第403話 本人次第
応接室へ向かう前に、槙野は自分の机の引き出しを開けた。
取り出した小型の録音機を操作し、表示を確認してからジャケットの内ポケットへ滑り込ませる。予約なしで、昼に断った案件についてアビス・ラインのギルドマスター本人が来た。何も起きないなら、それでいい。
応接室へ入ると、ソファに座っていた男が立ち上がった。
「急に押しかけて悪い」
「いえ。お待たせしました」
峰岸征司。三十一歳。
ABYSS LINEのギルドマスターであり、自身も攻略班へ入ってダンジョンへ潜る現役探索者だった。若くして国内有数のギルドを率いるだけあって、画面越しに何度か見た時から押しの強い人物だとは思っていた。
今日もスーツではなく、濃い色のジャケットに動きやすそうなパンツを合わせている。座り直した姿にも、企業の代表者というより探索帰りの人間に近いものがあった。
「昼の件だ」
「そうだと思っていました」
「断られたと聞いた。理由を聞きたい」
「本人が行かないと判断しました。それ以上は私からお答えすることではありません」
峰岸の眉がわずかに動いた。
「本人が?」
「はい」
「その証拠は?」
来て数分も経っていないのに、もうそこまで踏み込んできた。槙野は膝の上で指を組む。
「そこまで提示する必要がありますか?」
「あるだろ。こっちは本人へ出した話だ。あんたへ断る権限を渡した覚えはない」
「私も、勝手に断ってはいませんよ」
「それをどう確認する?」
「本人へ確認したと申し上げています」
峰岸は背もたれへ身体を預けず、少し前へ出た姿勢のまま槙野を見た。
「こっちからすれば、あんたが本人へ話を通さず断った可能性もある」
「そう取るのは自由ですが、こちらはしっかり確認を取っていますので」
「優秀な人間を外へ出したくないんじゃないのか?」
思ったより早く話がそこへ向いたが、槙野は表情を変えずに続きを待った。
「ANVILは育成を売りにしている。それ自体はいい。だが育てた探索者を自分のところへ縛り付けて、外で実績を作らせないなら話は別だ」
「そのようなことはしていません」
「本当に?」
「はい」
「本人へ六層到達の話を伝えた証拠は出せない。本人へ直接確認することも認めない。それで、こちらには信用しろと?」
「なるほど」
槙野はそこで一度言葉を切った。本人確認のために証拠を求めている、というだけの話ではなさそうだった。
「つまり、ANVILが優秀な探索者の可能性を搾取している組織ではないか、と」
「俺は高い可能性を述べているだけだ」
来たな、と槙野は思った。事実確認という形を保ちながら、外へ出せば傷になる言葉だけはきっちり選んでいる。
「根も葉もない噂を流すおつもりではありませんよね?」
「そうは言っていない」
峰岸の返事は早かった。
「ただ、俺が今回の経緯を周囲へ説明した時に、そう捉えられてもおかしくはないだろうな、という話だ」
「なるほど」
「何か問題が?」
「いえ。どういうお話なのか、よく分かりました」
峰岸が槙野の顔を見たまま黙ったので、槙野はその間を使って話を戻した。
「では改めてお答えします。本人へ打診しました。本人は辞退しました。ANVILから辞退を求めた事実もありません。これがこちらからお伝えできる内容です」
「だから、何が気に食わないんだ」
「私に聞かれても分かりませんよ」
「六層だぞ」
「はい」
「五層ボスの情報はこちらで出す。前衛もこっちが持つ。ボスを越えれば六層へ行ける。ANVIL側にも合同到達の実績が付く。今の国内で六層到達がどういう意味を持つか、分からないとは言わせない」
「分かっています」
「なら他に何が欲しい。金か?」
「本人からそのような話は聞いていません」
「素材でもいい。攻略で回収した物を優先して回す条件も出せる」
「それも聞いていませんね」
「スクロールなら?」
そこまで出すか、と槙野は少しだけ目を細めた。
未鑑定のスクロールは、今や上位探索者にとって金だけでは計れない価値がある。アビス・ラインとしても軽々しく渡せるものではないはずだった。
「峰岸さん」
「何だ」
「本人が行かないと言っているので、条件を私へ積まれても困ります」
「だから理由を聞いている」
「理由までは聞いていません」
「普通は聞くだろ」
「本人が断ると言ったので、断った。それだけです」
峰岸は初めて背もたれへ身体を預けた。
「ずいぶん放任なんだな」
「そうですか?」
「探索者だぞ。奥へ行ける機会があれば行きたいと思うのが普通だろ」
