第255話 閉じた入口
アリゾナ州内にあるその街は、田舎と呼ぶには少し大きく、都市と呼ぶには少し小さかった。中心部には市庁舎や病院、学校、大型スーパー、飲食店の並ぶ通りがあり、少し車を走らせれば低層住宅が広がり、その先には乾いた土地とまばらな農地が続いている。異常空間が出現するまでは、州外の人間がわざわざ名前を覚えるような場所でもなかったが、今では道路に州外ナンバーの車が増え、モーテルの駐車場には探索用装備を積んだピックアップトラックが並ぶようになっていた。
以前は地元住民向けだったアウトドア用品店には、防護装備や大型ナイフ、携行食、救急用品が並ぶ専用区画が作られ、空き倉庫には素材買い取り業者が看板を掲げている。こうなった理由の一つは、この地域に複数のダンジョンが存在することで、郊外の荒地にあるものもあれば、幹線道路からそう離れていないものもあり、中には住宅街の外れから数キロも離れていない場所に入口が存在するものまであった。
そして、もう一つの理由はもっと分かりやすい。
ハウンド・スリー。
現在は四人で活動しているにもかかわらず、最初に広まった名前がそのまま定着してしまったアメリカ有数の探索者チーム。その彼らが六層まで攻略を進めたダンジョンが、この街の近くにあり、現在はその入口が閉じられていた。
連邦政府の管理下に置かれた敷地には仮設フェンスと警備設備が追加され、入口へ続く道路には検問が設けられている。公表されている理由は、深層で確認された未知の危険要因に関する追加調査と安全性の再評価であり、説明そのものに不自然なところはなかった。
深い階層ほど危険度が上がることは、すでに世界的な共通認識になっている。六層まで到達した探索記録が存在する以上、政府が慎重になる理由も十分にあったが、その説明だけでは納得しない人間が日に日に増えていた。
「今日の人数は?」
「午前十一時時点で五百八十二名です。午後から増える見込みで、現地当局は七百前後まで膨らむ可能性を見ています」
ワシントンで開かれた関係部局の会議では、大型モニターにダンジョン入口周辺の映像が映し出されていた。フェンスから距離を取った道路脇に人が集まり、警察が設けた区域の中で、OPEN THE DUNGEON、LET US EXPLORE、YOU DON’T OWN THE DUNGEON、WHAT ARE YOU HIDING? などと書かれたプラカードを掲げている。
英語で書かれた文字の間には、ハウンドの名前や犬を模した絵まで見えた。
「先週より増えているな」
「ハウンド・スリーによる新ダンジョンでの活動内容が公開されて以降、明確に増えています。特にスクロールと魔術使用の映像が広まった後の伸びが大きいです」
担当官が別の資料を表示すると、抗議参加者だけでなく、周辺地域へ流入した探索者や探索希望者の推計まで示された。数字は数週間単位で増加を続けており、旧ダンジョンが封鎖されているにもかかわらず、その周囲から人が減るどころか、むしろ増えている。
「彼らは新しいダンジョンでスクロールを見つけたんだろう。それなら、なぜこちらへ集まる?」
「理由はいくつかありますが、現在もっとも拡散している説はこちらです」
画面が切り替わり、複数の動画投稿や掲示板、SNSへの書き込みが並んだ。内容は多少違っていても、主張していることは似ており、なぜハウンド・スリーだけがこれほど成果を出し続けるのか、その理由を過去の活動から探ろうとしている。
彼らは旧ダンジョンで身体能力を大きく向上させ、深層へ到達し、強力な装備や珍しい回収品を得た。その後、新たに割り当てられた別のダンジョンへ入ると、今度は通常のボスを殺した異常個体と遭遇してそれを倒し、さらに赤いポーションを回収してスクロールまで手に入れ、実際に一人が水を生み出す魔術を習得した。
偶然にしては出来すぎているのではないか。ならば、彼らが最初に攻略していた旧ダンジョンに何らかの秘密があり、そこで得た何かが現在の異常な成果へ繋がっているのではないかという説だった。
分析官が説明を終えると、会議室の何人かが難しい顔をした。
「馬鹿げた話だ、と切り捨てられないのか?」
「旧ダンジョンでの活動と、その後の彼らの成果に直接的な因果関係があることを示す証拠はありません。ただし、関係がないと断定できるだけのデータもありません」
「つまり何も分からない」
「簡単に言えばそうなります。ダンジョンごとの特性差についても研究途上ですから、同じ地域に存在する異常空間が何らかの共通性を持つ可能性まで完全に否定することはできません」
別の高官が資料へ視線を落とした。ハウンドの身体能力向上が特定のダンジョンだけに由来するという証拠はなく、むしろ現在までの研究では、異常空間内で戦闘や活動を続けること自体が身体変化へ関係している可能性が高い。
しかし、一般人がそこまで慎重に情報を分けて考えるとは限らなかった。結果だけを並べれば、無名に近かった探索者たちが一つのダンジョンへ入り続けたことで強くなり、六層まで到達し、その後に別のダンジョンへ移っても異常な成果を上げ続けているように見える。
