第281話 浮岩の生態
ワープを抜けると、五層終点の扉が正面にあった。
六名が揃い、各自で装備を確認する。先頭の隊員が扉へ手を掛けると、隙間から湿った空気を押し返すように乾いた風が吹き込んできた。
扉の向こうには、見渡す限りの草原が広がっている。その上空には巨大な岩がいくつも浮かび、土や草木を載せた浮島が地上へ広い影を落としていた。
隊員たちは順に六層へ入り、扉の周囲を確保した。
入口付近には、過去の調査で打ち込んだ目印が残っている。踏み固められた草の筋は百メートルほど先で緩く曲がり、その先にも小さな標識が点々と続いていた。
最初の調査で採取した土や草は、すでに国内の研究施設へ送られている。植生に見えるものを植物として扱ってよいのかという段階から意見が割れ、解析は今も続いていた。
今回の採取対象は、前回までに手を付けていないものに絞られている。
隊列は目印をたどり、草原の奥へ進んだ。
入口から離れるにつれて、草を押し倒した跡や浅く抉れた土が目につくようになり、浮岩の真下には黒い殻がいくつも散らばっていた。初回の進入で周囲が静かに見えたのは、扉の近くまでしか調べていなかったためらしい。
六層でも、支給された個別調整装備は問題なく機能していた。刃は現地生物の外皮を切り、防具も通常個体の一撃なら受け止められる。
特に役立っているのが弓だった。
弓本体だけでなく、矢尻や軸にもダンジョン生物の骨や歯が使われている。銃声を出さずに攻撃でき、六層生物の外皮にも通る。
矢筒に入っている本数は少ない。
前回持ち帰った生物の骨や歯は、すでに加工班へ回されていた。同じ性能の矢を作れると確認できれば補充の目処は立つが、素材の切り出し方も、削り方も、軸への固定方法も分かっていない。完成品を分解して調べる案も出たものの、再現できる保証のない解析に、今ある矢を潰す余裕はなかった。
当面は、撃った矢を持ち帰るしかない。
先頭の隊員が片手を上げた瞬間、隊列の動きが止まった。右前方の浮岩には、岩肌の一部と見分けがつかない灰色の塊が張りついている。
四本の脚を広げ、扁平な身体を岩肌へ押しつけていた。外皮の色だけでなく、表面の凹凸まで周囲の岩に近い。
岩滑り。
何度か観測された後、調査班の間でそう呼ばれるようになった。
浮岩の側面に潜み、下を通る獲物へ滑空して襲いかかる。飛行能力はなく、高所から落下する勢いと手足の間にある膜を利用して距離を稼ぐ。
弓を持った隊員が矢を番えた。
「待て」
浮岩の真下を避ければ、交戦せずに通過できる位置だった。
隊列が進路を変えると、岩肌の一部が剥がれるように動いた。岩滑りは四本の脚を離し、手足の間に畳んでいた膜を広げる。落下しながら進路を変え、先頭の隊員へ一直線に迫った。
弦が鳴り、放たれた矢が右側の膜の付け根を貫いた。
片側が崩れたことで進路が大きく逸れ、岩滑りは先頭の数メートル横へ落ちた。土と草を巻き上げながら転がり、その勢いが止まるより先に、四本の脚で身体を起こそうとする。
長柄武器を持った二人が左右から詰めた。一人が頭部を押さえ、もう一人が外殻の薄い脇腹へ刃を差し込む。暴れた脚が草を抉ったが、ほかの隊員は周囲と上空の警戒を崩さなかった。
やがて、岩滑りの動きが止まった。
「矢は」
「回収可能」
膜を貫いた矢は折れていなかった。
矢尻を抜き、付着物を採取袋へ入れる。軸には小さな傷が残っていたが、再使用に問題はない。
「銃より使いやすいな」
「数があればな」
「加工班次第か」
「出来たとしても、歩留まりが分かるまでは節約だ」
矢は元の矢筒へ戻された。
岩滑りの死骸も回収対象だった。
膜と外殻の一部を切り取り、骨格の形状が分かるように頭部と四肢を残す。全身を運べる重量ではなく、持ち帰る部位は事前に決められていた。
作業を終えて先へ進むと、浮岩の周囲に残る痕跡はさらに濃くなった。
岩を食べたような穴があり、その縁には細かな歯形が並んでいる。浮島の下面からは風に逆らって揺れる糸が垂れ、地面には鳥とも獣とも違う三本指の足跡が続いていた。
