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寄生虫と行く現代ダンジョン  作者: 脳タリン


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第273話 参考資料

 会議室の前方には、水門ダンジョンの六層で撮影された映像が表示されていた。広い草原の上空に巨大な岩がいくつも静止しており、入口周辺を確認した当初は生物反応も見つからなかったが、その後の追加調査ではさらに奥まで続く広大な環境と、低層までとは異なる生態系の存在が少しずつ確認されていた。


 ただし、その事実を知る者は限られている。


「最初に、もう一度確認しておきます」


 説明役の職員が参加者を見回した。


「本日お見せする資料には、現時点で公表されていない情報が含まれています。特に、水門ダンジョンで六層への到達が確認されていること自体が機密情報です」


 三枝久人をはじめ、集められた作家や原作者、ライターたちは黙って聞いていた。


「内容の口外はもちろん、六層という言葉を使って到達状況を推測させる発言も避けてください。作品への転用についても、公開済み情報から自然に推測できる範囲を超えるものは認められません」


「モデルにしたら駄目ってことですね」


 灰原が言った。


「その理解でお願いします」


 ダンジョン系作品を長く書いてきた三枝とは別に、灰原は異世界迷宮や現代迷宮、配信探索ものを多く手がけている。三柴は古典的な迷宮都市や地下遺跡、罠と階層構造を扱う作品を得意としており、ほかにもゲームシナリオや漫画原作、映像作品の設定考証に関わる者が数名参加していた。向かいには異常空間対策の担当者、自衛隊関係者、研究者が並んでいる。


「今回、皆さんに来ていただいた理由の一つが、この六層以降で確認されている変化です」


 説明役の職員が映像を切り替えると、画面に素材一覧が表示された。皮、骨、牙、肉、腱といった項目には、それぞれどの個体からどのように回収されたのかも記録されている。


「追加調査では、回収方法についても低層までとは異なる傾向が確認されています」


 灰原が資料を見る。


「倒した後に何か出るんじゃない?」


「少なくとも、六層で確認された生物については、必要な素材を死体そのものから回収するケースが中心です」


「剥ぎ取るんですか」


「はい。皮を取るなら剥ぐ。骨なら解体して取り出す。肉も同様です」


「急に現実的になったな」


 三枝が言う。


「低層までが現実的じゃなさすぎたんですよ」


 三柴が返した。


 何人かが彼女を見る。


「倒したら使える物が残る。宝箱がある。ポーションが手に入る。武器や防具も出る。改めて考えると、かなり人間に都合がいいですよね」


 三枝が小さく頷いた。


「前にも似た話は出ましたね。異常空間が資源を供給するための装置なのか、人間を試すための場所なのか」


「その議論自体が、五層までしか見えていない状態でやっていた可能性があります」


 三柴は画面を見ながら続けた。


「六層から仕様が変わったんじゃなくて、五層までが特別だったのかもしれません」


 説明役の職員が聞き返す。


「特別、というと?」


「人間に親切だった、という意味です」


 三柴は答えた。


「階層が分かれていて、浅い場所ほど比較的弱い相手が多い。先へ進めば強くなる。宝箱があり、傷を治す物があり、装備も手に入る。何をすればいいのかがかなり分かりやすい」


「ゲーム的だと?」


 自衛隊側の一人が言った。


「かなり」


 灰原が答えた。


「敵を倒す。先へ進む。報酬を得る。危険ではあるけど、行動と結果の関係が分かりやすいんです」


 三枝が腕を組む。


「そう考えると、五層まで全部まとめて初心者向けだった可能性がありますね」


「初心者向け?」


「ゲームっぽく言えば、チュートリアルです」


 自衛隊側の担当者が苦笑した。


「人が何人も死んでいる場所をチュートリアルと呼ぶのは抵抗がありますが」


「難易度が低いという意味ではありません」


 三枝はすぐに返した。


「人間に理解しやすいという意味です」


 研究側の担当者が顔を上げた。


「理解しやすい?」


「はい。どこへ進めばいいか、何を倒せばいいか、何が報酬なのかが比較的分かりやすい。少なくとも低層では、探索者が学習しやすい形になっています」


 灰原が後を引き取った。


「でも、今見せてもらってる場所は違うでしょう。草原が広がっていて、どこまで行けば何があるのかも分からない。敵を倒しても素材が都合よく出てくるわけじゃなく、必要なら自分で解体する」


