第254話 とある企業の苦悩 3
翌朝九時、東央産業の役員会議室には、昨日よりさらに多くの人間が集まっていた。
久世隆一が席へ着く前から、営業、保険、医療、装備、調達、法務の担当者がそれぞれ資料を広げており、昨日まで同じ会社の中で働いていたはずの人間たちが、今日は何かの獲物を奪い合う競合企業のような目で互いを見ている。
「……始める前に聞いていいか。なんで昨日より人数が増えてるんだ?」
「探索者ギルドへの対応を検討した結果、関係する部門を集めました」
「関係しない部門は?」
「現時点では財務くらいでしょうか」
「帰っていいか?」
財務担当役員が即座に反応したが、久世は首を横に振った。昨日までの経験から考えれば、この会議で最後に必要になるのは間違いなく財務だった。
「残ってくれ。たぶん最後に全員を止める仕事がある」
「それなら最初から全員止めてもいいですか?」
「会議を始めよう」
久世が聞かなかったことにすると、財務担当は諦めたように資料を開いた。
議題は、国内で動き始めた探索者ギルドへの企業対応だった。
これまで企業が探索者と継続的な関係を持とうとした場合、基本的には個人や小規模なチームへ一つずつ接触するしかなかった。誰がどのダンジョンを主な活動場所にしているのか、どの程度の実力があり、どんな素材を持ち帰れるのかも外からは分かりにくく、企業側から見れば取引先候補を探すところから苦労する市場だった。
そこへ、探索者同士が自ら組織を作るギルド制度が始まった。
企業側から見れば、それまで点在していた探索者たちへ接触するための、まとまった窓口が生まれる可能性がある。
当然、東央産業だけがそれに気づいたわけではなかった。
「国内で設立準備が進んでいる主要ギルドについて、すでに複数企業が接触を開始しています。特に設立初期から一定数の探索者を集める可能性がある団体については、医薬、素材、保険、装備メーカー、商社などが協力提案を出しているようです」
営業担当が表示した資料には、確認できた企業名と接触内容が並んでいた。正式契約まで進んでいるものはまだ少ないものの、話を聞くだけでも相当な数の企業が同じ方向へ動いていることが分かる。
「昨日資料にあった互助会は?」
「当然、複数社が接触を検討しています。発足に関わるメンバーへ個別に話を持ちかけようとしている企業もありますし、団体としての活動が本格化する前に関係を作ろうという動きも確認されています」
会長が眉を寄せた。
「では、こちらも早く動けばいい。条件で負ける必要はないだろう」
その言葉を待っていたように、複数の担当者が同時に口を開いた。
「当社の医療部門からは、所属探索者向けの健康管理と負傷時の優先受け入れを含む医療支援契約を提案できます」
「保険部門としては探索活動に特化した補償商品の共同設計が可能です。ギルド単位で加入者を確保できれば、個人向けより制度設計もしやすくなります」
「装備部門からも試作品の無償提供を提案できます。現場から継続的に使用感を回収できれば、製品開発にも大きなメリットがあります」
「調達としては、回収素材の優先買い取り契約を――」
「待て」
久世が止めるまでに、四つの事業部がそれぞれ別の契約を一つのギルドへ持ち込もうとしていた。
「お前たちは互助会を何だと思ってるんだ?」
誰もすぐには答えなかった。
久世は目の前の資料を見直した。医療支援、保険契約、装備提供、素材買い取り、研究協力、施設利用と、一つずつなら十分に魅力のある提案に見える。
全部まとめると、どう見ても逃がす気のない包囲網だった。
「これを全部持って行ったら、向こうはどう思う?」
「手厚い総合支援だと評価していただける可能性があります」
「俺なら怖いぞ」
営業担当が黙ったところで、法務担当が控えめに口を開いた。
「契約条件にもよりますが、優先買い取り、研究協力、指定装備の使用、医療情報の共有などを同時に求めた場合、実質的な囲い込みと受け取られる可能性はあります。ギルド側が企業からの独立性を重視しているなら、かえって警戒されるでしょう」
「ほら見ろ。昨日まで素材を海外企業に取られて困っていたのに、今日は探索者に逃げられる心配をしてるじゃないか」
久世が額を押さえると、会長が資料を見ながら首を傾げた。
「しかし、こちらが金を出す以上、何らかの優先権は必要だろう。何の見返りもなく設備や金を提供するわけにはいかんぞ」
「それは当然です。ただし、独占を求めすぎると他社を選ばれます」
「なら他社より条件を良くしろ」
「会長、相手にも選ぶ権利があります」
昨日から何度目か分からない沈黙が訪れた。
会長は納得できないというより、これまでの企業取引とは勝手が違うことを改めて確認しているようだった。
「企業同士なら、欲しい会社があれば株を買う。取引先なら長期契約を結ぶ。それで関係を固定できるだろう」
「探索者本人を買収するわけにはいきませんので」
「分かっている。そこまで耄碌していない」
「昨日、鉱山会社を買えばいいと仰っていましたので、念のためです」
