第249話 四層の異物
「……近接の方が楽だって言ったばかりなんだがな」
コールが大楯を前へ出したが、黒灰色の巨体はすぐには動かなかった。四メートルを超える身体をわずかに前へ傾け、四人を順番に見ている。その足元には、先ほど殺された大型の人型が落とした大剣が転がっていた。
「散れ。正面はコール」
グラントの声で四人が間隔を広げた、その瞬間だった。巨体が床を蹴った一歩で一気に距離を詰め、巨大な右腕を振り上げる。
「来る!」
コールは衝撃を流せるように大楯を傾けたが、拳は来なかった。巨体は腕を振り下ろす直前に身体を沈め、足元の石床を左足で強く蹴る。砕けていた岩の破片が一斉に跳ね上がり、細かな石片が盾と防具へ当たって視界を塞いだ。
巨体はそのままコールの横を抜ける。
「グラント!」
狙われたのは後ろにいたグラントだった。
黒い槍を構えるより先に大きな手が伸びてきたが、グラントは横へ跳んだ。指先が防具の表面を掠め、そのまま空を切る。
しかし追撃は来なかった。巨体はグラントが避けた時には既に向きを変え、今度はエレナへ踏み込んでいた。
「こいつ……!」
エレナがメイスを構える。
一人を追わない。攻撃する相手を次々と変え、四人の隊列を崩そうとしている。
エレナへ向かって右腕が伸びる。彼女は横へ避け、その腕へメイスを叩き込もうとしたが、巨体は突然腕を引いた。
空振りしたメイスの横から膝が跳ね上がる。
エレナは身体を捻り、まともに受けることだけは避けた。それでも防具の脇腹へ膝が当たり、身体が横へ押し飛ばされる。
「フェイントまで使うの?」
「見た目より器用だな!」
床を転がりながら立ち上がったエレナの前へ、コールが追いついて大楯を差し込んだ。
今度は黒灰色の腕が本当に振られた。
盾へ激しい衝撃が伝わる。コールは真正面から止めようとせず、身体ごと半歩ずらして力を横へ逃がした。
巨体の上半身が流れた瞬間、グラントの黒い槍が脇腹へ突き込まれる。穂先は皮膚を破ったものの浅く、筋肉そのものが刃を押し止めるような感触が槍越しに返ってきた。
エレナも反対側から踏み込み、メイスを膝へ叩き込む。鈍い音が響き、巨体の片脚がわずかに沈んだ。
「硬い!」
エレナが離れた直後、ケイレブの短槍が同じ膝裏へ伸びる。
巨体は振り返らなかった。代わりに足を大きく後ろへ蹴り出し、ケイレブが飛び退いたところで、足元へ転がっていた大剣を蹴り上げた。
本来のボスが落とした武器だった。
巨大な石の大剣が、回転しながら飛んでくる。
「ケイレブ!」
避けきれなかった。
ケイレブは短槍を立てて軌道を逸らしたが、大剣の側面が左肩から胸へ激突した。身体が床へ叩きつけられ、短槍が手を離れる。
「っ……!」
息が出ず、左腕も動かなかった。防具の下でも肩の形が明らかにおかしく、呼吸も浅い。
エレナが向かおうとした。
「行くな!」
グラントが止める。
黒灰色の巨体は倒れたケイレブを見ていた。追撃するように見え、グラントとエレナが同時にそちらへ意識を向ける。
それを待っていたかのように、巨体は逆方向へ飛び出した。
狙いはコールだった。
「そっちか!」
コールが大楯を構える。
巨体は真正面から突っ込んできたが、衝突する直前で大きく身体を沈めた。長い腕が盾の下へ伸び、コールの脚を掴もうとする。
コールは盾を下げながら後ろへ跳び、黒い指が空を掴んだ。
「性格悪いぞ、お前!」
返事の代わりに巨体が立ち上がる。
コールが大楯を前へ出したまま後退する間に、グラントはケイレブのもとへ走った。
「状態は」
