第263話 数の側
八層へ入る回数が増えるにつれて、入口から先へ進む方法そのものが変わってきた。
最初の頃は俺が先頭に立ち、水深や足場を確かめながら進んでいた。今は入口を抜けた時点で、すでに湿地のあちこちに残してある甲殻類や魚型から薄い反応が返ってくる。
前回よりさらに広がっている。
「また奥まで行ってるな」
俺がいない間も、寄生個体たちは待機しているだけではない。周囲を調べるよう伝えた範囲で動き、餌を探し、危険な相手がいれば避けながら少しずつ活動域を広げている。
六層より深い場所ではこいつらにも食事が必要になるが、八層ではその点で困る様子がほとんどなかった。水草の間には小魚や虫が多く、泥を掘れば小型の生物も出てくる。甲殻類が食べられるものも多いらしく、残していった個体を維持するだけなら十分すぎる環境だった。
鳥型を上空へ出し、俺は狼型と蜥蜴人を連れて奥へ向かった。今日は新しく寄生させることより、前回より広がった範囲を確認するつもりだった。
ところが三十分ほど進んだところで、一方向から返ってくる反応がおかしいことに気づいた。
「減ってる?」
前回まで十数匹いたはずの一帯から、感じ取れる甲殻類が明らかに少なくなっている。完全に途切れたわけではないが、残った数匹も一か所へ集まらず、広い範囲へ散っていた。
魚型も似た動きをしている。何かを探しているというより、同じ場所を避けているように見えた。
「また危ないのがいるか」
俺はウナギ型を先へ出し、自分も速度を落として進んだ。
やがて、水草が途切れた広い浅瀬へ出る。水深は膝より少し低い程度で、泥の中から短い草が大量に生えていた。そのあちこちに砕かれた甲殻類の殻が落ち、銀色の鱗も泥へ張りついている。
食われた跡だった。
俺がしゃがんで殻を確認している間にも、近くの水草から甲殻類が二匹出てきた。こちらへ寄ってくるかと思ったが、少し進んだところで急に身体の向きを変え、泥の窪みへ潜り込む。
直後に頭上から大きな羽音が聞こえ、見上げると木々の間を縫うように白灰色の大きな鳥が降りてきた。
「上か」
脚だけでも俺の腰近くまであり、身体の高さは二メートルを超えている。細長い首の先には槍のように尖った嘴があり、翼を広げると周囲の水草が風圧で大きく揺れた。
鳥型というより、巨大なサギに近い。
そいつは俺たちを見ても逃げず、少し距離を取って浅瀬へ降りると、首を伸ばしたまま水面を見つめ始めた。
「こいつが食ってたのか」
俺たちより、泥の中にいる小さな生物を気にしている。
しばらく動かなかった首が一瞬だけ霞み、嘴が泥へ突き刺さった。次に頭を上げた時には甲殻類が一匹挟まれており、殻ごと噛み砕いて飲み込むと、また別の場所へ視線を向ける。
かなり速い。甲殻類が散っていた理由も分かったし、あの嘴から逃げるのは難しいだろう。
「まあ、自然にしてればそうなるよな」
数を増やせば、食われる個体も出る。小型個体まで一匹も減らさず維持しようとすれば、俺自身がここへ張りつくことになる。
そう考えている間に、巨大な鳥がもう一度嘴を伸ばした。
狙われた甲殻類が横へ逃げたことで、嘴は泥へ突き刺さっただけで終わった。ところがその直後、周囲の泥が一斉に動き、隠れていた甲殻類が鳥の左右や後ろにある水草、泥の窪み、倒木の下から次々に姿を現した。
「ん?」
巨大な鳥が一番近い一匹へ嘴を向けると、そいつはすぐに泥へ潜った。その横を別の甲殻類が動き、鳥の注意がそちらへ向いたところで、今度は反対側の水面を魚型が跳ねる。
鳥の首がそちらを向く。
「……集まってきてるのか」
俺が命令した動きではなかった。
近くにいた寄生個体が、自分たちを食っている相手へ反応している。
もちろん、甲殻類が巨大な鳥を倒せるとは思えない。鋏で脚を挟んでも大した傷にはならず、踏まれれば簡単に潰される。
ただ、数が多かった。
鳥が一匹を狙うたびに別の方向で何かが動き、泥へ潜った甲殻類を追えば魚型が水面を跳ねる。魚へ嘴を向ければ、今度は足元から別の甲殻類が現れるため、巨大な鳥は獲物を選びきれず何度も首の向きを変えていた。
その様子を見ているうちに、さらに別方向から寄生個体が集まり始める。前回、周辺へ散らしておいた連中だった。
「呼んだ覚えはないんだけどな」
寄生体から伝わってくる反応を追って、少し納得した。
