第372話 管理者
ドラゴンの上半身が消えた後も、しばらくは宝の山が崩れる音だけが続いていた。俺は花弁を閉じ、身体へ集めていた白い資源を少しずつ戻していく。
通路を埋めていた白い群体も厚みを取り戻し、寄生個体が広間の左右へ散った。宝の山へ沈んだドラゴンの下半身には動く様子がなく、念のため白い小型個体を近づけても反応はない。
「本当に終わったのか」
近づいて残骸を確認すると、腹部の奥に硬いものが残っていた。花弁の攻撃で頭部から胸部までは消えているが、核はそれより下にあったらしい。
白い糸を傷口から入り込ませ、肉の間へ埋まった核を引き出す。掌へ載せると、これまで深層で回収してきたものより明らかに大きかった。
「ドラゴンだもんな」
見た目だけで特別扱いするのもどうかと思ったが、持ち帰って眺める理由もない。核を握り、寄生体へ渡した。
硬質な表面が少しずつ崩れ、伸びた白い糸の中へ取り込まれていく。吸収が進むにつれて身体の奥へ重い感覚が広がったものの、何を得たのかまでは分からなかった。
その場で跳んだり殴ったりして確かめる気にもならず、核が完全に消えたところで宝の山へ視線を戻す。少し離れた場所には、見覚えのある箱が現れていた。
同時に、広間の奥には新しい扉も立っている。ドラゴンが眠っていた時には見当たらなかったため、撃破を条件に出てきたと考えてよさそうだった。
まずは宝箱を確認する。
蓋を開けると、中には真っ黒な液体の入った小瓶と、鞘に収められた刀剣が入っていた。
「またこれか」
黒い小瓶は、九層で手に入れたものと外見がほとんど変わらない。最初の一本すら用途が分からず残してあるため、二本目だからと試す理由もなく、布で包んで収納へ入れた。
刀剣の方を鞘ごと持ち上げてみる。
断骨刀よりかなり小さく、片手で扱える長さだった。鞘には黒に近い金属と白い素材が組み合わされ、細かな紋様が刻まれている。
腰へ固定するための金具や帯まで一式揃っていたため、少しだけ刀身を抜いてみた。銀色とも白色とも言い切れない刃が現れ、見る角度によって表面の深さが変わるように見える。
「伝説の剣とか言われても信じるぞ、これ」
頭へ名前が浮かぶことも、使い方が流れ込んでくることもなかった。鞘へ戻して付属の固定具を使い、腰へ下げる。
断骨刀ほどの大きさなら背負う必要があるが、これなら普段の動きを邪魔しにくい。短柄の戦斧と使い分ける余地もありそうだった。
残るのは、広間の奥へ現れた扉だった。
ドラゴンとの戦いは、想定していたより遥かに早く終わっている。花弁へ大量の白い資源を使ったとはいえ、群体そのものを失ったわけでもなく、身体にも大きな負傷はなかった。
「あっさりしすぎたな」
白い群体と寄生個体の反応を確認しながら扉の前まで歩き、取っ手へ手を掛ける。
「行けるところまで行くか」
扉を開いた途端、世界が白くなった。
強い光を浴びた感覚はない。壁も床も天井も、さっきまで背後にあった宝の山まで、色ごと白へ塗り潰されたように姿を消していた。
反射的に周囲へ意識を広げたところで、脳内地図を埋めていた無数の反応が途切れていることに気づく。白い群体も寄生個体も、一体として感じ取れなかった。
それでも体内の寄生体との繋がりは残っていた。白鎧も解除されておらず、腰へ追加したばかりの刀剣もそのままある。
「……また変なの来たな」
足元へ白い糸を伸ばしてみると、何もないように見える場所へ触れた。目には映らなくても、立っている床そのものは存在しているらしい。
少し先には白以外の色があり、一本の巨大な樹木が立っていた。幹も枝も白を基調としているが、葉には淡い緑が混ざっている。
果ての見えない空間の中で、その木だけが明確な輪郭を持っていた。根元には人間に近い姿があり、距離を縮めるにつれて細部が見えるようになる。
若い男だった。
日本人ではない顔立ちで、整いすぎているくらいに整った顔をしている。明るい色の髪に、白を基調とした簡素な服を着ていた。
男はこちらへ気づくと、軽く片手を上げた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
思わず返した。
日本語であることに気づくまで、少し時間が掛かった。ドラゴンの次に何が出てきても驚かないつもりだったが、知らない空間で美形の外国人青年から流暢な日本語で挨拶される展開までは考えていなかった。
物語なら、こういう場所で待っているのは神様か、それに近い存在だろう。少なくとも最初から喧嘩を売る相手ではなさそうなので、俺は自然と話し方を改めた。
「初めまして。戸張透さん」
「……私のことをご存じなんですね」
「もちろん。ここまで来た人ですから」
こちらが敬語へ切り替えると、青年は少しだけ笑った。
「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ」
