第363話 断り方
戸張がダンジョンに潜ったり、師匠にボコボコにされている最中の話。
互助会で「草色ジャケット」と名乗っている男は、弟から相談があると言われた時、金の話だと思った。高校生が兄へ持ち込む相談など、欲しい物を親へどう説明するか、門限を少し延ばせないか、その辺りだろうと考えていた。
実際には、夕食後に自室へ来た弟が、スマートフォンを握ったままベッドの端へ座った。
「で、何やらかした」
「まだ何もやってねえよ」
「まだって付けると、一気に怪しくなるな」
「そういうのいいから」
弟は画面を伏せたまま、少しだけ声を落とした。
「バイトに誘われてんだけど、断り方考えてほしい」
「断ればいいだろ」
「それができたら聞いてねえ」
「じゃあ、親に止められたって言っとけ」
「その後も毎日顔合わせるんだよ。学校で」
言われて、草色ジャケットは口を閉じた。
大人から見れば、危ない相手とは離れればいい。それで話は終わるが、学校は毎日同じ教室へ入り、同じ廊下を使い、同じ友人の輪へ混ざる場所だった。一度こじれれば、卒業まで逃げ場がなくなることもある。
「誘ってきたの、友達か」
「同じクラス。友達っていうか、まあ、普通に話す奴」
「断ったら殴ってきそうな奴?」
「そんな感じじゃない。だから困ってんだよ」
「一回断った?」
「家の用事あるかもって言ったら、日を合わせるって」
「熱心だな」
「人数が足りないらしい」
弟はスマートフォンを表へ向けた。
メッセージには、半日で終わること、装備は借りられること、危険な作業は大人が受け持つことが書かれていた。初回は見学でもいいらしい。
その下に示された金額を見て、草色ジャケットは眉を上げる。
「半日でこれ?」
「だから怪しいと思ってんだよ」
「思ってるなら行くな」
「行かねえって。角が立たない断り方を聞いてんの」
「親にバレたでいいだろ」
「まだ話してないのに?」
「今日話して、明日から事実にする」
「兄ちゃん、そういう時だけ雑だよな」
「使える嘘は、なるべく本当にしといた方が楽なんだよ」
弟が呆れたように息を吐くのを横目に、草色ジャケットはメッセージを上から読み直した。
「何を運ぶんだ」
「袋とか箱って言ってた」
「どこで」
「集合場所から車で行くって」
「住所は?」
「知らない」
「何時間乗る」
「そこまでは聞いてない」
「スマホは?」
「預ける。撮影されたら困るからって」
「怪我したら?」
「薬があるから、病院は行かなくていいって」
答えが出るたび、嫌な形が整っていった。弟もそれに気づいているのか、途中から声が小さくなっている。
「大人が先に危ないのを片づけるって、何を片づけるんだ」
「……敵」
「何の敵だよ」
弟が目を逸らした。
「たぶん、ダンジョン」
草色ジャケットは画面から顔を上げた。
「ダンジョン案件かよ」
「だから声でかいって」
「いや、そこ最初に言えよ」
「言ったら話聞かないで、すぐ警察って言うだろ」
「言うだろ、それは」
「ほら」
弟はスマートフォンを引き寄せ、草色ジャケットは画面を取り上げようとはせず、椅子へ深く座り直して弟の顔を見る。
「誘ってきた奴は行ったことあんのか」
「一回だけ」
「帰ってきた?」
「普通に。金も学校で見せてきた」
「怪我は」
「手に包帯してたけど、荷物で擦っただけって」
「そいつは誰に誘われた」
「年上の知り合い。前の中学の先輩だったと思う」
「次はお前を連れてこいって言われてる?」
「誰でもいいから、一人誘えって感じらしい」
「じゃあ、お前が断ったら別の奴に声をかけるかもしれないな」
弟の指が、スマートフォンの縁をなぞった。
「あいつも捕まるのかな」
「分からん」
「警察に言ったら、俺が売ったみたいになるだろ」
「なるかもしれないな」
「じゃあ無理だって」
「でも、お前が断るだけじゃ終わらないぞ」
弟の指が止まる。
「そんなの分かんねえじゃん」
「人数が必要なら、次を探すだろ。そいつが自分から誘ってるのか、誰かにやらされてるのかも分からない」
「だからって警察は……」
「お前だけなら、俺も断り方を考えて終わりにした」
草色ジャケットは声を落とした。
