第358話 戦い方
老狼の背中で開いた四つの花が、戸張へ向きを揃えた。
撃たせる前に距離を詰める。短柄の戦斧を右手へ残し、左手から白い糸を床へ射出すると、引き寄せる力を脚へ重ねた。
老狼も正面から踏み込んでくる。
先ほどは姿を捉えることさえできなかった。今度は目だけで追わず、床へ触れる脚、周囲へ張られた糸の振動、背中の蔓が傾く方向まで寄生体に拾わせる。
灰色の頭が僅かに沈んだ。
戸張は右へ身体を振った。直後、老狼が左側を通過し、肩から伸びた白い外殻が白鎧を掠めていく。
避けられた。
振り向きながら戦斧を振ると、既に老狼は離れている。石床へ降りた様子はなく、空中で方向を変えていた。
老狼の脚元には、粉塵を引っかけて光る一本の糸があった。
「そこも足場にできるのか」
煌めく糸は侵入を阻む壁だけではない。老狼が後脚を乗せた瞬間だけ強く張り、石床を蹴った時と変わらない勢いで身体を押し出していた。
戸張はホワイトスウォームへ、老狼の周囲にある糸を切るよう伝える。
虫型が一斉に取りつき、白い線を噛み、身体を絡ませる。切断まで至らなくとも、足場として使う瞬間に負荷をかければ動きを崩せるはずだった。
老狼は次の糸へ跳ばず、背中から伸びた蔓の一本を前方へ振ると、もう一本へ後脚を掛けた。自分の身体から生えた蔓を蹴り、予想していた進路とは逆側へ飛び出す。
戸張の戦斧が空を切った。
老狼はその脇を抜けながら、肩口へ頭をぶつける。白鎧の表面が割れ、戸張は二歩分押し出されたが、倒れる前に糸を床へ固定して踏みとどまった。
反撃へ戦斧を持ち上げた時には、老狼は少女の前へ戻っており、その周囲ではホワイトスウォームが攻撃を続けていた。
寄生ゴブリンが糸へ腕を取られながら前へ進み、狼型が外周を回って背後を狙う。天井を移動する蜘蛛型は、巨大な花の根元へ糸を降らせていた。
少女は顔のない頭を左右へ向け、蔓を軽く振るだけで対処している。
一本が寄生ゴブリンを薙ぎ払い、別の一本が狼型の進路へ糸を増やす。蜘蛛型の糸は花へ触れる前に細かく切られ、床へ降り積もっていた。
少女の注意がホワイトスウォームへ向いている間に、老狼を崩すしかない。
戸張は背骨杖へ魔力を通し、老狼の左右へ火を放った。逃げ道を狭めたところへ自分が入り、戦斧の刃ではなく槌側を横へ振る。
老狼が背中の蔓を収納した。
足場も花弁も捨て、地上での接近戦を選んだように見える。戸張は速度を落とさず、老狼の前脚が床へ着く位置を狙った。
老狼の口が開き、牙の間から白い蔓が飛び出した。背中へ収めたと思っていた一本が外殻の内側を通り、戦斧の柄へ巻きつく。
「そんな所からも出るのかよ」
握ったままでは引き込まれる。
戸張は戦斧を手放し、蔓が武器を奪った一瞬に左腕を伸ばした。白い糸を束ねて刃へ変え、老狼の首元へ振り下ろす。
今度こそ届くと思った瞬間、老狼の背後で小さな花が開いた。花弁の先は戸張ではなく老狼自身の横へ向き、バチン、と音を鳴らす。
老狼の身体が横へ弾かれ、白い刃は首元を浅く削るだけに終わった。花弁の攻撃を回避へ使った老狼は、空中で身体を捻って糸へ足を掛け、余裕を残したまま着地する。
戸張は切り落とした白い外殻の欠片を見て、初めて攻撃が触れたと思った。だが、老狼の立ち位置と自分が振り下ろした場所を思い返したところで、その考えは消えた。
首を狙える位置へ入れたのではない。
老狼が、攻撃を届かせる位置まで待っていた。回避の手段を見せるために隙を与えられ、それを自分で見つけたと思わされていた。
奥歯が鳴るほど噛み締める。
「化け物が」
思わず漏れた言葉へ、老狼は反応を示さない。
静かに戸張を見つめ、背中へ蔓を戻している。その姿には疲労も焦りもなく、次に何を試すのか待っているようだった。
戸張がこれまで相手にしてきた強敵の多くは、巨大だった。
分厚い甲殻を持つものには、それを割る火力を用意した。質量で押し潰す相手には白鎧と支点で耐え、広い攻撃範囲には群体を散らして対応してきた。
大型を倒すための手段なら幾つも積み上げてきたが、自分と大きさが変わらず、身体能力で上回り、戦い方まで知り尽くした相手とは戦ってこなかった。
狙うべき核もない。巨大な身体が作る死角も、攻撃後に生じる長い硬直もない。
老狼は小さな身体を、戸張より遥かに多く使っていた。
