第324話 ホワイトレギオン
グラントは、エレナへ覆いかぶさっていた細長い個体を見下ろした。
白い虫が顔から首へ潜り込んでいる。それでも前脚は路面を掻き、エレナの方へ頭を向けようとしていた。
「離れてろ」
エレナが何か言うより先に、グラントは黒い槍を拾った。穂先を細長い胴の脇腹へ突き入れ、路面まで押し込む。
身体が大きく跳ねた。
白い虫が傷口の周囲へ集まったが、個体の動きは急には止まらない。グラントは柄へ体重をかけ、もう一度深く刺し込んだ。
細長い身体から力が抜ける。
「何をしてるの!」
「まだ動いてた」
「白いのが入ってた」
「だから何だ。お前の顔の横で待てるか」
エレナは言い返そうとして、路地の奥を見た。
「来る」
グラントが槍を引き抜くと、ケイレブが道路の中央へ戻ってきた。
「三体。後ろにもいる」
「エレナ、立てるか」
「怪我はない」
エレナは自分の髪を気にしながら立ち上がった。白い虫の姿は、もう残っていない。髪へ戻ったのか、細長い個体へすべて移ったのかも分からなかった。
確かめる時間はなかった。
路地から白い四足型が二体現れ、屋根の端には別の細長い影が見える。さらに民家の庭から、背中へ硬い突起を並べた小型個体が這い出してきた。
「下がる?」
ケイレブが聞いた。
「兵士を運ぶまで、ここを持つ」
エレナは救護ケースを拾い、負傷兵の方へ走った。
グラントとケイレブが並んで前へ出る。四足型の一体が低く身体を沈め、もう一体が横の庭へ回った。
「右は任せる」
「見えてる」
ケイレブが庭側へ向きを変える間に、正面の一体が身体を沈めた。グラントは黒い槍を構え、その跳躍を待った。
穂先を正面へ置くと、個体は空中で身体を捻った。槍を避けながら前脚を伸ばし、グラントの肩へ爪を向ける。
グラントは踏み込んだ。
強化された身体が個体の予想より先へ入り、槍の柄を首の下へ当てる。そのまま路面へ叩き落とし、胸へ穂先を突き込んだ。
横では、ケイレブが盾で二体目の進路を塞いでいた。
個体は正面からぶつからず、塀へ前脚をかけて跳び越えようとする。ケイレブは盾を捨てず、身体ごと塀へ寄せて着地点を狭めた。
「そっちへ行く!」
落ちた個体へ、エレナが短剣を投げた。
刃は肩へ浅く刺さっただけだったが、個体の頭がそちらへ向く。ケイレブが空いた脇腹へ短槍を入れ、塀へ押しつけた。
屋根から細長い個体が落ちる。
グラントは黒い槍を引き抜き、石突きで頭部を払った。地面へ落ちたところを踏みつけたが、長い身体が足首へ巻きついてくる。
「足!」
エレナの声に、グラントは片脚を持ち上げた。
ケイレブが短槍を振り、巻きついた身体を路面へ落とす。グラントは穂先を突き立て、動かなくなるまで押さえ込んだ。
背中へ突起を持つ個体が負傷兵へ向きを変えたため、エレナは救護ケースを置き、拳銃を抜いた。
二発撃っても止まらない。頭部へ当たった一発で進路が逸れ、個体は停車中の車へぶつかった。
グラントが間へ入り、黒い槍を横から突き入れる。ケイレブも反対側から短槍を入れ、二人で車体へ縫い止めた。
「搬送は?」
「あと一人!」
エレナは肩を負傷した兵士へ腕を貸し、北側へ送った。残っているのは、足首を噛まれた兵士だけだった。
州兵二人が戻り、仲間の脇と脚を持つ。
「下がって!」
エレナの声で、四人が負傷兵を運び始めた。
グラントは追ってくる個体へ槍を向け、ケイレブと並んで後退する。正面の路地から二体、屋根から一体。右の民家では窓ガラスが割れ、さらに別の影が室内を横切った。
「終わらないな」
「入口から出続けてる」
「コールが間に合うまで、減らすしかない」
グラントが一体を槍で押し返し、ケイレブが脚を払う。転んだ個体へ穂先を入れたところで、別の一体がケイレブの背後へ回った。
エレナが拳銃を撃つ。
弾が個体の肩へ入り、ケイレブは振り返ることなく横へ跳んだ。グラントがその間へ踏み込み、槍を下から突き上げる。
三人は負傷兵との距離を保ちながら、通りを一軒ずつ下がった。
射撃音が近づき、州兵の防衛線が見え始める。しかし、その手前にも小型個体が入り込み、兵士たちはこちらを援護する余裕がなかった。
「左の車まで!」
ケイレブの指示で、三人は横転した乗用車の陰へ入った。
グラントは呼吸を整える暇もなく、車体を越えてきた四足型へ槍を振った。穂先が外皮を裂き、個体が路面へ落ちる。
