第354話 戦わずして
転移罠によって離れた場所へ飛ばされた虫型も、戸張との繋がりを保ったまま探索を続けていた。
遠く離れた区画で新しい通路が晴れ、正面を進む群れは罠を潰しながら別の経路を伸ばしている。戸張が立ち止まって判断する場面は減り、時折ホワイトスウォームの進行が止まった場所へ向かい、ゴーレムや空の鎧を壊す程度になっていた。
寄生個体たちは周囲を固め、食料を背負った蜥蜴人が後ろへ続く。行き止まりは白い糸で塞がれ、動きを止めた罠はそのまま目印になっているため、戸張が進む道は初めから一本に絞られていた。
これだけ整えられると探索というより歩いているだけに近く、壁を見る時間が増えた。
墳墓へ入った直後から壁画は続いていたが、最初は古い施設にありがちな装飾だと思っていた。何を描いているか分からず、文字も読めない。足を止めて考えたところで答えが出るとは思えなかった。
ところが、歩く先々に同じ形式の絵が現れる。
人に似た姿が並び、その間には明らかに人間とは異なるものが混ざっている。四足で歩く獣、腕の多い人型、背中へ翼らしきものを持つ個体。現実の動物へ近い姿もあれば、戸張がダンジョン内で見てきたモンスターに似たものもあった。
色の大半は失われているものの、輪郭までは残っている。
人影が石材を運ぶ横で、大型の四足獣が同じ方向へ荷物を引いていた。別の絵では、腕の多いものが高い場所へ手を伸ばし、その下から人間らしき集団が見上げている。
戦いの場面だと思って見れば、そう見えなくもないが、武器を向け合っている様子はなかった。
戸張は足を進めながら、次の石板へ目を移した。
描かれているのは広場らしい場所だった。中央には幹の太い木があり、その周りへ人や獣型の姿が集まっている。両手を上げている者もいるが、何かから逃げているようには見えない。
小柄な人型も多かった。
人間の子供なのか、身体の小さな別種なのかは判別できない。背丈だけなら小人へ近いが、仮面や衣服の形が違い、戸張が知っている集落の者たちとは結びつかなかった。
その小さな人影が、大人ほどの人間と棒のような物を交えている壁画もある。
「ここでは戦うのか」
目を細めて眺めたが、相手を殺そうとしているようには見えなかった。
周囲には別の人影が座り、二人を見ている。棒の先も尖っておらず、身体の構えにも切迫したものがない。訓練か遊びを描いた可能性の方が高そうだった。
その隣では、同じ小柄な人影が耳の長い人間と手を取り合っている。
「エルフっぽいな」
現実で長い耳を持つ人間に会った経験はない。知識の出所は小説やゲームだが、他に当てはめる言葉もなかった。
長耳の人影は森らしい場所に立ち、小柄な者へ何かを渡している。周囲には四足獣や鳥型の姿も描かれていたが、そこでも襲い合ってはいない。
しばらく進んだところで、ホワイトスウォームの反応が止まった。
前方の広間へ入ると、二体のゴーレムが並んでいた。どちらも前に倒した個体より小さく、腕の先が槌のように膨らんでいる。
戦斧で一体の膝を砕き、倒れたところへ槌側を打ち込む。もう一体が背後から腕を振るったが、白い糸を床と壁へ固定し、受けた衝撃を外へ逃がした。
身体が僅かに押されただけで済む。
振り返りざまに戦斧を胴へ叩き込み、岩塊の接続を崩す。床へ倒れた二体は、残った腕を動かそうとしたが、胴体を割ると揃って停止した。
寄生体が残骸へ白い糸を伸ばす。
「今回もないぞ」
先に伝えても、調べることはやめなかった。
砕けた岩の隙間を一通り探り、核がないと理解すると、落胆に近い感覚を返しながら戸張の中へ戻ってくる。九層へ入ってから何度目になるか数えてはいないが、諦めはまだついていないらしい。
「期待するだけ無駄だと思うけどな」
寄生体から肯定は返らず、戸張はこれまでより大きな広間の壁画へ目を向けた。
左右の壁から天井近くまで一枚の絵が続き、中央には巨大な木が描かれている。根は地面の下へ何本も伸び、枝先は雲のような模様へ届いていた。
木の周囲には人間、長耳の人影、小柄な者、獣型、翼を持つ姿が集まっている。