遠くでは、脚の長い生物が浮島の縁を蹴った。落ちると思った身体が途中でゆっくりと沈み、離れた浮島の斜面へ着地する。後ろにいた数頭も同じように跳び、島から島へ渡っていった。
「草食か」
「追われている様子はない」
「移動経路だけ記録する」
足跡の続く方向を避け、進路を少し変える。
浮岩と浮島を中心に、一つの生態系が成立していた。地上だけを見て歩けば、上から狙う岩滑りや、島の下面から垂れる糸を見落とす。かといって上ばかり警戒すれば、草の中を移動する生物への対応が遅れる。
これまでの階層より、見るべき方向が多い。
小さな浮岩の下を抜けた先で、地面が斜面状に盛り上がっていた。先頭の隊員が屈み、草を押し分けると、人間の腕ほどもある三本の指跡が現れた。
爪先が食い込んだ部分は硬い地面を深く抉っている。
「新しいな」
「向きは西」
「数は」
「一体。少なくとも、ここを通ったのは」
足跡は浮島が落とす影へ続いていた。
そのまま追うには遮蔽物が少なすぎる。隊列は足跡と一定の距離を保ち、地面の起伏を使って西へ進んだ。
浮島の縁が見える手前で、先頭から停止の合図が回ってくる。全員が起伏の陰へ身体を伏せ、その先を窺った。
黒灰色の巨大な塊が、浮島の影の中をゆっくりと動いていた。
身体の大半を硬い岩のような羽毛で覆い、太い二本脚で立っている。頭部は鳥に近いが、翼は巨体に対して短く、身体の側面へ張りついていた。飛ぶための大きさには見えない。
その代わり、腿は人間の胴より太く、鉤爪のついた足が地面へ深く食い込んでいる。
岩影鳥。
その場で仮称が記録された。
双眼鏡を覗いていた隊員が、ゆっくりと手を下ろす。
「人間が近接で勝てるのか? あれに」
「どう見てもレイドボスですね」
「レイドボス?」
「大勢で囲んで戦うのが前提の敵って奴です」
岩影鳥は浮岩の下に嘴を差し込み、地面ごと何かを掘り返していた。首が持ち上がると、嘴の間で大きな甲殻が砕ける。
「まず人間相手の戦い方を捨てなきゃな」
「この前上がってた、漫画とかアニメを参考にしろって話ですか」
「作家さん達の意見が的を射てて怖いですね」
「案外、黒幕が彼等だったりしてな」
「今、頭の中で全てのピースがつながりました」
「つなげるな」
岩影鳥は食べ終えた殻を踏み砕き、別の浮岩へ向かった。
歩幅だけで数メートルある。巨体に反して頭の動きは細かく、草や岩の陰を何度も覗き込みながら進んでいた。
人間を相手にするなら、頭部や胸部を狙い、行動を止めればいい。岩影鳥に同じ考えが通じるかは分からない。
あの脚で蹴られれば、防具ごと身体が潰れる。
短い翼も、飛行能力が退化した残りと決めつけるには早かった。浮岩や浮島を渡る生物なら、跳躍中の姿勢制御や滑空に使う可能性がある。
「距離、およそ四百」
「体高は」
「七から八。姿勢を伸ばせば、もう少しある」
「交戦はしない。映像を優先」
望遠カメラが岩影鳥の動きを追い、測定器の数値が記録されていく。浮岩の前まで歩いた岩影鳥は、太い脚を深く曲げた。
地面が抉れるほどの踏み切りとともに巨体が浮き上がり、畳まれていた短い翼が左右へ開く。数十メートル先の岩へ着地すると、勢いを殺さずにもう一度跳び、浮島の低い斜面へ移った。
飛ぶというより、跳躍の合間に落下を遅らせている。
それでも、地上だけを逃げれば追いつかれる速度だった。
「確認できた。戻る」
隊列は来た道をそのまま引き返さなかった。
岩影鳥の視界に入りにくい起伏の裏を通り、足跡を付けた経路から離れて東へ迂回する。誰も立ち上がらず、浮島の影を抜けるまで速度を上げなかった。
背後から追ってくる音はない。
十分に距離を取り、最後尾の隊員が双眼鏡を向ける。
岩影鳥は浮島の上で地面を掘り返していた。こちらを探す動きは見られない。
「未発見でいい」
「次は人数が要るな」
「人数だけ増やせば餌も増える」
「なら、戦い方から作るしかない」
記録された映像には、岩影鳥が浮岩から浮島へ跳ぶ姿まで収まっていた。
六人はそれを持ち帰るため、扉へ向けて歩き始めた。




