第337話 普通の探索
湿地の隠しエリアから戻った翌日、戸張は朝から森へ入った。
透明ポーションの製法らしき皮を宝箱へ戻した判断は、まだ頭の隅に残っている。だが、考え続けたところで答えが出る訳でもない。
代わりに浮かんだのが、森にも似た場所があるのではないかという疑問だった。
湿地の広場は、結界によって存在そのものを意識から外されていた。鳥型も白い群れも近くを通りながら、探索対象として拾っていなかった。なら、これまで歩いた森の中にも、同じように見落としている場所があるかもしれない。
本格的に探すなら、方法はいくらでもある。
白い群れの移動経路を洗い直し、通過していない範囲を探す。鳥型の飛行経路を比較し、上空から避けられている場所を絞る。ワーム型を地中へ散らして、地下構造を片端から拾わせることもできる。
「今日は急がず、気になった方へ行ってみるか。今回は、そんな感じでな」
寄生体へ軽く話しかける。
返ってきたのは静かな感覚だった。賛成しているのか、単に危険がないから落ち着いているだけなのかは分からない。戸張も答えを求めず、踏み固められた道から外れた。
森は、目的を決めて歩く時と、そうでない時とで見える物が違う。
普段なら地面の足跡や折れた枝から大型生物の進路を読み、遠くの振動へ意識を向ける。小人たちの採取場所や運搬路も避け、個体たちが反応した方向へ優先して進む。
今日は、色の濃い葉や、曲がった木の根でも足を止めて観察する。最初に見つけたのは、拳ほどの実が幾つもぶら下がった低木だった。
表面は黄緑色で、縦に細い筋が入っている。風が吹くと枝ごと揺れ、実同士が触れて、陶器を軽く叩いたような音を鳴らした。
戸張は一つを持ち上げ、鼻へ近づけた。
匂いは甘い。
「これは……食えるのか?」
寄生体から拒絶は返らない。
毒に強く反応する時は、触れた段階で警戒に近い感覚が出ることもある。何もないから安全とも限らないが、少なくとも触っただけでまずい物ではなさそうだった。
山刀の先で薄く傷をつけると、透明に近い粘液が滲んだ。
甘い匂いが少し強くなる。
「果物っぽいんだよなぁ」
舐めるかどうか迷った末、戸張は実を採取袋へ入れた。
小人へ見せれば、食べられる物か、素材として使える物か、何かしら反応するだろう。自分で確かめるより早いし、失敗した時に腹を壊すのも面倒だ。……決して小人をモルモットにしている訳ではない。
少し進むと、今度は大きな葉が重なる一角に出た。
一枚が戸張の上半身ほどあり、中央が深く窪んで水を溜めている。雨水にしては濁りが少なく、表面だけ見れば飲めそうだった。
戸張は白い糸を細く伸ばし、水の中を探る。
葉の底には、小さな虫が何十匹も沈んでいた。
「……やめとくか」
飲む気は失せたが、葉の構造自体は気になった。
中央へ集まった水が端から漏れず、葉を傾けてもある程度の形を保っている。切り取れば漏斗や簡易的な器になるかもしれない。
ただ、小人なら似たような物をとっくに見つけ、用途まで考えていそうだった。
戸張は葉をそのままにして先へ進んだ。
木々の間を抜けていると、幹の表面へ灰色の柔らかな物が広がっているのが見えた。
苔のようだが、毛足が長い。
指で触れると、思った以上に柔らかく、押した場所がゆっくり戻る。敷き詰めれば寝具に使えそうで、断熱材にもなるかもしれない。
「これ、持って帰ったら喜ぶかな」
小人たちが喜ぶ姿を想像し、端を少し持ち上げる。
苔の下で細い脚が一斉に動き、戸張はすぐに手を離した。
灰色の表面が波打ち、小さな虫が隙間へ潜り込んでいく。
「苔じゃないのかよ」
しばらく観察すると、虫が群れて苔のような形を作っているらしかった。木の表面を覆う理由までは分からない。背中がぞわぞわする。
食べられるかという発想は、さすがに出なかった。
隠しエリアを探していることも忘れてはいない。
木が不自然に円形へ生えている場所があれば中央を調べ、地面だけ植生が薄い場所を見つければ土を掘った。岩壁の一部だけ苔がない場所も、何かの入口ではないかと近づいた。
最初の円形は森砕きが身体を丸めて休んだ跡で、土を掘った場所からは大型の根が出てきた。苔のない岩壁にも、小人が石材を剥がした痕跡が残っているだけだった。
「まあ、そう簡単にはないか」
それでも、外れを引くたびに少し楽しかった。
