第320話 入口の外
警報が鳴ると、入口施設にいた者たちは一度だけ動きを止めた。
壁際で装備を外していた探索者も、受付端末へ顔を寄せていた職員も、何の警報か確かめるように天井を見た。遅れて赤色灯が回り始め、施設内放送が駐車場への退避を繰り返す。
「入口から離れてください! 荷物は置いたままで構いません!」
受付にいた女性職員が声を張り上げると、探索者たちは外した防具や回収袋を残して退避口へ向かった。
マークは床へ膝をついたまま、入口へ続く通路を見ていた。肺が空気を受けつけず、息を吸うたびに喉の奥が鳴る。肩を貸そうとした職員の手を振り払い、もう一度立とうとした。
「閉めるなら……先に聞け。中に入るな」
「分かりました。立たなくていいので、ここから出ますよ」
「四人いる」
「お仲間ですね。名前は後で聞きます」
「後じゃ遅い。今すぐ救助を入れたら、そいつらも殺される」
マークが職員の腕を掴むと、女性職員は入口を一度見てから緊急端末へ口を寄せた。
「内部で人間による襲撃が発生。襲撃者は一般的な探索装備を使用しており、外見での識別は困難です。救助班は進入せず待機してください」
『進入保留、了解。襲撃者の人数は』
「確認できていません。生還者の証言を整理します」
復唱が終わる前に、入口側から何かが床を蹴る音がした。
施設内に残っていた探索者たちが武器へ手を伸ばす。警備員二人が入口前へ移動し、透明な防護板の脇から通路を覗いた。
最初に現れたのは、マークたちを追い越してきた小型個体だった。
灰色の四足型が通路から飛び出し、照明の明るさに怯んだように頭を振る。施設内の人間へ顔を向けたものの、すぐには襲わなかった。
「待て、まだ撃つな!」
警備員が叫び、探索者が構えた短槍の先を手で押し下げた。
四足型は受付カウンターへぶつかりそうになり、床を滑りながら向きを変えた。そのまま開放された退避口を抜け、駐車場へ飛び出していく。
続けて現れた細長い二体のうち、一体は壁へ沿い、もう一体は床へ伏せるように走った。人間の脚が並ぶ場所へ入っても噛みつかず、わずかな隙間を縫って外へ向かう。
入口施設にいた者たちは、何が起きているのか分からないまま道を空けた。
「奥から逃げてる」
マークの掠れた声を聞き取った警備員は、入口前の職員へ下がるよう手を振った。防護板の外側へ人員を残し、施設内の探索者には駐車場北側への移動を命じる。
外では、退避を始めた者たちが車の間で立ち止まっていた。
入口から出た四足型が駐車場を横切っている。周辺の探索者へ襲いかからず、車両の隙間を縫いながら敷地の外へ向かっていた。
「追わなくていいのか?」
荷台から槍を取った男に、職員が敷地北側を指す。
「近づかないでください。外へ出た個体は警察へ連絡します」
「まだ警察はいないだろ」
「だから、あなたも入口前に残らないでください!」
駐車場の出口では、警報を聞いて停車した車と、事情を知らず入ろうとする車が重なっていた。係員二人が両腕を振り、後続車を道路へ押し戻そうとしている。
施設から出た細長い個体が停車中の車の下へ潜り込むと、運転席の女が悲鳴を上げ、助手席の男がドアへ手をかけた。
「出るな! 窓も開けるな!」
近くにいた探索者が車体を叩いた。細長い個体は反対側から姿を見せ、そのまま排水溝へ身体を滑り込ませる。
「人を狙ってないぞ」
「今だけかもしれない。近づくな」
盾を持った別の探索者が周囲を下がらせる間にも、入口施設から硬い突起を背負った個体と、犬ほどの小型個体二体が走り出てきた。種類は違っていたが、互いに争わず、施設から離れる方向へ散っていく。
駐車場にいた探索者たちは、追うべきか、入口を守るべきか判断できずにいた。
警備員が拡声器を取り出した。
「全員、北側へ移動してください! 武器を持っている方も、入口前には集まらないでください!」
「中に仲間がいるんだ!」
若い男が人の流れに逆らい、入口施設へ戻ろうとする。
「今は入れません」
「顔を見れば仲間くらい分かる!」
