第296話 使い道
第四層攻略を祝う言葉は、帰還直後の医務室で一度聞いただけだった。
六人の診察が終わる前に、記録映像は政府施設へ送られ、赤い液体と小杖は別々の保管容器へ移された。焼けた右脚甲も廃棄されず、固定具を切断した位置まで保ったまま回収されている。
数時間後、省庁横断の会議室では、第四層ボスの映像よりも第五層で受けた一度の攻撃が繰り返し再生されていた。
灰色の細身人型が掌へ赤い光を集め、床へ叩きつける。火は飛ばず、石の継ぎ目を這って大盾の下を抜け、シールドの右脚甲へ絡みついた。
「ここで止めてください」
内務側の議長が言うと、赤い光を宿した掌が床へ触れる寸前で映像が止まった。
「発光の開始から着弾まで」
「二・八秒です」
「最初に異常を認識した時点からは」
「一・九秒ほどです。壁面擬態を解除してから発動へ移るため、見落とさなければ猶予はもう少し取れます」
防衛技術担当者の回答を聞きながら、デプスチームの隊長は静止した映像を見た。
再生中なら短く見えた時間も、数字にされると妙に長い。長槍なら届かない。ブリーチャーが走っても間に合わない。火を撃たせる前に止めるなら、こちらから距離を消す方法が必要だった。
「銃器の使用を提案します」
防衛側の男が、別の資料を画面へ出した。
表示されたのは、これまでダンジョン内への持ち込みを見送られてきた大口径火器だった。
デプスチームの隊長より先に、内務側の職員が口を開く。
「火器が低階層でも期待したほどの効果を上げなかったことは、共有済みのはずです」
「承知しています」
銃弾は通用しないわけではない。命中すれば傷はつき、種類によっては骨や甲殻も砕ける。
ただし、モンスターは人間と同じ場所を撃てば止まるとは限らなかった。出血しても動き続け、胸部を撃ち抜いても突進をやめず、死んだように倒れてから再び動く個体もいる。硬い甲殻や厚い筋肉に対しては弾薬消費も大きく、狭い通路では跳弾、発砲音、硝煙、聴覚への負担まで加わる。
持ち込める弾数にも限界がある。敵を倒し切るまで撃つという使い方では、重量に見合わない。その評価が積み重なり、デプスチームも近接武器と盾を中心に編成されていた。
「銃で倒すという提案ではありません」
防衛側の男が、停止映像の灰色人型へ照準を重ねた。狙いは胸でも頭でもなく、赤い光を宿した右腕だった。
「掌を床へ届かせないために使います。腕、肘、肩のいずれかへ衝撃を与え、発動動作を崩す。致命傷である必要はありません」
議長が資料から顔を上げた。
「これまで効果が薄いと評価した物を、目的だけ変えて持ち込むと」
「効果が薄かったのは、少ない弾薬でモンスターを仕留めようとした場合です。二秒以内に腕をずらす道具としては、まだ検証していません」
会議室の視線が、もう一度停止映像へ戻った。
敵は細身だった。甲殻も確認されていない。大口径弾を受けて平然としている可能性はあるが、撃たれた腕が寸分も動かないと決める根拠もない。
「使用するなら、通常の小銃では足りないと?」
「倒す必要がない以上、必ずしも最大口径である必要はありません。ただし、未知の身体構造を相手に動作中断を狙うなら、余裕は持たせたい。携行性と反動を考え、複数種類を試験します」
「試験場所は」
「専用施設です。閉所を再現し、射手以外の聴覚保護、発砲後の視界、隊形への影響まで確認します」
隊長は銃の写真ではなく、六人の役割表を見た。
「誰が持つ想定ですか」
「現段階ではヴァンガードが候補です」
「長槍を外すなら、敵が接近した後の間合いが変わります」
「両方を持たせる案もあります」
「彼が訓練を積んでいるかの問題は?」
防衛側の男は反論せず、役割表へ目を落とした。
長槍、大盾、大型槌、短槍と小型盾。六人の装備は、それぞれ単独で完結しているわけではない。一つ増やせば重量が増すだけでなく、構える位置、交代の順番、通路で誰が前へ出るかまで変わる。
「射撃担当を外から追加する案は」
「チームを七人にするなら、再訓練が必要です」
隊長は即答した。
「銃を扱えるだけの人間を入れても、こちらの動きを知らなければ射線を作れません。第五層で初めて組ませる話ではない、そもそも、その前段階で我々についてこられるかも怪しい」
「育成するには時間が掛かりすぎるか。では、六人の中へ組み込む前提で検討します」
議長が話を戻した。
「特例許可は、第五層への再進入時に限る。指定火器、指定射手、指定弾薬のみ。発砲記録と映像は全て提出。一般探索者への許可拡大とは切り離します」
政府との契約窓口を担当する職員が確認する。
「デプスチームは民間です。政府が装備を指定する場合、使用を命じるのではなく、選択肢として提示する形になります」
「もちろんです」
議長は隊長へ視線を向けた。
「持ち込むかどうか、最終的にはチーム側で決めてください。ただし、火器を使わない場合は、同等の発動阻止手段を示してもらいます」
「試験結果を見て判断します」
