第352話 これは俺の仕事だな
翌日、戸張が九層へ連れてきた個体の数は、昨日より増えていた。
ただし、墳墓へ先行させるのは、虫や鼠に似せた小型のホワイトスウォームが中心になる。狼型や蜘蛛型、寄生ゴブリンは戸張の周囲へ残し、甲冑を着けた狼型も石段の下で待機していた。
尾へ針状の装具を付けた蜥蜴人たちには、食料や水、補修用の資材を分けて持たせている。中が迷宮なら日帰りで済む保証はなく、余裕を見て用意した分だけ荷物も増えていた。
水は魔術である程度補えるとしても、食料は作り出せない。内部に食べられる生物がいたとしても、まだ姿さえ確認していないものを予定へ組み込む気にはならなかった。
「入りたくないからって、いつまでも外にいてもな」
石段を上り、正面の石扉へ手を掛ける。
力を込めると石材同士が擦れ、中央からゆっくりと隙間が開いた。昨日と同じ冷たい空気が流れ出し、湿った森の臭いへ、乾いた石の匂いが混ざった。
扉の先には幅の広い石造通路が伸びている。
壁面の窪みから青白い光が漏れていたが、照らされているのは入口付近だけだった。その先はすぐに暗がりへ沈み、床や壁がどこまで続いているのかも見通せない。
戸張は入口の内側へ一歩入り、白い糸を床と壁へ触れさせた。寄生体から警戒は返ってくるものの、近くに生体らしい気配はない。
「さて」
指先を奥へ向けると、足元に集まっていた白い虫が動き出した。
甲虫に似たもの、細長い多脚型、石の色へ体表を合わせた小型虫が、床の継ぎ目や壁際へ広がっていく。鼠型に見える小さな宿主も混ざり、入口の幅いっぱいに薄い白い流れを作った。
数が増えるにつれ、個々の形は見えにくくなった。床を這う濁流だけが、暗い通路へ吸い込まれていくように見える。
戸張自身は入口近くへ残り、マッピングを開いた。
前日に調べた墳墓周辺の輪郭から、内部へ細い経路が伸び始める。最初は一本だった線が途中で分かれ、しばらくすると、その先でも別の方向へ枝を作った。
小型個体が何を見ているかまでは分からない。
戸張へ届くのは、進行、停止、方向転換、接触、反応の消失といった粗い情報だけだった。それでも、実際に通った空間はマッピングへ加わり、墳墓内部を覆っていた霧が急速に削れていく。
「お、おおう……」
表示範囲を入口周辺へ絞っていても、地図は落ち着かなかった。経路が増え、途切れ、別方向から来た線と繋がるたび、脳の片隅へ新しい形が押し込まれてくる。
初めて能力を得た時ほどではないが、胃の奥に薄い不快感が溜まり始めた。遠くまで伸びた経路を一度霧へ沈め、現在動いている先端だけを残す。
「普通に気持ち悪いな、これ」
先行するホワイトスウォームは止まらない。
ある経路を進んだ個体群が、途中で向きを変えて戻ってきた。その後は同じ方向へ入ろうとする反応が減り、分岐の入口付近へ小型虫が残る。
別の場所でも似た動きが起きた。
先へ道が続いていないと判断した個体が、入口を身体で埋めたり、白い糸を渡したりして、後続を別方向へ誘導しているらしい。詳しい構造は分からないままだが、マッピング上では、進む必要のない経路だけが次々と流れから外れていった。
「賢いな」
感心した直後、右へ伸びていた複数の反応がまとめて消えた。
床を通じて鈍い振動が伝わり、少し遅れて石同士が噛み合う音が響く。後続の反応は一度散ったものの、やがて壁際と床の継ぎ目へ集まり始めた。
白い虫が狭い隙間へ入り込んでいく。
内部で何をしているかまでは把握できない。ただ、しばらくすると振動が止まり、同じ場所を後続が通過しても反応は消えなかった。
「解除というより、詰まらせてるのか?」
別方向では、甲高い破砕音と同時に鼠型の反応が途切れた。
残った小型虫が壁際へ集中し、何度か短い衝撃が続いた後、後続が先へ抜け始める。さらに奥では複数の反応が一斉に失われたが、別方向から伸びていた経路が回り込み、その先へ繋がった。
何が飛び出し、どこが動き、どれだけの個体が潰されたのか、入口にいる戸張からは判別できないが、墳墓側が確実にホワイトスウォームを削りながら、それでも流れ全体を止め切れていないことだけは読み取れた。
一箇所で反応が失われている間にも、別の方向では新しい経路が伸びる。作動した何かの隙間へ虫型が入り込み、その後は同じ場所で損耗が起こらなくなる。
やがて霧の消える速度が、戸張の予想を越え始めた。
「これ、普通に攻略するのは無理じゃないか?」
入口から見える範囲だけなら、幅の広い通路が続いているだけに見える。しかしマッピング上では、先へ進むほど経路が枝分かれし、戻ってくる線や途中で止まる線が増えていた。しかも、分岐は奥へ進む時だけでなく、帰路まで紛らわしくするように増えている。