何かあると思って近づき、何もないと分かる。普段なら時間の無駄として切り捨てるところだが、今日は最初からそういう歩き方をしている。
昼近くになり、戸張は倒木へ腰を下ろした。
持ってきた水を飲み、採取袋を覗く。音の鳴る実のほかには、赤紫色の小さな茸が二本と、薄い木の皮が入っていた。
茸は、傘の裏側が肉のような色をしていたため採った。
見た目はあまり食欲を誘わない。
「焼いたら、意外といけるか?」
毒々しい色でも食べられる茸は地上にある。
反対に、見た目が普通でも危険な物はいくらでもある。
「いや、さすがに茸はなぁ」
自分で言って、袋を閉じた。
休憩を終えて歩き出すと、前方の幹へ小型の四足動物が張りついていた。
猫ほどの大きさで、耳が長く、尾は短い。前脚を幹へかけ、樹皮の裂け目を舐めている。戸張に気づくと一度逃げたが、十メートルほど離れた別の木で同じことを始めた。
戸張は舐めていた場所を確かめる。
樹皮の割れ目から、薄い琥珀色の液体が滲んでいた。指先へ少し取り、匂いを嗅ぐ。
砂糖を焦がしたような甘さがある。
「これは本当に食えるんじゃないか?」
小型動物が食べているからといって、人間にも安全とは限らない。
分かってはいるが、食べている姿を見ると試したくなる。
戸張は指先を口へ近づけ、寸前で止めた。
「いや、帰ってからにしよう」
何でも寄生体任せにするつもりはなくても、未知の樹液を森の真ん中で味見する必要もない。少量を容器へ採り、小型動物が逃げた方向を眺める。
隠しエリアの結界が近くにあるなら、生物も不自然に避けるかもしれない。
そう思って後を追ったが、小型動物は特に迷う様子もなく森を走った。時々木へ登り、別の樹液を舐め、戸張が近づけば逃げる。結界の痕跡より、単に食事を邪魔された動物を追い回しているだけになった。
「悪いな」
当然、返事はない。
追跡をやめた後も、戸張は樹液の出ている木を何本か見て回った。
全て同じ種類ではなく、匂いも違う。甘い物、青臭い物、鼻へ刺さる刺激臭を持つ物もある。小型動物が選んでいたのは甘い二種類だけだった。
食べられる物を見分けているのか、単に好みなのか。
それを確かめるだけでも、何日か観察できそうだった。
隠しエリア探しは、だんだん脇へ追いやられていった。
珍しい色の羽を拾い、木の上でだけ咲く白い花を見上げ、浅い水場では石の下に隠れた魚を眺める。魚は口が横に広く、川底の苔を削るように食べていた。
「あれは、喰うとどんな味だ?」
脂が多そうには見えない。
塩焼きより、煮付けの方が合いそうな体形だった。
「そもそも食えるのか? 川は寄生虫に気をつければ……お前の事じゃないぞ」
戸張は魚を捕まえず、泳いでいく後ろ姿だけ見送った。
小人たちが食料にしていない生物には、それなりの理由がある可能性もある。単に捕まえにくいだけかもしれないが。
夕方が近づく頃には、森の中を随分と歩いていた。
地図へ新しく加えられるほどの大発見はない。隠しエリアらしい結界も、人工物も、地下へ続く空洞も見つからなかった。
怪しいと思って調べた七か所は、森砕きの古い寝床が二つ、動物の巣穴が一つ、小人の採取跡が二つ、根の絡み合った窪地が一つ、ただの岩が一つという結果だった。最後の岩には、かなり時間を使っている。
表面の線が人工的に見え、周囲だけ木が少なく、叩く場所によって音も違った。戸張は半ば確信して白い糸まで伸ばしたが、内部に水が溜まった亀裂があるだけだった。
「これは、いい線いってたと思うんだけどな」
誰に弁解しているのか、自分でも分からない。
寄生体は普段と変わらず静かで、慰めるような反応も、呆れた気配も返してこなかった。
空が橙色へ変わり始める。
戸張は帰路へ向かいながら、採取袋の中身を確かめた。音の鳴る実、赤紫色の茸、薄い樹皮、樹液を入れた容器、途中で拾った羽が一枚。
隠しエリア探しの成果としては、どれも関係がない。
だが、小人へ見せれば何か分かるかもしれない。食べられる物が一つでもあれば、今後の楽しみも増える。
何も見つからなかった森を振り返る。
湿地では、隠しエリアを見つけ、その翌日には人類の進み方まで考えさせられる物を引いた。あれが続くと思う方がおかしい。
「まあ、普通はこんなもんだよなぁ」
戸張という探索者としては、こんなものだ。採取袋を肩へかけ直し、拠点へ向かって歩き出した。




