第386話 一列で足りる
相沢千紘が異常空間回収品管理班へ異動してきた頃、通路に箱が置かれているのは珍しくもなかった。撮影待ち、登録待ち、研究先確認待ち、所有者確認待ちと理由は違っても、とにかく置く場所が足りず、側面へ貼られた紙を読みながら目的の箱を探すだけで時間を取られていた。
今、その通路には何も置かれていない。床に引かれた黄色い線も端から端まで見えていて、台車同士がすれ違うたびに片方が後退する必要もなくなっていた。
「いいですね」
相沢が言うと、隣の机で返却品を確認していた大森が顔を上げた。
「何が」
「床が見えます」
「床は前からあったぞ」
「知ってますよ。存在を確認できるようになったんです」
大森は一度通路を見てから、また端末へ視線を落とした。
「床で感動できるなら、だいぶ安上がりになったな」
忙しさそのものが消えたわけではなかった。探索者の増加に合わせて魔石や装備は増え続け、由来不明品、新規ドロップ、研究機関から返ってくる検査済みの回収品も毎日のように届いているが、それを処理する側は以前とだいぶ違っている。
管理班は増員され、他部署と兼務していた職員の一部も専任へ移った。受け入れ、撮影と管理番号登録、所有権確認、研究機関との連絡、返却と保管を一人が行ったり来たりしていた状態から、それぞれを複数人で回せる形へ組み直されている。
部屋も増えた。隣接していた倉庫の一部が管理班用へ転用され、冷蔵設備と隔離保管区画が追加されたうえ、撮影台も一つから三つになっていた。
「相沢さん、これ写真差し替えです」
増員で入ってきた職員が端末を見せた。確認してから動くことが多い人物で、最初の頃は一件ごとに相沢へ聞きに来ていたが、最近は自分で手順書を開き、判断が分かれるところだけ持ってくる。
「何か変わった?」
「研究所から返却された時に固定具が外されています。現状写真も付けた方がいいかと思って」
「お願いします。前の写真も残してください」
「分かりました」
職員が撮影台へ向かったあと、相沢は別の机へ目を向けた。保管担当は回収品そのものより棚番号を見ていて、箱の中身に興味がないわけではないらしいが、彼にとって未知の剣も正体不明の石も、まず何センチの棚を占有するかが重要だった。
「Bの十二から十六、今日の返却が終われば空きます」
「五棚も?」
「四棚です。十三は指定希少品が入ります」
「今、一瞬すごく幸せだったのに」
「入る物が決まってる棚を空きとは呼びません」
「夢くらい見させてくださいよ」
以前なら、こんなやり取りをしている間にも内線が鳴っていた。昼前にはその日の一般搬入分が予定どおり処理され、研究機関から来ていた照会にも返信が終わり、午前中のうちに所有者へ返却できた物も三件ある。
相沢は端末右上の未処理件数を見た。数字そのものは多いが、何日も手を付けられず埋もれていた頃とは中身が違う。
「追いついてきましたね」
今度は大森も否定しなかった。
「人も増えたし、場所も増えた。仕事の流れもやっと決まってきたからな」
「最初からこの人数いたら、私あんなに残業しなくて済んだんじゃ」
「最初から必要人数が分かる新設部署なんて、俺は信用しない」
「それ、今だから言えるやつですよね」
課長補佐が二人の後ろを通りかかり、会話だけ拾った。
「余裕が出たなら午後の旧登録品整理を手伝ってください」
「余裕が出たとは言ってません」
「床を見て喜んでいたそうですね」
相沢は大森を見る。
「言いました?」
「俺は何も」
「聞こえていました」
課長補佐はそのまま奥の打ち合わせスペースへ入り、数分後には相沢の午後の予定表へ旧登録品整理が追加されていた。抗議するほどの仕事量でもなくなっているところが、余計に腹立たしい。
