第248話 そこにいたもの
三層から帰還した翌日、ハウンドは異常空間へ入らなかった。
回収した装備の確認、探索記録の整理、身体状態の検査に一日を使い、四層攻略はその翌日に回している。前回の探索で大きく消耗したわけではないが、新しい階層へ進む前に一度区切りを置くのは、以前から四人が続けてきたやり方だった。
三層の宝箱から回収した短剣と赤色ポーションも、簡単な確認を終えて持ち込むことになった。
短剣はケイレブの腰に収まっている。普段使う短槍を失った場合や、狭い場所で取り回せなくなった時の予備として持つにはちょうどよかった。
赤色ポーションはグラントが保護ケースに入れ、すぐ取り出せる位置へ固定している。効果については既存のものと同じと見られていたが、使わずに済むならそれに越したことはない。
「武器が増えてくると、それっぽくなってきたな」
コールがケイレブの腰を見ながら言った。
「次は俺の分を頼む」
「盾と斧があるだろ」
「拾った武器が欲しいんだよ」
ケイレブはそれ以上相手にせず、装備の確認を続けた。
今回も銃器は携行している。
ただし、三層までと同じく、基本的には使わない方針だった。
最初はエレナの近接経験を補う目的が大きかったが、二度の攻略を経て理由は少し変わっている。
今の四人にとって、低層から中層程度のモンスターを相手にするなら、近接戦闘の方が単純に楽だった。
狙いを定めて撃ち、弾薬を消費し、射線を管理する必要がない。
近づいてきた相手を受け止め、そのまま倒す。
以前なら危険を避けるために距離を取っていた相手でも、上昇した身体能力とダンジョン由来の装備があれば、わざわざ離れて戦う利点が小さくなっている。
四人はその変化を、三層までの攻略ではっきり実感していた。
一層はさらに静かになっていた。
入口から前回のボス部屋まで進む間に確認したモンスターはわずかで、戦闘を避けられる位置にいる個体も多い。
二層も最初に到達した時ほどの密度はなく、三層ではまだ相当数が残っていたものの、前回使った経路を選ぶことで接触回数を抑えられた。
「やっぱり減ってるな」
コールが歩きながら周囲を見回した。
「少なくとも、倒した翌日に全部戻るような仕組みじゃない」
グラントは前方を確認しながら答えた。
未到達区域では多く、繰り返し通った区域では少なくなる。
間引きがダンジョン内部へ何らかの影響を与えている可能性は、今回も否定されなかった。
四人は予定より早く、四層への入口へ到達した。
前回は、その先へ続く通路を確認したところで引き返している。
ここからは未到達だった。
「行くぞ」
グラントを先頭に、四人は四層へ入った。
それまでの階層よりも天井が高く、灰色の岩壁の間を幅の広い通路が伸びている。ところどころには背丈を超える岩塊が積み重なり、奥へ進むほど死角が増えていた。
最初のモンスターは、その岩陰から現れた。
背丈ほどもある大型の蜥蜴型が三体。
前脚が異様に太く、全身を覆う鱗も三層までの個体より厚い。一体が四人へ向きを変えると、残る二体も岩陰から身体を出した。
先頭の一体が床を蹴る。
コールが大楯を前へ出した。
正面から衝突する直前、盾をわずかに傾ける。蜥蜴型の頭部が横へ流れ、体勢を崩したところへグラントの黒い槍が深く突き込まれた。
二体目がエレナへ向かう。
エレナは下がらず、突っ込んできた頭部を避けて側面へ回ると、メイスを首筋へ叩き込んだ。
一撃で鱗が割れる。
二撃目を入れる前に蜥蜴型が崩れ、床へ倒れ込んだ。
三体目はケイレブへ向かった。
短槍の穂先が口元を捉え、頭部を逸らす。その横からコールの片手斧が入り、首の付け根へ深く食い込んだ。
戦闘は短時間で終わった。
四人は倒れたモンスターを確認しながら、自然と互いの顔を見た。
「……銃、いらないな」
コールが言った。
誰も否定しなかった。
三層までと比べれば明らかに強い。
身体も大きく、外皮も硬い。それでも、近づかれること自体が以前ほど危険ではなくなっていた。
相手の動きが見える。
受け止められる。
武器を振れば、その力が十分に通る。
距離を取って射線を作るより、そのまま前へ出て倒した方が早い場面すら増えている。
「前なら逆だったな」
エレナがメイスについた体液を払った。
「近づかれる前に撃つ方が楽だった」
「今は近づいてくれた方が早い」
グラントは黒い槍を引き抜き、先へ進むよう促した。
四層で遭遇するモンスターは、進むほど大型化していった。
岩の隙間から飛び出す獣型や、厚い甲殻で身体を覆った虫型。三層までなら一撃で倒せた攻撃にも耐える個体が混じり始めたが、四人の隊列を崩すほどではない。