「撤退も難しくなりますね」


 三枝が言う。


「かなり」


 灰原は資料を指で押さえた。


「通路なら分岐を覚えれば戻れます。でも広い地形だと、目印を失えば方向感覚が狂う。素材回収で足を止めている間に別の個体が来る可能性もあるし、解体した死体の匂いで何かを呼ぶかもしれない」


「そういう嫌な例、本当に好きですね」


「好きで考えてるわけじゃないですよ」


 灰原は嫌そうな顔をした。


「でも、生態系として成立してるなら当然考えるでしょう」


 三柴はしばらく映像を見ていた。


「一つ気になるんですが」


「何でしょう」


「六層を中級者向けと決めるのも早いと思います」


 説明役は黙って続きを促した。


「五層までが人間向けに調整された区画だったとして、六層から一段難しくなったとは限らないです。単に、そこで保護が終わっただけかもしれない」


 会議室が静かになった。


 三枝がゆっくり息を吐く。


「六層からが普通?」


「可能性の話です。今までが親切だったなら、先も同じだと思う理由はありません」


 画面には、巨大な岩が空中に静止する草原が映っていた。通路と部屋を中心に構成されていた低層とは、明らかに性質が違っている。


「では」


 自衛隊側の担当者が資料を閉じた。


「その前提で、もう一つ相談があります」


 画面が切り替わり、今度は人間の身体能力測定に関する資料が表示された。異常空間内で確認された筋力、速度、反応、持久力の変化と、継続的な探索経験によって現実側にも残っている能力差が並んでいる。


「現在、異常空間へ投入する部隊について、通常の訓練体系とは別枠の教育を検討しています」


 三枝が資料を見る。


「探索者と同じ身体強化を前提に?」


「正確には、強化された人間をどう動かすかです」


 自衛隊側の担当者は言った。


「従来の訓練体系は、当然ですが通常の人間の身体能力を前提にしています。走れる速度、跳べる距離、扱える重量、反応できる時間。その範囲で最適化されている」


「でも、その前提が変わった」


「はい」


 別の隊員が資料を開いた。


「身体能力が上がったからといって、既存の動きをそのまま速くすればいいのかという問題があります」


 灰原が少し考えた。


「違うでしょうね」


「そう思いますか」


「例えば、三メートル跳べる人間に、一メートルしか跳べない前提の動きを教え続ける意味はないでしょう」


 自衛隊側の数人が視線を向けた。


「重い装備を持ったまま走れるなら、装備の考え方も変わる。高い場所から飛び降りても耐えられるなら移動経路も変わるし、壁を蹴って方向転換できるくらいになれば、地面だけを使って戦う必要もなくなる」