人間が少人数で進めば、行き止まりを確かめるだけでも時間を取られる。罠らしき場所では負傷者が出て、手当や搬送も必要になる。通った経路へ印を残しても、その印自体が動かされたり、別の道へ誘導されたりする可能性まで考えなければならない。
何日分の食料が必要になるか、地図が広がる速度を見ても判断できなかった。
水は魔術を使える者がいれば多少補える。食料を食べ切る前に出口や次の階層へ到達できなければ、そこで終わる。中に食べられる生物がいるなら話は変わるが、先行しているホワイトスウォームからは、まだ生体らしい反応がほとんど返ってきていない。
「人に攻略させない気合を感じるな」
蜥蜴人たちが背負う荷物へ目を向ける。
迷宮だと予想していたため、食料はかなり多めに用意した。それでも、足りると断言できる量ではない。戸張たちが数で経路を調べられるからこそ、この程度の準備で踏み込めるというだけだった。
先行探索を続けさせながら、外側から近道を作れないかも確かめていた。
森へ残したワーム型は地下から墳墓へ接近している。土中を進んだ経路はマッピングへ加わるが、建物の基礎らしき位置へ近づくと、不自然に方向を変えた。
別の場所から向かわせても結果は変わらない。石へぶつかって止まるというより、内側へ向かう経路だけが曲げられているようだった。
鳥型も墳墓の上空へ出している。
枝葉の上から外壁や屋根の輪郭を調べることはできた。崩れて見える場所や、隙間らしき箇所へ降ろしてみても、内部へ入り込む直前で進行が止まる。
見えないものに触れたように身体が逸れ、屋根の上へ押し戻されるため、外観は調べられても、地下や上空から内部へ侵入することはできないらしい。
「正面から入れってことね」
近道を諦め、墳墓の中へ足を踏み入れた。
甲冑を着けた狼型と寄生ゴブリン、蜘蛛型が周囲を固め、蜥蜴人たちは食料や水を背負って後ろへ続く。尾針を付けた個体も、狭い場所で壁へ当てないよう尾を持ち上げていた。
入口周辺には、先行したホワイトスウォームが残した痕跡がある。
壁から半ば突き出した石の棒、沈んだまま動かない床、割れた小型宿主。行き止まりへ続くらしい分岐には白い糸が渡され、虫型が入口付近へ固まっていた。
何がどう作動したかは、現場を見ても完全には分からない。
ただ、同じ場所を通っても罠らしき反応は起こらず、マッピング上の経路も途切れていなかった。
先行個体が通った線を辿り、反応が最初に大きく失われた地点へ向かう。
途中にも反応の消えた場所は複数あったが、後続はいずれも先へ進んでいる。何度送り込んでも同じ位置で押し戻され、経路の先端そのものが止まっている地点は一つしかなかった。
そこへ近づくにつれ、床から重い振動が伝わり始めた。
一定の間隔ではない。何かが歩き、止まり、向きを変えるたび、石床を通して白い糸へ圧が届く。
曲がり角の手前には、押し潰された小型宿主がいくつも残っていた。白い虫の一部は既に身体を離れ、壁際へ固まっている。
狼型や寄生ゴブリンまで先行させていなかったため、失われたのは主に擬態した小型宿主と虫型だった。それでも、その場に残った白い量を見れば、何度も突破を試したことは分かる。
回収できる群体を足元へ集め、角の向こうへ意識を向けた。
大きな何かがいる。
振動は伝わるのに、寄生体から生体へ接触した感覚が返ってこない。先行した虫型も、相手の表面へ集まったまま内部へ入れていないらしい。
「なるほど」
曲がり角を抜ける。
通路の先に、岩の怪物が立っていた。
高さは三メートルほど。頭、胴、腕、脚は人型に近い配置だが、身体を作っているのは大きさの異なる岩塊だった。肩と胸は厚く、両腕は人間の胴ほどもある。
顔に当たる部分には、目や口らしい器官が見当たらない。関節にも肉や腱はなく、岩の隙間を暗い何かが繋いでいる。
白い虫が脚へ取りつき、割れ目へ入り込もうとしていた。
先端を差し込んでも、その先に肉も血も神経もない。寄生体が宿主として扱える構造自体が存在しないようだった。
「だから止まったのか」
戸張が前へ出ると、岩の怪物が動いた。
石同士が擦れる低い音が通路へ響き、太い上半身がこちらを向く。右腕が持ち上がり、表面から細かな砂と石片が落ちた。
見た目も動きも、知っている言葉へ当てはめるなら一つしかない。
「ゴーレム、そのままだな」
三メートルの巨体が、岩の足で床を踏む。
戸張は山刀へ触れかけ、相手の太い腕と岩塊でできた胴体を見て手を止めた。代わりに、背負っていた短柄の片刃戦斧を抜く。
寄生が効かず、先行させたホワイトスウォームでは押し切れない。
後ろにいる寄生個体たちへ、その場で待つよう意図を伝える。
「これは俺の仕事だな」
戦斧を構えると、ゴーレムの足がもう一度、石床を揺らした。