「住所を教えない。スマホを預ける。怪我をしても病院へ行かせない。親には黙れ。しかも、ダンジョンだ」
「大人が先に倒すって言ってる」
「その大人が安全なら、なんで正式に募集しない」
弟は答えなかった。
「スタンピード、見ただろ」
「ニュースでな」
「中へ入った奴だけが死んで終わるなら、まだ勝手にしろって言えたかもしれない。でも今は違う。隠した入口で何人も働かせて、何が起きてるか外へ伝わってないなら、放っておけない」
「いきなりスタンピードになるとは限らないだろ」
「ならないかもしれない。でも、なってから知りませんでしたじゃ遅い」
草色ジャケットは弟の手元へ視線を落とした。
「これ、お前一人で黙って持ってていい話じゃない。俺に相談した時点で、もう俺が知った話でもある。通報する責任は俺が持つ」
弟の表情が強張った。
脅したいわけではない。けれど、軽く言い換えていい話でもなかった。
以前、草色ジャケットは地図読みと一緒に、銃を持った犯罪者から異常空間へ連れ込まれた。人間がダンジョンを犯罪へ利用すれば、モンスターとは別の逃げ道まで塞がれることを知っていた。
「お前を警察へ突き出す話じゃない」
「行ってないんだから当たり前だろ」
「その友達も、最初から悪い奴だと決めるつもりはない。誘った側ではあるけど、そいつ自身も使われてるかもしれない」
「でも、俺が言ったって分かったらまずいんだよ」
「絶対にバレないとは言えない」
「じゃあ同じじゃん」
「同じじゃない」
弟が顔を上げる。
「警察へ言うのは俺だ。お前は断り方を相談しただけ。誰が勝手に話を大きくしたって聞かれたら、俺のせいにしろ」
「実際そうじゃん」
「そこはもう少し兄を庇えよ」
「勝手に通報する気なんだろ」
「お前が嫌だって言っても、これはする」
弟の顔には、はっきりと不満が浮かんでいた。草色ジャケットはその視線から逃げず、先に口を開く。
「悪いとは思う。でも、黙っていい内容じゃない」
「相談しなきゃよかった」
「そう思うよな」
「否定しろよ」
「俺がお前なら思うから、無理だ」
弟は舌打ちしてベッドへ手をつき、そのままスマートフォンへ目を落とした。
「外国人の人が奥を片づけるって言ってた」
「何だそれ」
「ほら、ここ。次は人数が多いから、大人と外国人の人たちが先に片づけるって。学生は三往復するだけでいいらしい」
「前からそこで働いてる人なのか」
「そう聞いた」
「何人いるんだ」
「知らねえよ」
「その人たちも、怪我をして病院へ行かせてもらえてないかもしれないな」
弟は画面を見たまま黙り込み、少ししてから口を開いた。
「俺が断るだけじゃ、終わらないってこと?」
「たぶんな」
「友達もまた行く?」
「止める奴がいなければ」
「……警察に言ったら、助けられる?」
「俺には約束できない。でも、いることを伝えなきゃ始まらない」
「友達も?」
「まだ一回行っただけなら、引き返させるなら今かもしれない」
そこで草色ジャケットは口を閉じ、弟の返事を待った。
弟は何度か画面を上下させ、同じ文面を読み直している。やがてスマートフォンを両手で持ち直し、草色ジャケットへ向き直った。
「警察に話す時、俺の名前は伏せられる?」
「頼む。学校や相手側へ簡単に出さないようにしてもらう。ただ、絶対とは言えない」
「返信は?」
「今はするな」
「集合場所を聞いた方がよくない?」
「勝手に探るな。そういうのは警察に任せる」
弟は不満そうに口を曲げたが、画面を閉じなかった。
「じゃあ、俺にも何か協力できることある?」
草色ジャケットは、少しだけ返事に詰まる。
「ある。まず、メッセージを残しとけ」
「それだけ?」
「誘われた日、言われたこと、友達が行った日。覚えてる順に書け。他に誘われてる奴がいても、自分から聞き回るな」
「現場には?」
「行かせるわけないだろ」
弟が小さく笑った。
完全に納得したわけではないのだろう。表情にはまだ不安が残っていたが、スマートフォンを抱え込む姿勢は消えていた。
「通報したの、兄ちゃんってことでいいんだよな」
「実際に俺がする」
「俺が頼んだんじゃないって言っていい?」