細かな情報を交換しているわけではない。ただ、一部の個体が強く警戒し、逃げたり集まったりする動きに近くの個体が反応し、その変化が少しずつ周囲へ広がっているようだった。
結果として巨大な鳥の周囲へ白い個体が増え、鳥もようやく異常を感じたらしい。翼を広げて飛び立とうとした瞬間、水中からウナギ型が飛び出して脚へ噛みついた。
「お前まで来たのか」
巨大な鳥が激しく翼を振ってウナギ型を振り払おうとするところへ、水陸両用のトカゲ型も横から飛びついた。脚を一本取られたことで飛び立つ動きが止まり、その隙に周囲の甲殻類が一斉に寄って太い脚へ何匹も鋏を食い込ませる。
一匹ではほとんど意味のない攻撃でも、十匹、二十匹と重なれば動きを邪魔する程度にはなるらしい。
巨大な鳥は嘴を振り回して何匹かを弾き飛ばし、足元では踏み潰された個体も出た。それでも周囲から次の個体が集まり続ける。
「……思ったよりやるな」
俺はしばらく見ていたが、そのまま放っておけばこちらもかなり数を減らしそうだった。
狼型へ意識を向けると、二体が左右へ分かれて走り出す。巨大な鳥はそこで初めて俺たちへ明確な警戒を向けたが、片方の狼型が翼の付け根へ噛みつき、もう一体も反対側から脚へ飛びついた。
体勢を崩したところへ蜥蜴人が踏み込み、骨盾を身体へ叩きつける。巨体が浅瀬へ倒れて大きく水を跳ね上げたが、長い首だけは素早く動き、蜥蜴人の顔へ鋭い嘴が突き出された。
俺は横から白い糸を伸ばして首へ巻きつけ、強く引いて軌道を逸らす。嘴は蜥蜴人の顔を外れ、骨盾の表面を滑っていった。
「殺すなよ」
狼型と蜥蜴人へ伝え、そのまま押さえ込ませる。同時に周囲へ集まっていた小型個体へ離れるよう意識を送ったが、脚へ鋏を食い込ませた甲殻類の何匹かは、なかなか離そうとしなかった。
「もういいって」
もう一度伝えると、ようやく甲殻類が離れ始めた。
巨大な鳥はまだ抵抗していたものの、狼型二体と蜥蜴人、水陸両用のトカゲ型まで加わった状態では逃げられない。俺は翼の付け根にできた傷から白い糸を送り込み、そのまま寄生を進めた。
しばらく暴れていた身体から徐々に力が抜け、やがて長い首が泥の上へ落ちる。完全に動かなくなってから少し待つと、首や翼に白く置き換わった部分を残したまま、巨大な鳥がゆっくりと立ち上がった。
試しに翼を広げさせると、近くにいた甲殻類が一斉に距離を取った。
「お前ら、まだ怖いのか」
寄生されたことまで理解しているとは思えない。ただ、さっきまで自分たちを食っていた相手の姿や動きに反応しているのだろう。
巨大な鳥を少し離れた浅瀬まで歩かせ、そのまま飛ばしてみる。助走はほとんど必要なく、長い脚で水面を数歩蹴ると、大きな翼で浮き上がって木々の間より上まで高度を取った。
元からいる鳥型より身体が大きい分、小回りは利かなそうだったが、その代わり湿地の浅瀬へ直接降りられる。
「ここ用の鳥って感じだな」
上空を一周させて戻す。
これで空から調べる個体も八層の生物で増やせるようになったが、それ以上に気になったのは足元だった。
戦いが終わると、甲殻類や魚型は再び周囲へ散り始めている。踏み潰された個体や嘴で傷ついたものもいたが、残った連中は俺が細かく指示しなくても、それぞれ元の探索へ戻っていった。
さっきまでの戦いも、俺が最初から命令して始めたものではない。
小型個体だけでは勝てなかっただろう。それでも逃げるだけではなく、数が集まったことで相手の動きを乱し、その変化に別の個体まで反応していた。
俺は湿地へ散っていく白い個体を眺めた。
「増やしたら、こうなるのか」
百匹を超えた程度で、すでに俺が一匹ずつ動かすような状態ではなくなっている。大まかな指示を出しておけば、それぞれが自分で動き、危険があれば避け、状況によっては周囲の個体まで集まってくる。
そこへ強い個体を混ぜておけば、自分たちだけでは対処できない相手にも手が届く。
「だったら、強いやつも少しずつ混ぜた方がいいな」
俺の中の寄生体から、すぐに賛成するような反応が返ってきた。
「お前は何でも増やしたいだけだろ」
上空では、今加わった巨大な鳥型が湿地の上を大きく旋回している。その下には甲殻類や魚型、水中を進むウナギ型やトカゲ型が散り、それぞれが違う場所を動き回っていた。
八層へ来たばかりの頃は、濁った水の下に何がいるのかさえ分からなかった。
今は、その見えない場所の方にこちらの目が増え続けていた。