「これは世界樹だろ」
ファンタジー作品であれば、ほぼ間違いなくそう呼ばれる構図だった。巨大な木を中心に複数の種族が集まり、枝の間には光か実のような丸い模様が描かれている。
ここまで分かりやすいものが続けば、壁画を作った者も同じような世界を知っていたのかと考えたくなる。
ただ、木の根元近くに奇妙な姿があった。
人間ほどの背丈で、全身が白く、顔には目や口らしいものが描かれていない。手足はあるものの、指や関節の輪郭が曖昧で、粘土を人の形へ伸ばしたようにのっぺりしている。
その周囲には、同じ姿が何体も並んでいるわけではない。
大きな一体が立ち、人間や長耳の者たちがその近くへ集まっていた。別の壁画にも似たものが描かれているが、常に一体か、多くても二体だった。
「さっきのがエルフ、これが世界樹。ファンタジーだと鉄板な物は分かるんだが、ところどころに出てくるエイリアンっぽいのはなんだ?」
寄生体が僅かに反応し、自分のことを言われたと考えたのかもしれない。
「お前じゃないだろ。たぶん」
物語なら、ここで寄生体の正体を示す伏線でした、と続きそうな流れではある。
しかし、壁画の白いものは群体として描かれていない。小さく分かれたり、別の生物へ入り込んだりする表現もなく、どの絵でも一つの身体を持った存在として立っている。
寄生体が外へ出た姿も、壁画のようなつるりとした人型にはならない。白鎧をまとった自分なら輪郭だけは近づくかもしれないが、それでも同じものとは考えにくかった。
「宇宙人説とファンタジーの混合か?」
呟いてみたが、口にした本人にもよく分からない。
壁画はさらに奥へ続いている。
白い人型が長耳の者と並び、大樹へ手を向けている絵。小柄な者たちに囲まれ、人間から何かを受け取っている絵。獣型の背へ人が乗り、複数の種族が同じ方向へ進んでいる絵もあった。
その一枚を見たところで戸張は足を止め、ずっと引っかかっていたものをようやく言葉にした。
「モンスターと戦っている描写が一つもない」
入口からここまで、人と異形が同じ壁画に何度も現れている。
武器らしい物を持つ姿もあり、争っているように見える場面もあった。しかし相手は同じ人型で、獣や腕の多いものへ武器を向けた絵は見つからない。
モンスターに見える存在は人の隣に立ち、荷を運び、同じ場所へ集まっており、人間を襲うものとして描かれていなかった。
「共存してたのか?」
答える者はいない。
壁画が事実を記録したものとも限らず、宗教上の理想や物語を描いた可能性もある。何千年も前の出来事なのか、そもそも時間という考え方がこの場所へ通じるのかさえ怪しい。
今のダンジョンにいるモンスターは、人間を見れば襲ってくる。
九層のゴーレムや空の鎧も例外ではなく、戸張たちを見つければ止まるまで攻撃を続けた。壁画に描かれた穏やかな様子とは、まるで噛み合わない。
墳墓そのものも、人を迷わせ、削り、転移させて殺すために作ったような構造をしているのに、その壁では人とモンスターが争わず暮らしていた。
「何なんだろうな、ここ」
考えても、手元の情報だけでは答えが出そうになかった。
先行していたホワイトスウォームが、さらに奥の罠を止めた反応を返してくる。別の区画では空の鎧が動き出したらしく、虫型が胴体内部へ集中し始めていた。
壁画から視線を外して戦斧の位置を直し、そのまま歩き始めても、石板へ描かれた白い人型が頭から離れない。
寄生体の正体と結びつけるには違いが多すぎる。宇宙人と呼ぶにも根拠がなく、壁画の作者が想像した神か精霊という可能性もある。
長耳の人間も世界樹も、実在したものとして描かれたのかは分からず、確かなのは壁画の中で誰もモンスターを恐れていないことだけだった。
整備された通路を進む戸張の横で、白い狼型の甲冑が青白い光を反射する。その少し後ろでは、尾に針を付けた蜥蜴人が食料を背負って歩いていた。
壁画の一場面へ、自分たちが紛れ込んだようにも見える。
「……まさかな」
戸張は小さく呟き、まだ終わりの見えない迷宮を先へ進んだ。




