第330話 撤収
北側の通りで見つかった最後の反応は、建物の奥に入り込んだ白い四足型だった。
外壁の半分が崩れ、二階部分が一階へ斜めに落ちている。白い虫は瓦礫の隙間へ集まっていたが、これまでのように中へ入っていかず、崩れた梁の周囲を行き来していた。
ケイレブは足跡を追い、折れた家具の間へ短槍を差し込んだ。
「一体いる。奥に人もいるかもしれない」
グラントは黒い槍を下げたまま、建物の残り方を見た。
「引きずり出せるか」
「敵だけなら。人がいるなら、先に梁を支えないと全部落ちる」
コールが盾を構え、エレナの前へ入る。救助隊員たちは工具を運び込んでいたが、建物へ近づくには白い四足型をどかす必要があった。
白い人型が通りの入口で片手を動かす。
集まっていた白い虫が梁の下から退き、代わりに蜘蛛型が二体、崩れた外壁へ回った。糸が梁と残った柱へ張られ、たわみながら重さを受け止める。
「支えられるのか?」
救助隊員の一人が糸を見上げた。
「試す時間はない。補助だと思え」
グラントが答えた。
ケイレブは短槍の先で瓦礫を叩き、奥の個体を動かした。白い四足型が低い声を出し、狭い隙間から前脚を伸ばす。
「出るぞ」
コールが盾を押し込む。
四足型は盾へ噛みつき、そのまま前へ這い出そうとした。コールは後ろへ引かず、盾を横へ傾けて頭部を外壁へ押しつける。
グラントの黒い槍が首の付け根へ入り、個体の身体が止まった。
まだ後脚が動いている。ケイレブは短槍を脇へ寄せ、ウォーハンマーへ持ち替えた。
「頭を動かすな」
「こっちは好きで抱えてるわけじゃない!」
コールが盾越しに怒鳴る。
ケイレブは四足型の頭部へ一撃を入れた。骨の割れる感触が柄へ返り、二撃目で顎が地面へ落ちる。
白い虫が傷口へ集まり、動いていた後脚も止まった。
「敵は終わりだ」
ケイレブはウォーハンマーを下げ、瓦礫の奥へ耳を向ける。
すぐには何も聞こえなかった。
救助隊員が呼びかけると、崩れた床の下から弱い返事があった。
「一人います! 反応がありました!」
エレナが救護ケースを持って前へ出る。コールは盾を持ったまま横へずれ、瓦礫の崩れる方向を塞いだ。
「呼吸は?」
「返事はできます。挟まれて動けないと」
「意識を切らさないで。梁を動かす前に位置を確認する」
蜘蛛型の糸が張られたまま、救助隊が瓦礫へ支柱を入れていく。白い虫は人間の手が入る場所から退き、まだ触れていない隙間へ流れた。
救出されたのは、腹部を圧迫された若い女性だった。
エレナは身体を触り、呼吸と脈を確認する。右腕は折れていたが、出血は少なく、意識も保たれている。
保護容器へ手を伸ばすことはなかった。
「通常搬送でいける。酸素、固定、腹部を圧迫しないで」
救急隊員が女性を担架へ移す。
コールはその様子を見てから、エレナの救護ケースへ視線を落とした。
「残り一本は温存か」
「使わずに済むなら、その方がいい」
エレナは女性の脈を取りながら答えた。
「さっきの一人で終わり?」
「そう願いたい」
「グラントの希望よりは信用できるな」
少し離れた場所で、グラントがこちらを見た。
「聞こえてるぞ」
◇
日没前、占拠区域内の主要道路と住宅区画の確認が終わった。
全ての建物を解体して調べたわけではない。地下設備の一部、崩落が激しい建物、入口跡の直下には、まだ人間が入れない場所が残っている。
それでも、白い虫が通れる範囲では大きな反応が消えていた。
州兵の前方指揮官は、地図へ最後の印を書き込んだ。
「大型反応なし。活動中の小型反応も確認されていません。地下は継続監視、救助済み区画は順次引き渡します」
無線の向こうで確認が繰り返され、各隊の報告が一つずつ返ってくる。
死亡者数、救助者数、負傷者、行方不明者、使用弾薬、破損車両、倒壊危険建物。現場が止まったことで、数字がようやく数字として並び始めていた。
