索の禁止という断定まではなく、『最近そういう話を聞く』という程度で、それ以上追える内容でもない。
「ちなみに、それを聞いてどう思いました?」
「いや、俺は別に。今すぐ深層行きたいとかもないですし。ただ本当に決まりが変わったなら知っとこうかなと」
「ありがとうございます。変わっていませんよ。もし他所から誘われて、話を聞きたいと思ったなら普通に聞いてください」
「移籍の話でも?」
「本人が興味あるなら」
男が一度だけ槙野の顔を見直した。
「そこもいいんだ」
「止めても仕方ないでしょう」
「それはそうですけど」
「ただ、ANVILの決まりについて何か説明されたら、分からないところだけこちらへ確認してください。今みたいに」
「了解です」
男を送り出して事務室へ戻りながら、槙野は昨日の峰岸との会話を思い返した。昨日の今日にしては早い。ただ、早いというだけで出所まで決めるわけにもいかない。
匿名の探索者との共同攻略を断られた話から、誰かが勝手に話を膨らませた可能性もある。アビス・ラインほど大きな組織なら、峰岸が何も指示していなくても、話を聞いた所属者がそれぞれの判断で動くこともある。
「槙野さん」
今度は別の職員が、印刷した紙を持ってきた。
「これ、所属者から転送されてきたんですけど」
「今日は人気ですね、私」
「内容見てから言ってください」
渡された紙には、アビス・ラインから届いた勧誘文面が印刷されていた。対象は三層を安定して回っている固定パーティーの一人で、装備適性と最近の活動成績を評価したうえで、より上位階層を目指す環境を提示できる、と書かれている。
待遇も悪くない。訓練施設の利用や上位班との合同訓練、攻略情報へのアクセスに加えて、一定期間の活動後には深層攻略班への選抜対象にもなるらしい。
「この人、移籍したいって話ですか?」
「まだ。こういうの来たけど問題ありますか、って」
「ないですね」
「ないんですか」
「普通の勧誘でしょう。条件もちゃんと書いてありますし」
職員が紙と槙野を交互に見た。
「昨日、ギルマス本人が来たんですよね?」
「来ましたねえ」
「関係あります?」
「あるかもしれませんし、前から選考していたのかもしれません。今の段階じゃ分かりません」
時期だけなら怪しく見えるが、それだけで実際に繋がっているとは言えない。
「本人には、興味があるなら話を聞いて構わないと伝えてください。移籍するなら必要な手続きもこちらで案内します」
「分かりました」
「あと、この文面は保存しておいてください」
「そっちはやっぱり保存するんですね」
「普通の勧誘なら、保存されても困らないでしょう?」
職員は微妙な顔をしたものの、そのまま紙を持って戻っていった。
昼を過ぎた頃、今度は探索者ではなくANVILの倉庫から素材を仕入れている企業の担当者からメールが届いた。
『最近、御社から流通する異常空間由来素材について、複数の取引先から問い合わせを受けています。供給量や今後の取扱階層について、弊社から回答可能な範囲を確認したく、ご連絡しました』
槙野はメールを二度読んだ。
「そっちも来ましたか」
隣の席にいた職員が顔を上げる。
「何です?」
「昨日話していた、企業側の可能性です」
「もう?」
「だから可能性ですよ」
問い合わせを受けた会社名まで聞くには、正式な確認を返した方がいい。槙野はすぐ返信せず、倉庫担当へ連絡して最近の問い合わせ状況を出してもらった。
十五分ほどで届いた一覧には、普段からある価格や供給時期、加工可否の照会に混じって、ここ数日で少し毛色の違う質問が増えていた。高階層素材が今後どの程度増える見込みなのか、特定の探索者やパーティーとの専属契約があるのか、ANVIL自身が未公開素材を確保しているのか。供給量そのものより、その後ろにいる供給元を探るような内容が目立つ。
「雑ですねえ」
思わず声が出た。
戸張という名前へ直接近づこうとはしていないし、匿名の強者がいるとも書いていない。その代わり、ANVILへ入ってくる物の量から供給源を探ろうとしているあたりは、昨日の峰岸よりこちらの方が企業らしい。
