第361話 大人しくしとこう
短柄の戦斧を持ったまま、少女型と老狼の傍まで歩いた。白い糸や死骸を避けながら進んだつもりだったが、靴底へ柔らかい感触が何度か伝わり、そのたびに足の置き場を探し直した。
少女型の首から上は、ほどけた白い糸を残すだけだった。老狼も頭部を失ったまま伏せており、二体の身体は完全に静止している。
周囲へ意識を広げても応じるものは一つもなく、寄生個体も白い群体も、戦いへ投入したものはすべて使い切っていた。死骸だけが石床へ折り重なり、俺と繋がって動けるものは、体内へ戻された寄生体だけだった。
その寄生体が、ゆっくりと作業を始める。
指先から細い白い糸が伸び、床へ散らばった白い遺骸へ触れていった。小型虫や鼠型の形を残していた身体が少しずつ崩され、集められた白い組織が、俺の足元で新しい形へ組み直されていく。
再構成の進みは鈍かった。
外見上は大きく壊れていない遺骸でさえ、そのまま動かすことはできず、一度素材へ戻す必要があるらしい。煌めく糸には、白い群体と寄生体の繋がりを機能不全へ陥らせる作用まであったのかもしれない。
ただ、広間へ投入した量を考えると、白い遺骸そのものが少なすぎた。花弁の攻撃が通過した筋には、潰れた身体も細かな破片も見当たらず、そこだけ石床が空白になっている。
老狼の頭部が円形に消えた時と同じだった。
攻撃範囲に入ったものは、砕かれたのではなく、物質ごと削り取られたように見える。存在そのものが消えたのか、目で確認できないほど細かくされたのか、判断できる材料は残されていなかった。
寄生体へ再構成を続けさせながら、俺は少女型と老狼を見下ろした。二体の身体を吸収させる考えも浮かんだが、正体も、自ら終わりを選んだ理由も分からないまま取り込ませるには、気持ちの整理が追いついていない。
視線を上げたところで、広間の奥に置かれた箱が目に入った。さっきまであっただろうかと考えたが、戦闘中に奥まで確認する余裕はなく、最初から置かれていた可能性もある。
形は、これまで何度も見てきた宝箱とよく似ていたが、勝った覚えはない。
むしろ殺されかけた末に慈悲を掛けてもらっただけだ。相手が勝手に自分たちの戦いを終わらせた状況で、報酬だけを受け取るのは随分と厚かましい気もする。
それでも、置いてあるものを残して帰る方が後悔しそうだった。もう一度あの二体が現れた時は、土下座をすれば許してもらえるだろうかと考えたものの、老狼はともかく、少女型の方は土下座を見ても反応に困りそうな気がする。
俺は宝箱の前へしゃがみ、指先から伸ばした白い糸を箱の表面へ触れさせた。罠らしい反応が伝わってこないことを確かめ、蓋を持ち上げる。
中身は三つだった。
一つ目は、小瓶へ入った真っ黒な液体だった。瓶を青白い光へ透かしても中身は光を通さず、赤や透明のポーションと同じ種類には見えない。
どう見ても回復薬の色ではなかった。
飲んだ瞬間に呪われるか、身体の内側から何かが生えてきそうだった。この場で味見をする選択肢は早々に捨て、布で包んで収納へ入れた。
二つ目は、俺の前腕ほどの長さしかない木の枝だった。
樹皮らしいものは残っているが、葉も芽もなく、枝分かれもほとんどない。なぜ宝箱へ入っているのか分からず、拾い上げて眺めていると、指先から白い糸が勝手に伸びた。
止める間もなく白い糸が枝を包み、乾いた木が細かく崩れて、その内側へ取り込まれていく。数秒も経たずに枝は形を失い、寄生体からは何かを得た時に近い満足感が伝わってきた。
「お前、そんなのもいけるのか」
宝箱へ入っていた以上、普通の枯れ枝とは違うのだろう。ただ、寄生体が何を取り込んだのかまでは伝わってこなかった。
家主に黙って正体不明のものを抱え込まないでほしいと思いながら、最後に残った一枚のスクロールを手に取った。
広げると、表面へ未知の文字と線が並んでいた。読み方を考えるより先に、技術と感覚が頭の中へ流れ込んでくる。
知識が定着するにつれて文字と線は端から薄れ、燃えも崩れもせずに消えていった。全てが消えた後には、無地の皮だけが手元へ残った。
流れ込んできたのは、白い触手の先へ花のような構造を作る技だった。
触手を伸ばし、先端を幾つにも分け、花弁に似た形へ開く。その内側へ決められた順番で力を通せば、少女型と老狼が使っていた花弁の攻撃を放てるらしい。
もっとも、理解できたのはそこまでだった。形の作り方と力を通す手順は頭へ入っているのに、なぜ花の形からあれほどの攻撃が生まれるのかという原理は、知識の外側へ置かれている。
銃の組み立て方だけを覚え、火薬や弾丸の説明を丸ごと省かれたような感覚だった。
触手そのものは、白い群体を細長く組み替え、形を真似れば作れるようだった。しかし、今は動かせる白い群体が存在せず、足元で最初の小型個体を組み直している途中に過ぎない。
先端の花まで完成させ、攻撃へ回すだけの量を揃えるには時間が必要だった。形だけを試すために、再構成途中の材料を使い切る気にもなれない。
手のひらを花の代わりに使えないかとも考えたが、流れ込んだ手順と身体の構造が噛み合わなかった。触手から花までが一続きの器官として扱われ、人間の手では最初の工程から再現不能だった。
今は使えない。