「いい。お前は俺に相談しただけだ」
「友達のことも、最初から犯罪者扱いしないでって言って」
「分かった。誘った側ではあるけど、そいつも使われてるかもしれないって話す」
「外国人の人たちのことは?」
「もちろん話す。むしろ、そっちの方が中で何をさせられてるか分からない」
「助けてもらえるかな」
「分からない。だから、いることを伝える」
草色ジャケットはスマートフォンを取り出し、緊急通報の番号を表示したところで弟を見る。
「最後に確認するぞ。今から連絡して断ったりすんなよ」
「分かってる」
「友達にも警告しない」
「……それは」
「今知らせたら、上の奴まで逃げるかもしれない。友達を助けたいなら、勝手に動かない方がいい」
弟は迷った末に頷き、草色ジャケットはその場で通話を始めた。
未成年の弟が、住所を知らされない高額の荷物運びへ誘われている。集合場所から車で運ばれ、スマートフォンを預ける。仕事場所は未申告のダンジョンらしく、外国人労働者も内部へ入っているという。
相手へ返信せず、メッセージを保存したまま待つよう指示を受けた。弟を一人にせず、端末を持って最寄りの警察署へ来るようにも言われる。
通話を終えると、弟が息を吐いた。
「もう戻れない感じするな」
「お前は最初から行かないつもりだっただろ」
「そうだけど、そういう意味じゃねえよ」
「分かってる」
草色ジャケットは続けて槙野へ連絡し、数回の呼び出し音の後、落ち着いた声が応じた。
『はい、槙野です』
「草色です。夜分にすみません。少し、ダンジョン関係でご相談がありまして」
『何か見つけましたか』
「私ではありません。弟が怪しいアルバイトへ誘われました。話を聞く限り、未申告の入口を使っている可能性があります」
『弟さんは、もう参加しましたか』
「いえ。断り方を相談されただけです。警察には、先ほど連絡しました」
『それならよかったです。今は相手へ返信させず、弟さんと端末を連れて警察署へ向かってください』
「警察だけで対応できる内容でしょうか」
『内部に何人いるか、管理している側が武装しているかで変わります。証拠を消すために入口へ手を出すようなら、さらに対応が大きくなるでしょう』
「自衛隊まで、ですか」
『可能性はあります。スタンピード以降、未申告入口へ組織的に人を入れている案件は、かなり重く扱われます』
弟が横からこちらを見ている。通話の内容も聞き取れているらしく、草色ジャケットと目が合うと真顔で頷いた。
「弟は、協力できることがあるならしたいと言っています」
『その気持ちはありがたいですが、今は勝手に返信させないでください。集合場所へ行かせるのも避けるべきです』
「それは伝えています」
『警察は、弟さんへ来ている連絡を残したまま、相手を確認したいと考えるかもしれません』
「弟に返信させるということでしょうか」
『その可能性はあります。ただ、返信内容も接触方法も警察へ任せてください。弟さん本人を現場へ向かわせる判断には、まずならないと思います』
「以前、一緒に異常空間へ連れ込まれた地図読みへ相談すれば、場所の候補を絞れるかと思ったのですが」
『地図読みさんの情報整理は役立つと思います。ただ、今は警察へ、そういう協力者がいると伝えるだけにしてください。こちらで勝手に情報を広げない方がいいです』
「分かりました」
『警察署までは、弟さんと一緒に行かれるんですよね』
「はい。一人にはしません」
『それなら大丈夫です。何か動きがあれば、こちらにも連絡してください』
「ありがとうございます」
通話を終えた直後、弟のスマートフォンが震え、新しいメッセージが表示された。
『一人増やせそう? 今日中に返事くれ』
弟は画面を見つめたまま黙り込んだが、やがてスマートフォンを草色ジャケットへ差し出した。
「これも見せた方がいいよな」
「ああ」
「じゃあ行こう。警察署」
弟は立ち上がり、出かける準備をするため自分の部屋へ向かった。草色ジャケットはその背中を見送り、表示されたままのメッセージへ目を落とす。
断り方を考えるだけだった話は、もう弟一人の都合では止められなくなっていた。




