第390話 三度目の先
指定された場所へ近づくと、運転席の男が一度だけルームミラーへ目を上げた。戸張はそれを合図に後部座席へ身体を横たえ、首を窓側へ倒す。
「こんな感じでいい?」
「……もう少し下を向いてください」
「注文多いな」
自分を拉致するための演技を、拉致される本人が手伝っている。戸張は顎を引き、車が大きな道路を外れて建物らしい場所へ入るまで、そのまま目を閉じていた。
「着きました」
助手席から小声が届く。二人が車を降りると、外から複数の足音が近づいてきた。
「追跡は?」
「ありません。事故車も処理に入っています」
「意識は?」
「失ったままです」
窓越しに覗き込む気配はあったが、まだ誰も戸張へ触れない。少しして奥から新しい足音が近づき、それまで車の周りにいた人間が場所を譲った。
「状態は」
「生きています。ただ、事故の規模に対して外傷がほとんどありません」
「私が見る」
その声を聞いて、戸張は待った。後部座席のドアが開き、男が腰を落とす。
「呼吸は――」
「あるよ」
顔へ伸びてきた手を掴み、そのまま車内へ引き込んだ。
「っ!」
周囲で一斉に武器が動いた。戸張は男を自分の前へ入れたまま起き上がり、拳銃を抜いた二人と、腰へ手を伸ばした一人を確認する。
「撃つな!」
捕まえた男が先に叫び、銃口の動きが止まった。その隙に戸張は男の肩を押さえ、振りほどこうとして開いた口へ白い糸を滑り込ませる。
「ぐっ……何をした」
「保険」
「外せ」
「嫌だよ。車ぶつけて攫おうとした人に言われても」
白い糸はもう口内から入り込んでいる。戸張は男を押さえたまま周囲を見渡し、自分を運んできた二人を除いて六人ほどいることを確認した。
その中に一人、戸張と目が合った途端に視線を逸らした男がいた。
「そこの人、俺のこと知ってる?」
「写真で見ただけだ」
「ふうん」
今は放っておく。寄生体が馴染むまで少し時間が要る。
「戸張透、話をしよう」
「なんで俺を攫おうとしたの?」
「確認したいことがあった」
「中国の人?」
男が黙ったので、戸張もそれ以上は続けなかった。話を引き延ばす理由はこちらにもある。
やがて男が足へ力を入れた。床を踏み直そうとした脚が途中で止まり、肩も腕も思ったように動かなくなる。
「……何をした」
「身体、動かないだろ」
戸張が手を離しても、男は逃げられなかった。寄生体の制御が間に合ったらしい。
「嘘をつくなよ。分かるから」
「何を――」
「ここにいるので全部?」
「……そうだ」
答えと同時に、寄生体から小さな不一致が返ってきた。何を隠したのかまでは分からないが、本人が認識している内容と、今口にした内容が違う。その区別だけなら拾えるらしい。
「嘘だな」
男の顔が固まった。
「次も嘘ついたら死ぬぞ」
そちらは戸張の嘘だった。男は戸張を睨んだまま数秒黙り、やがて諦めたように口を開く。
「外に二人いる。少し離れた場所で待機している」
「何のため?」
「周辺監視と、連絡が途切れた場合の報告だ」
「ほかは?」
「今日の作戦に参加している者は、それで全員だ」
今度は引っ掛かりがなかった。
「失敗した時の別の仕掛けは?」
「定時報告が途切れれば、外の二人が離脱する。それだけだ」
「分かった」
戸張はそこで質問を切り、さっき視線を逸らした男へ顔を向けた。
「亀山さん」
相手の表情が変わった。
「やっぱり知ってるじゃん」
捕まえた男へ視線を戻すと、今度は隠さず答えた。
「君を調べ直す過程で接触した」
以前、戸張へ接触して家族の情報まで持ち出した男は、この人物の部下だった。その部下が命令を外れて七人を雇い、戸張を襲わせたあと死亡したため、経緯を調べ直したらしい。
その調査で亀山の拉致未遂まで掘り起こし、現場から逃げた二人が後になって戸張を追ったこと、その後そろって自首していることまで拾っていた。
「それで、あの人?」
「ああ」
戸張に見られた男が吐き捨てるように言った。
「俺は現場には出てない。人を揃えただけだ」
「そういう仕事してるんだ」
「……何とでも言え」
謝る様子はなかった。戸張も謝罪を求めているわけではないので、そこで話を終えた。
最初に寄生させた男は、いったん身体の自由を失ったあと、少しずつ手足を動かせるようになっていた。戸張が拘束を解くと距離を取ろうとしたが、二歩目で脚が止まる。
「座ってて」
男は戸張を睨みながら、近くの椅子へ座った。
「武器を下ろせ」
男が周囲へ命じると、拳銃を持った者たちが銃口を下げた。命令には従ったものの、一人は最後まで銃を手放さず、戸張の動きを見ている。
「じゃあ次、そっち」
「何をする気だ」
「同じの入れる」
「ふざけるな!」
「だよね」
自分から順番を待ってくれるとは思っていなかった。
拳銃が上がった瞬間、戸張は一気に距離を詰めた。手首を外へ向けて銃口を逸らし、身体を押して床へ転がす。続けて警棒を振り下ろしてきた男の腕を取り、体勢を崩したところへ背後からナイフが来た。
頭を下げて刃を避け、手首を掴む。シートベルトを千切った感覚がまだ残っているため、力を入れすぎないよう押すだけでも妙に神経を使ったが、ナイフは無事に床へ落ちた。
その三人を押さえている間に、亀山の件へ関わっていた男が出入口へ走る。戸張は車の脇にいた運転手へ目を向けた。
「あ」
「止めて」
さっきまで戸張を拉致する側だった男が、今度は仲間へ飛びついた。