もっとも、一か月前なら旧登録品を見直す時間自体が取れなかった。初期に一括して魔石扱いされた硬質物、由来階層の記載が足りない素材、所有者との連絡が止まった回収品を、現在の登録項目へ合わせて整理し直す作業がようやく始められている。
相沢は保管棚から一箱取り出し、古い写真と現物を見比べた。撮影台では別の職員が管理番号を読み上げ、その奥では研究連絡担当が返却日の調整をしており、誰か一人が全部を抱える以前のやり方からは、ずいぶん遠くまで来ていた。
その状態に慣れ始めた頃、政府から新しい通知が回ってきた。数日前に公表された自衛隊の高階層調査の進展に合わせ、各地の自衛隊側施設で保管していた六層由来資材を、中央の管理系統へ順次送付し、研究機関へ振り分ける運用へ移すという内容だった。
公表では、複数のダンジョンで五層突破後の活動が継続され、一部では六層の調査と資材回収を反復できる段階まで進んでいることが示された。詳細な場所や部隊、具体的な戦闘内容は伏せられていたものの、六層到達そのものを極一部だけが知る情報として扱っていた時期からは一段進んでいる。
相沢も通知には目を通していた。初回は管理側の受入能力を見るため搬入量を抑え、その処理状況を確認しながら対象を広げると書かれていたので、少なくとも最初から倉庫が埋まるようなことにはならないだろうと考えていた。
午後三時を過ぎた頃、搬入口から内線が入った。研究所から二箱届く予定は入っていたので、相沢は撮影担当へ一声かけてから受け入れ確認へ向かった。
「管理班、搬入です。受け入れ確認お願いします」
「今日、大きいのありましたっけ」
相沢が立ち上がると、大森が予定表を開いた。
「研究所から二箱」
「じゃあ私行ってきます」
搬入口の扉を開けると、研究所の配送車とは違う車両が二台停まっていた。自衛隊側の輸送車両で、荷台から規格の揃った保管ケースが順番に降ろされ、担当隊員が搬入票と側面番号、封印状態を一つずつ照合している。
「……今日でしたっけ」
「先行分です」
隊員は相沢の所属証を確認してから搬入票を渡した。話し方は短いが、受領者、封印、保管温度の確認だけは順番を崩さない。
「六層由来資材です。複数の調査地点から集約しています」
相沢は一枚目から順に目を通し、途中でページを戻した。採取したダンジョンを示す管理コードが途中で変わり、さらに先では別のコードが記されている。
「これ、一か所じゃないんですね」
「はい。今回の対象は複数です」
ケース側面には採取地点、回収時刻、仮分類、保存条件が揃っており、中身も場所ごとに大きく違っていた。硬い殻を切り分けた物や乾燥させた植物質のほか、液体を封入した容器、筋束に似た組織、薄い膜状の素材、加工前の骨格らしき部位まであり、同じ六層という区分だけでは共通点を探す方が難しい。
搬入票のページ数も、予定していた研究所の二箱とは比べものにならなかった。相沢が最後までめくって件数を確認すると、隊員が先に答えた。
「今回分で三十二件です」
「三十二」
「比較試料を個別登録する場合は増えます」
相沢が荷台へ視線を移したところで、戻りの遅さを気にした大森が搬入口まで来た。車両と並んだケースを見て足を止め、そのまま相沢から搬入票を受け取る。
「研究所の二箱は?」
「まだ来てません」
「じゃあ、これは」
「六層です。複数」
大森は件数には反応せず、青印と赤印の数を確認してから各ケースの寸法を見た。
「B列だけじゃ入らんな」
「朝、四棚空くって言ってましたよね」
「忘れろ」
「今日だけで夢の寿命短すぎません?」
課長補佐も搬入口へ降りてきた。並んだケースを見て一瞬だけ足を止めたものの、すぐ搬入票へ目を移す。
「緊急検査指定は?」
「七件です」
「研究先指定済みは?」