正面から一歩進んだと思えば、糸を足場に頭上へ抜ける。着地点を火で塞げば蔓を蹴り、蔓を切ろうとすれば口から別の一本を出す。
戸張が糸の配置を読めば、その糸をわざと揺らして視線を誘った。魔術を先回りさせれば、花弁を地面へ放って身体を浮かせ、想定した射線の外へ出る。
一度見た手を同じ形では使わず、戸張が攻撃を受けながら戦い方を変えるたび、その先へ別の手を置いてくる。
戦斧を奪われた後は、白い糸の刃と素手へ切り替えた。老狼の突進を避けるのではなく白鎧で受け、身体へ触れた瞬間に糸を巻きつけようとする。
老狼は白鎧へ接触する直前、前脚から外殻の一部を切り離した。
戸張の糸が絡んだのは抜け殻だけで、老狼は身体を沈めて脇を抜ける。背中の花が開き、至近距離から白鎧の腰を削った。
戸張は身体を捻り、消失する範囲を外殻だけに抑えた。後退しながら魔術を放つが、老狼は火の間を抜け、雷撃には煌めく糸を重ねて軌道を逸らす。
動きを見るたび理解できることは増えていくのに、そこへ追いついた時には、老狼が別の手を見せていた。
教えられているように感じる。
殺し合いの最中に敵へ戦い方を教える理由などない。それでも老狼は、戸張が一つの動きへ対応すると、次の使い方を見せるように攻め方を変えていた。
最初から殺すだけなら、目で追えなかった突進を繰り返せばいい。少女の巨大な花へ固定し、先ほどと同じ攻撃を撃たせてもよかった。
老狼はどちらも選ばず、戸張が対応できる範囲で手段を増やしている。
「舐められてる方が、まだ納得できるんだけどな」
老狼が床を蹴った。
戸張は踏み込まず、周囲の糸へ意識を広げる。老狼の前方にある二本が張り、左側の蔓が伸びた。
糸を踏み、蔓を蹴って右へ抜けると予測して魔術を置いたが、老狼は張った糸へ前脚を載せたまま身体を止めた。
伸ばした蔓が戸張の魔術へ触れ、先端だけを焼かれる。老狼は焦げた部分を切り離すと、同じ糸を後方へ蹴り、来た方向へ戻った。
先読みした戸張だけが姿勢を崩す。
その背中へ老狼が回り込み、後脚で白鎧を蹴った。戸張は床へ転がり、起き上がる前に四つの花弁を向けられる。
ホワイトスウォームが割って入った。
虫型と小型の獣型が戸張の上へ重なり、発射された三本を受ける。白い身体が円形に削れ、残った個体も煌めく糸へ弾き飛ばされた。
戸張は群体の下から抜け出し、老狼との距離を取った。少女側へ回した戦力は、既に半数近くまで減っている。
それでも少女は同じ場所から動いていなかった。巨大な花を作り、群れが集まれば撃ち、散れば蔓で追う。白い群体が少女を抑えているように見えたのは、こちらに都合よく考えただけだった。
少女は追い詰められておらず、群れを相手に時間を潰しているだけに見える。
「そっちもか」
戸張は残っている寄生体へ、少女へ近づくことより攻撃を避けることを優先させた。
群れが距離を取ると、少女は追わなかった。白い髪を揺らし、戸張と老狼の戦いへ顔のない頭を向けている。
見物しているようだった。
その判断が正しいなら、最初から二体とも全力で殺しに来てはいない。ただし、こちらが負けた後まで生かされる保証にはならない。
戸張は落ちていた戦斧を白い糸で引き寄せた。
老狼へ群体を当て、動きを制限し、自分の攻撃を重ねる。最初に失敗した物量任せではなく、糸の足場を使わせない位置へ個体を送り、逃げる方向を削るために配置した。
狼型が左から入り、四本腕の猿型が右を塞ぐ。寄生ゴブリンは正面を避け、老狼の後方へ白い糸を広げた。
戸張は中央から踏み込んだ。
老狼が狼型を跳び越え、猿型の肩へ着地する。猿型が四本の腕で捕まえようとした瞬間、老狼は背中の花を至近距離で撃ち、頭部を半分消した。
崩れる身体を足場にして寄生ゴブリンへ飛び、糸を引き上げられるより早くその肩を蹴る。老狼が戸張の頭上へ出たところで、戦斧を振り上げた。
空中で老狼の花が開く。
今度は方向転換へ使わせない。ホワイトスウォームが花の正面へ集まり、発射される攻撃を身体で塞いだ。
老狼の回避が遅れ、戦斧の刃が白い外殻へ食い込んだ。肩から胸へ斜めに傷を刻んだ手応えを逃さず、戸張は左腕の糸を巻きつけ、老狼を床へ叩きつけようとする。
老狼の口元が僅かに開いた。
傷口から白い糸が噴き出し、戸張の左腕を包む。老狼は巻きつけられた糸を逆に引き、戸張の身体を自分へ近づける。
正面から頭を振った。