後ろから来た細長い個体をケイレブが盾で受け、エレナが短剣を首元へ差し込んだが、間を置かず次の個体が車体を越えてきた。
強化された身体はまだ動く。槍も盾も軽く、外なら止まっていたはずの呼吸も乱れ切ってはいない。それでも、三人の周囲から敵が減る様子はなかった。
グラントは黒い槍を振り、四足型の顔を横へ払った。ケイレブが開いた胴へ短槍を入れ、エレナは背後から近づいた小型個体へ拳銃を撃つ。
何体目か数える意味がなくなった頃、グラントの脇を何かが通り抜けた。白い影ではなく、路面すれすれを走る細長い身体だった。
それはグラントたちへ向かってきた四足型の首へ飛びついた。
「何だ?」
ケイレブが盾を上げる。
細長い個体は四足型の頭部へ巻きつき、体勢を崩した。そのまま前脚を首元へ食い込ませ、路面へ引き倒す。
エレナが目を見開いた。
「あれ……」
先ほど、彼女へ飛びかかってきた個体だった。
脇腹にはグラントが刺した傷が残り、そこから白い糸のようなものが覗いている。致命傷を受けていたはずの身体はぎこちなく動きながらも、狙う相手を選んでいた。
四足型が暴れて細長い個体を引き剥がそうとする。
白い糸が傷口から伸び、細長い身体の内側を支えるように張った。前脚がさらに深く食い込み、四足型の首が不自然な方向へ曲がる。
「撃つな」
グラントが近くの州兵へ叫んだ。
「そいつは今、こっちを狙ってない!」
言い終える前に別の小型個体が細長い個体へ飛びかかり、グラントは横から黒い槍を突き入れた。
貫かれた個体が路面へ崩れても、細長い個体はグラントへ反応しない。倒した四足型から離れ、次の敵へ頭を向けた。その動きを追ったグラントの視界の端では、別の白いものが広がっていた。
先ほど首を折った四足型の死体を、細かな白い虫が覆っている。
外皮の下へ入り、傷口を広げ、肉と組織を細かく崩していた。血や臓器が路面へ散ることはなく、白いものの中へ消えていく。
虫の数が増えていた。
死体が小さくなるほど、白い流れは厚くなる。やがて四足型の形が崩れ、そこから生まれた白い虫が路面を這って細長い個体へ向かった。
グラントは、その動きを知っていた。
とある日本の映像で何度も見た。人間を避け、モンスターだけを襲い、日本人の周囲に現れた白い群れ。
「ホワイトスウォーム……」
エレナが自分の髪へ触れた。
「これが、ずっと私に?」
グラントは答えなかった。
細長い個体が次の敵へ飛びつき、増えた白い虫がその後を追う。白い流れは三人を避け、足元を左右へ分かれて進んでいった。
州兵が再び銃を向けたため、グラントは黒い槍を片手で持ち上げ、射線の前へ出た。
「白いのは撃つな!」
「味方なんですか!」
グラントは、敵へ襲いかかる細長い個体を見た。
「多分な!」
◇
旧ハウンドダンジョンの封鎖施設から、バイクが飛び出した。
ゲートが開き切るのを待たず、コールは車体を傾けて警備車両の脇を抜ける。舗装路へ後輪が乗ったところでアクセルを開き、封鎖施設から距離を取った。
エンジン音の後ろで警報が鳴り始め、一層側のワープから最初の白い群れが現れた。
床を覆う細かな白いものが転移円から溢れ、入口へ向かって流れてくる。その中を狼型や蜘蛛型が走り、低く翼を畳んだ鳥型が続いた。
警備員たちは、ワープから何が出ているのか理解できないまま武器を構えた。封鎖施設の職員も壁際へ下がり、監視端末と白い流れを何度も見比べている。
コールはバイクを急停止させ、後輪を滑らせながら振り返った。
「撃つな!」
ヘルメット越しでは声が届かない。コールはシールドを上げ、さらに怒鳴った。
「そいつらを撃つな! 道を空けて、全部出せ!」
「何を連れてきたんです!」
「説明は後だ! 攻撃しなければ、向こうもお前らを避ける!」
警備員の銃口が白い群れを追った。
床を埋めた白いものは、職員や警備員の靴へ近づくたびに左右へ割れ、触れずに通り過ぎていく。狼型も人間の前で進路を変え、開いたゲートへ向かった。
「本当に撃つな! 見送れ!」
コールはバイクを降りず、片手で出口を示した。その間にも転移円の光が消える前に次の個体たちが現れ、先の群れを追って流れ出す。
ワープは本来、少人数の探索者と装備を移動させるためのものだった。今は転移が終わるたびに次の白い群れが流れ込み、光が完全に弱まる暇もない。