「知らない相手に仲間の名前を呼ばれたら?」
進路を塞いだ警備員は、男が言葉を返せないうちに続けた。
「血まみれで助けを求められて、武器を捨てろと言えますか。できないなら、今は下がってください」
若い男は奥歯を噛み、入口施設を見たまま後ろへ下がった。
施設の奥では、爪や足が床を叩く音が増えている。その中へ人間の叫び声らしいものが一度混じり、入口から離れていた探索者たちが揃って振り返った。
マークも顔を上げた。
「今の……四人かもしれない」
立ち上がろうとして身体が傾き、そばの職員に支えられる。
「まだ生きてる。行かせてくれ」
「あなたは戻れません」
「俺だけ出てきて、ここで見てろって?」
「中へ入って、あなたまで死ねば伝えられることが減ります」
職員はマークの腕を肩へ回し、退避口へ向けて歩き始めた。
「入口は見ています。人が出てきたら武器を捨てさせて確認します。だから今は、ここで倒れないでください」
マークは押し返そうとしたが、脚に力が入らない。何か言おうとするたびに咳が続き、結局、職員へ体重を預けたまま外へ運ばれた。
最初の警察車両が駐車場へ入り、続いて救急車と消防車が到着した。
警察官は入口施設へ駆け込まず、職員から情報を受けながら駐車場外周へ規制線を作る。消防側は北側へ救護区域を設け、一般車両の退避には別の警察官が回された。
「入域記録をください」
現場指揮を引き継いだ警察官に、受付責任者が端末を渡した。
「本日の入域者は五十九名です。警報後に退出を確認できたのは三名。内部に五十六名残っています」
「数字は確定でいいんですね」
「登録証、同行申請、入口通過記録が一致しています。少なくとも、入った人数に漏れはありません」
警察官は画面を指で送り、時刻の異なる入域記録を確認した。
「襲撃者の見当は」
「つきません」
「三十五名前後が先に活動していて、後から二十四名が複数組に分かれて入っている」
「はい。ただ、後から入った方が全員襲撃者とは限りません。先に入っていた方に襲撃者が混じっていないとも言えません」
受付責任者は画面に並ぶ顔写真を見ながら首を振った。
「登録上は、全員が通常の利用者です。防具も武器もメーカーや型がばらばらで、同じ集団だと判断できる特徴はありませんでした」
「正規の登録証を使って入った人間が、内部で他の探索者を殺している。人数は分からない、と」
「そうです」
警察官は端末を返さず、横にいた部下へ画面を見せた。
「名簿だけで判断はできない。出てきた人間は全員、武器を床へ置かせて、名前が記録と一致しても、確認が済むまで近づけるな」
「負傷者もですか」
「負傷者を装って撃ったと証言がある。救護は遮蔽物の後ろで行う」
入口施設の職員が、警察官の横から口を挟んだ。
「こちらから中へ入るのは」
「まだ入れません。中の五十六名が、救助対象と襲撃者に分かれている。人数の内訳が分からないまま班を送れば、背中を取られます」
「ですが、生存者が――」
「分かっています」
警察官は入口へ視線を移した。
「今は、外へ出てくるものを止めます。中へ入る準備は、それと並行して進めてください」
救護区域では、救急隊員がマークの腕へ血圧計を巻いていた。酸素飽和度の表示を見て顔をしかめ、鼻と口を覆うマスクを差し出す。
「肩や腹に痛みはありますか」
「ない」
「頭は打ちました?」
「たぶん」
「たぶんでは困ります。意識を失った時間は?」
「ない。四人の名前を先に書いてくれ」
救急隊員はマスクを押しつける代わりに、端末の入力欄を開いた。
「では、お名前から」
「マーク・エヴァンス」
「一緒にいた方は?」
「アーロン・クラーク。ベン・ホール。リサ・モリス。ノア・グリーン」
四人の名前が画面へ一人ずつ追加されていく。入力を見つめていたマークは、最後の名前が表示されたところで目を逸らした。
「連絡が切れたのはいつですか」
「二層から一層へ上がる前。最後に聞こえたのはリサだ」
「何と?」
「走れって」
救急隊員は追及せず、マークの手へ酸素マスクを握らせた。
