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寄生虫と行く現代ダンジョン  作者: 脳タリン


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第275話 条件を変える

 買い物を終えて駅へ向かっていたとき、不意に後ろから名前を呼ばれた。


「戸張さん、ですよね」


 足が止まった。


 振り返ると、スーツ姿の男が一人立っていた。三十代後半くらいに見えるが、顔に見覚えはない。


「……はい」


 一応返事はしたものの、頭の中では別のことを考えていた。


 こんな人、知り合いにいたか?


 仕事を辞めてから付き合いはかなり減ったし、前の会社関係なら顔くらい覚えているはずだ。管理窓口や互助会で会った人間にも見えない。


 男は名刺を差し出した。


「突然申し訳ありません。少しお話ししたいことがありまして」


「何の話ですか?」


「異常空間に関するお仕事の件です」


 その言葉で、少しだけ警戒した。男は駅前を行き交う人々へ視線を向けてから、声を落とす。


「ここでは何ですので、少し場所を移しませんか。すぐ近くです」


 俺は受け取った名刺を見た。


 聞いたことのない会社で、貿易や投資に関する文字が並んでいる。ますます分からなかったが、相手は俺の名前と顔を知っているうえ、異常空間の話まで出してきた。


 その時点では、まだ危険な相手だとは思っていなかった。


 どこかで会ったことを忘れているのかもしれないし、企業関係の営業という可能性もある。


「そんなに時間はかかりません?」


「ええ。十分ほどでも構いません」


「じゃあ、少しだけ」


 男は丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございます。こちらです」


 案内されたのは、駅から数分歩いたところにあるホテルだった。ロビーを抜け、小さなラウンジ脇の個室へ通されたところで、ようやく少し変だと思い始める。


 普通の営業なら、もう少し先に用件を説明する気がする。


 宗教か、マルチか。それとも、異常空間絡みのよく分からない勧誘だろうか。


 席につくと、男は改めて名刺を置いた。


「改めまして、本日はありがとうございます」


「それで、何の話です?」


「率直に申し上げます。戸張様が扱われている異常空間由来物品について、継続的な取引をご相談したいと考えています」


 俺は少し黙った。


「……何のことです?」


 男は表情を変えなかった。


「武器、防具、素材、そのほか高階層由来とみられる物品です」


 そこで、頭の中の警戒が一段上がった。


 知っている。それも、かなり具体的に。


 俺は何も答えず、続きを待った。


「現在のお取引条件を上回る形でお支払いできます。まず金額については、戸張様の希望を優先したいと考えています」


「希望?」


「はい。金額に限りません」


 男は静かに続けた。


「住居、移動、警備、事業支援、医療、家族への保障。そのほか必要なものがあれば、可能な限り要望に応じます」


 そこまで聞いて、逆に怪しさが増した。


 何でもいいから欲しいものを言え。できるだけ用意する。


 こういう話は、だいたい碌なものではない。


 やっぱりマルチかと思ったが、マルチで家族の警備まで出てくるだろうか。宗教にしても金の出し方がおかしい。


「条件が広すぎません?」


「それだけ価値があると考えている、ということです」


「俺に?」


「戸張様が持つ供給力に、です」


 その言い方で、少しだけ分かった。


 俺本人を高く評価しているわけではなく、俺がどこかから持ってきている物に価値を見ている。男の認識では、俺は少し深くまで潜れる探索者で、そこから価値の高い物を持ち帰っている供給源なのだろう。


 逆に言えば、小人や寄生体のことも、暗渠の奥がどうなっているのかも知られていない。


 情報を絞ってきた意味は、ちゃんとあったらしい。


「どこでそんな話を聞いたんです?」


「業界内の情報です」


 曖昧な答えだった。


 俺は内心で苦笑した。


 さすがスパイ天国、日本。しっかり漏れてるじゃないか。


 どこまで知られているのかは分からない。ただ、少なくとも俺が国へ何かを出していることは、外に漏れている。


 男は条件の話を続けた。


「数量についてはご相談できます。全量をこちらへ回していただく必要はありません。定期的に一部だけでも構いません」


「供給先を増やす話ですか」


「そのように考えていただいて構いません。少量からでも結構です」


 俺はすぐには断らなかった。


 素材や装備は無限に出てくるものではない。自分で使う物もあれば、小人たちが必要とする物もあるし、国へ出している物だって、余っているから何でも渡しているわけではなかった。


