第387話 外出希望
身体の重さが抜けてきた頃、代わりに別の問題が頭の中で場所を取り始めた。小人の集落の端で木箱に腰掛け、少し離れたところにいる二体を見る。
サチは、小人から受け取った透明な水筒を両手で持っていた。水が動くたびに傾け、底へ顔を寄せたり、ひっくり返してまた戻したりしている。目も鼻も口もないので何をどう見ているのかは相変わらず分からない。その横では師匠が前脚を伸ばして伏せ、灰色に白の混じった頭を地面へ預けている。大樹からポチという名前を聞いたものの、俺の中では師匠の方がしっくりきてしまった。何度も転がされて、実際に戦い方まで叩き込まれた相手を今さらポチと呼ぶのも、何か違う気がする。
見ている分には平和である。これをそのまま地上へ持っていった場合を考えると、一気に面倒になるだけで。
外へ行きたいという話については、大樹にも改めて聞いていた。
「この二人、本当に俺についてくるつもりなんですよね?」
『そうみたいだね』
「外に?」
『うん。遊びに行きたいんだって』
あまりにも軽かったので、聞き方を変えて何度か確認した。ダンジョンの外、日本、俺が普段生活している側まで出たいという意味で合っているらしい。
『私がどこから来たのか、昔から気になっていたみたいでね。今の君たちの世界は、私が知っている頃とは随分違うようだし』
「それはまあ、分かりますけど」
理由自体は俺にも理解できる。知らない場所へ行ってみたいという話なら、人のことを言えた立場でもない。俺だって、それで九層の先まで来た。
「それで、サチって何歳なんです?」
『さあ』
「さあ?」
『時間の数え方が違うからね。ただ、年齢で言えば二人とも大人みたいなものだよ』
大人みたいなもの。便利な言葉をもらったところで、目の前にいるサチの身長が伸びることも、顔が生えてくることもなかった。
「いや、見た目がこれなんですよ。師匠はまだしも、サチをそのまま連れて歩いたら絶対目立つでしょう」
『まあ、人の側の事情があるとは分かるけど、戸張、君は少し慎重すぎるきらいがあるね。それだけの力があるのに、そこまで遠慮する必要はあるのかな?』
「いえ、力があるとは言っても外じゃ弱くなりますし」
『はは。そのくらいなら、その子が何とかできるよ。だから幸子もポチも外へ出られるんだからね』
「……そうなんです?」
『うん。周りと比較する機会が多ければ気づきそうだけど』
そこで大樹は少し間を置いた。嫌な予感がした時には遅かった。
『戸張、君は友達が少ないみたいだね』
「おおう、何という」
能力の話をしていたはずが、いきなり交友関係を刺された。しかも悪意がある感じでもなく、単純に比較対象が少ない理由を考えた結果らしいのが余計につらい。とりあえず、外へ出た途端にサチと師匠がどうにかなる心配は減った。大樹の言う「その子」が寄生体を指しているのなら、地上で弱くなる分を含めても維持できるらしい。
問題が一つ消えたので、集落へ戻ってから別の問題を考えることにした。水筒を持ったままのサチへ声をかける。
「サチ」
白い頭がこちらを向いた。
「人間っぽい姿に変わったりできる?」
サチはしばらく動きを止めた後、首を横へ振った。
「擬態は無理かぁ」
俺の白い群体も、形を誤魔化すだけならそれなりにやれる。ただ、細かいところは粗い。遠目の輪郭ならともかく、人間の顔を作って至近距離で通せと言われると話が変わる。目と鼻と口をそれらしく並べれば完成、というほど人間の顔は単純じゃないだろう。
「じゃあ服は?」
今度は頷いた。
「お、そこはいけるんだ」
サチが自分の身体を見下ろし、俺もつられて見る。肌に当たる部分も含めて色は綺麗な白のままだった。
「……色は?」
腕を指してから聞くと、サチは首を横へ振った。
「あぁ、そう。真っ白なのね」
服で胴体や手足の大半を隠せば、まだ何とかなるかもしれない。問題は顔と、腰近くまである白い髪だった。
「髪の毛も染められないよね」
また首が横へ動いた。まあ、そうだろうと思っていたし、染髪剤が通用する髪なのかというところから怪しい。
