第393話 正しく畏れる
作家を集めた意見交換会が、また開かれていた。
最初の頃は、異常空間というものを既存の創作へ当てはめて考えてほしい、という依頼だった。迷宮なら何が起きるか。人間がそこへ入れば何を始めるか。政府や探索者が慣れてきたあと、どこで事故が起きるか。
その頃に出した話のいくつかは、あまり嬉しくない形で現実になった。
「前より資料が増えてません?」
三柴が机の上を見る。前回までは映像や簡単な経過資料が中心だったのに、今回は国内制度、探索者数、異常空間の管理状況、海外のスタンピード事例までまとめられていた。
「実際に起きたことが増えましたので」
進行を担当する村瀬が答えた。
「嫌な言い方だなあ」
灰原は資料をめくりながら笑ったが、手は止めなかった。
ダンジョンものを何冊も書いてきたせいか、灰原は話を聞くとまず事故の形を考える。三柴は逆で、最初から大きな事故へ飛ばず、人間が途中でどんな判断を間違えるかを気にする。
三枝久人は二人から少し離れて資料を読み、若いWeb作家は最初から菓子の袋を自分の近くへ寄せていた。
「今回聞きたいのは、民間利用がかなり進んだ後についてです」
村瀬が話を始める。
「探索者、ギルド、企業による回収、研究、装備開発。制度開始直後には存在しなかった使い方が増えています。これまで皆さんには、かなり多くの『最悪の場合』を挙げていただきました。その続きがあるなら参考にしたい」
「まだやるんですか」
三柴が嫌そうな顔をした。
「毎回これやると、自分の本より現実の方が先に酷いことするんですよ」
「それは我々の責任ではありません」
「そう言われてもですね」
灰原が資料から顔を上げた。
「能力を持った人間の犯罪は、そのうち面倒になるでしょうね。身体能力だけでも一般人との差が出てるのに、魔術とか、今後そういう特殊な能力を持つ人間が増えたら」
「そっちは警察も考えてるんじゃないですか?」
若い作家が菓子を一つ取った。
「考えてはいるでしょうけど、強い奴が犯罪者になるだけじゃないと思うんですよ」
三柴が口を挟む。
「能力を持っている人を怖がる側も出ますよ。逆に、持っていない側を馬鹿にする人も出るでしょうし。実際に大きな問題になるのがいつかは分かりませんけど」
三枝はそこへ加わらず、少し前の資料を戻って読んでいた。やがて指で一箇所を押さえる。
「犯罪組織が回収品へ手を出す方は、もう想像じゃなくなりつつありますね」
「違法な買い取り、無資格探索、労働者の利用については実例があります」
「なら、次の話として出すには遅いか」
三枝はあっさりその案を捨てた。
灰原がペンを回しながら、別の資料へ目を落とす。
「もっとダンジョンそのものの話にしますか」
「その方が今日の趣旨には合います」
「じゃあ、間引きされないダンジョン」
村瀬がペンを止めた。
「どういう意味です?」
「今あるスタンピードの考え方って、中の個体が増えるとか、内部で何か起きるとか、そういう話がありますよね。なら入口を見つけても誰も入らず、何年も何十年も放っておいたダンジョンはどうなるんだろうって」
三柴が少し考える。
「人がいる場所なら、いずれ見つかるんじゃないですか」
「人がいればね」
灰原が資料の世界地図を指でなぞった。
「南極とか」
「ああ」
「北極圏でもいい。山岳地帯とか砂漠の奥でもいいですけど、人がほとんど行かない場所に入口があったら、そもそも誰も間引かないでしょう」
若い作家が急に楽しそうな顔になった。
「それ、モンスターの生活圏になったら面白そうですね」
三柴がそちらを見る。
「今、スタンピードの話してますよ」
「いや、でも人間がいないところならいいじゃないですか。北極圏にしかいないモンスターとか、南極独自の生態系とかできたら」
「創作なら私も読みたいですけど」
「でしょ?」
「現実にいてほしいとは言ってません」
灰原は笑いながら地図を見ていたが、途中で指を止めた。
「……海は?」
若い作家が菓子を持ったまま固まる。
三柴が地図へ身を寄せた。
「海底ってことですか」
「入口が海の中にできないって話、ありました?」
村瀬はすぐには答えず、手元の資料を確認した。
「少なくとも、発生しないと断定できる資料は私は持っていません」
「じゃあ海中ダンジョンがあって、水中で動ける奴が外へ出たら」
三枝が椅子へ深く座り直した。
「海運、死にませんか?」
若い作家が言った。
さっきまで南極のモンスターを楽しそうに想像していた声から、かなり勢いが落ちていた。