そう結論を出した途端、少女型がなぜ寄生体を俺へ戻したのかという考えが、また頭の隅から浮かびかけた。止まれば同じ場所を回り始めると分かっていたため、無地になった皮を収納へ入れ、広間の奥へ視線を移した。
宝箱の向こうに、大きな扉が立っていた。
巨大な墳墓の奥で、少女型と老狼が待っていた広間。その先へ次の扉が置かれている構図だけを見れば、一層から五層までのボス部屋と変わらない。
深層まで来たという感覚と、低階層で繰り返してきた仕様が頭の中で重なり、どちらへ合わせればいいのか分からなくなる。考えても仕方がないので、俺は扉の前まで歩き、戦斧を片手に持ったまま押し開いた。
扉の先には、真っすぐな石造通路が続いていた。
左右の壁に扉や横道は見当たらず、天井も低い。青白い光源が一定の間隔で並び、その先は距離のためか暗がりへ沈んでいる。
九層の墳墓も閉鎖空間ではあったが、分岐や階段、広間が無数に繋がっていた。階層の入口らしき場所から、逃げ道のない一本道だけが伸びている構造は、深層へ来てから初めてだった。
先行させられる個体はまだ一体も完成しておらず、俺は通路へ踏み込む判断を保留して、扉を元の位置まで押し戻した。
「大人しくしとこう」
自分へ言い聞かせるように呟き、広間の端へ移動した。収納から食料と水を取り出し、乾いた石床へ腰を下ろす。
味を楽しむ余裕はなかったが、身体が要求する量だけを口へ入れ、最後に水で流し込んだ。食事を終えると、同じく収納していた寝袋を石床へ敷く。
体内の寄生体から細い糸を伸ばし、床や扉の周囲へ広げておいた。動く個体を配置する余裕はなかったが、何かが糸へ触れれば、眠っていても異常を感じ取れるはずだった。
寝袋へ身体を滑り込ませると、張り詰めていたものが一度に緩んだ。目を閉じた直後まで、足元で白い組織が組み替えられていく感覚が続いていたが、いつの間にか意識は途切れていた。
身体が揺れていた。
目を開けると、石の天井がゆっくりと後ろへ流れている。寝袋の下には白い小型個体が集まり、俺の身体を丸ごと持ち上げたまま、墳墓の通路を進んでいた。
どれほど眠っていたのかは分からない。
寄生体はその間も遺骸を材料に再構成を続け、俺を運べる程度まで白い群体を作り直していたらしい。周囲を見ても同行する寄生個体の姿はなく、白い小型個体だけが寝袋の下や前後へ分かれて進んでいる。
起きたら自分で帰るつもりではいたが、まさか寝袋ごと運ばれるとは思わなかった。降りることも考えたものの、身体にはまだ強い疲労が残っており、ここで意地を張る意味も見つからなかった。
脳内地図を開くと、白い群体はすでに帰路へ入っていた。
行きに踏んだ転移罠の位置と転移先は、別々の区画として地図へ記録されている。群体は最短距離を選択しているようだった。
白い群体は通路を曲がり、既知の罠へ迷わず向かった。床の石へ触れた瞬間、寝袋ごと視界が切り替わる。
離れた区画へ移された後も地図上の現在地は把握できており、そこから次の転移地点を目指した。遭難させるための罠が、帰りには近道として働いている。
何度か転移を繰り返すうちに、行きに六時間を費やした迷宮は急速に縮まり、墳墓の入口へ続く石段が地図の先に現れた。外へ出ると、九層の湿った森が広がっている。
この階層へ連れてきた個体たちの反応は、どこにも残っていなかった。俺と繋がっているのは、戦場の遺骸から新しく作られた白い群体だけであり、失ったものに比べれば、その量はごく僅かだった。
それでも帰路は繋がったため、俺は寝袋の中から暗い森を見上げ、白い群体に運ばれたまま八層へ続く道を戻っていった。
巨大植物が残した地形を抜けて進む途中、森や通路の維持へ回していた反応が、一つずつ脳内地図へ重なり始めた。戦闘へ連れていかなかった小型個体が地面や壁の隙間から姿を現し、寝袋を運ぶ群体へ合流する。
九層へ進む前から階層の監視や経路の維持を続けていた個体たちだった。七層へ下りると、砂の下や岩陰へ残していた白い個体も集まり、数が増えるにつれて寝袋を支える動きが安定し、周囲へ先行する範囲も広がっていった。
六層の森では、狼型や蜘蛛型を含む寄生個体が合流した。戦闘へ投入した個体と同じ種類の姿が近づいてきても、失ったものが戻ってきたとは思えない。
それぞれ別の場所で動き続けていた個体であり、九層で倒れたものたちとは違う。ただ、途絶えていた反応が少しずつ増え、脳内地図の周囲が埋まっていく感覚には、張り詰めていた胸の内側を緩めるものがあった。
再構成したばかりの白い群体は、合流した個体へ寝袋の運搬を引き継いだ。俺は降りる機会を完全に失い、そのまま六層の森を運ばれていく。
五層側のワープを使い、一層へ戻った頃には、俺を囲む反応はかなりの数へ戻っていた。暗渠の入口へ近づくと、前方から複数の小さな気配が駆けてくる。
石壁の陰から現れたのは、道具や袋を抱えた小人たちだった。先頭の一人が俺の姿を見上げ、寝袋ごと運ばれている状態を確認して足を止めると、その後ろへ続いた小人たちも、俺と白い群体と寝袋を順番に見比べた。
誰もすぐには動かず、俺も寝袋から顔だけを出したまま、何と言えばいいのか考えた。結局、何も浮かばないうちに、先頭の小人が持っていた袋を床へ置き、こちらへ歩み寄ってくる。
その動きに合わせ、他の小人たちも次々と荷を下ろした。俺を運んでいた白い群体が入口のすぐ内側でゆっくりと止まり、長かった帰路はそこでようやく終わった。