硬い額が白鎧の顔面へ当たり、視界が白く染まる。戸張の手から戦斧が落ち、老狼は拘束を解いて離れた。
床へ膝をつきかけた身体を寄生体が内側から支えた。今の攻撃は、与えられた隙でも偶然でもなく、群体と自分の動きを合わせ、老狼の選択肢を減らした結果として届いている。
戸張は滲んだ視界の中で老狼を見る。
斜めに裂けた外殻の下から、灰色の毛と赤い肉が覗いていた。傷は浅くないはずだが、老狼は痛がる様子を見せない。
代わりに、背中の蔓が傷口へ触れた。
白い糸が肉を寄せ、外殻の割れ目を編み直す。戸張の寄生体が行うのと同じように、老狼の傷が閉じていった。
「それもできるよな」
分かっていたはずなのに、実際に見せられると力が抜けそうになる。
こちらは胴体の半分を戻すために、赤いポーションを二本と大量の群体を使った。老狼は戦いながら傷を塞ぎ、動きも鈍らせていない。
戸張は残存する戦力を確認した。
少女の周囲にいた個体は、指示を変えた後も少しずつ減っている。老狼へ回した群れも、攻撃を一度成立させるために多くを失った。
迷宮内には、まだ戻ってきていないホワイトスウォームがいる。
呼び寄せれば戦力になるが、到着まで時間がかかる。目の前にいる個体だけで、この戦況を変える必要があった。
戸張は息を整え、もう一度老狼へ向かった。
糸の足場を魔術で焼き、蔓が伸びる方向へ虫型を集める。老狼が避ける先には狼型を置き、花が開けば射線へ白鎧の破片を投げ込んだ。
老狼はその全てへ別の答えを返した。
燃えた糸を切り捨て、舞った灰を蹴って方向を変える。蔓へ集まる虫型は外殻の隙間へ取り込み、身体を振るだけで別方向へ撒き散らした。
狼型が待つ進路には入らず、壁際の煌めく糸を前脚で引く。張力で身体を横へ滑らせ、花の射線へ投げ込まれた外殻は、発射を止めて蔓で払い落とした。
戸張が一つ工夫するたび、その工夫を使える形へ変えて返してくる。真似すら追いつかないまま、身体へ受ける傷だけが増えていった。
白鎧の右肩が消え、寄生体が補う。左脚の外殻を切られ、狼型から資源を移して繋ぎ直す。
胸へ花弁の攻撃を受けた時は、寄生ゴブリンが横から突き飛ばした。ゴブリンは代わりに上半身を失い、白い糸へ崩れて戸張へ戻った。
老狼へ近づくため、さらに群体を使う。
攻撃を逸らすために虫型を散らし、退路を削るために蜘蛛型を置き、戸張の身体を支えるために狼型をほどいた。使うほど周囲から白い姿が減っていくのに、それでも老狼へ届かない。
少女の巨大な花が開いた。
広間の端へ退いていたホワイトスウォームへ向きが定まり、白い攻撃が残った群れの中央を削った。逃れた個体へ蔓が伸び、床と壁を薙ぎながら次々に形を崩していく。
戸張が少女へ向かおうとすると、老狼がその進路へ立った。
戦斧を振る余力も、魔術を組み立てる集中も残り少ない。戸張は白鎧の拳を握り、老狼の頭へ打ち下ろした。
老狼は避けず、額で受ける。接触した瞬間に戸張の拳を覆う外殻が割れ、そのまま懐へ入り込んできた。
肩で胸を押し上げられ、足が浮いたところへ蔓が絡む。戸張は広間の中央まで投げ飛ばされ、床を何度か転がって止まった。
立ち上がろうとした右脚が震えた。
白い糸を集めようとしても、身体の内側から返ってくる量は僅かだった。外へ広げていた寄生体も、傷を補うために使った個体も、ほとんど残っていない。
視線を上げると、少女の周囲に動く白い影はなかった。
老狼との間を埋めていた狼型も、寄生ゴブリンも、猿型もいない。床や壁へ散った虫型からも、まとまった反応は届かなかった。
スタンピードで増えた分まで連れてきた。迷宮を探索していた個体も到着した端から戦闘へ投入し、自分の身体を作る寄生体さえ削って、使えるものを全て出した。
戸張は片膝を床へついた。
老狼がゆっくりと近づいてくる。その後ろでは少女が髪の蔓をほどき、花を消していた。
まだ戦斧は手元にある。
持ち上げようとした腕が途中で止まり、刃の先が石床へ落ちた。白鎧も形を保てず、肩から薄い糸へ変わって剥がれていく。
正面から圧し潰そうとして失敗し、動きを見て学び、使える戦力を組み合わせた。それでも老狼には勝てなかった。
身体の大きさも、持っている力も、決定的な差ではない。戸張が知らなかった戦い方を、老狼は幾つも知っていた。
その差を埋める前にこちらが先に尽き、広間には戸張を守る白いものが何も残っていなかった。