エレナは使用済みポーションの空瓶を、州兵の医療担当者へ見せた。
「使用は一名。投与時刻、症状、投与量は記録済み。搬送先で診察、採血、継続観察をお願いします」
「残りは?」
「一本。こちらで管理を続けます」
担当者は空瓶を受け取ろうとしなかった。
「回収物として預かりますか」
「いいえ。あなたの管理品なら、記録だけください」
エレナは頷き、空瓶を専用袋へ戻した。中身がなくなっても、勝手に捨てていい物ではない。
コールは近くで盾の縁を布で拭いていた。
籠手の金属板と盾の表面には、爪や体液の跡が残っている。コールは付着物を落としながら固定具を確かめ、左手の指を何度か開閉した。
ケイレブも短槍とウォーハンマーを並べ、表面に残った血と甲殻片を拭っている。
「ハンマーはどうだ」
グラントが聞いた。
「使える。短槍より向いてる相手も多かった」
「持ち替えは?」
「狭い場所で急ぐと面倒だな。固定方法は考える」
「それは帰ってからだ」
グラントは黒い槍に付着した組織を布で拭い、穂先から石突まで確かめた。
「装備の洗浄と記録だけで、しばらくかかるな」
「お前の槍だけじゃない」
コールが盾を立てた。
「俺のバイクはもう使えないぞ」
「装備に数えるな」
「来る時は数えてたろ、経費で落ちなけりゃ暴れてやるからな」
グラントは返事をせず、入口跡の方へ目を向けた。倒れた最後の大型個体の近くには、白い人型が立っている。
巨体は半分以上が崩れ、灰褐色の外殻だけが路面へ残っている。白い虫はその下から流れ出し、狼型、鳥型、猪型、蜘蛛型、蜥蜴人の周囲へ集まっていた。
到着した時より数が多い。
州兵たちも、作業を続けながら何度もそちらを見ている。武器を向ける者はいなかったが、誰も完全には背を向けなかった。
「本当に帰るのか」
前方指揮官が聞いた。
「帰るつもりだろう」
「止められますか」
グラントは白い群れを見たまま答えた。
「止めたいのか?」
指揮官は黙った。
倒れた敵を処理し、生存者を見つけ、州兵の入れない場所まで確認した集団だった。同時に、敵を取り込んで増え、人間の兵士より広い範囲を自律して動く集団でもある。
助かったという事実だけで、安心できる相手にはならなかった。
◇
撤収命令が出ると、白い群れは一斉には動かなかった。
鳥型が先に上がり、通りの先を確認する。狼型が道路の左右へ散り、猪型と蜥蜴人が中央へ集まった。
白い虫は最後まで建物の隙間を回り、反応がないことを確かめるように遅れて合流していく。その流れを待っていた白い人型が歩き始めると、群れ全体の向きも変わった。
コールは壊れたバイクの横で、その動きを見ていた。
「待て」
白い人型は止まらない。
「帰り道はこっちだ」
今度は顔だけが向いた。
コールは遠くの道路を指した。
「行きと同じ道だ。分かってるなら、先に行ってくれていい」
返事はなかった。
白い人型は数秒こちらを見たあと、別の通りへ歩き出した。
「そっちは違う!」
ケイレブが地図を見た。
「合ってる。大通りを避ける道だ」
「知ってるなら最初から言えよ!」
「聞かれなかった」
コールは壊れたバイクを見下ろした。
「これはどうする」
「置いていけ」
「言うと思った」
エレナが救護ケースを背負い直す。
「怪我人を守る役は終わったわよ」
「俺の心は傷ついてる」
「歩けるなら後回し」
グラントが黒い槍を肩へ戻した。
「行くぞ。白いのを見失うな」
四人が歩き始める。
白い群れは通りの先で細く伸び、崩れた住宅街から離れていった。白い人型は振り返らず、その周囲を小さなものが絶えず行き来している。
州兵と救助隊は、その背中が見えなくなるまで作業を続けた。止める理由も、追う理由もなかった。
残された道路には、救急車の音と重機のエンジン音が戻ってくる。白い虫が最後に確認した瓦礫の下では、新たに見つかった生存者の搬送準備が始まっていた。




