第247話 通ったあと
三層へ続く階段を下りる途中から、獣の鳴き声が聞こえていた。
一種類ではない。甲高い声の奥に低いうなりが重なり、ときおり硬いものが石床を引っかく音も混じる。二層でもモンスターの数は多かったが、さらに下には、それ以上の密度で何かが動いているらしい。
階段を下りきった四人は、その場で足を止めた。
三層は岩壁に囲まれた広い地下空間だった。正面には複数の通路が延び、天井から垂れ下がった太い石柱が視界を分断している。床には新旧の足跡が幾重にも重なり、壁際には食い荒らされた何かの骨が散らばっていた。
「歓迎会の規模が大きくなってるな」
コールが大楯を構え直した。
ケイレブは床の痕跡へ視線を落としたあと、正面と左右の通路を順に確認する。
「複数の群れが動いている。二層より多い」
「未到達だから、か」
グラントの言葉に、誰もすぐには答えなかった。
一層は、前回ハウンドが攻略した経路ほど敵が少なくなっていた。今回初めて入った二層では数が増え、さらに未到達だった三層には、それ以上の痕跡が残されている。
一度の比較で結論を出せるものではない。それでも、攻略済みの区域と未到達区域の間に差があることは、目の前の状況が示していた。
「倒した数だけじゃなく、通り続けること自体に意味があるのかもしれないわね」
エレナが新しく手に入れたメイスを持ち直す。
「ダンジョンが何かを認識しているのか、単に補充が追いついていないのかは分からない」
グラントは正面の通路へ目を向けた。
「今は記録だけだな」
四人は隊列を組み、三層へ入った。
最初の敵は、広間へ出る前に現れた。
壁面の割れ目から、甲殻に覆われた虫型が次々と這い出してくる。人間の膝ほどの高さしかないが、横幅は広く、前方には鋏のような顎がついていた。
数は八体。
コールが通路の中央を大楯で塞ぎ、最初に飛びついてきた一体を受け止める。甲殻と盾がぶつかり、硬い音が響いた。
その脇からエレナが踏み込む。
メイスを虫型の頭部へ振り下ろすと、甲殻が砕け、身体が床へ沈んだ。手斧であれば刃の入る角度を選ぶ必要があったはずだが、メイスは表面の硬さごと押し潰している。
エレナは止まらず、盾へ取りついた別の一体へ横から一撃を入れた。
「似合ってるぞ」
コールの声が聞こえたが、返事をする余裕は残さず、次の個体へ向きを変えた。
グラントの槍が後方から甲殻の隙間を貫き、ケイレブは壁際を抜けようとした二体の進路を短槍で塞ぐ。コールが正面を崩さない限り、エレナは盾の左右を使って、目の前の敵へ集中できた。
最後の一体を倒したあとも、四人は武器を下ろさなかった。
奥の通路から、別の足音が近づいていた。
二つ目の群れは、犬に似た四足の獣だった。灰色の皮膚には毛がほとんどなく、背骨に沿って硬い突起が並んでいる。先頭の三体に続き、石柱の陰からさらに四体が現れた。
戦闘が終わる前に、別の群れが寄ってきたことになる。
「銃を使うか?」
コールが聞いた。
「まだ必要ない」
グラントは短く答え、黒い槍を構え直した。
獣型は正面から一斉に飛び込まず、盾の左右へ広がろうとした。コールが位置を下げ、狭い通路の入口まで戻る。四方を囲まれる前に接触面を絞り、追ってきた二体を盾で止めた。
エレナのメイスが一体の前脚を砕く。姿勢を崩した獣型をケイレブが仕留め、グラントの槍がその後ろから跳びかかった個体を空中で貫いた。
敵は多かったが、一体ごとの動きは見切れる。
探索で得た身体能力の差も大きかった。以前なら数を減らすまで守りを固めなければならなかった場面でも、今の四人は接触した直後から主導権を握ることができる。
ただし、容易に倒せることと、負担がないことは同じではない。
戦闘のたびに立ち止まり、周囲を確認し、死体や痕跡を避けて進路を選ぶ必要がある。複数の群れが近くにいれば、一度の戦闘音で別の個体を呼び寄せる可能性もあった。
三層へ入ってから、静かな時間の方が短かった。
四人は接触したすべての群れを倒そうとはせず、避けられる相手は避けながら奥へ進んだ。それでも三層の半ばに到達するまでに、二層全体で倒した数に近いモンスターと戦っていた。
途中で見つけた狭い横穴を確認し、短い休憩を取る。
ケイレブが記録を整理し、これまでの遭遇数を示した。
「一層との差は明確だな」
コールが水を飲みながら言った。
「これを放置していたら、さらに増えると思うか?」
「可能性はある」
グラントは断定しなかった。
「ただ、増え続けるのか、一定の数で止まるのかも分からない。内部で階層間を移動している可能性もある」
「それでも、間引きが無意味ではないことは分かりそうね」
エレナはメイスの先端を確認した。甲殻を何度も砕いたにもかかわらず、目立った損傷はない。
ハウンドが以前の異常空間で繰り返していた攻略も、単に深層へ進むためだけのものではなかったのかもしれない。同じ経路を使い、周囲のモンスターを継続して倒すことで、結果として内部の密度を抑えていた。
それがモンスターの総数に影響していたのか、出現する場所を変えていただけなのかは、まだ判断できない。
ただ、攻略済み区域が静かになっているという事実は、外へ持ち帰る価値があった。
休憩を終えた四人は、三層の奥へ進んだ。