「いえ、まあ……どういう方か分からないので」
「それもそうですね」
青年は大樹の幹へ背を預けた。
「簡単に言えば、私はここの管理者です」
「管理者」
「あなたたちがダンジョンと呼んでいるものを管理しています。全部ではありませんけど、少なくともあなたがここまで進んできた場所については、私の担当です」
思ったより、そのままの答えが返ってきた。
「それで、私はどうしてここに?」
「予定外だったからです」
「予定外?」
「本来は、もっと先を用意する時間があるはずでした」
青年は困ったように笑った。
「もう少し深い階層まで整えてから、あなたが到達する予定だったんです。ところが、思っていたより随分早かった」
「整える?」
「そのままの意味です。準備が追いつかなかったんですよ」
冗談を言っているようには見えなかった。
「最初は不正を疑いました」
「不正ですか」
「ええ。正規の進行では説明がつかない速度でしたから。何か仕組みの穴を利用しているのか、外から想定していない干渉を受けているのか」
青年の目が、俺の身体を上から下まで見る。
「でも、直接会えば分かりますね」
青年が片手を持ち上げ、人差し指をこちらへ向けた。正確には、俺の胸の辺りを指しているように見える。
「それが原因だったんだね」
胸の奥で、寄生体が僅かに反応した。
「……これですか」
「そうです」
青年の表情から笑みが薄れた。
「まだ持っていたんですね」
言い方が変わった。
「何かご存じなんですか」
「知っていますよ。だから、少し困っています」
青年は大樹から背を離した。
「それは、かなり危険な生物です」
白い世界の中で、青年の声だけがはっきりと聞こえる。
「宿主を利用して増える。最初のうちは、むしろ役に立つでしょう。身体を補強して、傷を塞いで、危険から守る」
思い当たることは多かった。
「宿主が生きていた方が、自分にとって都合がいいからです」
青年は俺の反応を確かめるように、少し間を空ける。
「成長すれば、宿主の感情を学びます。何を好むか、何を嫌うか、どういう姿なら安心するか。どういう反応をすれば、自分を手放そうとしなくなるか」
体内の寄生体へ意識を向けてみたが、普段と変わるような反応は感じられなかった。
「やがて、自分の一部をほかの生物へ広げ始める。その段階まで行けば、宿主本人には止めにくいでしょう」
「……」
「最終的には、可能な限り多くの生物を自分と同じものへ変えます。全部を一つへ繋げる、と言った方が近いかもしれません」
ここまで増やしてきた白い群体や寄生個体、各階層へ残している個体たちが頭に浮かんだ。青年の話へ当てはめれば、思い当たる材料はいくらでも出てくる。
「広がり切るまでは、牙を見せません。宿主に捨てられれば困りますから」
「それで、広がった後は?」
「必要がなくなる」
青年は短く答えた。
「自分に都合の悪い判断を宿主がしようとすれば、精神にも触れます。考え方を少し変える程度なら難しくありません」
「精神を操作するんですか」
「いきなり別人へ変えるようなものではありませんよ」
青年は片手を振った。
「怒りや不安を強くする。逆に警戒心を弱める。普段なら選ばない行動を、その時だけ選びたくなるようにする。その程度でも、人間を誘導するには足ります」
頭の中で、これまでの行動を順番に拾ってみる。
危険だと分かっている場所へ何度も潜り、群体を増やし、核を吸収してきた。寄生体の能力を信用して使い続けたことまで含めれば、青年の話へ結びつけられる出来事はいくらでもある。
その一つ一つを、自分で決めたと言い切れるのか。
考え始めると際限がなさそうだったため、一度息を吐いて青年を見る。
「それを、今ここで私に教える理由は?」
「まだ間に合うからです」
青年は右手をこちらへ差し出した。
「その生物を私へ渡してください」
「渡す?」
「ええ。あなたから切り離します」
「それで私は?」
「帰れます」
「寄生された個体たちは?」
「こちらで処理します」
青年は穏やかな表情へ戻っていた。
「素直に差し出してくれるなら、あなたまでどうこうする理由はありません」
すぐに答えは出なかった。
寄生体を手放すという言葉自体は簡単でも、これまで何度死にかけた時に助けられたかは数え切れない。今の身体も、白い群体も、寄生個体も、こいつがいなければ存在していなかった。
それ自体が相手の言う誘導だった可能性まで考えれば、今の俺には確かめる手段がない。青年は急かすこともなく、差し出した手をそのままにして待っていた。
「まあ、難しいだろうね」
そこで、青年の口調が変わった。
「さっきも言ったけど、もう精神を操作されているだろうから」
差し出されていた手が下がる。
その言葉を聞いたところで、考えるのを止めた。白鎧へ力を回しながら右手を腰の刀剣へ添えると、青年もこちらの動きを見て姿勢を変えた。
先ほどまで残っていた笑みは消えていた。




