第257話 湿った風
七層の探索を再開してから、四日が経った。
巨大ワームを倒したことで、以前なら避けていた範囲にも入りやすくなった。ただ、見渡す限り続く砂丘の広さは変わらない。目印になる岩場やオアシスを基準に進んでも、自分一人で歩いて調べていたら、いつまでかかるか見当もつかなかった。
鳥型には上空から広い範囲を見てもらい、地上では狼型やトカゲ型をいくつかの方向へ散らしている。砂の下はワーム型が移動しながら振動を拾っていた。それぞれから伝わってくる感覚を頼りにすれば、正確な地図にはならなくても、探索済みの範囲や大きな生物の位置、普段と違う場所くらいは把握できる。
巨大ワームと戦っていた頃と比べれば、探索できる範囲はかなり広がっていた。
「……こうなると、俺が歩いて探してた頃が馬鹿らしくなるな」
近くにいた狼型がこちらを見る。その頭を軽く撫でてから、俺は再び歩き始めた。
今回、手元に置いている数は多くない。近くには狼型が二体とトカゲ型が一体、上空には鳥型が二体いて、少し離れた砂中をワーム型が進んでいる。後ろには断骨刀を背負った蜥蜴人もついてきていた。
新しく作ってもらった白鎧補装は身につけているものの、白鎧はまだ展開していない。背中には背骨杖の固定具が収まり、歩行や身体を捻る動きにもほとんど干渉しなかった。新装備の試用が今日の目的ではないが、未探索の場所へ向かう以上、使えるものは持ってきた方がいい。
昼を少し過ぎた頃、遠くへ出していた鳥型の一体から普段とは違う感覚が返ってきた。
敵を見つけた時の警戒とは違い、一つの場所を何度も旋回している。足を止めて意識を向けると、鳥型が普段の砂漠とは異なるものを見つけ、その上空から離れずにいるらしいことが伝わってきた。
「何かあったか」
鳥型が見ている景色まで直接共有できるようになったわけではない。それでも、調べる価値がある場所を見つけたことは十分伝わってくる。
俺が方向を変えると、狼型たちもすぐについてきた。周囲へ散らしていた個体には大まかな位置だけ伝え、そのまま探索を続けさせる。まだ全員を集めるような状況ではない。
砂丘をいくつも越え、途中で一度休憩を挟んだ。目的の場所が見えてきたのは、それからかなり歩いた後だった。
「……あれか」
遠目には、砂から灰色がかった石がいくつも突き出した岩場に見えた。七層には似たような場所が他にもあるため最初は気に留めなかったが、距離が縮まるにつれて石の並びが不自然なほど真っ直ぐなことに気づく。
砂に半分以上埋もれながらも、ほぼ同じ大きさに加工された石が何十個も連なっている。その一部は崩れていたが、明らかに壁だった形を残していた。鳥型が旋回していたのは、その中央付近だった。
狼型を先に進ませ、俺は少し距離を取って後を追う。周囲の砂には新しい足跡らしい痕跡がなく、大型生物の気配も感じられない。
崩れた石壁を回り込んだ先には、砂に埋もれかけた下り階段があった。
「階段……」
七層へ来てから目にしてきたのは、オアシスや岩場、巨大ワームが残した痕跡といった自然のものばかりだった。こうして明らかに誰かの手で形を整えられたものを見るのは久しぶりだ。
階段は蜥蜴人でも余裕を持って通れるほど広く、下へ続くにつれて積もった砂が少なくなっている。十数段ほど先からは石造りの通路へ変わっていた。
すぐに降りず、鳥型に上空を確認させながらワーム型も近くまで呼び寄せる。周囲の砂中にも大きな生物が動いている反応はなかったため、今度は狼型を一体だけ階段の先へ向かわせた。
狼型はそのまま長い通路を進んでいった。戦闘や強い警戒の感覚は返ってこず、しばらくして奥で足を止める。
「行くか」
俺も階段を降り、蜥蜴人たちと石の通路へ入った。外の熱気は急速に遠ざかり、ひんやりした空気が肌に触れる。
