第335話 隠しエリア
湿地へ戻ってから、戸張は二日かけて外周を回っていた。
広さの見当はついてきたが、次の階層へ続く扉らしきものは見つかっていない。水面の下へ沈んだ石、葦に似た背の高い植物、泥の中を進む小型生物。そのどれかが入口を隠している可能性も考え、鳥型を上へ出し、ワーム型を地中へ潜らせ、白い群れも広く散らしてある。
成果は今のところ、大きな魚型を三匹と、触ると葉を閉じる気の小さい植物だった。
攻略として見れば進展は薄いが、戸張はそれほど気にしていなかった。知らない土地を歩き、昨日まで空白だった場所へ自分の中だけの地図が増えていく。アメリカで住宅街を走り回っていた時には味わう余裕もなかった感覚が、湿った空気と一緒に戻っていた。
泥へ沈みかけた足を引き抜き、盛り上がった根の上へ移る。
湿地の水は膝ほどの深さが続く場所もあれば、数歩先で急に腰まで落ちる場所もある。白い糸を水底へ伸ばせば深さは分かるが、全部それで済ませると歩いている意味が薄い。何度か沈んだ末に、水面へ出ている草の種類で浅い場所を見分けられるようになった。
誰に役立つかは分からない知識だが、こういうものが増えるのは悪くない。
進行方向の白い群れから、弱い反応が返ってきた。
危険を見つけた時の警戒とは違う。敵を追うでも、食べられるものへ集まるでもなく、進路を決めかねたような揺れだった。
戸張は足を止め、周囲へ意識を広げた。
左手には水面が続き、右側は湿地から少し高くなった森だ。鳥型から届く反応にも変化はなく、地下へ送ったワーム型は別方向を進んでいる。正面へ散らした白い群れも止まってはいない。ただ、ある場所へ近づくと左右へ分かれ、そのまま通り過ぎていた。
「何だ?」
声をかけても、寄生体から明確な答えは返らない。
戸張は右側の森へ入った。
水気を吸った土から太い根が浮き、低い枝が何度も肩へ当たる。数十歩も進めば湿地の水音が遠ざかり、代わりに葉を踏む音が増えた。白い群れは先へ進んでいるはずなのに、正面の一帯だけ反応が薄い。
索敵範囲の空白があるという感覚さえ、注意を向けて初めて分かった。
右へ進もうとしていた足を止める。
なぜ右へ行こうとしたのか、自分でも理由が出てこなかった。地面は正面の方が歩きやすく、枝も少ない。それでも、身体は自然に進路を外そうとしていた。
戸張は正面を見た。
「あれは……」
木々の間に、石が並んでいた。
最初は倒木の陰に出た岩肌に見えたが、目を凝らすと一つでは済まない。同じ高さへ削られた石が泥と苔の下から続き、途中で直角に折れている。根はその上へ伸びず、縁を避けるように曲がっていた。
近づくほど、形が増えた。
苔を被った石床が木々の間へ広がり、低い段差が外周を囲んでいる。中央は周囲よりわずかに高く、割れた箇所からも土ではなく別の石が覗いていた。建物は残っておらず、柱や祭壇らしいものも見当たらない。石を敷いただけの、広場だった。
問題は、ここまで来るまで一度も存在を拾えていなかったことだ。
鳥型は上空を通っている。白い群れも周辺へ何度か散っており、戸張自身も湿地の外周を歩いた際に近くを通ったはずだった。
それでも、頭の中の地図にこの場所は入っていない。
戸張は広場の手前で立ち止まり、白い群れの一部を床へ進ませた。
白い虫型が苔の間へ入り、石の継ぎ目を越えていく。境界らしいものが光った様子も、弾き返された反応もなかった。ただ、広場へ入った瞬間、それまで薄かった感覚が急に近くなった。
そこにいる。
当たり前のことが、入るまで分からなかった。
「隠しエリアかあ、となると何かありそうだな」
戸張は一歩踏み込み、広場へ入った。
空気や温度は変わらない。身体へ圧力もなく、背骨杖や白鎧補装にも異常は出ていない。振り返った時に見える森は、外から見た時より遠く感じられた。
試しに境界を越えて森側へ出る。
広場の位置は覚えている。正面にあると分かっているのに、視線が左の大木へ流れ、その横を通る道を探し始めた。意識して石床を見ると認識できるが、考えるのを止めれば別の場所へ注意が逸れていく。
「結構、露骨だな」
言った直後、戸張は首を傾げた。
露骨なら、もっと早く気づいてもよさそうなものだった。
もう一度広場へ入り、散らした白い群れを集める。周辺へ残した個体の一部は、戸張が立っている場所へ向かおうとせず、外縁を回り込んでいた。大まかな目的として集合を伝えると、ようやく進路を変えて石床へ入ってくる。
入った個体たちは迷わない。
外から探す時だけ、ここを選択肢から外している。
誰が、何のために作ったのか。ダンジョンに最初から備わった仕掛けか、それとも以前ここにいた何かが残したものか。答えは出ないが、戸張の口元は上がっていた。
扉を探していただけなのに、別のものを見つけた。こういう横道があるから、探索はやめられない。
広場の中央へ進ませた白い群れが、形を変え始めた。
細かな虫型が集まり、長く太い身体へ繋がっていく。白いワーム型になった個体は、石床へ腹をつけると、ゆっくり身体を縮めた。次に頭部を床へ押し当て、別の場所へ移って同じ動きを繰り返す。
戸張へ届く感覚は振動そのものだった。ワーム型が石へ力を加えるたび、床の下から返る響きが変わる。広場の端ではすぐに硬い反応が戻り、中央へ近づくほど返りが遅れた。
下が空洞。
広場の中央部、そのさらに下へ、広い空間が続いている。
戸張はしゃがみ、石床へ手を置いた。自分でも指先から細い糸を伸ばし、ワーム型が拾った場所へ軽く振動を送る。石を一枚挟んだ程度の浅さではなく、空洞の天井まで厚みがある。それでも、奥から返る感触は確かだった。
「部屋……にしては広いか?」
白いワーム型が中央から外縁へ移動する。
数体へ分かれ、石床の継ぎ目や段差へ身体を押し込んでいく。やがて一体が広場の奥、木の根に半分隠れた石の縁で止まった。
そこだけ、下へ返る感触が近い。
戸張は苔を払い、泥を手で掻き出した。現れた石材には、自然に割れたものとは違う細い溝が刻まれている。溝は途中で曲がり、隣の石の下へ続いていた。
扉か、蓋か。それとも開けるための仕掛けか。
白い糸を差し込もうとすると、溝の奥で滑るように逸らされた。力を込めれば石ごと壊せそうだが、中国で入口を爆撃した後に何が起きたかを知っている以上、試す気にはならない。
戸張は立ち上がり、広場の全体を見直した。
今度は見える。石床の広さも、中央のわずかな盛り上がりも、外周を囲む段差も頭へ入ってくる。一度内側から認識すれば、結界らしきものも完全には隠し切れないらしい。
ただ、森へ出ればまた目を逸らされる。
探索の監視網にも残らず、周囲の生き物も近づかず、その下には空洞がある。
「当たりだな」
寄生体から返ってきた反応も、戸張とよく似ていた。
広場の奥へ白い群れを残し、戸張は外周を歩き始める。地下への入口があの溝だけとは限らず、結界の境界にも何か仕掛けがあるかもしれない。
湿地の先へ続く扉探しは、この時は既に頭に無かった。