「いきなり全部は止まらないでしょうけど」
三柴は地図の海上部分を見たまま話す。
「大型船へ近づくものが出るだけでも厄介ですよ。沿岸なら調べられても、外洋全部を見るのは無理でしょうし」
「港の近くで見つかる方がまだマシなのか」
「入口を管理できますからね。深海で勝手に何か出てる方が怖いです」
灰原は少し楽しそうだった。悪いことを考える時だけ筆が進む作家の顔になっている。
「海底から出た生物が陸へ上がる必要もないんですよ。海の中だけで生活できるなら、人間が気づかないまま増えてもおかしくない」
「繁殖するかは分からないでしょう」
三柴がすぐ止める。
「そこは決まってないことを決めないでください」
「はい」
灰原は素直に引いた。
若い作家が、そこで余計なことを言った。
「宇宙は?」
今度は誰もすぐに喋らなかった。
「……宇宙?」
「だって海でもいいなら、地球上だけって決まってるんですか」
三柴が額へ手を当てる。
「やめません?」
「月にダンジョンあったらすごくないです?」
「だから喜ぶなって」
三枝が笑いながら資料を閉じた。
「その考え方で行くと終わりませんよ。南極があるかもしれない、深海があるかもしれない、月にもあるかもしれない。その先まで行けば、人類が確認していない場所を全部危険として扱うことになる」
灰原もペンを置いた。
「まあ、宇宙はさすがに今日考えてもどうしようもないですね」
「南極の地下全部を掘って探すのも無理でしょう」
三柴は一度地図から目を離した。
「怖がるのは必要だと思いますけど、可能性を思いつくたびに全部調べろって言い始めたら、何もできなくなりますよ」
三枝が頷く。
「正しく畏れるって、その辺も含むんじゃないですか。分からないものを安全だと決めるのも駄目でしょうけど、分からないもの全部を今すぐ対処しなきゃいけない危険にするのも違う」
村瀬はその部分だけ手元へ書き留めた。
「では、長期間放置された未発見の異常空間については、可能性として保持する。現時点で対策優先度を上げる材料にはしない。そのくらいですか」
「私はそれでいいと思います」
三柴が答え、灰原も異論は出さなかった。
若い作家だけがまだ月面の方を見ていた。
「月のは?」
「あなたが小説でやってください」
「はい」
話が終わりかけたところで、灰原が先ほどの地図へ手を伸ばした。
「でも海は別じゃないですか」
村瀬が顔を上げる。
「宇宙ほど遠くないし、人が使っている場所です。船も通るし、沿岸には人もいる。今まで海中の入口を探してないなら、あるかどうかくらいは調べた方がいい気がしますけど」
「私も海は気になります」
三柴も同意した。
「全部の海底を探すなんて話じゃなくて、既存の海洋調査や海底観測の記録に、異常空間らしいものが映っていなかったかを見るところからでもいいでしょうし」
三枝は少し考えてから、村瀬を見る。
「そこは作家より専門家へ投げるところでしょうね」
「ええ」
「今日の成果、専門家へ仕事を増やしただけでは?」
「そうとも言います」
村瀬は否定しなかった。
海中に異常空間が存在するか。それだけでも一度、海洋関係の研究機関や関係省庁へ検討を回す価値はある。具体的な探査方法や優先海域は、ここにいる人間が決める話ではなかった。
「じゃあ終わりですか?」
若い作家が菓子の袋を畳み始めた。
三柴も資料を揃え、灰原は使ったペンを胸ポケットへ戻す。三枝だけは村瀬が机の横へ視線を向けたことに気づいた。
「……まだあります?」
「閑話休題と言いますか、次の議題があります」
「今日?」
「参考までに、という話ですが」
村瀬が脇へ置いてあった紙束を両手で持ち上げた。
机の中央へ置く。
紙が潰れるような低い音がした。
三柴が資料を片づけていた手を止める。
「何です、それ」
「国内の異常空間から回収された物品のうち、用途が判明していないものです。研究側で調査は続けていますが、そもそも何に使う物なのか分からない物がかなりありまして」
灰原が紙束の厚みを横から確認した。
「全部?」
「今回お見せできる範囲です」
若い作家が畳んだ菓子袋を、そっと机へ戻した。
村瀬は一番上の紙を三枝の方へ向ける。
「作者視点ならどういう物か、参考になる考察を下さい、とのことです」
三枝は紙束を見たあと、時計を見た。
「次の議題って、そういう意味だったんですか」
「はい」
「帰れると思ってた」
三柴の呟きに、今度は誰も反論しなかった。