コールが正面を止め、グラントが確実に急所を狙う。
ケイレブは横へ抜ける相手を短槍で制し、エレナは硬い外皮ごとメイスで叩き潰した。
狭い岩場で短槍を十分に振れない場面では、ケイレブが三層で得た短剣を初めて抜いた。
岩陰から飛びついてきた小型の獣を腕で押し返し、腹部へ短剣を突き込む。
刃はほとんど抵抗なく深く入った。
ケイレブは一度距離を取り、動かなくなった相手を確認してから刃を抜く。
「どうだ?」
コールが聞いた。
「悪くない」
「それだけか?」
「十分だろ」
短剣は再び腰へ戻された。
主武器を置き換えるほどではない。
それでも、短槍を使えない距離まで潜り込まれた時に、素手で対処する必要がなくなった意味は大きかった。
四人は休憩を挟みながら四層を進んだ。
戦闘回数は多かったが、銃を抜く場面は一度もない。
むしろ進むにつれて、近接で処理する方が楽だという感覚は強くなっていた。
弾切れを考える必要がなく、発砲音で周囲を刺激する心配もない。
敵が近づけば、その分だけ倒すまでの距離が縮まる。
以前なら考えられなかった感覚だった。
「人間、変わるもんだな」
コールが倒した獣型から片手斧を抜いた。
「少し前なら、こいつに近づく方を選ぶなんて正気じゃないと思ってた」
「今でも普通の人間ならそうだろう」
グラントの返答に、コールは自分の腕を見た。
「なるほど。俺たちの方がおかしくなったのか」
「今さら?」
エレナが返し、四人はそのまま先へ進んだ。
やがて、モンスターとの接触が急に減った。
それまで頻繁に残されていた足跡も少なくなり、遠くから聞こえていた鳴き声も消えていく。
代わりに、通路の壁や床へ大きな傷が増え始めた。
何か重いものを引きずったような跡があり、岩壁には深い爪痕が残っている。砕けた石の間には、乾いた黒い体液までこびりついていた。
ここへ来るのは初めてだった。
ハウンドが間引いた結果ではない。
ケイレブが一つの傷を確認する。
「新しい」
グラントは先へ続く通路を見た。
周囲にモンスターが少ない理由が、別にある可能性が高かった。
四人はそれまでより慎重に進んだ。
しばらく進むと、左右を岩壁に挟まれていた通路が次第に広がり始めた。
天井も高くなり、視界の先に大きく開けた空間が見えてくる。これまで通ってきた場所とは明らかに規模が違い、奥までかなりの距離があった。
周囲の岩壁には何本もの深い傷が刻まれ、一部は大きくへこんでいる。床にも砕けた岩や黒く乾いた体液が残されていた。
「嫌な感じがするな」
コールが珍しく冗談を挟まずに言った。
四人は足を止め、開けた空間の奥を確認した。
負傷者はいない。
装備にも問題はなく、赤色ポーションもまだ使っていない。
グラントが周囲を見渡しながら、声を落とす。
「進む。最初は観察を優先する」
三人が頷いた。
四人は間隔を保ったまま、開けた空間へ足を踏み入れた。
そして、その中央に一体のモンスターがいた。
三メートル近い大型の人型。
太い腕には、岩を削り出したような大剣が握られている。全身には古い傷が走り、頭部からは短い二本の角が伸びていた。
四人へ気づく。
巨体がゆっくりと向きを変え、大剣を持ち上げた。
ボス。
そう判断した直後だった。
人型の背後。
奥の岩陰で、何かが動いた。
大きな腕が伸びる。
人型の頭部を後ろから掴んだ。
巨体が反応し、大剣を振り回そうとする。
間に合わなかった。
頭部を掴んだ腕が、その身体を持ち上げる。
三メートル近い巨体の足が、床から離れた。
次の瞬間。
頭から石床へ叩きつけられた。
床が砕け、大剣が手から離れる。
持ち上げられる。
もう一度。
さらにもう一度。
頭部が潰れ、人型の身体から力が抜けた。
それでも、背後の何かはすぐには手を離さなかった。
動かなくなった巨体を片腕で持ち上げ、そのまま横へ投げ捨てる。
重い音が、広い空間へ響いた。
岩陰から、その姿が前へ出てくる。
先ほどの人型より、さらに大きい。
四メートルを超える身体は異様なほど厚く、黒灰色の皮膚には無数の古い傷が刻まれている。
片方の角は途中で折れていた。
長い腕の先には、岩を削れそうな黒い爪が伸びている。
武器は持っていない。
必要ないのかもしれなかった。
本来この場所にいたはずのボスを、ほとんど抵抗させずに殺したものがいる。
黒灰色の巨体が、ゆっくりと四人へ顔を向けた。
コールが大楯を前へ出した。
「……近接の方が楽だって言ったばかりなんだがな」