そして、そのすべての始まりとなったダンジョンは現在、政府によって閉鎖されていた。
「そこに最後の一つが加わるわけか」
「はい。ネット上では、政府がハウンド・スリーの強さの秘密を発見し、それを独占するために旧ダンジョンを封鎖しているという主張も増えています」
会議室に微妙な沈黙が落ちた。その理由で封鎖しているわけではないため主張そのものは事実ではないが、政府が公開していない重要情報を抱えていること自体は間違っていない。
六層でハウンドが接触した白い人型は、人間としか思えない姿をしながら異常な身体変化を見せ、巨大生物を一撃で倒していた。周囲の生物との異様な関係も確認され、スマートフォンの翻訳を通じて会話まで成立し、その結果としてハウンド側は一つの約束を交わしている。
その情報を一般へ公開する判断は、まだ下されていなかった。ハウンド自身も六層へ再び入らないことになっている以上、政府としても他の探索者を簡単に送り込むわけにはいかない。
「現時点で、他のチームによる五層到達は?」
「確認されていません。旧ダンジョンについては封鎖前にも四層攻略途中のチームが複数存在していましたが、五層到達の公式記録はありません」
「それなら時間はあるな」
「旧ダンジョンだけを見るなら、そうです」
分析官は別の地図を表示した。街とその周囲に存在する複数のダンジョンが示され、それぞれの横には登録探索者数と一日当たりの平均入場者数が記載されているが、数字の多くが明確に上昇していた。
「旧ダンジョンへ入れない人間が、周辺の別ダンジョンへ流れています。それに加えて、ハウンドの旧活動地域そのものに何らかの特徴があるのではないかという説が広まり、同一地域のダンジョンを試そうとする探索者も増えました」
「根拠は?」
「ありません。ただ、否定する根拠も十分ではありません」
「またそれか。その言葉は便利だな」
「最近、よく使います」
高官が椅子へ深く座り直したが、現場から届いている問題は単なる混雑だけではなかった。この地域に存在するダンジョンのすべてが人里離れた荒野にあるわけではなく、一部は住宅地から近いため、以前は一日に数十人程度だった探索者が数倍に増えたことで、周辺道路に装備を積んだ車が並ぶようになっている。
当然、住民からの苦情も増えていた。
「朝五時から住宅街で装備確認をしていたグループがあり、近隣住民と口論になっています。別の場所では配信者が住宅を背景に撮影し、住民から削除要請が出ました。路上駐車、無断駐車、騒音、ゴミについても自治体から対応要請が来ています」
「ダンジョンへ行くだけなら、なぜ住宅街へ入る?」
「近道です」
「使わせるな」
「すでに交通規制を検討しています。それと一昨日は、個人宅の前で探索チーム十一名が集合して装備点検を始め、住人が警察を呼んでいます」
別の担当者が資料をめくりながら続けると、高官は理解できないものを見るような顔をした。
「なぜ個人宅の前でやった?」
「ダンジョン入口まで最短距離だったためだそうです」
「そこに住んでいる人間に何の関係がある」
「ありません」
政府側が旧ダンジョンへの集中を避けようと周辺のダンジョンへ探索者を分散させた結果、その周辺住民からは別の意味で苦情が来ていた。
「州政府からの要請は?」
「探索者を分散させること自体には同意しています。ただし住宅地域に近いダンジョンへの流入増加については、入場者数の上限設定や駐車施設の整備を求めています」
「要するに、散らすのはいいが自分たちの住宅街には散らすな、と」
「かなり簡略化すれば、そうです」
理解できない要求ではなかった。誰だって朝起きて窓を開けた時、自宅前で槍や斧を持った見知らぬ集団が今日の戦術について相談している生活など望んではいない。
しかも人が集まれば、そこには金も集まる。街のモーテルは稼働率が大きく上がり、空き家や短期賃貸の料金も上昇し、飲食店や小売店の売上が伸びる一方で、探索者向けの新しい店や素材買い取り業者、企業の拠点まで次々に増えていた。
「企業側からの旧ダンジョン調査参加要請は?」
「昨日までで正式なものが二十三社です。大学および民間研究機関との共同提案を含めると、さらに増えます」
「先週はいくつだった?」
「九社です」
「倍以上になってるじゃないか」
「スクロールが原因です」
今度は企業から提出された提案書の概要が表示された。そこには、ハウンド・スリーの能力発達と旧ダンジョン環境との相関調査、旧ダンジョン由来回収品の再評価、モンスター生態と探索者の身体変化に関する長期研究、旧ダンジョンおよび周辺異常空間の地理的共通性調査などが並んでいる。
表現はどれも学術的で、研究目的として理解できる内容ばかりだった。だからこそ単純に門前払いすることも難しく、政府側にとっては抗議者より厄介な相手になりつつあった。
「先週までは入口の前でプラカードを持っていた連中に対応すればよかったんですが、今は弁護士と研究者が来ています」
「企業は封鎖解除を要求しているのか?」
「直接そう表現しているところは少数です。民間研究機関を含めた共同調査、認定探索者に限定した段階的開放、政府監督下での企業研究チーム参加などを提案しています」