「左肩……肋骨も、たぶん何本か」
声を出すだけで顔が歪む。この状態で戦闘を続けることはできない。
グラントは迷わず腰の保護ケースを開き、赤色ポーションを取り出した。
「飲めるか」
「いける」
栓を抜いてケイレブへ渡すと、赤い液体を一気に飲み込む。
変化はすぐに始まった。
呼吸するたびに走っていた激痛が急速に薄れ、動かなかった左肩の感覚が戻っていく。明らかにずれていた関節が元の位置へ収まり、胸の奥で感じていた鋭い痛みも消えていった。
ケイレブは左腕を動かし、指を開く。肩を回しても痛みはない。
「……動く」
「なら立て」
グラントの手を掴み、ケイレブは自分の足で立ち上がった。
目の前では、コールとエレナが巨体を引きつけている。コールが盾で攻撃を流し、エレナが開いた場所へメイスを入れる。
巨体はエレナの攻撃を一度受けると、わざと大きく身体を傾けた。
「エレナ、追うな!」
グラントの声で踏み込みを止めた直後、黒灰色の巨体が倒れ込むように片手を床へつき、その腕を軸に身体を回転させる。
長い脚が低い位置を薙いだ。
エレナは後ろへ跳び、コールは大楯を地面へ立てて受け流す。
「今のまで狙ってやってんのかよ!」
巨体は回転の勢いのまま立ち上がった。動きに無駄がなく、力任せに暴れているわけでもない。
相手がどう避けるかを見ている。防御した後にどこへ動くかまで利用している。
「ただの大型じゃない」
復帰したケイレブが腰の短剣を抜いた。短槍は巨体の向こう側に落ちている。
「もういいの?」
「問題ない」
エレナの問いに答えたケイレブを見て、コールが笑った。
「便利だな、それ」
「一本しかない。次は避けろ」
グラントの返答に、コールの笑みが消えた。
「それは重要な情報だ」
四人が再び位置を取り、黒灰色の巨体もそれを待つように動きを止める。
グラントはこれまでにつけた傷を確認した。脇腹、右膝、腕。傷は通っており、倒せない相手ではない。
ただし、一度見せた攻撃には対応を変えてくる。
「右膝を壊す」
グラントの言葉に三人が頷いた。
コールが前へ出ると、巨体の視線が大楯へ向き、右腕が大きく引かれた。
またフェイントか。それとも本当に殴るのか。
判断する前に巨体の左手が床へ伸び、拳大の岩を掴んだ。
「また何かするぞ!」
投げられた岩の狙いはコールではなく、後方のグラントだった。
グラントが頭を下げ、岩がすぐ横を通過する。その間に巨体はコールへ踏み込み、大きな拳を盾へ向けた。
コールは受けた。
今度は流すだけではない。衝撃を斜めへ逃がしながら、自分から巨体の内側へ踏み込み、盾を肩へ押し当てる。
「今だ!」
エレナが右側から入り、メイスを右膝へ落とした。硬いものが軋み、巨体がエレナへ腕を伸ばそうとする。
その手首へグラントの黒い槍が突き刺さった。
腕が止まる。
エレナが同じ場所へ二撃目を叩き込み、黒灰色の巨体が初めて大きく姿勢を崩した。
それでも倒れず、右脚を引きながら左手でコールの盾を掴もうとする。コールは大楯を手放さず、身体ごと回って指を外した。
「それはやらせない!」
反対側からケイレブが入り、短剣を逆手に持って右膝の裏へ深く突き込む。
巨体が振り返るより先に刃を抜き、その場を離れた。
追わせない。
一撃入れたら離れる。
四人は誰も攻撃を欲張らなかった。
黒灰色の巨体が大きく息を吐いたあと、突然エレナへ背を向けた。
逃げるような動きに、エレナが一瞬だけ迷う。
巨体は数歩進み、地面に落ちていた本来のボスの大剣へ手を伸ばした。
「武器を使う気か!」