 三枝が言った。


「人外の戦い方ですね」


 自衛隊側の担当者はその言葉を一度繰り返し、むしろ納得したように頷いた。


「今までできなかった動作が可能になったなら、それを前提に戦技を作り直す必要がある、ということですね」


「言い方は悪いですけど、そういうことです」


 三柴が口を挟んだ。


「でも、参考にできる実例がないですよね」


「そこが問題です」


 自衛隊側の担当者は苦笑した。


「現実に、人間の限界を大きく超える身体能力を持つ兵士を体系的に運用した記録はありません」


「似た例も?」


「極端に身体能力の高い個人はいます。しかし、それを部隊単位の戦術や戦技として参考にできるほどの資料はありません」


 少しの沈黙のあと、三枝が腕を組んだ。


「ありますよ」


 自衛隊側の担当者が顔を上げる。


「何がです?」


「参考資料です」


「どこの国の?」


 三枝は少し考えたあと、答えた。


「日本です」


 担当者が眉を寄せる。


 三枝は続けた。


「漫画とアニメです」


 数秒、誰も何も言わなかった。


 灰原が顔を伏せた。


「その言い方すると、絶対ふざけて聞こえますよ」


「でも間違ってないでしょう」


「間違ってないですけど」


 自衛隊側の一人が困ったように尋ねた。


「漫画の技を練習しろ、と?」


「違います」


 三枝はすぐに否定した。


「技をそのまま真似するんじゃありません。発想です。現実の人間が三メートル跳べたらどう戦うか、普通なら持てない重量の武器を扱えたらどう動くか、壁を蹴って方向転換できたり、高い場所から飛び降りても平気だったりしたら戦場をどう使うか。そういう仮定を大量に扱ってきた創作物は、かなり参考になります」


 三柴が頷いた。


「そういう意味なら、日本の漫画やアニメは何十年も考えてきていますね」


「もちろん、そのまま現実に使えるわけじゃない。でも、今まで存在しなかった身体能力を持つ人間が何をできるようになるかという発想の蓄積はかなりあります」


 灰原も少し考えてから口を開いた。


「特に移動ですね」


「移動?」


「人間離れした身体能力があるキャラクターって、攻撃方法より先に移動の仕方が変わるんですよ。地面だけを使わないし、高低差を邪魔だと思わない。障害物も避けるだけじゃなくて利用するようになる」


 自衛隊側の担当者がメモを取り始めた。


「続けてください」


「本気ですか?」


「そのために呼んでいます」


 灰原は少しだけ姿勢を正した。


「例えば広い地形なら、地面を普通に走るだけが移動じゃない。身体能力次第では斜面を直線で上がった方が早いかもしれないし、岩や段差を経路として利用できるかもしれない。大型の敵を相手にするなら、その体そのものを足場にする発想だって出てくる」


「現実では危険すぎます」


「今は、でしょう」


 その返答に、担当者が黙った。


 三枝が言う。


「そこだと思います。今まで危険すぎて選択肢に入らなかった動きを、これからも危険なままだと思わない方がいい」


 自衛隊側の何人かが視線を交わした。


「逆もあります」


 三柴が付け加える。


「創作では格好よく見えても、実際には意味がない動きも山ほどある。だから参考資料として見て、使えそうな発想だけ抜き出せばいいんじゃないですか」


「仮説を作るために使う?」


「そうです」


 三枝が頷いた。


「漫画を教本にするんじゃない。今まで現実には存在しなかった動きを考えるための資料にする」


 自衛隊側の担当者はしばらく何も言わず、やがて手元の資料に何かを書き込んだ。


「候補を出していただけますか」


 三枝が瞬きをする。


「本当に?」


「実際に使うかどうかはこちらで検証します。安全に再現できる範囲で試験して、意味があるなら訓練へ取り入れる」


 灰原が隣を見る。


「これ、作家呼んだ会議ですよね」


「そうですが」


「自衛隊の新しい戦い方を考える話になってません?」


 三枝が苦笑した。


「前も似たようなものでしたよ。倒し方じゃなく壊れ方を聞きたいって呼ばれましたから」


 会議室の前方には、六層の草原と身体能力の測定結果が並んで表示されていた。五層までの異常空間が人間に理解しやすく作られていたとしても、その親切さが先まで続く保証はないうえ、そこへ入る人間の身体能力まで変わり始めている。低層で通用した常識も、通常の人間を前提に作られた戦い方も、そのまま持ち込めるとは限らなかった。


 会議資料の末尾には『身体機能増強を前提とした戦技・移動技術の再検討』という新たな検討項目が追加され、その参考資料の候補欄には、政府の正式な会議資料ではほとんど見かけない『漫画・アニメ・ゲーム等における超常的身体能力表現』という言葉が記されることになった。

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