「ずいぶん丁寧だな」
「だから断るのが面倒なんです」
さらに議員からの照会も増えていた。地元経済への影響、探索者の活動機会、民間研究の自由、特定の異常空間を連邦政府が長期間閉鎖する法的根拠、安全調査がいつ終わるのかと、どの質問も内容そのものはまともだった。
問題は、政府側がもっとも重要な理由を回答に含められないことにある。
「封鎖を解除した場合の想定を確認したい」
「短期的には探索者が集中します。現状の関心度を考えると、入場枠を設けても相当数の申請が出るでしょう。現在五層到達者はいませんが、参加者と資金が増えれば攻略速度が上がる可能性は高いです」
「企業がスポンサーにつけば装備も良くなる」
「はい。経験者を集めた専門チームが組まれる可能性もあります。旧ダンジョンで活動していた既存チームだけを前提に、今後の攻略速度を予測することはできません」
その先にある五層と六層については、誰もあえて口にしなかった。現在はまだ到達者がいなくても、資金、人員、装備が一か所へ集中すれば状況は変わり、政府が本当に警戒している六層へ別の探索者が到達する可能性はいずれ現実になる。
「封鎖を続ければ?」
「抗議活動は拡大する可能性があります。企業、研究機関、議員からの圧力も強まるでしょう。さらに、閉鎖が長期化するほど『政府が何かを隠している』という説に説得力を与えます」
「解除すれば?」
「いずれ深層攻略が再開します」
「素晴らしい選択肢だな。他には?」
誰も答えられないまま、しばらくして会議の責任者が資料を閉じた。どちらを選んでも問題がある以上、当面は危険を管理できる方を選ぶしかない。
「封鎖は継続する。ただし安全調査の内容について、公開可能な部分は今までより積極的に出す。何も説明しないまま閉じ続けるのは逆効果だ」
周辺ダンジョンについても受け入れ可能人数を改めて算定し、住宅地域に近い場所では駐車場や進入経路の指定を強化することになった。人が集まることそのものを完全に止めるのではなく、管理できる形へ誘導するしかない。
「企業との共同研究については?」
「旧ダンジョン内部への立ち入りは認めない。公開済みデータを使った研究や、周辺ダンジョンでの調査については個別に協議する。全部拒否すれば、余計に疑われるだけだ」
暫定的ではあるが方針はまとまり、封鎖解除の時期については結論が出ないままでも、少なくとも今日決められる範囲のことは決まった。会議室の空気がわずかに緩み、何人かが資料を片づけ始めたところで、一人の担当者が端末を確認して遠慮がちに口を開いた。
「あの、もう一件よろしいでしょうか」
何人かが露骨に嫌そうな顔をした。
「今度は何だ。企業か、議員か、それともまた抗議者が増えたのか?」
「そのどれでもありません。今朝から現地に、新しい集団が来ています」
モニターへ現地映像が表示された。封鎖フェンスの前には、いつものように探索者や抗議参加者が集まり、少し離れた場所では配信者がカメラを回し、道路脇には企業関係者らしい車両も停まっている。
さらにその外側、交通の邪魔にならない場所には、白っぽいローブを着た二十人ほどの男女が並んで座り、全員がダンジョンの方向を向いていた。
「……何だ、あれは」
「新しく確認された宗教団体です。ダンジョンを人類へ与えられた啓示、あるいは新しい世界へ通じる神聖な門として扱っているようです」
会議室が静かになり、責任者は理解するまで少し時間を置いてから問い返した。
「抗議しているのか?」
「いえ。現在のところ、封鎖解除も求めていません」
「じゃあ何をしている?」
「祈っています」
「……何に?」
「ダンジョンにです」
映像の中では、ローブ姿の集団が静かに頭を下げており、近くに置かれた看板にはTHE GATE WAS GIVEN TO US.と大きく書かれていた。
「問題行動は?」
「ありません。許可された場所にいて、交通も妨げておらず、騒音も出していません。現地警察によれば非常に協力的だそうですが、報道陣が集まり始めています。今朝は二十七名でしたが、SNSで映像が広まってから参加希望者も増えているようです」
「なら、問題を起こさない限りは放っておくしかないな」
責任者はそう答えながら、もう一度モニターへ目を向けた。
フェンスの前には封鎖解除を求める探索者がおり、その周囲では配信者がカメラを回し、少し離れたところにはダンジョンの研究利用を求める企業関係者がいる。そのさらに外側では、白いローブを着た人々が静かに祈りを捧げていた。
数か月前まで、この場所は街の外れにある奇妙な入口の一つでしかなかった。それが今では、人が強さを求め、金を求め、政府の秘密を疑い、研究対象として価値を見出した末に、とうとう神聖なものとして拝む人間まで現れている。
「……まだ何か増えると思うか?」
誰かが小さく尋ねると、責任者はモニターから目を離さないまま深く息を吐いた。今日一日だけでも抗議者、企業、議員、住民、そして宗教団体まで話が広がったのだから、これ以上先のことを予想する気にはなれなかった。
「聞くな。増えた時に考える」