拒否でも受諾でもない答えだった。
それで十分だったらしく、議長は次の資料へ進んだ。
「第四層攻略の公表についてです」
画面には各国の公開到達記録と、政府が独自に推定している進捗が並んだ。
アメリカでは民間チームと企業が競い、日本は公開情報より深く進んでいる可能性が高い。中国は大規模災害後に深層攻略を止めたと発表しているが、国内再編の内容までは見えない。欧州では複数国が研究施設と探索者を共同運用し始めていた。
シンガポールが保有するダンジョンの数も、投入できる探索者の数も、そのどこより少ない。
「第五層到達まで公表すべきです」
外交側の担当者が言った。
「接敵と回収品は伏せますが、第四層攻略だけでは足りません。国外の研究者と企業は、どの国が高階層の実物へ触れられるかを見ています」
広報担当者が眉を寄せる。
「先行していると示せば、情報提供を求める圧力も増えます」
「遅れていると思われれば、人材と資金が先に出ていきます。どれだけの資本が日本へと動いているのかをご存じで?」
「進捗を競うために探索者を押し込む印象は避けるべきです」
「実際に押し込んでいないことは、撤退記録が証明します。今出遅れるわけにはいかないんですよ」
外交側の担当者は、第五層から後退する六人の映像を示した。
「私たちが示すべきなのは、深く入ったことだけではありません。入った上で、未知の攻撃を受け、倒せる可能性があっても帰還を選んだことです。到達と統制の両方が成果になる。これは日本のモデルケースと類似している、銃規制と民間探索者の成長と損害率の関係についての論文も加味すれば、第二の日本となる事ができるはずです」
議長はしばらく資料を見比べた。
「第五層入口周辺への到達まで公表する案を作成してください。接敵、火炎、小杖、赤い液体は現時点で非公表。発表文には、次回調査までに追加の安全検証を行うことを入れます」
「他国との情報交換は」
「床を這う火炎について、類似例の照会だけ先行させます。こちらの映像は出さない。回答の内容を見て、交換条件を決めてください」
小さな国に、失敗を何度も繰り返す余裕はない。
だからといって、他国が失敗し終えるまで待っていれば、成果も人材も知識も先に取られる。進む速度を落とさず、一度の失敗から持ち帰る量を増やすしかなかった。
「次に、赤いポーション候補についてですが」
「赤い液体です」
保健側の女性が訂正した。
「治療効果は検証中です。海外の使用例と外見が似ているだけです。内部資料でも名称を統一してください」
契約窓口の職員が資料を書き換える。
「赤い液体について、チーム側は緊急使用用として返却を求めています」
「現時点では認められません」
隊長が彼女を見た。
「重傷者が出ても、使わず持ち帰れと?」
「同じ物なら救命できる可能性があります。違う物なら、毒物の可能性を考える必要が出てくる。ダンジョンという物を信用しすぎでは?」
「分析にはどれくらいかかります」
「分離と比較だけなら早いでしょう。安全性まで既存薬と同じ基準で確認していれば、探索には間に合わなくなる」
保健側の女性は手元の資料を閉じた。
「ですから、通常の医薬品として承認するのではなく、未知回収品の緊急使用条件を作ります。生命に差し迫った危険があり、既存の救命手段では帰還できない場合に限る。使用前後の記録と、可能なら少量の保存を義務づけます」
「返却は」
「最低限の分析後です。一本しかない以上、破壊検査は制限します」
次に小杖が表示された。
暗褐色の表面には細い溝が走り、先端だけがわずかに太い。振っても握っても反応せず、現時点では武器か道具か、装飾品なのかさえ判別できていない。
「こちらも所有権はデプスチームにあります」
契約窓口の職員が先に釘を刺した。
「管理には同意していますが、譲渡には同意していません」
「一時預託品として扱います」
研究側の担当者は言い直し、検査項目を表示した。材質、内部構造、熱、電気、圧力、既知の魔術反応との比較など、人間が手に持って試す前に外から調べられることは多い。
会議終了予定時刻は、とっくに過ぎていたが、議長は最後にもう一度、大口径火器の資料へ戻した。
「これまで、銃はダンジョン内で費用と重量に見合わないという評価でした」
誰も否定しなかった。
「その評価自体は変えません。モンスターを倒す主武装としての価値は低いままです。ただし、魔術を使う腕を一秒止める道具としては、まだ評価していない」
画面の中では、銃口が灰色人型の掌へ向いていた。
「物の価値は、何ができるかだけで決まるものではありません。何をさせるかでも変わります」
試験担当、装備担当、デプスチームの隊長へ、それぞれ期限が割り振られた。
第四層を攻略した報告は、その日のうちに公表される。
次に第五層へ入る時、六人が持つ装備は一つ増えているかもしれない。ただし、それは敵を撃ち殺すための銃ではない。
掌を、床まで届かせないための銃だった。