 それでも、争う相手を増やすつもりはない。


 中国で大勢が死んでいて、渡した装備で助かる人がいるなら、一部を回すこと自体は考えてもよかった。日本側で使い道がなく、向こうで役立つ物が出てくる可能性もある。


 ただし、それは相手の身元と用途が確認できる場合の話だ。


「あなたの会社が使うんですか?」


「私どもを通じて、必要とされる場所へ提供します」


「必要とされる場所って、どこです?」


「詳細は契約成立後にご説明します」


「何に使うのかも分からない状態で渡せと?」


「不適切な用途に使うことはありません」


「それを確認する方法は?」


 男は一瞬だけ黙った。


「必要であれば、一定の報告を行うことも可能です」


「一定って?」


「その範囲についても、今後の交渉で決められます」


 最初に金額の話をして、必要なら何でも用意すると言う割に、相手が誰で、何に使うのかについては何も答えない。


 この男が正直に話す気を持っていないのか、そもそも詳しいことを知らされていないのかは分からなかった。


「正式な窓口を通すことはできます?」


「と言いますと?」


「日本政府を通して話してください。向こうで確認して、問題がないなら俺も考えます」


 男の表情がわずかに動いた。


「可能ではありますが、政府間の手続きには時間がかかります」


「急いでるんですか?」


「できるだけ早い方が望ましいと考えています」


「だったら、なおさら俺と直接やる話じゃないでしょう」


「戸張様のご判断で進められる取引だからこそ、直接お話ししています」


 こちらを持ち上げているつもりなのかもしれないが、俺には逆効果だった。


 日本政府を通せない事情がある。


 少なくとも、この男はそう考えている。


「正式な話なら、少しくらいは考えますよ」


 男の顔に、初めてはっきりとした反応が出た。


「では、条件をお聞かせください」


「まず、あなたが誰なのか分かること。何に使うのか確認できること。日本側の窓口を通すこと。その辺ですね」


「金額については?」


「別に、お金には困ってないんで」


「相当額をご用意できます」


「そういう問題じゃないです」


 どうせ供給量に限りがあるなら、基本的には日本へ回した方がいい。家族や知り合いだけでなく、槙野さんや亀山さん、互助会の人たちもこの国で暮らしている。日本の警察や自衛隊が強くなった方が、俺にとっても直接意味がある。