「峰岸さんはそうなんでしょうね」
「俺だけじゃない」
そこだけは自信があるらしい。
「ダンジョンへ入って、強くなって、上へ行けるようになって、それで浅いところを回って満足するのか? 先があるなら見たいだろ。倒せる相手がいるなら倒したい。行ける場所があるなら行く。そのために探索者をやってるんじゃないのか」
槙野は少し考えた。
「そういう人もいます」
「それで終わりか?」
「本人が何を目指すかは、本人が決めますから」
「力がある人間が止まっていても?」
「はい」
「もったいないと思わないのか」
「私がもったいないと思ったからといって、その人の時間を勝手に使っていい理由にはなりませんよ」
峰岸の口元が僅かに歪んだ。
「相変わらず甘いな、ANVILは」
「そちらとは、その辺の考え方が違うんでしょうね」
「育てて終わりじゃ意味がないだろ」
「育った後を決めるために育てているわけでもありませんので」
峰岸が黙ったので、槙野もそれ以上は続けなかった。言い負かすために座っているわけではない。
相手が六層を目指すことにも、それを最優先にすることにも興味はなかった。アビス・ラインにはアビス・ラインのやり方があり、それで奥へ進みたい探索者が集まっている。
ただ、そのやり方をこちらの人間へまで押し付けられると話が変わる。
「なら本人と話をさせてくれ」
峰岸は再び前へ身体を出した。
「メールでもいい。こちらから条件を直接提示する。あんたを通さなければ話が変わるかもしれない」
「お断りします」
「なぜだ」
「本人が周囲に情報を出したくないと言っていますから」
「連絡先だけだぞ」
「個人情報ですよ」
「こっちから一通送るだけだ」
「その送付先を渡したところで、峰岸さんは本当に本人のものか疑うでしょう?」
峰岸の返事が止まったのを見て、槙野はそのまま続けた。
「メールへ返答が来たら、次は私が代わりに書いている可能性を疑う。本人しか知らない何かを確認したいと言い出して、その次は直接会わせろ、でしょう」
「……そこまで言うとは限らない」
「でも、今すでに私が本人へ確認したという話を信用していませんよね」
「証拠がないからだ」
「ですから同じことです。本人の匿名性を守ったまま、峰岸さんの疑いを完全に消す方法はありません」
峰岸の指がソファの肘掛けを二度叩いた。
「なら、あんたの言葉だけで終われと?」
「はい」
「信用できないと言っている」
「それも自由です」
「……随分と言うな」
「峰岸さんが信用してくださらなくても、本人の連絡先を渡す理由にはなりませんので」
今度の沈黙は少し長かった。槙野の内ポケットでは録音機が動き続けている。
峰岸は視線を外し、テーブルの上に置かれた何も入っていない皿を一度見てから、また槙野へ戻した。
「本当に本人が断ったんだな」
「何度聞かれても同じですよ」
「六層にも興味がない?」
「そこまでは知りません」
「金にも、素材にも、スクロールにも?」
「本人へ聞いてください、と言いたいところですが、連絡先はお渡ししません」
峰岸が鼻から短く息を吐いた。
「面倒なところだな」
「よく言われます」
「褒めてない」
「でしょうね」
そこでようやく峰岸が立ち上がったので、槙野も席を立つ。
「分かった。今日は帰る」
「ありがとうございます」
「ただな、槙野さん」
峰岸はドアへ向かいかけて足を止めた。
「こういうやり方を続けてれば、そのうちANVILが何を囲ってるのか気にする奴は増えるぞ」
「そうですか」
「俺から噂を流すなんて話じゃない。だが聞かれれば、今日あったことをそのまま話す。六層攻略の共同提案をした。本人との接触は拒否された。確認したという証拠も見せてもらえなかった。それを周りがどう受け取るかまでは、俺の責任じゃない」
「ぜひ正確にお願いします」
峰岸の目が細くなった。
「……後になって、うちと組んでおけばよかったと思っても遅いからな」
「その時は本人が後悔するでしょう」
「組織としての話をしてる」
「こちらも本人の意思の話をしています」
峰岸は数秒、槙野を見た。
「本当に気が合わないな、あんたとは」
「そこは同感です」
今度こそ峰岸が部屋を出ていった。
足音が廊下の向こうへ消えてから、槙野はドアを閉める。席へ戻ってジャケットの内ポケットから録音機を取り出し、停止ボタンを押した。
表示された録音時間を確認してから、端末と一緒に持って応接室を出る。
「脅してくる人に、連絡先を教えられるわけないでしょうに」
独り言だけが、誰もいなくなった部屋へ残った。