「その四人のためにも、今は呼吸を戻してください。途中で意識を失われると、また最初から聞くことになります」
マークが渋々マスクを当てた直後、入口施設から短い銃声が響いた。
警察官たちが身を低くし、盾を持つ者が前へ出る。施設内の警備員は、防護板の陰から外へ怒鳴った。
「一体止めました! 次が来る!」
入口通路から、小型個体が続けて現れた。
先ほどまで逃げることだけを考えていた個体とは動きが違う。最初の一体が防護板へ体当たりし、横から出た二体目は警備員の脚へ噛みついた。
警察官が拳銃を向けたものの、職員と探索者が近すぎて撃てない。
そばにいた探索者が盾の縁を個体の首へ押し当て、別の男が短槍で床へ縫い留めた。噛みつかれた警備員を引き離している間に、次の個体が受付カウンターを越えてくる。
「入口前を空けろ!」
警察官の声に、探索者たちが左右へ分かれたことで射線が通った。
銃声が続き、個体が床へ倒れる。動きが止まるまで複数発を必要とし、その間にも後ろから別の影が迫っていた。
現場指揮官は無線を掴んだ。
「州警察へ増援要請。州兵にも連絡を回せ。入口構造への攻撃は禁止、内部への射撃は出口付近で確認できる対象に限る」
『入口封鎖用の車両を入れますか』
「入れるな。押し込まれた車が遮蔽物になる。重火器もまだ使わせるな」
中国とエクアドルで起きたことは、現場指揮を取る警察官にも共有されていた。入口を塞ぐための爆破も、何がいるか分からない奥への無差別射撃も選べない。
出てきた個体を外で止めるため、警察、探索者、警備員が即席の線を作った。
盾を持つ探索者が前へ出て、警察官はその肩越しに射線を取る。長柄武器を持つ者は無理に仕留めようとせず、個体の向きを変えて入口正面へ押し戻した。
「四足、右へ抜ける!」
「そっちに民間人はいない、追い込め!」
「射線が空いた!」
怒鳴り声と銃声が駐車場へ広がった。
一体を止める間に二体が現れ、二体を押し戻す間に別種の個体が防護板の上へ取りつく。それでも入口から出てくるものはまだ小さく、現場に集まった探索者の数も増えたため、最初の流出は駐車場の中で抑えられていた。
マークは救急車の脇へ座らされ、酸素マスク越しにその様子を見ていた。
「四人を助けに行けないのか」
救急隊員は入口から目を離さず、短く息を吐いた。
「今入れば、救助される側が増えます」
「それくらい分かってる」
マークはマスクを外しかけ、咳き込んで元へ戻した。
「分かってるから、あいつらは俺を出したんだ」
救急隊員は返事をしなかった。代わりにマスクの位置を直し、入口施設へ駆け込もうとする別の隊員へ救護用品を渡した。
流出が一度途切れると、現場の誰もが武器と入口を見比べた。
警察官は弾倉を交換し、探索者は盾の位置を直す。噛みつかれた警備員が救護区域へ運ばれ、代わりの職員が防護板の後ろから通路を監視した。
施設の奥から、床を擦る音が聞こえ始めた。これまでより遅く、重い音が近づくにつれ、防護板の向こうへ大きな影が広がっていく。
「大型が来ます!」
入口の幅いっぱいに、黒い甲殻が見えた。
個体は通路の壁へ身体を擦りながら進み、前脚を施設内へ出したところで動きを止める。自分で進んでいるというより、後ろから押されているように身体が少しずつ前へずれていた。
「正面から離れろ! 盾も左右へ!」
指揮官の命令で探索者が射線を空け、警察官たちが射撃姿勢を取った。
その時、駐車場の外からエンジン音が聞こえた。
規制線の向こうで、大型車両が速度を上げている。誘導に立っていた警察官が両手を振ったが、車両は減速せず、停車中の一般車へ接触して車体を跳ねさせた。
「車を止めろ!」
「運転手、手を見せろ!」
警察官の警告にも、運転席の男は反応しなかった。
男は前だけを見ていた。後部座席は取り外され、荷室を覆う厚い布の端から金属容器と配線が覗いている。指揮官はそれを認めると、車両へ銃を向けた。
「伏せろ! 全員伏せろ!」
大型車両は警察車両の脇を押し抜け、入口施設へ正面から突っ込んだ。




