第360話 拾った命
俺は石床へ大の字になり、仰向けで天井を見ていた。片膝をついていたはずなのに、いつの間にか尻と背中を床へ落とし、広げた腕を引き寄せる気力も失っていた。
青白い光に照らされた石の天井が視界に入っている。ただ見えているだけで、頭はそこに何があるのかへ意識を運ぶ手前で止まっていた。
頭の中では何かが回り続けていた。少女型の髪が動いた光景、眼窩の奥へ異物を差し込まれた感覚、頭を下げた老狼の姿が次々と浮かぶ。
どれも記憶であるはずなのに、考えとして繋がる前に崩れ、意味を持たない断片となって混ざり合った。何をされたのか、何を見せられたのか、あの二体は何を確かめ、最後に何を選んだのかと考えようとしても、問いまで同じ場所をぐるぐると巡る。
回っているのが頭の中だけとは思えなくなり、天井の石組みまでゆっくり動いているように感じた。目を閉じてみても、暗くなった視界まで揺れている気がした。
どれほど横たわっていたのか、時間の感覚も曖昧だった。身体の重さは石床へ沈み込み、胸の奥へ戻った小さな感覚だけが、そこにいると繰り返し主張してくる。
やがて、頭蓋の内側で細いものが蠢いた。内側から頭へ触れ、身体の形や居場所を確かめるような感覚は、長く付き合ってきた寄生体のものだった。
分かった、と考えたものの、何を理解したのか自分でも判然としない。ただ、いつまでも寝転がっているなと促されたような気がして、片腕を床へつき、重い上体を起こした。
広間は静まり返っていた。
少女型の首を失った身体が横倒しになり、少し横では頭部を失った老狼の胴体が伏せている。二体を覆っていた白い糸は力を失い、石床へ広がったまま完全に静止していた。
その周囲には、寄生個体の死骸が幾重にも折り重なっていた。胴を断たれた蜥蜴人の傍らでは、脚や腕を失った寄生ゴブリンが別の個体へ重なり、四本腕の猿型は砕けた外殻の隙間から肉を覗かせている。
甲冑を着けた狼型は防具ごと潰れ、蜘蛛型の長い脚も別々の方向へ折れていた。どれも動く気配を失い、戦いの最中に感じていた繋がりも途絶えている。
ホワイトスウォームの死骸も至るところへ散らばっていた。小型虫や鼠に似せていた白い身体が寄生個体の傷口や床の亀裂へ張りつき、補修の途中で動かなくなったものや、互いに重なったまま潰れたものが、石床を斑に覆っている。
砕けた石や床へ刻まれた傷だけでなく、ここで失われたものが、その形を保ったまま残っていた。槍や甲冑の部品、蜥蜴人の尾へ付けていた針状の装備、四本腕の猿型へ渡した二対の腕当ても、死骸の間へ散乱している。
少女型が自らの首へ使った短柄の戦斧は、その身体から少し離れた場所へ落ちていた。俺は戦斧から視線を外し、凄惨な広間を改めて見回した。
槍を握って前へ出た蜥蜴人もいれば、火や水を扱った蜥蜴人もいた。戦いの中を動き回った蜘蛛型、俺の近くで戦った狼型、寄生ゴブリンや四本腕の猿型、その間を埋めて傷を補修した白い小型個体もいた。
始まりは、倒したモンスターへの寄生だった。
身体を奪い、自分の都合で連れ回した。彼らの意思を確かめる手段すら持たず、一方的に役割を与え、危険な場所へ投入してきた。
そのくせ、内心ではあのモンスターたちを気に入っていた。指示した以上の動きを見せれば感心し、勝手についてくれば呆れ、庇われた時には困った。
物資を抱えた蜥蜴人が黙々と後ろを歩く光景も、狼型が傍へ寄って伏せる姿も、いつしか当たり前になっていたらしい。その当たり前が目の前で死骸へ変わり、身体を半分失った時より輪郭の曖昧な穴が胸の奥へ残った。
寄生体による補修の対象にもならない穴だった。
無理やり仲間にしたくせに、いなくなれば寂しいらしい。随分と独りよがりで身勝手な感情であり、到底、人の思考とは思えないと自嘲したところで、つい先ほどまで屍の山へ横たわっていた自分の姿が浮かんだ。
寄生個体を踏み台にして前へ進み、残った力を使い切り、最後には指一本動かす余力も失った。土壇場で新しい力へ目覚めるような都合の良い展開は起こらず、単純に力が尽き、それまでとなるはずだった。
少女型が近づいてきた時、俺は自分の死を受け入れていた。積み重なった屍の一つとなり、彼らと同じように床へ横たわる。
それが自分の選択と行いの先にあるものなら、素直に迎え入れるしかないと考えていた。今になって思い返せば、情けない話でもある。
生きるための方法を探すことまで止め、諦めていたと言われれば、その通りだった。ただ、その時の自分を思い返すと、内心では少し安心していた。
自分の行いを誰かへ押しつけ、自分だけを助けろと縋る代わりに、その時が来れば結果を受け入れる程度の覚悟はあったらしい。それを知ったところで許されるものは増えないが、自分が思っていたより見苦しく終わらずに済みそうだったことへ、わずかな安堵を覚えていた。
そこまで考えたところで、暗渠へ入り始めた頃を思い出した。
寄生体がゴブリンを吸収した後、俺はその場で手を合わせた。奪った命へ詫びたかったのか、自分はまだ人間だと確かめたかったのか、それとも殺した相手を悼める自分へ安心したかったのか。
どの理由だったのかは、今も曖昧なままだった。
殺して、利用して、失ってから惜しむ。あの時のゴブリンへ手を合わせた頃から、やっていることの芯は同じだった。
全くもって、人間という存在は自分勝手だと思った後で、人間全体を巻き込むのは迷惑な話だと思い直した。自分勝手なのは人間という括りではなく、戸張という存在であり、そこまで考えると頭の中を回っていたものが少しずつ収まっていった。
少女型が何者だったのかも、老狼がなぜ頭を下げたのかも分からない。寄生体を取り出して触れ、再び俺の内側へ戻した理由も、その後に二体が自ら終わりを選んだ理由も、今ある材料では答えの輪郭さえ遠かった。
答えが見つからないままでも、俺は生きている。殺されるはずだったところから命を拾い、再び身体を動かしているのだから、まだ先を見られるのであれば、ここで座り続ける理由は消えた。
膝へ両手を置いて腰を上げると、身体には重さが残っていた。それでも立って歩けることを確かめ、死骸や散らばった装備を避けながら短柄の戦斧へ近づいた。
意味を決めるには、材料が明らかに不足している。今は残されたものを一つずつ確かめるしかなく、俺は戦斧を拾い上げると、少女型と老狼の遺体へ向き直った。