違った。
掴んだのは大剣ではなく、その隣に転がっていた本来のボスの身体だった。まだ完全には消えていない巨体の片脚を掴み、そのまま持ち上げる。
「冗談だろ」
コールの声が漏れた。
三メートル近い死体そのものが、武器として横薙ぎに振り回された。
「散れ!」
四人が一斉に離れる。
床へぶつかった頭部と腕が岩を砕き、石片が四方へ飛ぶ。巨体はさらに一回転して勢いをつけ、そのまま死体を投げた。
「伏せろ!」
巨大な身体が宙を飛び、グラントとエレナの間を通過して背後の岩壁へ激突した。岩が崩れ、粉塵が一気に舞い上がる。
視界が消えた。
「来るぞ!」
誰の声か分からなかった。
粉塵の中から巨体が飛び出してくる。
最初からこれが狙いだった。死体を当てるためではなく、視界を奪うために投げたのだ。
狙われたのはエレナだった。
先ほど本来のボスの頭部を掴み、そのまま持ち上げた大きな手が迫る。
エレナには見えていない。
横から大楯が入った。
コールだった。
巨体の腕とエレナの間へ身体ごと割り込み、盾で進路を変える。
「それはもう見た!」
エレナが反応し、メイスを握り直して開いた右膝へ全力で振り下ろした。
鈍い破砕音が響く。
右脚が折れ、四メートルを超える身体が大きく傾いて片膝を床についた。
「今!」
グラントの黒い槍が首元へ突き込まれる。
これまでで最も深く入った。
巨体が槍を掴もうと腕を伸ばすと、ケイレブがその手首へ短剣を突き立てた。指が止まり、グラントは槍を引かず、そのまま体重を乗せる。
黒い体液が流れ出した。
巨体が咆哮し、至近距離で空気が震える。
それでも四人は離れなかった。
エレナが反対側へ回り、メイスを首へ叩き込む。一撃目で頭部が傾き、巨体が左腕を振り回したところを、コールの大楯が横へ押し流した。
二撃目が入る。
さらに大きく首が曲がった。
グラントが槍を一度引き抜くと、傷口から黒い体液が噴き出した。
巨体は残った左脚だけで立ち上がろうとする。
その顔面へ、黒い槍が正面から突き込まれた。
片目を貫かれ、巨体が仰け反る。
ケイレブが横から短剣を首の傷へ差し込み、エレナのメイスが顎を下から打ち上げた。最後にコールの片手斧が、何度も傷つけられた首へ深く入る。
黒灰色の巨体はそこで動きを止め、そのまま前へ倒れた。地面が大きく揺れ、四人はすぐには近づかずに距離を取る。
コールは大楯を構えたまま前に立ち、グラントとエレナが左右へ分かれる。ケイレブも血のついた短剣を握ったまま、巨体の動きを見ていた。
しばらく待つと、大きな指が一度だけ動いた。
「……今度こそ終わったか?」
「待て」
さらに時間を置く。
やがて黒灰色の身体がゆっくりと崩れ始め、巨体が完全に消えていった。
「終わった」
グラントの言葉で、ようやく四人の緊張が少し緩んだ。
ケイレブは左肩を回して状態を確かめた。先ほどまで骨が折れ、関節まで外れていたとは思えないほど自然に動く。
「本当に治ってるな」
コールが横目で見る。
「体感では完全に戻ってる」
「一本使った価値はあったわね」
エレナの言葉に、グラントが空になった保護ケースを確認した。
「次からは予備がない。それも含めて報告だ」
本来のボスだった大型の人型も、いつの間にか完全に消えていた。
黒灰色の巨体が消えた場所のさらに奥には、先ほどまでは存在しなかった宝箱が置かれている。
これまで見てきたものより、一回り大きい。
四人はしばらく無言でそれを見つめたあと、コールが大楯を肩へ戻した。
「……今度こそ、俺の武器じゃないか?」