「十二件。残りは一次登録後に振り分けをお願いします」
「冷蔵品から入れてください。赤印は第二撮影台へ。一般保管分は新保管室を使います」
課長補佐がその場で担当を振り分けると、増員された受入担当と撮影担当が台車を押して集まった。以前のように部署中の人間が搬入口へ呼ばれることもなく、ケースは順に中へ運ばれ、番号が読み上げられて仮登録へ回っていく。
自衛隊側の書類も以前より揃っていた。六層での回収が一回限りだった頃とは違い、各隊とも採取位置や保存方法、同種試料の分け方を覚えてきており、管理班から何度も出した「現地でここまで記載してほしい」という要望も反映されている。
「二一八一、受領」
「確認」
「二一八二、採取位置データあり。研究先未指定」
「保管C七」
「二一八三、冷蔵」
「そのまま第三保管室」
相沢も途中から登録端末の前へ座った。一時間ほど経つ頃には搬入口にあった箱の大半が所定の場所へ移り、新しく入った職員が入力を続ける横で、保管担当が空き棚を埋め、研究連絡担当は二件の受入先をその場で確定させていた。
未処理件数は搬入前より増えている。それでも、昔のようにどこから手を付ければいいか分からなくなる数字ではなく、相沢は隣で承認を続ける大森へ声をかけた。
「……うち、ちゃんと部署になりましたね」
「今まで何だと思ってたんだ」
「災害現場?」
「給料出てただろ」
「災害現場だって給料出ますよ」
最後のケースが台車へ載せられ、二台目の荷台まで空になる頃には、新設した保管区画の使用率も更新されていた。相沢が第二保管室を確認すると、午前中に喜んだ四棚は消えていたものの、増設分まで含めればまだ余裕が残っている。
「意外と入りましたね」
「増設したからな」
「一列増やしたの、正解だったじゃないですか」
大森も棚の使用率を見た。
「これなら次が来ても多少は――」
搬入担当の隊員が受領確認の書類を一枚差し出した。相沢が押印して返すと、隊員は内容を確かめたあと、今度は別の予定表を取り出す。
「今後の搬入予定についても通知があります。今回、各隊で保管している六層資材の中から、研究優先度が高い物を先に送っています」
「これで?」
「管理側の負担を考慮して、初回分はかなり絞っています」
相沢は横にいる大森を見た。大森も今度は棚ではなく、隊員の持っている予定表を見ている。
「かなり?」
「はい。受入状況に問題がなければ、次回から対象を広げます」
「各隊って、どのくらいの頻度で六層へ?」
「部隊ごとに違います。継続して資材を確保できる地点は増えていて、活動回数も今後増える予定です」
隊員は予定表の下段を示した。
「中央への送付も、順次定期便へ移行します。現在の保管量だけでなく、今後回収する分も対象です」
今日届いた三十二件は、各地の倉庫に溜まっていた六層資材をまとめて運んだ量ではなかった。これから継続的に増えていく物の中から、管理班の処理能力を考えて選ばれた最初の分だった。
「大森さん、一列で足ります?」
大森は第二保管室の使用率を表示したまま、同じ説明を聞いていた課長補佐へ顔を向けた。課長補佐はすでに施設関係の申請画面を開いている。
「隣の倉庫、まだ半分空いてましたよね」
「総務と話してきます」
「取れるんですか?」
「取ります」
相沢は朝、床が見えるだけで喜んでいた自分を思い出した。ニュースで聞いた時には実感の薄かった「自衛隊の六層探索が安定しつつある」という言葉が、三十二件の搬入票と次回予定表を通すと、嫌になるほど分かりやすかった。
「……順調って、こういう形で来るんだ」
大森は来月以降の搬入予定を開きながら、相沢の方を見もしなかった。
「もっと実感できるようになるぞ」
相沢はその画面だけは見ないことにした。




