第326話 白い蹂躙
最初に異変へ気づいたのは、住宅街の北側で避難誘導を続けていた警察官だった。
遠くから近づくエンジン音に混じり、地面を細かく叩く音が増えている。大型車両の列ではない。軽い音が幾重にも重なり、その下へ、四足獣が走る重い振動が混じっていた。
「道路の東側、何か来るぞ!」
無線へ報告した直後、交差点の向こうからバイクが飛び出した。
コールは片手を上げ、減速しないまま規制線へ突っ込んでくる。警察官が停止を命じようとしたが、その後ろへ現れたものを見て声が止まった。
白い狼型が、バイクとほとんど同じ速度で走っていた。背には白い人型が乗り、巨大な刃を斜めに固定している。そのさらに後方では、道路の幅を埋める白い流れが建物の間から溢れていた。
「撃つな!」
コールの怒鳴り声が、エンジン音を割った。
「白いのは撃つな! 道を空けろ!」
前線へ連絡を回されていた兵士は銃口を下げたが、全員が同時に従ったわけではない。白い虫型を見て後退する者もいれば、狼型や蜥蜴人へ照準を合わせたまま指を引き金へ残す者もいた。
コールはバイクを横滑りさせ、州兵の車両前で止めた。
「グラント・ヘイルから連絡が来てるだろ!」
「確認中だ!」
「確認してる間に来たんだよ!」
最初の白い虫型が規制線へ届いた。
兵士の靴へ向かっていた流れは、触れる直前で左右へ割れた。白い虫は車両の下と歩道へ分かれ、その後ろから来た狼型も、人間が立つ場所だけを避けて走り抜ける。
兵士たちの銃口が少しずつ下がった。
「通せ!」
前方指揮官が叫んだ。
「白いものへの射撃は禁止! 人間へ向かった個体だけ撃て!」
白い流れは命令を待っていたようには見えなかった。軍と警察の間を勝手に抜け、住宅街へ入ると、その場にいる小型モンスターへ一斉に向きを変えた。
塀の上を走っていた細長い個体が、白い鳥型に上空から押さえ込まれる。車両の下へ潜んでいた四足型には虫型がまとわりつき、逃げ出したところを狼型が横から噛み倒した。
州兵の射撃が止まった数秒の間に、前線の形が変わった。
人間へ向かっていた小型個体が、白い流れを避けようと入口側へ向きを変える。路地から出てきた別種の個体も、目の前の兵士ではなく、壁を覆って近づく白い虫へ牙を剥いた。
白い群体は反応した個体へ集中し、人間のいる場所を空けたまま包み込んだ。
「……本当に、こっちは見てない」
州兵の一人が呟いた。
「眺めてる場合か! 白くない奴を撃て!」
指揮官の怒鳴り声で、兵士たちは射撃を再開した。
今度は白い個体が敵の向きを変え、州兵が開いた側面へ撃ち込む。これまで各方向から押されていた防衛線が、白い流れを境に押し返し始めた。
◇
住宅の隙間を抜けてくる白い鳥型を見て、グラントは黒い槍を下ろした。コールから話は聞いていたが、軍勢という言葉がこれほどそのままの意味だとは考えていなかった。
白い虫が道路を覆い、屋根と塀を越えて流れ込んでくる。その間を狼型や蜘蛛型が走り、蜥蜴人が長い武器を持って小型モンスターを押し返していた。
単に数が多いだけではない。
屋根へ上がる個体、路地を塞ぐ個体、負傷した敵へ集まる虫型が、それぞれ別の動きをしている。互いにぶつからず、人間を避けながら、戦線の穴だけを埋めていた。
「驚かんように気張るんじゃなかったの?」
エレナが隣へ戻ってきた。
「無理だった、ちょっと漏らしそうだ」
ケイレブも屋根の上を見たまま、短槍を下げない。
「白い方が多く見える」
「まだ後ろから来てる」
グラントの通信端末が鳴った。
『前方指揮よりヘイル。白い集団の先頭が住宅街へ進入した。現時点で人間への攻撃なし』
「そのまま撃つな。敵が白い流れへ向いたら、側面から撃て」
『あれを指揮しているのは誰だ』
グラントは答える前に、道路の先を見た。
コールのバイクが車両の間を抜けてくる。そのすぐ後ろを、白い人型を乗せた狼型が走っていた。
「分からない」
『分からない?』
「俺たちが知ってるのは、六層にいた白い人型だということだけだ」
白い人型はグラントたちへ寄らず、狼型の背から周囲を見回した。入口方面へ上がる黒煙と、その向こうに見える黒緑色の巨体へ顔を向ける。
グラントは片手を上げた。
「来てくれたか!」
白い人型は一度だけこちらを見たものの、返事をせず、狼型を入口方面へ加速させた。
「挨拶くらいしていけ!」
コールがバイクで追いながら叫んだ。
「グラント! 説明は後だ! こいつ、あれを見た瞬間に行きやがった!」
「止められると思うか?」
「言ってみただけだ!」
グラントは黒い槍を担ぎ、エレナとケイレブへ視線を向けた。
「追うぞ」
「負傷者は後ろへ抜けた」
エレナは救護ケースを背負い直した。
「道は白いのが作ってる」
ケイレブが入口方向へ走る狼型を追って踏み出すと、グラントとエレナも続いた。三人の接近を察した白い流れが左右へ割れ、入口跡へ続く進路を空ける。
◇