壁には以前、模様か文字のようなものが刻まれていたらしい跡が残っていた。ただ、長い時間で削れたのか、崩れている部分が多く、元の形までは読み取れない。床へ入り込んだ砂も奥へ進むほど薄くなり、五分ほど歩いたところで先行させた狼型に追いついた。
狼型が待っていた先には、左右の壁と同じ灰色の石で作られた大きな扉があった。高さは蜥蜴人の倍近くあり、目立つ装飾はほとんどない。中央には左右へ分かれるように縦の切れ目が走っている。
「……次か?」
七層の奥まで探索を続け、砂に埋もれた人工物を見つけ、その地下通路の先にこの扉がある。これまで階層を越えてきた経験を考えても、次へ続いている可能性は高そうだった。
俺は扉の周囲を一通り確認してから狼型を下げ、腕の周りへ白い糸を集めた。異常が起きればすぐ白鎧を展開できる状態で、両手を石の扉へ当てる。
「重いな……」
押し込むと相当な重さが返ってきたため、足を踏ん張ってさらに力を加えた。石同士が擦れる低い音が通路に響き、中央の切れ目がゆっくりと広がっていく。
隙間ができた直後、そこから流れ込んできた空気に思わず動きを止めた。
七層の乾いた熱気とは正反対だった。湿り気を含んだ生温かい風に、水や泥、濡れた植物が混ざったような濃い匂いが乗っている。
「……これはまた、随分違うな」
人一人が通れる程度まで扉を開き、向こう側を覗き込む。
石造りの通路は扉の先で途切れ、そこから浅い水に覆われた土地が広がっていた。遠くまで続く水面のあちこちから太い木が伸び、絡み合った根が泥の上へ剥き出しになっている。人の背丈を越える草や巨大な葉が密集する一方で、水面が大きく開けた場所もあり、薄い靄の向こうまで湿った緑が続いていた。
そして、見るからに生き物が多い。
遠くから何種類もの鳴き声が重なって聞こえ、水面には場所を変えながら波紋が広がっている。草の根元でも複数の気配が動き、頭上を大きな羽音が横切った直後には、離れた水辺で大きな水音が上がった。
「多いな」
入口から眺めているだけでも、生物の存在を示す動きが途切れない。
七層の砂漠では水場や夜間に生物が集中し、長く歩いてもほとんど遭遇しない場所が珍しくなかった。目の前の階層では、水中にいくつもの影が動き、草むらが絶えず揺れ、枝葉の間からも鳴き声や羽音が聞こえてくる。見えている範囲だけでも、生物が活動している痕跡が至るところにあった。
その様子を見ているうちに、俺の中の寄生体が少しずつ騒がしくなってきた。
「……お前ら」
細かな考えまで読み取れるほどではないが、新しい生物を見つけた時に近い反応が伝わってくる。警戒よりも興味の方が強いらしく、さっきから落ち着く気配がなかった。
俺は一度だけ後ろを振り返る。狼型と蜥蜴人が待ち、そのさらに向こうには乾いた砂漠へ戻る石の通路が続いている。
当初は入口の確認だけで戻ることも考えていた。だが、目の前では次々と新しい波紋が生まれ、巨大な葉の陰をいくつもの影が横切っている。ここまで来て少しも調べずに帰る気にはなれなかった。
「少しだけ見ていくか」
浅い水へ足を踏み入れると、泥に沈んだ靴の周りから濁りが広がった。その動きに反応したのか、すぐ近くの水草から小さな影がいくつも飛び出し、それぞれ別の方向へ逃げていく。
背後から狼型たちも水へ入り、断骨刀を背負った蜥蜴人が続いた。まだ入口から数歩しか進んでいないのに、右手の草むらが揺れたかと思えば、少し離れた水中でも別の生物が動いている。
七層とは、生き物の密度そのものが違う。
「……そんなに嬉しいか」
白い糸から返事が来ることはなかった。ただ、新しい階層へ踏み込んでから伝わり続けている高揚は、問い返す必要がないほどはっきりしていた。
俺は湿った空気を吸い込みながら、まだ先の見えない水と緑の向こうへ目を向けた。