「君は最近、私への当たりが強くないか?」
「寝不足だと思います」
調達担当役員が真顔で返したため、久世は笑いそうになるのを堪えた。
問題は、単に契約条件だけではなかった。
ギルドは企業ではない。
所属する探索者も会社員ではなく、それぞれが自分の意思で活動する。ギルド側が企業と包括的な協力関係を結んだからといって、所属探索者全員に特定企業への素材売却を強制できるとは限らなかった。
「つまり、ギルドと契約できても、その中の探索者が必ずうちへ素材を売ってくれるわけではないのか?」
「契約内容次第ですが、強制力を持たせすぎれば加入する探索者そのものが減る可能性があります。探索者側から見れば、企業の社員になるためにギルドへ入るわけではありませんから」
「自由だな」
「探索者ですので」
「最近、その一言で大体の説明が終わるようになってないか?」
久世の疑問に答える者はいなかった。
営業担当からは、すでに一部の探索者へ企業の名刺や提案書が大量に届き始めているという報告も出た。
ある企業は装備の無償提供を持ちかけ、別の企業は活動資金の支援を申し出ている。医療機関との優先受診契約、遠征用車両の提供、活動拠点となる建物の貸し出しまで、企業ごとの強みを生かした提案が次々に出されていた。
海外企業の日本法人まで動いている。
昨日まで素材一つを奪い合っていた企業たちが、今日はその素材を持って帰ってくる人間を奪い合い始めていた。
「昨日、仕入れ先がモンスターと戦っていると言ったな」
「言いましたね」
「今日になったら、その仕入れ先を競合他社と奪い合っているんだが」
「状況は日々進展しています」
「進展という言葉は、普通もう少し良い意味で使わないか?」
秘書から返答はなかった。
会議はさらに、企業側からギルドへ何を提供できるかという話へ移った。
装備。
医療。
保険。
車両。
遠征時の宿泊施設。
素材保管用倉庫。
輸送。
法務支援。
活動中の事故に備えた家族向け補償。
東央産業ほど事業範囲が広ければ、探索者が必要としそうなものの大半をグループ内で用意できる。
そこまでは強みだった。
問題は、それぞれの部門が自分たちこそギルドとの窓口になるべきだと考え始めたことだった。
「探索者との接点を考えれば、医療部門が中心になるべきです。負傷時の治療は継続的な関係を築くうえで――」
「日常的な接触頻度なら装備部門です。武器、防具、消耗品の提供と改良を通じた方が――」
「素材の売買を考えれば調達でしょう。そもそもの目的を忘れていませんか?」
「包括契約なら営業が窓口になるのが普通です」
「保険契約を通じれば所属人数や活動実態も――」
「個人情報の扱いを軽く言わないでください」
法務担当まで加わった。
久世はしばらく各部門の主張を聞いていたが、気づけばギルドへの支援方針を決める会議が、社内の担当部署争いへ変わり始めている。
「一回止めよう。なんで探索者と仲良くする前に、お前ら同士で喧嘩してるんだ?」
会議室が静かになった。
「窓口を一つ作れ。各部門から人を出して、異常空間関連の対外連携をまとめる部署を作る。ギルドや探索者に同じ会社から五人も六人も別々に営業をかけるな」
久世の指示に、営業担当がすぐメモを取り始めた。
少なくとも、これで一つ問題は減る。
そう思った直後、財務担当役員が手を上げた。
「新部署の人員と予算はどこから出しますか?」
久世は一度目を閉じた。
「……後で決めよう」
「承知しました。なお、昨日決定した社内探索部門の試験運用と地方拠点開発にも新規予算が必要です」
「覚えてるよ」
「研究開発予算の追加申請も残っています」
「それも覚えてる」
「海外素材の調達予算も――」
「全部覚えてるから一回黙ってくれ」
財務担当は満足したように座った。
その後、企業としての基本方針は少しずつまとまっていった。
自社探索部門については、小規模な試験チームから開始する。
国や自治体が企業誘致を進める地方ダンジョンについては、研究、物流、加工を組み合わせた拠点候補として調査を進める。
既存探索者やギルドに対しては、一方的な独占契約を求めるのではなく、装備、医療、保険、施設、輸送などを組み合わせた協力関係を提案する。
回収品についても全量独占を前提にせず、継続的な買い取りや優先交渉のような現実的な契約から関係を作っていく。
「ようやく企業らしい話になってきたな」
会長が資料を眺めながら呟いた。
久世も同意した。
ダンジョンが現れて以来、分からないものを買おうとし、存在しない供給量を増やそうとし、昨日にはとうとう社員をモンスターと戦わせる話まで始めた。
それに比べれば、取引先と関係を築き、必要なサービスを提供し、その対価として長期的な取引を目指すという方針は、久しぶりに自分たちが知っている経営の形に近い。
「これなら、何が増えても対応できるだろう。新素材が増えれば研究部門へ回し、新しい回収品が出れば横断部署で評価する。探索者が増えればギルドとの連携を広げればいいし、地方ダンジョンの開発が進めば現地拠点も使える」
