第274話 奪還軍
封鎖区域の上空を飛ぶ無人機から、途切れることなく映像が送られていた。
かつて道路だった場所には横転した車両と瓦礫が残り、その間を複数のモンスターが移動している。大型個体の姿は少ないが、小型種は建物の内部へ出入りし、地下駐車場や崩れた商業施設を休息場所のように利用していた。
映像の一つでは、小型個体が別のモンスターの死体へ群がり、その近くではさらに大きな個体がそれらを襲っている。
梁雪梅は数日分の記録を重ねた画面を見ながら、報告書を閉じた。
「単純な徘徊ではありません」
国家異常空間管理委員会の会議室には、軍、公安、情報、研究、地方政府の関係者が集められていた。
「少なくとも一部の個体は、地上環境を利用し始めています。建物内部への反復的な出入り、死体の捕食、特定区域への滞在時間の増加が確認されています」
陳国梁が画面を見る。
「定着していると言いたいのか」
「そこまでは断定できません。ただ、入口から出たあと無目的に動いているだけではない、ということです」
画面には、かつて集合住宅だった建物が映っていた。窓の一部は吹き飛び、外壁には黒い焼け跡が残っており、その一階部分へ小型個体が何度も出入りしている。
周立言はしばらく映像を見たあと、低く言った。
「人間の建物を使っている。我々の都市を」
誰も返事をしなかった。
封鎖区域は、地図上では依然として中国の領土だった。行政区分も変わっておらず、道路も建物も土地の所有権も消えていない。
それでも、人間は入れない。軍も警察も常駐できず、住民は戻れないまま、遺体の回収すら終わっていなかった。
「奪還作戦について、軍側から再検討案が出ています」
軍関係者が資料を開いた。
「現状の戦力で大規模進攻を行う案ではありません。無人機と遠隔兵器を中心に外縁部から個体数を減らし、限定区域を段階的に確保する案です」
「成功率は」
周が聞く。
「確定的な数字は出せません」
「損害見積もりは」
「有人部隊を投入する段階まで進めば、相応の損害を覚悟する必要があります」
周は資料を見なかった。
「前と何が違う」
軍関係者が黙る。
「我々はすでに一度、人員も車両も火力も投入した。その結果が今だ。兵士を増やせば取り返せるという話なら、もっと前にやっている」
「通常部隊のままでは難しいと考えています」
「なら、なぜ通常部隊を前提に案を作る」
声は大きくなかったが、それだけで会議室の空気が張った。
周は前方の画面を指した。
「敵は人間ではない。戦車でもない。国家でもない。我々が何十年も準備してきた戦争の相手ではない」
別の軍関係者が口を開いた。
「その認識は共有しています」
「共有しているだけでは土地は戻らん」
誰も反論しなかった。
中国は、もはや攻略競争で遅れたという段階にはいなかった。他国より五層到達が遅いとか、回収品の数で負けているとか、そういう話ではなく、中国の領土の一部をモンスターに占拠されたまま取り戻せていない。
しかも世界はその事実を知っている。
公式発表でどこまで情報を絞っても、衛星画像も避難区域も封鎖線も隠せない。奪還作戦が行われていないことも同じだった。
「国内でも、なぜ軍は動かないのかという声が増えています」
公安側の担当者が言った。
「避難住民だけではありません。地方政府、遺族、軍内部からも同様の意見が出ています」
陳国梁が不機嫌そうに資料をめくる。
「動けば、また死ぬ」
「その説明を公にはできません」
「だから黙って土地を渡したままにするのか」
誰もすぐには答えなかった。
周は椅子へ深く座り直した。
「必要なのは軍だ。ただし、今ある軍をそのまま投入するのではない」
軍側の担当者が慎重に尋ねた。
「新設部隊を?」
「部隊だけでは足りん。怪物を殺すために、人員、装備、訓練、補給、医療まで最初から組み直す」
梁が資料へ視線を落とす。
「対異常生物専用戦力」
「名前は後で決めればいい。重要なのは、人間同士の戦争を前提にした軍隊を、そのまま怪物相手へ使わないことだ」
そこから議論は一気に具体化した。
ダンジョン内部で継続活動できる人員をどう確保し、そこで得られる身体能力の変化をどこまで訓練へ組み込むのか。通常弾薬では停止までに時間がかかる相手へ何を持たせ、拘束や切断、貫通、大型個体への接近戦をどこまで正式な戦技として扱うのか。検討すべき問題は、既存軍の延長だけでは収まらなかった。
「装備が足りません」
軍技術部門の担当者が言った。
「既存装備の改良だけでは限界があります。異常空間由来素材を使った防具や武器についても研究は進めていますが、量が少なすぎる」
「国内回収品を優先配分しろ」
「すでにしています」
「では足りない分を買え」
「市場にありません」
周の指が机を叩いた。
「アメリカは」
「民間探索者が持ち帰った装備や素材を政府と企業が囲い込んでいます。こちらへ流れる量は限定的です」
「日本は」