白い虫型が床へ広がり、その上を猪型と蜥蜴人が進む。数体の狼型が前へ飛び出し、出口周辺を確認してから左右へ散った。
ワープの表面が一度だけ大きく揺れ、監視端末へ顔を寄せた職員が声を上げた。
「あれ大丈夫なんですか!?」
「止めるな!」
「明らかに過剰に動いてますけど!?」
「壊れるまで使わせろ!」
「壊れたらあれどうやって帰すんですか!?」
「帰る話は、向こうを助けてからだ!」
転移円がまた光り、狼型の背へ跨がった白い人型が姿を見せた。
背には巨大な刃が固定され、腰には山刀がある。白い糸が狼型の胴と脚へ伸び、騎乗する身体も背へ縫いつけるように支えていた。
コールは白い人型と一度だけ目を合わせた。
「俺が前を走る!」
返事を確かめる余裕はなく、コールはバイクを発進させた。狼型も最初の踏み込みで距離を詰め、次の瞬間にはバイクの横へ並びかける。
白い人型を支える糸が張り、狼型の脚へ絡んだ白いものが、腱を補うように伸び縮みしていた。
後方ではワープが光り続け、そこから現れた白い群れが封鎖施設を抜け、開かれた道路へ広がっていく。
小型の白いものは路面の端へ寄り、側溝や歩道、塀の上へ分かれて進む。狼型や蜥蜴人は車道を走り、鳥型は低空から先行した。
警備員の一人が無線を握った。
「外へ出ました! 白い生物が、数え切れないほど――」
コールは減速せず、肩越しに叫ぶ。
「現地へ伝えろ! ハウンドダンジョンから出た白いものを攻撃するな! 軍にも警察にもだ!」
「識別は!」
「白い奴だ! 人間を避けて、同じ方向へ行く! とにかく撃つな!」
封鎖施設が後方へ遠ざかる。
ワープから出た最後尾がどこなのか、コールには見えなかった。道路の向こうまで白い流れが続き、まだゲートの内側から新しい個体が現れている。
郊外の道路へ入ると、避難車両の列が始まった。
事故と封鎖の情報を受け、現場から離れようとする車が片側を埋めている。反対車線にも動けなくなった車両が残り、乗員が窓から白い流れを見ていた。
コールは中央の隙間を抜けた。
狼型は白い人型を乗せたまま、そのすぐ後ろを走る。白い群れは車両へ正面からぶつからず、歩道と路肩へ分かれた。
虫型が車の下を通り、軽い個体はボンネットや屋根へ上がる。車体が沈みかけると、白い流れは途中から隣の車や歩道へ移り、止まることなく先へ進んでいった。
重い猪型や蜥蜴人は車の上へ乗らず、中央線と路肩の空いた場所を選んで走る。鳥型は電線を避けながら低く飛び、先の渋滞へ白い波の進路を広げていた。
日陰に入ると、白い群れは道路の灰色へ沈んだ。
建物の隙間から陽光が差し込むたび、虫型の殻や個体の外皮が一斉に光を返す。白は細かな点となって弾け、それが道路いっぱいに繋がって前へ進んだ。
車から降りていた避難者たちが、道の端へ寄った。
誰かが銃を持ち上げかけ、周囲の者に腕を押さえられる。白いものは人間の前で二つに割れ、触れずに再び一つの流れへ戻っていった。
親に抱かれた子供が、その様子を見ていた。
片腕には、小さな人形を抱えている。着せ替え用の服が片方だけ脱げかけ、人形の腕が揺れていた。
子供は逃げようとも泣こうともせず、日差しの中を流れていく白いものへ顔を向けた。
「きれい」
母親は返事をしなかった。
子供を抱く腕へ力を込め、白い流れが途切れるのを待っている。しかし、道路の先から続く軍勢は、まだ終わりが見えなかった。
コールはミラーを見た。
白い人型を乗せた狼型が、バイクのすぐ後ろを維持している。その後方を、道路の幅いっぱいに白いものが進んでいた。
群れと呼ぶには、役割が分かれすぎている。
虫型が道を取り、狼型が外縁を走り、鳥型が上空へ広がる。猪型と蜥蜴人は白い流れの中へ間隔を空けて並び、後続を守るように進んでいた。
コールは通話を繋ぎ、グラントを呼び出した。
『コール?』
「軍へ伝えろ! 今からそっちへ行く白いものを撃つな!」
『白いもの?』
「ハウンドダンジョンから出た! 人間は避ける!」
グラントの後ろで銃声が続いた。
『白い物って事はホワイトスウォームか!?』
コールはもう一度ミラーを見た。
陽光を受けた白い波が、道路も歩道も埋めながら続いている。先頭も最後尾も、一度に視界へ収まらなかった。
「群れ――」
口にした言葉が、目の前の光景と合わない。
「違う! これは軍勢だ!」
コールは前を向き、煙の上がる方角へアクセルを開けた。