アビス・ラインの提携企業と、ANVILの主要な販売先の一つが競合しているからといって、峰岸が企業へ調査を命じたと決める理由にはならない。峰岸から話を聞いた誰かが動いたのか、アビス内部で別に話が広がったのか、提携企業が自分たちで商機を見つけたのか。そもそも全部が別々に始まった可能性も残っている。
「ギルマス」
「はい」
「さっきの件、もう一人から来ました。アビスの勧誘です」
「同じ文面です?」
「いや、こっちはちょっと違いますね。『ANVILでは現在の活動方針上、深層攻略機会が限られると思われます』って」
槙野は手を伸ばした。
「見せてください」
届いた画面を読むと、ANVILでは深層攻略機会が限られる『と思われる』とある。断定を避けているところが、むしろよくできていた。
「うまいですね」
「感心してる場合ですか?」
「嘘だと言い切るところまで踏み込んでませんからね」
ANVILが新人育成と安全を重視しているのは事実だし、アビス・ラインほど深層攻略を組織目標に置いていないことも間違ってはいない。受け手がそこから『ANVILに残っていると上へ行けない』と考える余地だけを残している。
「これ、止めます?」
「いいえ」
「いいんですか?」
「これだけなら勧誘の範囲ですよ。多少、感じは悪いですけど」
槙野は画面を返した。
「ただ、同じようなものが来たら全部保存してください。それと所属者には、勧誘を受けたこと自体を報告する義務はありません。相談したい時だけ持ってきてもらえればいいです」
「分かりました」
夕方までには、似た相談がさらに増えた。他ギルドとの合同探索について確認に来た者が一人、アビス・ラインから移籍を打診された者が一人。企業側からも、素材供給について他社から問い合わせを受けたという連絡が二社から届いている。
槙野はそれらを一覧へ並べた。タイミングだけなら分かりやすいほど揃っているが、揃いすぎているからこそ、その空白を自分の都合のいい推測で埋める気にはなれなかった。
「どうします?」
事務担当が横から一覧を見る。
「今のところは何もしません」
「昨日あそこまで言われたのに?」
「昨日の録音は昨日の録音です。今日の勧誘が峰岸さんの指示だという証拠にはなりません」
「企業も?」
「同じです」
槙野は椅子を引き、端末へ向き直った。
「ただ、どこまで繋がっているかは知りたいですね」
「調べるんですか?」
「向こうから聞いてくるんですから、少しくらい答えてあげましょう」
職員が嫌そうな顔をした。
「その言い方、怖いんですけど」
「普通の取引先向け回答ですよ」
槙野は素材供給について問い合わせてきた企業を三つに分け、それぞれに意味はほぼ同じだが、言い回しの違う回答を用意した。当面の供給量は現在の取引実績を基準に調整する、現状では急激な供給増加を予定していない、既存契約の範囲を基準として取扱量を検討する。どこへも嘘は伝えていない。
社内向けの説明資料にも相手ごとに小さな違いをつける。表の項目順や注記の位置、使う言葉を少し変え、内容そのものではなく、どこから出た資料なのかだけを見分けられるようにした。
「これ、漏れる前提です?」
「漏れなかったら、それが一番ですよ」
「漏れたら?」
「戻ってきた言葉を見ます」
職員が三種類の資料を見比べる。
「……性格悪いですね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
槙野は送信前にもう一度内容へ目を通した。企業が自分たちの判断で調べているだけなら、この回答で終わるかもしれない。峰岸が周囲へ昨日の話をしているだけなら、それも今すぐ止める理由にはならない。
こちらが動くのは、誰かが事実と違う話を使い始めた時でいい。
「とりあえず、待ちましょうか」
「何をです?」
槙野は三通のメールを順番に送信した。
「どの言葉が帰ってくるかを」




