第325話 勘弁してはくれない
コールからの通話が切れても、グラントの耳にはエンジン音と風切り音が残っていた。
ハウンドダンジョンから出た白いものが、軍勢と呼ぶほどの数でこちらへ向かっている。内容を聞き返す余裕はなく、グラントは黒い槍で四足型を押し返しながら、肩の通信端末を開いた。
「現場指揮へ。ハウンドのグラント・ヘイルだ。外部から白い集団が接近している」
『白い集団? 数と種類を』
「数え切れない。人間を避けて移動する。すでにこちらで確認したホワイトスウォームと同系統の可能性が高い。先に撃たせるな」
『待ってください。同系統という根拠は』
グラントの足元を白い虫が通り抜けた。
細かな群れは二つに割れて三人を避け、路地から飛び出した小型個体へまとわりつく。その横では、寄生された細長い個体が敵の背へ飛び乗り、前脚を首元へ食い込ませていた。
「今、俺の目の前で人間を避け、モンスターを襲ってる」
『味方と断定できますか』
「多分だ。だが、撃てば敵になるかもしれない」
通信の向こうが短く黙った。
「軍、警察、州兵、武装した探索者最優先で回せ。白いものへ照準を向けても、発砲は待て。人間へ襲いかかるまで撃つな」
『注意情報として流します。射撃停止命令は現場指揮官の判断になります』
「阿呆! それで敵に回ったらどうすんだ! 御託はいいから急げ!!」
グラントが通信を切る間にも、敵は増えていた。
庭を越えてきた二体へケイレブが盾を向け、エレナは後方の州兵へ負傷者を預けて戻ってくる。白い虫は三人の周囲へ薄く広がり、倒れたモンスターの傷口へ入っては、白い流れを少しずつ厚くしていた。
「コールは?」
ケイレブは盾の縁で小型個体の頭を流し、開いた首元へ短槍を入れた。
「向かってる。連れてきた数は本人にも分からない」
「それで軍勢?」
「見れば分かるそうだ」
「絶対に驚かんように気張らんとな」
グラントは正面の個体へ槍を突き入れ、反転させた穂先で別の一体の脚を払った。強化された身体はまだ動いたが、敵が来る方向は増え続けている。
屋根、庭、路地、放置車両の下。前方から押し返せば側面へ回り、側面を塞げば建物を抜けて背後へ現れた。
エレナが拳銃を二発撃ち、グラントの死角へ入った小型個体を車体の横へ逸らした。
「後ろの線まで下がる?」
「負傷者は抜けたか」
「今ので最後。けど、このまま下がれば住宅を一列渡すことになる」
ケイレブが屋根の上へ目を向けた。
「残ってる住民がいない保証もない」
「なら、もう少し持つ?」
グラントは現場指揮へ再接続しようとしたが、別の回線が先に割り込んだ。
『ヘイル、こちら州兵前方指揮。白い群れに関する情報を受信した。到着経路は』
「ハウンド旧ダンジョンから現場までの道路だ。コール・マーサーが先導している」
『こちらの封鎖線へ入る前に識別できるものは』
「バイクの後ろに、白い人型が狼へ乗っている」
『白い人型?』
「説明は後だ。バイクを撃つな。狼も撃つな。その後ろの白いものも、先に撃つな」
『ずいぶん注文が多いな』
州兵の声には苛立ちが混じっていた。
「簡単にしてやろう、白かったら撃つな」
『了解した。各線へ回す』
今度は通信が切れる前に、入口方面から低い破裂音が届いた。
銃声とは違い、重火器が何かへ命中した時のように、空気が一度だけ太く揺れる。続いて複数の機関銃が鳴り始め、住宅の窓が細かく震えた。
ケイレブが振り返る。
「本丸で何か出たな」
グラントも入口の方角を見たが、住宅と煙に遮られて何も見えなかった。代わりに、現場共通回線へ怒鳴り声が流れ込んでくる。
『入口前方、後退! 大型が瓦礫を越える!』
『大きさを報告しろ!』
『全体が見えない! 入口建物より高い!』
『対装甲火器を前へ! ダンジョンには絶対当てるなよ!』
別の声が重なり、最初の報告が聞き取れなくなった。
グラントは近くの州兵へ路地を任せ、車の屋根へ片足をかけた。強化された脚で車体へ上がり、さらに隣家の低い塀へ移る。
屋根まで登る必要はなく、煙の向こうから、それは見えていた。
入口施設があった場所より、はるかに高い位置へ、黒緑色の盛り上がりが現れている。最初は崩れた屋根か、煙に隠れた建物の一部に見えた。
それが動いた。
地面へ着いているはずの脚は住宅に隠れ、上半分しか見えていない。それでも、背中らしい部分だけで二階建ての家を越えていた。
外皮は甲殻の板ではなかった。厚い樹皮を濡らして重ねたような表面に、縦長の裂け目がいくつも並び、開閉するたび内側から白い蒸気を吐き出している。
頭部らしい区別もない。
前方へ突き出した胴の下から、太い触手に似た器官が何本も垂れ、瓦礫や車両を探るように左右へ動いていた。一本が地面へ触れるたび、停車した車が数台まとめて揺れる。
州兵の対装甲火器が発射された。
弾頭は側面へ命中し、黒緑色の外皮を大きく抉った。煙と組織片が飛んだものの、巨体は止まらない。傷口の周囲にある裂け目が一斉に閉じ、身体を傾けながら前へ進んだ。
次の一歩で、住宅の屋根が見えなくなった。
踏み潰したのか、押し倒したのかまでは分からない。建物の向こうから粉塵が上がり、電柱が一本、ゆっくり道路へ倒れた。
グラントは車の屋根から降りた。
「何が見えたの」
エレナが聞いたが、グラントはすぐに答えられなかった。
黒い槍で届く高さではない。携行火器が通じても、あの質量を止めるには足りない。戦車砲か航空攻撃、それも一発で済むようには見えなかった。
入口を爆破されたと聞いた時から、覚悟はしていた。
中国で起きたことが偶然ではないなら、浅い階層の個体だけで終わるはずがない。現場がどれだけ早く対処しても、入口そのものを壊された後では、こちらの都合など聞いてくれない。
「まあ、勘弁してはくれないよな」
口から出た声は、自分で思ったより乾いていた。
「どれくらい?」
ケイレブが尋ねる。
「遠くから見て、家よりでかい。頭がどこかも分からない。触手みたいなものが何本もある」
「倒せそう?」
エレナの問いに、グラントは入口方向へ上がる煙を見た。
「ミサイルが来るまで、近づけさせない方法を考える相手だ」
ケイレブは一度だけ目を閉じ、道路と住宅の配置を見直した。
「あれがこっちへ曲がったら、この通りは使えない。北へ抜ける線をもう一本作る」
「やれ。エレナは避難側へ伝えろ。建物の中にも残るな」
「地下は?」
「入口に近い地下は避けろ。上も安全じゃないが、潰される場所よりは動ける」
二人が動き出すと、グラントは黒い槍を構え直した。
目の前では、白い虫と寄生された細長い個体が、まだ小型モンスターを押し返している。白い流れは敵の死体を分解するたびに広がり、州兵の足元を避けながら戦線の隙間へ入っていった。
それでも入口から来る敵の数は減らず、小型個体が住宅街へ流れ込み、その奥では家より大きな何かが前進を始めている。
現場共通回線へ、新しい警告が入った。
『巨大個体の後方に、別の反応! 一体ではない!』
グラントは返事をせず、入口の方角を見た。黒煙の中で、最初の巨体とは違う位置から、もう一つ地面が持ち上がっていた。