「長さは?」
今度は反応が違った。サチの腰まで伸びていた髪がするすると縮み、風もないのに漂っていた先端も一緒に短くなって途中で止まった。
「おっ。長さは調整できるのか」
大きく頷く。
「なんでそこだけ融通が利くんだろうな」
サチは答えず、試すように髪を少し伸ばしてから、また縮めた。本人にとっては当たり前のことらしい。白いのはどうしようもないとしても、長さを変えられるなら帽子やフードへ収めやすくなるので、髪については何とかなりそうだった。
残る最大の難物は顔である。帽子にサングラス、マスクまで全部装着したサチを頭の中に作ってみると、小学生くらいの身長で顔をほとんど隠し、帽子を深く被った女の子が出来上がった。その隣を歩いているのは三十歳の男である。
「……別方向にまずいな」
本人が大人相当だろうと、通行人に説明して回るものでもない。年齢を聞かれて「大人みたいなものです」と答えたら、サチより俺の方を確認される気がする。
仮面という手もあるが、白い群体の擬態で顔だけ作る案は細部の粗さを考えると厳しい。物理的に被せる方がまだ早そうで、視線を小人たちへ向けると、こちらに気づいた一人が首を傾げた。
「仮面……作ってはくれるだろうけど」
今まで作ってもらった装備や道具を思い返す。性能について心配したことはほとんどないが、人間の少女が街中で着ける仮面となると、別の方向で不安がある。
「ちょっと刺激が強いかなぁ」
何を想像しているのか知らないサチが俺の横まで寄ってきた。顔が必要だと思われている本人は、相変わらず顔のない状態で特に困っている様子もない。
サチで詰まったので、今度は師匠へ目を向ける。さっきから寝ていたはずなのに俺が近づくと片目だけ開き、耳まで一度動いた。
「師匠は……犬で通せる?」
こちらの意図を拾ったのか、師匠の姿がわずかに変わった。狼らしさが少し薄れ、大型犬と言われれば納得する人もいそうな輪郭になる。
「できるんだ」
これは思ったより希望がありそうだった。名前もポチだし、犬ですと言い張るだけならサチより百倍楽だと思ったところで、師匠が立ち上がる。
「……大きさがなぁ」
狼っぽさが減っても、でかいものはでかかった。俺の知識にある大型犬と並べてもかなり上へ行きそうで、どの犬種なら説明がつくのかまでは出てこない。
「ウルフドッグと……でかい犬種のミックス?」
何と何を混ぜればこの大きさに届くのかは、地上へ帰ってから検索するとしておく。師匠は犬に見えるかどうかという俺の悩みなど気にせず、その場で一度身体を震わせると元いた場所へ戻って伏せた。九層で俺を散々転がした相手が「大型犬のミックス」で済まされようとしている件について、本人から異議は出ていない。
サチは服と髪の長さ、それに帽子あたりまで使えばかなり隠せそうで、師匠も大型犬ということにして押し切れる可能性が出てきた。そうなると、結局またサチの顔へ戻ってくる。
「政府に相談……」
口に出しかけたところで止めた。普通なら村瀬に話を持っていくのが早いし、人として扱うのかダンジョン生物として扱うのか、その先はこちらが考えるより制度側へ投げた方が確実だ。
ただ、サチと師匠がどこから来たのかを説明すると九層へ辿り着く。どうして外へ出られるのかを聞かれれば寄生体へ触れ、二体へ寄生していることまで話せば、俺が外で何をできるのかという話にもなる。さらに白い群体まで繋がれば、アメリカのスタンピードで出てきたホワイトスウォームとの関係まで無関係では済まなくなる。
「これは駄目だな」
相談一つのために開ける箱が多すぎる。服と仮面をどうするかという段階で持ち出す話でもないので、政府という案はいったん頭の外へ追い出した。
サチを見ると、さっき返したはずの金属製の留め具をまた借りていた。何が面白いのか、開いて閉じて、角度を変えて眺め、また開いている。その横では師匠がとうに犬っぽい姿をやめ、前脚へ顎を載せて目を閉じていた。二体とも外へ行くことについて悩んでいる様子はさっぱりなく、いろいろ考えているのは俺だけらしい。
「……どうしようかなぁ」