入口跡周辺では、全身を地上へ現した黒緑色の巨大個体が、州兵の防衛線へ迫っていた。
胴体は前後に長く、六本の太い脚で地面を掴んでいる。背中には蒸気を吐く裂け目が並び、前方から垂れた触手状器官が車両や瓦礫を巻き上げていた。
頭部と呼べる部分はなく、前端に開いた縦長の穴が、呼吸に合わせて収縮している。
対装甲火器を受けた側面には大きな傷があった。それでも歩みは鈍らず、裂け目から噴き出す蒸気が傷口を覆っていた。
その後方では、別の大型個体が瓦礫を押し上げている。
最初の巨体より細身だが、地面へ触れる脚が異様に長い。建物の陰から曲がった脚が何本も現れ、節を伸ばすたびに身体が高く持ち上がった。
「第一大型、前進継続!」
「対装甲弾、残り二!」
「航空支援は!」
『民間人退避が終わっていない! 攻撃許可は保留中!』
州兵の防衛線が下がる。
黒緑色の巨体が触手を振り、前方の装甲車を横倒しにした。車両の陰にいた兵士が転がり、別の兵士が腕を掴んで引きずる。
逃げる二人の真上で巨体の脚が上がり、樹皮状の足裏が覆いかぶさるように降りてきた。そこへ横から白い狼型が飛び込む。
白い人型は狼の背から跳び、空中で巨大な刃を引き抜いた。白い糸が背と腕へ張り、刀身の重さを身体全体へ分散させる。
断骨刀が、降りてきた脚へ横から入った。
湿った樹皮を裂く音が響き、太い脚が半ばから折れる。巨体の身体が傾き、足元の兵士二人は転がるように逃れた。
白い人型は着地すると、そのまま断骨刀を引き抜いた。
切断し切れなかった組織が白い糸へ絡みつき、刃の動きに合わせて千切れる。巨体が蒸気を吐き、残る脚で身体を立て直そうとした。
白い群れが追いついた。
虫型が脚へ登り、裂け目と傷口へ入り込む。狼型が触手へ噛みつき、蜘蛛型が糸を張って地面と車両の残骸へ固定した。
巨体が触手を振ると、狼型が何体も宙へ飛ばされる。白い人型はそちらを見ず、折れた脚の付け根へ向かって走った。
「止めろ! あれの前へ出るな!」
州兵の指揮官が叫んでも、白い人型は振り返らず、強化された脚で瓦礫を蹴った。
一度の踏み込みで巨体の下へ入り、断骨刀を下から振り上げる。厚い外皮が割れ、裂け目の一つが縦へ大きく開いた。
噴き出した白い蒸気が白い人型を包み、その中へ巨体の触手が振り下ろされた。黒い槍を持って追いついたグラントが叫ぶ。
「避けろ!」
触手は地面を打って舗装路を割ったが、その場所に白い人型は残っていなかった。巨体の外皮へ白い糸を突き刺し、身体を引き上げている。
断骨刀を片手で引きずりながら、樹皮状の表面を駆け上がっていく姿を見て、グラントは足を止めた。
「……あれ、本当に人間か?」
「今聞く?」
息を切らしたエレナが追いつき、その横でケイレブが巨体の脚と白い群れの位置を確かめる。
「正面へ撃つな! 白い人型が上にいる! 傷口だけ狙え!」
ケイレブの声を受け、州兵は射線を変えた。白い群れが開いた側面へ集中射撃を始める間も、巨体の上では白い人型が裂け目の間を走っている。
蒸気が噴き出す直前に横へ跳び、触手が戻る前に断骨刀を振る。刃が外皮へ入るたび、巨大な裂け目が増えていった。
白い虫型がその傷へ殺到し、外皮の下へ潜ったものが白い筋となって全身へ伸びていく。巨体はついに前進を止めた。
六本の脚が別々の方向へ力をかけ、身体が左右へ揺れる。触手も狙いを定められず、地面と空を交互に打った。
白い人型は背中の中央へ辿り着いた。
断骨刀を両手で持ち上げる。白い糸が肩、背中、腰、脚へ分岐し、一本の動きへまとめられた。
刃が振り下ろされた。
外皮を破る音の後、巨体の内部から鈍い破裂音が返る。断骨刀は半ばまで埋まり、白い人型は柄を離さず、さらに深く押し込んだ。
黒緑色の巨体が大きく沈んだ。
脚の一本が崩れ、次いで反対側の二本も力を失う。触手が最後に一度だけ持ち上がったが、白い狼型と蜘蛛型に引かれ、地面へ落ちた。
巨体は住宅街の手前で止まった。
白い人型が断骨刀を引き抜くと、背中の裂け目から白い虫が溢れ出した。内部へ入り込んでいた群体が、外皮の上を流れて地面へ下りていく。
グラントは黒い槍を下ろし、地面へ伏した巨体を見た。携行火器では止められず、ミサイルを待つしかないと考えた相手が、到着から数分も経たずに動かなくなっている。
「蹂躙って、こういうことか」
コールがバイクを止め、ヘルメットのシールドを上げた。
「まだだ」
グラントは入口跡を見た。
瓦礫の向こうで、長い脚を持つ二体目が身体を持ち上げている。さらにその足元から、小型個体が途切れず溢れていた。
白い人型が同じ方向へ顔を向けると、狼型が巨体の脇へ走り込んだ。その背へ断骨刀を戻さないまま飛び乗り、倒れた巨大個体の先を見据える。
白い軍勢も巨体を左右へ避け、再び入口跡へ向かって進み始めた。
コールが笑った。
「本丸は、あっちだってさ」
白い人型を乗せた狼型が駆け出し、その後ろから軍勢が入口跡へ雪崩れ込んだ。