その問いに、情報部門の男がわずかに間を置いた。
「一件、再評価すべき対象があります」
大型画面の内容が切り替わった。
表示された名前を見て、梁雪梅が目を細める。
「戸張」
周も覚えていた。
以前、五層攻略済みとされる日本人探索者として報告された人物で、元会社員という経歴に反して、日本政府から通常の登録者とは異なる扱いを受けている可能性が高かった。未申告、または非公開の異常空間を保持している疑いもあり、当時から監視対象には入っている。
「以前から監視対象に入っています」
情報担当者が言った。
「当時は、先行した民間探索者の一人として扱っていました」
陳国梁が聞く。
「今は違うのか」
「はい」
画面には、日本政府内の回収品移動記録や研究部門への搬入、装備評価、素材保管に関する断片的な資料がまとめて表示された。完全な形で入手できているものは少なく、黒塗りや欠落も多いが、複数の記録を重ねると一つの傾向が見えてくる。
「戸張本人、または本人と関係する経路から、日本政府へ継続的に高階層由来とみられる物品が流れています」
梁が資料をめくる。
「継続的に?」
「はい。一度や二度ではありません」
「量は」
「正確には不明です。ただし、個人探索者の回収量として見るには不自然です」
画面には、素材、武器、防具、用途不明品などの断片的な記録が並んでいた。
周は以前の会議で出た分析を思い返していた。当時は、戸張の成果が本人の能力によるものなのか、装備や回収品によるものなのか、それとも入口そのものが特殊なのかすら分からなかった。
「我々は、この男を一人の探索者として見ていた」
周が言う。
「その評価は不十分だった可能性があります」
情報担当者が答えた。
「少なくとも現在は、高階層資源を継続的に日本政府へ供給できる人物として見る必要があります」
「供給源か」
「はい」
陳国梁が資料を引き寄せる。
「日本の特殊装備との関係は」
「直接証明できる情報はありません。ただし、高階層素材の搬入時期と、一部の特殊装備研究が進んだ時期には重なりがあります」
「偶然ではない?」
「断定はできません」
周は資料から目を上げた。
「だが、調べる価値はある」
「あります」
情報担当者が頷いた。
「対象本人への直接接触は、これまで避けてきました」
「理由は覚えている」
周の返答は早かった。
日本政府が特例として扱う人物へ不用意に触れれば警戒されるうえ、本人だけを確保しても供給経路まで手に入る保証はない。むしろ敵対すれば、価値ある経路そのものを失う可能性がある。
「状況が変わった」
周が言った。
会議室の前方には、占拠された都市の映像がまだ残っている。
かつて中国人が暮らしていた建物や道路が、今ではモンスターの移動や休息、捕食の場として使われている。その光景を前にすれば、奪還を先送りし続けるという選択そのものが、国家にとって耐え難いものになりつつあった。
「この国は、土地を取り返さなければならない」
誰も口を挟まなかった。
「そのために必要なものが国内に足りないなら、外から持ってくる」
陳が尋ねる。
「戸張を中国へ?」
「違う」
周は首を振った。
「人間だけ連れてきても意味がない可能性がある。それは前にも話した」
情報担当者へ視線を向ける。
「接触しろ」
「どの程度まで」
「まず本人を調べ直せ。現在の収入、交友関係、家族、生活習慣、金の使い方、欲しがっているもの、失いたくないものまで全部だ」
梁がわずかに眉を寄せた。
「日本政府が警戒します」
「だから正面から行くな。金で動くなら金を使え。名誉が欲しいなら用意しろ。女でも仕事でも、本人が望むものがあるならそこから入れ」
「家族も対象に?」
情報担当者が確認する。
周は一度だけ黙った。
「使える情報はすべて調べろ」
その答えだけで十分だった。
「ただし、今の段階で本人を拘束するな。傷つけるな。供給経路を失う可能性がある行動は禁止する」
「目的は」
「日本へ流している物の一部を、中国にも流させる」
情報担当者は黙って記録した。
「合法的な取引を装う形でも?」
「方法は問わん」
「本人が拒否した場合は」
周は前方の映像を見る。
無人機の視点が、かつて中国人が暮らしていた住宅街の上を通過していた。
「条件を変えろ」
情報担当者が顔を上げる。
「それでも拒否した場合は?」
「もう一度、条件を変えろ」
周は机の上に置かれた戸張の資料へ視線を戻した。
そこに記されている経歴は、三十歳の元会社員で、軍や警察に所属した記録もないという、ごく平凡なものだった。それでも、その人物の周辺からは高階層由来とみられる品が継続して日本政府へ流れている。
「我々が欲しいのは、この男ではない」
「では?」
「この男が持っている道を使わせろ」
情報担当者が静かに頷いた。
「交渉しろ、ということですね」
「そうだ」
その言葉が普通の商談だけを意味していないことを、その場にいる全員が理解していた。