「何してる! 離せ!」
「……すみません」
「離せって言ってるだろ! お前まさか!」
「無理なんです!」
「ごめん。そのままお願い」
「はい……」
仲介役が戸張へ顔を向けた。
「お前、何なんだよ!」
「さあ? 一体なんなんでしょうねえ?」
今さら聞かれても困る。まあ、困るだけで悩む段階はとうに過ぎていたが。
戸張は男を受け取り、そのまま寄生させた。あとは倒した者から順番に処理し、口や鼻から白い糸を入れられた男たちは、時間が経つにつれて身体の自由を失っていく。
亀山の仲介役だけは、脚が動かなくなった途端によく喋った。
「待ってくれ、俺は雇われただけだ。今回の話だって全部知ってたわけじゃない。亀山の時も――」
「後で聞くから」
「金なら返す」
「俺もらってないよ」
戸張がそれだけ返すと、男はまだ何か言っていたが放っておいた。最後の一人へ寄生体を入れる頃には、先に済ませた男たちが再び手足を動かせる段階まで戻っている。
室内側はこれで終わった。残る外の二人を呼ぶため、戸張は助手席だった男へ声をかける。
「呼べる?」
男は青い顔のまま頷いた。
「普段通りで。俺のことは言わないで」
「……分かりました」
端末を取り出した男は、一度だけ別の言葉を口にしようとして喉を詰まらせた。そのまま諦め、外の二人へ連絡する。
「こっちは終わった。積み替えを手伝ってほしい」
数分後、建物の外へ車が止まった。入ってきた二人は室内の様子を見るなり足を止め、一人が近くにいた仲間へ顔を向ける。
「何があった」
「悪い」
「は?」
戸張が物陰から出る。
「どうも」
一人は外へ逃げ、もう一人は上着の内側へ手を入れた。逃げた方には寄生済みの男が回り込み、拳銃を抜こうとした方は戸張が押さえる。
元の仲間に捕まえられた男は状況が理解できず怒鳴っていたが、二人とも長くは抵抗できなかった。戸張はそのまま同じように寄生させ、現地に配置された人間を揃える。
念のため、最初の男と外にいた二人へ同じ内容を確認した。定時連絡以外の保険も、別に待機している人間も出てこず、寄生体からも嘘の反応は返らない。
ようやく近くの椅子を引き寄せる。周囲には寄生された人間が座り、戸張を睨んでいる者もいれば、自分の手足を何度も動かしている者もいた。
「……やったなぁ」
思ったより増えた。
この場にいる全員へ寄生させたこと自体は、もう考えても仕方がない。拳銃もナイフも出てきたうえ、一人逃がせば外へ連絡が飛ぶ状況だった。
問題は、この先をどうするかだった。
今回の連中を警察へ渡せば、事件としては終わる。亀山の時も、自宅近くで七人に襲われた時も、戸張はそこで止めてきた。
「あなたが捕まったら、俺の件は終わる?」
中国側の男に聞く。
「終わらない」
「別の人が引き継ぐ?」
「その可能性が高い」
どちらにも嘘の反応はなかった。それだけ聞けば、同じ処理を繰り返した先が見える。
七人を雇った部下は暴走だったとしても、その後を調べた上司が今度は自分から拉致へ踏み切った。亀山の件を拾い直し、戸張の家族についても以前から調べている以上、目の前の男を捕まえれば済む話ではなさそうだった。
自分一人なら、来るたびに止めるやり方でもよかった。だが、これからサチと師匠を外へ連れて出ることまで考えているのに、その二体と一緒の時に車が突っ込んでくる可能性を残すのは話が違う。
家族や亀山もいる。ANVILの人間を使えば戸張が動くと判断されれば、そこへ手を伸ばされる可能性もある。
その一方で、目の前の人間たちを見ていると、大樹との話で引っ掛かったものも戻ってきた。寄生体は戸張と過ごす中で、何でも一つへ取り込むのではなく、相手を相手のまま残すことを覚えている。
実際、寄生された男たちは戸張を嫌ったままだった。怖がる者も腹を立てる者もいて、中国側の男も椅子に座ったままこちらを警戒している。
その状態のまま、身体の一部だけを戸張の都合で縛れるうえ、今は本人が自覚してついた嘘まで拾えるようになった。
「便利すぎるな……」
使えるから使う、で済ませるには便利すぎた。
中国側の人間を片っ端から寄生させる必要はない。中国の仕事をやめさせるつもりも、日本へ情報を流させるつもりも戸張にはなかった。
なら、今回の件を決めた人間を確認し、そこで戸張や周囲へ手を出す判断が止まるなら、それ以上は触らない。さらに上から同じ命令が降りてきた時だけ、その指示元まで辿る。
それでも相手の自由を削ることには変わらないし、会ったこともない人間まで先回りして縛るのは違う気がする。だからといって何もしなければ、次に危険へ晒されるのが戸張本人とは限らなかった。
サチや師匠、家族、亀山、ANVILと、相手側の個をどちらも守れる方法があるならそれがいい。今のところ戸張が思いつけるのは、危害へ繋がる部分だけを狭く止めるやり方だった。
しばらく黙ったあと、戸張は中国側の男へ顔を向けた。
「今回のことを決めたの、あなた?」
「私だけではない」
寄生体から反応は返らない。
「じゃあ、その人には会える?」
「答えると思うか」
こちらも嘘ではなかった。本当に協力する気がないらしい。
「まあ、そうだよね」
戸張は椅子から立ち上がり、まだ自分を睨んでいる男たちを見回した。誰一人として味方になったわけではなく、身体の一部を止められても、そこは変わっていない。
「じゃあ、そこからかな」
今はそれでよかった。




