第370話 合格らしい
九層の広間へ通うようになってから、かなりの日数が経っていた。何度目になるのかは、もう数えていない。
装備を直し、九層まで潜り、少女型の手招きに応じて老狼の前へ立つ。叩きのめされれば群体に運ばれて帰り、また装備を直す。
最初の頃は、それだけだった。老狼が踏み込めば見失い、蔓へ意識を向ければ前脚で崩され、身体を追えたと思えば花弁の攻撃が別方向から飛んでくる。
こちらが覚えた動きは、次に行くと通じなくなる。戦斧を当てられるようになれば間合いを変えられ、白い糸で進路を塞げば、塞がせた上で別の方向へ誘導された。
それでも、少しずつ変わってきていた。
老狼が動く前の重心が見えるようになり、蔓を使う前には身体のどこへ力が入るのかも分かる。空中の糸を踏む場所も、以前なら老狼が消えてから探していたが、今は視界の端へ残せるようになった。
勝てるとは思っていない。ただ、戦いにはなっていた。
白鎧の左肩を老狼の前脚が掠める。身体を捻って衝撃を外し、そのまま短柄の戦斧を下から振り上げた。
老狼は首を引いて刃を避け、背中から伸びた蔓を二本こちらへ向ける。俺は一歩下がったが、花は開かなかった。
残った二本の蔓が床へ伸びたのを見て、今度は前へ出る。老狼の身体が浮き、床を叩いた蔓の反動でこちらの右側へ抜けようとした。
以前なら、そのまま追わされていた。
今回は先に身体を回し、白い糸を張る。老狼の前脚が糸へ触れ、その一瞬だけ速度が落ちた。
戦斧を振る。
刃が白い外殻へ触れ、硬い感触が両腕へ伝わった。浅い傷が一本残り、老狼は着地すると同時に距離を取る。
俺は追わなかった。追えば崩されることは、何度も身体へ叩き込まれている。
老狼もすぐには来なかった。互いに数歩分の距離を空けたまま動きを見ながら、俺は息を整えて戦斧を構え直す。
「まだまだ」
答えが返るとは思っていない。
老狼の前脚が僅かに動いたため、次の踏み込みへ備えて腰を落とした。だが、そのまま待っても老狼は来なかった。
「……ん?」
老狼は頭を上げ、構えを解いた。四本の蔓も力を失い、そのまま背中側へ垂れていく。
俺が戦斧を構えたまま待っていても、老狼は少女型の方へ歩き始めた。
時間切れなのか。それとも、こちらが何か変なことをしたのか。
老狼は少女型の前まで戻ると、いつもの位置へ腰を下ろした。入れ替わるように少女型が立ち上がり、こちらへ身体を向ける。
少女型は両腕を頭の上まで持ち上げ、そのまま左右から丸く曲げた。
大きな〇だった。
「……丸?」
少女型はその姿勢を維持している。俺を見る顔には、相変わらず目も口もない。
それでも、ここまで何度も稽古を繰り返してきた後で見せる仕草なら、意味の候補はそう多くなかった。
「合格とか、そんな感じか?」
返事はなかった。
少女型は腕を下ろし、老狼もこちらを向いている。これまで老狼に勝ったことは一度もなく、今日だって互角だったとは思わない。
攻撃を何度か凌ぎ、こちらからも刃を届かせられるようになっただけだった。それでも、最初の頃のように一方的に転がされる状態からは、明らかに変わっている。
向こうが稽古をつけているつもりだったのなら、何かしらの基準へ届いたと考える方が自然だった。
「じゃあ、終わりってことか」
少し拍子抜けした。
終わってほしいと思った日は何度もある。老狼の影を見るだけで身体が構えそうになった時期もあったし、装備を直して翌日にまた九層へ向かう自分へ疑問を持ったこともあった。
いざ終わるとなると、何と言えばいいのか分からない。礼を言うべきなのか、それ以前に礼が通じるのかも分からなかった。
戦斧を下ろしたところで、少女型の白い髪が持ち上がった。先端が幾つにも分かれて小さな花の形へ開き、老狼の背中でも四本の蔓先に同じ花が咲く。
傍にいた純白の二体が少女型へ寄った。
見慣れた終了の手順だった。
少女型は花を自らの首元へ向け、老狼も四つの花を自分の頭部と胴へ向けた。次の瞬間、花弁が開く。
少女型の首から上が円形に消え、白い髪と身体の一部まで一緒に削り取られた。ほぼ同時に老狼の頭部と胸元も消え、純白の二体も少女型の攻撃範囲へ入る。
全ての反応が途絶えると、背後で巨大扉が動き始めた。石の擦れる音も、自害の後に扉が開く流れも、これまでと変わらない。
稽古を始めた理由も、俺に何を覚えさせたかったのかも、さっきの〇が本当に合格を意味していたのかも分からなかった。
結局、最後まで説明らしい説明はなかった。俺は戦斧を持ち直し、開いた扉へ向かった。




