第373話 俺たちのこと
管理者を名乗る青年の笑みが消えた。
白い世界の中で、彼の身体だけが僅かに前へ傾く。大きく構えたようには見えないのに、さっきまでとは明らかに空気が変わっていた。
右手を腰の刀剣へ添えたまま、俺も重心を落とす。
「最後に聞きます」
青年の声は静かだった。
「本当に、その生物を渡すつもりはありませんか」
「……今の話だけでは、決められません」
「そうですか」
青年が片手を上げると、白い空間の一部が歪んだ。反射的に身体を横へずらした直後、さっきまで立っていた場所が深く抉れる。
何をされたのか見えなかった。
次の攻撃へ備えて刀剣を抜いたところで、頭の中へさっき聞かされた話が入り込んできた。
奴の言っていることが、本当だったら。
最初に寄生体を手に入れた頃、何の知識もないままダンジョンへ潜り、高揚感に任せて奥へ進んでいた。怖さはあったし、実際に死にかけてもいる。それでも俺は、またダンジョンへ潜った。
コボルトと戦った頃にも、似た感覚があった気がする。危険な状況だと分かっていたのに、どんどん奥へ進んでいった。
寄生体へ好意を持つようになったのは、いつからだったか。
最初は体内へ入り込んだ正体不明の生物だった。それが少しずつ便利になり、命を助けられ、反応まで分かるようになった。中盤に入ってからは感情も以前より読み取りやすくなり、俺はその変化を都合よく成長だと解釈していた。
白い群体や寄生個体を増やし、核を吸収して、危険な能力でも使えるなら使った。
そこまで考えたところで、別の疑問が浮かんだ。
俺は、昔からこんなに独り言が多かったか。
喉の奥が詰まり、吐き気がした。
まさか、という考えが頭から離れない。
青年が動き、白い地面が盛り上がった。細長く伸びてきた塊を刀剣で横へ払うと、硬いものを断った感触が腕へ返ってくる。
切れる。
少なくとも、戦えない相手ではなかった。
だが今は、身体より頭の方がまともに動いていない。次の一撃を避けたところで、思わず声を上げた。
「ちょっと待ってくれ! いや、待ってください!」
青年の動きが止まり、伸びていた白い塊も形を保ったまま静止した。俺は距離を取り、呼吸を整える。
「驚いた」
「何がですか」
「完全に呑まれているわけではない?」
その言葉で、また頭の中が乱れた。
体内の寄生体へ意識を向けてみても、動きはない。俺が止まったからなのか、何かを察しているのかも分からず、普段より静かなことまで怪しく見えてくる。
「少し考えさせてください」
「どうぞ」
青年はあっさり答え、攻撃の構えを解いた。
身体の動きを止めたことで、ようやく考える方へ意識を回せるようになった。
確かに、彼の説明には筋が通っている。俺が経験してきた変化へ後から理由を付ければ、かなりの部分が繋がった。
寄生体は俺を守り、その力を使って群体を増やした。感情も以前より分かるようになり、俺はそれらを受け入れてきた。最終的には宿主の精神へ干渉する生物だと言われれば、物語としては出来すぎなくらい綺麗に繋がる。
だからこそ、疑問が残った。
それが事実なのか。
そもそも、事実である必要があるのか。
目の前の青年が俺を殺し、その後で寄生体を処分するつもりなら、先にこちらを疑わせるだけでも意味はある。逆に、わざわざ言葉で交渉していること自体は、信用できそうな材料にも見えた。
どちらにも取れる。
今度は、青年自身へ意識を向けた。
こいつは管理者と名乗った。この場所を管理し、もっと深い階層まで用意するつもりだったとも言っている。
それほどの権限を持っているなら、どうして俺とこうして話している。
どうして寄生体を差し出すよう求める必要がある。
本当に何でもできるなら、俺をこの白い場所へ呼び込んだ時点で終わらせればいい。それをしない以上、できることに何か制限があるのかもしれない。
管理者という肩書き自体が偽物という可能性もある。
逆に、管理者なのは本当で、その権限が俺の想像より遥かに狭いだけかもしれない。
結局、何も証明できなかった。
寄生体について語った内容が嘘だとも、青年が本物だとも言えない。考えれば考えるほど、どちらにも転べる材料ばかりが増えていった。
そこで、ようやく別のところへ目が向いた。
そもそも、それが何だ。
俺は何を考えてここまで来た。何がしたくて潜り、今まで何を見てきた。
何度も死にかけ、そのたびに寄生体だけではなく、白い群体や寄生個体、小人たちにも助けられた。俺自身が勝手に先へ進み、危険へ首を突っ込んだことだって幾らでもある。
それも全部、精神を操作されていたからなのか。
可能性はある。
違う可能性だってある。
今の俺には分からない。
だが、それを今日初めて会ったこいつに決めてもらう理由はどこにもなかった。
ここまで積み上げてきたものを、一度の説明だけで全部ひっくり返す。今まで見てきたものも、選んできたものも、倒れていったものも、最初から寄生体に操られていただけだったと受け入れる。
冗談じゃない。
乱れていた考えが、ようやく一つの方向へまとまり始めた。
寄生体が本当に危険なのかは、まだ分からない。こいつが嘘をついている証拠も見つけられていない。
それでも、なんでぽっと出の奴に、俺たちのことを決めつけられて、そのまま頷かなきゃならない。
俺たち。
自分でそう考えたことに少し引っかかったが、否定する気にはならなかった。
青年が口を開く。
「やっぱり無理そうだね」
白い地面が動き、上から大きな塊が振り下ろされた。今度は止まる気配がなく、俺は横へ避けながら刀剣を抜いたまま距離を取る。
思考はまだ完全にはまとまっていないし、疑いも消えていない。
それでも、戦う覚悟だけは決まった。
何を信じるかまで、ここへ来て初めて会った相手に決めてもらう必要はない。
俺は刀剣を構え直した。