 それでも、必要な物がすべて国内だけで使われるとは限らない。


 正式な要請があり、用途が対モンスター戦や救助だと確認できるなら、出せる物を検討する余地はある。最初から中国へは一つも渡さないと決める理由まではなかった。


「こちらが誰か分からない状態では無理です。正式に話を持ってきてください」


「その手続きに入る前に、戸張様の意思を確認したかったのです」


「だったら、今ので確認できましたよね」


「条件次第では提供する意思がある、と」


「正式な話なら検討する、です。今ここで何か約束する気はありません」


 男は少し考えるように黙ったあと、別の資料を取り出した。


「では、事情についてもう少しお話しします」


 そこには、都市部と思われる航空写真が印刷されていた。建物の一部が崩れ、道路には車両や瓦礫が残っている。


「中国では現在、異常空間由来生物による甚大な被害が発生しています」


 中国。


 その単語で、頭の中の何かが繋がった。


「多数の死者が出ています。住民が戻れない地域もある。現在も自国領土を完全には回復できていません」


 さっきまでの疑いが、そこで急に形を変えた。


 あ。


 これ、マジなやつだ。宗教やマルチではなく、会社の営業ですらない可能性が高い。


 俺は男の顔を見た。


「そのため、高性能な異常空間由来装備や素材が必要とされています。戸張様がお持ちの物が、救える命に繋がる可能性があります」


 言い方は丁寧だったが、さっきまでよりわずかに熱が入っている。


「少量でも構いません。条件についてはこちらが最大限譲歩します。必要な金額を提示してください」


「だったら、政府を通してください」


「それでは間に合わない可能性があります」


「俺が直接渡したら、すぐ使えるんですか?」


「最優先で必要な部署へ配備されます」


「どの部署です?」


「それは――」


「答えられないんですよね」


 男が黙った。


 被害の話自体は本当だろう。


 写真も、報道で見た地域に近い。正式な要請であれば、装備の一部を渡すことを考えてもよかった。


 だが、目の前の男は相手の所属も用途も伏せたまま、俺に秘密の取引を求めている。


 この状態で渡せるわけがない。


「今の話では無理です」


「被害状況をご理解いただければ、判断も変わると思います」


「被害が大きいことと、あなたを信用できるかは別でしょう」


「多くの人間が家を失っています」


「それは分かりました」


「家族を失った者もいる」


「だから、正式に話を持ってきてください」


「自国の領土を怪物に奪われたままなんです」


「俺と秘密の取引をすれば、それが解決するんですか?」


 男の目が少し鋭くなった。


 泣き落としへ切り替えたのかもしれないが、俺に言われても困る。


 中国で起きていることが酷いのは分かるし、助かってほしいとも思う。だからこそ、本当に救助や奪還に使われるのか確認できる形で話を持ってくるべきだった。


 正体を隠した人間へ装備を渡し、後から何に使われたか分からない方が問題になる。


「日本に渡している物を、少しこちらへ回すだけです」


「その情報自体、何かの間違いじゃないですか」


「先ほどは、正式な手続きであれば検討すると仰ったはずです」


「一般論ですよ。俺がそんな大量の物を持ってるとは言ってません」


 男の表情から、さっきまでの余裕がわずかに消えた。


「戸張様。こちらも何の根拠もなくお話ししているわけではありません」


「そう言われても、知らないものは知らないです」


「では、日本政府へ提供されている物品については?」


「何の話です?」


「高階層由来の素材や装備です」


「知りませんね」


 完全にとぼける。


 向こうがどこまで把握しているか分からない以上、答え合わせをしてやる必要はない。正式な窓口へ持ち込めば、日本政府が先に相手の身元や情報の出所を調べるだろう。


 それを避けている時点で、俺が直接付き合う理由はなかった。


「我々は、敵対したいわけではありません」


「俺も別に敵対してませんよ」


「なら、話し合う余地はあるはずです」


「正式な話ならあるって言いましたよね」


「ここでの交渉も正式なものです」


「あなたがそう言ってるだけでしょう」


 男の口元が僅かに固くなる。


「条件が問題なら変えられます」


「条件の問題じゃないです」


「何が必要です?」


「身元と用途の確認です」


「それ以外には?」


「今はありません」


 金額や待遇を持ち出しても俺は動かず、被害を訴えても秘密取引には応じない。しかも、俺が物品を供給しているという前提そのものを認めようとしないのだから、向こうからすれば交渉の糸口を掴めない状態だった。


 ここまでで終われば、まだ普通の交渉として処理できた。男もそうするべきだったと思う。


 ただ、たぶん焦っていた。


 ここで俺から何らかの約束を取れれば、大きな手柄になると考えていたのだろう。正式な外交や情報部門の手続きを踏むより、自分が先に成果を持ち帰りたいという気配が、少しずつ言葉に出始めていた。


「戸張様」


 声の調子が変わった。


「こちらは、あなたについて一定の情報を持っています」


「そうみたいですね」


「ご家族についても」


 空気が変わった。


 俺は男を見る。


 たぶん向こうは、それを手応えのある反応だと思った。


「誤解しないでください。何か危害を加えるという意味ではありません。ただ、今後も安全に生活を続ける上で、どのような協力関係が最善かを考えていただきたい」


 ずいぶん遠回しだが、意味は分かる。


 脅しているつもりらしい。


 正式な手続きがあれば考えてもいいと思っていた気持ちは、その一言で消えた。


 この男個人の先走りなのか、後ろにいる人間も同じ考えなのかは分からない。どちらにせよ、家族を材料に使う相手へ装備を渡すことはできなかった。


 俺は少しだけ考え、寄生体へ意識を向けた。


 こちらの意図を受けた白い糸が、服の内側から音もなく伸びる。


 机の陰から床へ落ちたのは、爪の先よりも小さな虫に見える群体だった。白さはすぐに消え、床の色に近い灰色へ変わる。


 男は気づかない。


 俺の足元から机の下を抜け、椅子の脚へ沿って進む。革靴の踵へ移ると、縫い目に紛れながら靴の内側へ潜り込み、そのままズボンの裾へ移った。


 今まで相手にしてきたのは、巨大な大蛇や空から襲ってきたグリフォン、森を壊して進む巨大生物、それに砂の下から現れた、人間が正面から戦うような大きさではないワームだった。


 それらと比べるのも失礼かもしれない。


 目の前の男は、ただ椅子に座っている。


「それ、脅してます?」


 男の表情が固まった。


「そのような意図はありません」


「じゃあ、言い方変えた方がいいですよ」


 俺は立ち上がった。


 男のズボンを這い上がった群体は、上着の裾へ達していた。布地の裏側へ回り込み、背中を通って襟元を目指している。


「話、終わりですよね」


「まだ条件について――」


「何を出されても、あなたとは無理です」


「戸張様」


「正式な窓口から話が来たら、そのときは内容を見て考えます」


 男は、まだ交渉の余地が残ったと思ったのかもしれない。


 わずかに表情を緩めた。


「でしたら、こちらから改めて――」


「ただし」


 扉へ向かう前に、一度だけ振り返った。


「家族の話、次から出さない方がいいですよ」


 自分では普通に言ったつもりだった。


 男はなぜか黙り込んだ。


 その頃には、群体は襟の内側から首の後ろへ到達していた。皮膚には触れず、髪の生え際へ移動すると、細い糸状に形を変えて黒く染まる。


 数本の髪に沿って絡みつけば、見た目では区別できない。


 エレナへ付けたものと同じように、髪の一部へ擬態させる。


 これで、すぐに離れてもらう必要はない。


 男がどこへ戻り、誰へ報告するのかを確認できる。


 家族の情報を持っていると言われた以上、相手の素性を知らないまま放置する気にはなれなかった。


 俺はそのまま部屋を出た。


 結局、宗教でもマルチでもなかった。


 正式な話なら一部くらい考えたかもしれないのに、自分たちから交渉の可能性を潰した、もっと面倒な連中だった。

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