「ようやく土台らしいものはできたな。最初から全部当てようとするから無理があるんだ。何が出てきても拾える網を広く張っておけばいい」
会長の言葉に、久世は久しぶりに素直に頷いた。
何が正解なのか分からないなら、正解が判明した瞬間に動ける会社になればいい。
未知の素材が出てもいい。
新しい鉱石が出てもいい。
新しいポーションが出てもいい。
少なくとも、昨日までのように何かが発見されるたび、ゼロから対応を考え直す必要はなくなる。
「では、この方針で各部門の計画をまとめてくれ。次回からは毎日経営会議を開かなくても済む程度の体制を目指そう」
「それは非常に重要な経営目標ですね」
副社長が深く頷いた。
久世も本気でそう思っていた。
会議が終わりに近づき、役員たちが資料を片づけ始めた頃だった。
会議室の扉がノックされ、秘書が入ってきた。
普段なら会議中に入ってくることはほとんどないため、久世は嫌な予感を覚えた。
「社長、海外事業部と研究開発本部から緊急共有です。アメリカで、新たなダンジョン回収品の使用例が確認されたとのことです」
片づけ始めていた資料が止まった。
「新素材か?」
「違うようです」
素材担当役員が少しだけ安心した。
「新しいポーション?」
「それも違います」
今度は医療担当役員の肩から力が抜けた。
「鉱石でもないんだな?」
「はい。スクロールと呼ばれている、皮のような素材で作られた巻物状の回収品です」
久世は少し考えた。
巻物なら素材分析の対象にはなるだろうが、それだけなら今すぐ経営会議へ持ち込むような話には思えない。
「それがどうしたんだ?」
「使用した探索者が、魔術を習得したと見られています。現地映像では、何もないところから水を発生させています」
誰も動かなかった。
久世は秘書を見たまま、今聞いた言葉を頭の中でもう一度並べた。
巻物。
使用。
魔術を習得。
水を発生。
どこまで考えても、既存の事業分類へ入る場所がなかった。
「……もう一回言ってくれ」
「スクロールを使用した人物が、水を生み出す魔術を習得した可能性が高いとのことです」
久世はゆっくり会長を見た。
会長も久世を見た。
素材担当は医療担当を見て、医療担当は研究開発担当を見た。研究開発担当は自分を見るなという顔をしていた。
長い沈黙のあと、会長が眼鏡を外した。
「……それは、どの事業部の担当なんだ?」
誰も答えられなかった。
久世は右側頭部へ手を伸ばし、髪の下に隠れている例の場所をそっと指先で確認した。昨日より広がっていないことを朝に確認したばかりなのに、急にそこだけ涼しくなったような気がした。
「社長、研究開発本部からは、至急専門チームを編成して情報収集を開始したいとの要望が来ています」
「分かった。やってくれ」
「予算については?」
財務担当役員が反射的に口を開いた。
久世はしばらく何も言わずに相手を見た。財務担当も数秒してから、自分が何を聞いたのか理解したらしく、静かに視線を逸らした。
「……それも後で決めよう。というか、魔術の予算って何だ」
「私に聞かないでください」
「聞いてないよ」
さっきまで片づけられていた資料が、再び机の上へ戻され始めた。
素材担当はスクロールそのものの材質について調べる必要があると言い、医療担当は人体への影響を確認すべきだと言い、研究開発担当は現象そのものの解析が必要だと主張した。エネルギー担当まで、水を無から生み出しているならエネルギー収支を無視できないと言い始めたところで、久世は自分たちが数分前に何を話していたのか思い出した。
「待て。今さっき、何が出てきても対応できる体制ができたって話をしてなかったか?」
「しましたね」
「何が出てきても拾える網を張ったって、会長も言いましたよね?」
「言ったな」
「じゃあ何で、もう網からはみ出してるんですか?」
会長は眼鏡を外したまま、しばらく天井を見上げた。
「網より大きいものが出てきたんだろう」
久世は何も言い返せなかった。
結局、その日の午後に予定されていた別の会議は二つ延期された。
代わりに、異常空間関連の緊急経営会議がそのまま延長されることになった。
秘書が予定表を修正している横で、久世は明日の予定を確認した。
午前九時。
異常空間関連事業戦略会議。
昨日までと同じ文字が、そこにあった。
「……消えてないな」
「はい。当面は毎日開催予定です」
「次回から毎日やらなくて済む体制を、さっき決めたばかりなんだけどな」
「状況が変わりましたので」
久世はそれ以上何も言わなかった。
会長は血圧の薬を追加で飲み、副社長は新しい胃薬の箱を開け、財務担当は魔術研究という見たこともない費目を予算表のどこへ置くべきか真剣に悩み始めている。
久世は右側頭部から手を離すと、目の前に積み直された資料を一冊取った。
表紙には、大きくこう書かれていた。
『新規回収品「スクロール」及び魔術現象に関する緊急調査』
どうやら自分の円形脱毛症が治る日は、まだかなり遠そうだった。