ボス部屋へ続く扉は、複数の通路が合流する先にあった。
周囲には大量の足跡が残されていたが、扉の前だけは不自然なほど何もいない。近くにいたモンスターが避けているのか、ボス部屋との間に何らかの境界があるのかは分からなかった。
「状態確認」
グラントの声に、三人が問題ないことを伝える。
エレナもメイスを握った腕に疲労が残っていないことを確かめた。二層から何度も振るっているが、身体能力が上がった今は、先端の重さに振り回される感覚もない。
「倒したら帰る。四層には入らない」
全員が頷き、グラントが扉を押した。
部屋の中央にいたのは、四本の太い脚で立つ大型の獣だった。
肩までの高さは人間の胸を超え、頭部からは前方へ曲がった二本の角が伸びている。背中と首は何層にも重なった甲殻で覆われ、前脚が床を掻くたびに、石の欠片が後方へ飛んだ。
四人が中へ入ると、背後で扉が閉まる。
大型獣は頭を低くし、そのまま一直線に走り出した。
「受ける!」
コールは真正面に立たず、進路を外す位置で大楯を構えた。
突進が届く直前に半歩横へ移動し、盾の縁を角へ当てる。大型獣の頭部が押し流され、巨体がコールの横を通り抜けた。
そのまま肩から壁へ衝突し、部屋全体が揺れる。
「壁の方が丈夫だな」
「次に備えろ」
グラントは大型獣の後方へ回り、黒い槍を後脚の付け根へ突き込んだ。甲殻の隙間を通った穂先が深く入り、獣の身体が片側へ傾く。
ケイレブは反対側の前脚を狙い、関節部分へ短槍を突き入れた。
大型獣が身体を大きく振り、尾を薙ぎ払う。
エレナは一度距離を取り、尾が通り過ぎた直後に踏み込んだ。グラントが傷をつけた後脚へメイスを叩き込む。
鈍い音とともに、硬いものが砕けた。
大型獣の後脚が折れ、巨体が床へ沈む。
「今のは十点だ!」
「採点してないで頭を止めて!」
コールが大楯を頭部へ押しつけ、再び立ち上がろうとする大型獣を抑え込む。二本の角が盾の表面を削ったが、以前のコールなら押し返されていたはずの力を、今は正面から受け止めていた。
ケイレブが首の甲殻の隙間へ短槍を差し込み、グラントも反対側から黒い槍を突き入れる。
大型獣はなおも頭を持ち上げようとした。
エレナは角の届かない側面へ回り、目の後ろにある甲殻の薄い部分へメイスを振り下ろした。一撃目で頭部が床へ落ち、二撃目で獣の身体から力が抜け始める。
グラントが槍をさらに深く押し込み、大型獣の動きが止まった。
四人はすぐには近づかず、武器を構えたまま様子を見る。
やがて大型獣の死体が消え、部屋の奥に宝箱が現れた。
「そのメイス、貸してもらえる可能性は?」
コールが盾についた傷を確認しながら聞いた。
「ないわね」
「即答か」
エレナはメイスを肩へ載せ、宝箱へ向かうグラントとケイレブの背中を追った。
宝箱の中には、鞘に収められた短剣と、赤い液体の入った小瓶が並んでいた。
グラントが慎重に短剣を取り出し、鞘から刃を抜く。片手で扱える長さの刃には目立った曇りもなく、柄にも余計な装飾は施されていなかった。
「また武器か」
コールが宝箱を覗き込み、少し嬉しそうに言った。
二層ではメイスが出て、三層では短剣が手に入った。誰が使うかは持ち帰ってから決めるとしても、実戦で使えそうな装備が続けて得られたことは、四人にとって素直に喜べる成果だった。
「今回は当たりだな」
「赤い方も忘れないで」
エレナが宝箱に残された小瓶を示した。
赤色のポーションも、それまでに確認されているものと同じ効果を持つなら、武器に劣らない価値がある。ケイレブが短剣と小瓶をそれぞれ記録し、破損しないよう回収用の容器へ収めた。
「メイスに短剣、それにポーションか。次も期待していいんじゃないか?」
「それを理由に四層へ入るなよ」
グラントが釘を刺すと、コールは大楯を持ち直した。
「分かってる。今日は帰る日だ」
宝箱の中身と部屋の構造を記録し、奥に開いた四層への通路も入口から確認する。体力にはまだ余裕があったが、誰も先へ進むことを提案しなかった。
未到達区域の密度が想定以上だった以上、四層へ踏み込む前に三層までの情報を整理する必要がある。
帰路では、行きに通った経路をできる限り選んだ。
三層にはまだ多くのモンスターが残っていたが、戦闘を行った広間や通路では、行きより遭遇数が減っていた。別の区画から入ってきた個体もいるため、安全になったとまでは言えない。それでも、未到達だった時の密度と比べれば、通りやすくなっている場所は確認できた。
二層まで戻ると、その差はさらに分かりやすかった。
行きに複数の群れを倒した経路では、新たに現れた個体は少なく、一層へ上がった後は、入口まで敵と接触しなかった。
「通ったあとだけ、少し静かになる」
コールが周囲を見回した。
「間引きって言葉が、ずいぶん現実的に聞こえてきたな」
グラントは答えず、記録端末に残された経路と遭遇数を確認した。
一度の攻略で証明できるものではない。
だが、未到達区域には多く、繰り返し通過した区域では少ない。今回の探索だけでも、その傾向は一層から三層まで共通していた。
モンスターを減らす行為が、ダンジョン内部へ何らかの影響を与えている可能性は高い。
四人は三層ボスの宝箱と探索記録を持ち、銃を一度も抜かないまま地上へ帰還した。




