第245話 ANVIL
探索者ギルドとして正式に動き始めるまで、あと少し。
必要な申請や関係各所との調整はまだ残っていたものの、ここまで来れば大きく後戻りする可能性は低い。そこで互助会準備会の中核メンバーを中心に、これまで活動を支えてきた探索者たちも集めて、ささやかな発足前祝いが開かれることになった。
場所は普段から打ち合わせに使っている貸会議室だったが、この日ばかりは机の上に料理や飲み物が並べられ、いつもの資料の山も端へ追いやられている。
亀山も招かれており、その少し離れたところには戸張の姿もあった。
「いやあ、本当にここまで来たんですね」
「最初の頃なんて、探索者同士で情報交換できる場所が欲しいって話だっただろ。それが本当にギルドになるんだからな」
「その頃は槙野さんが掲示板と連絡網を作って走り回ってましたよね」
「今も走り回ってるだろ」
あちこちから笑い声が上がった。
槙野もその輪の中に座り、いつもと変わらない様子で飲み物を口にしている。ここ最近は役所との打ち合わせ、規約作成、施設の確保、登録制度との調整まで抱えていたはずだが、疲れている様子はあっても、表情はどこか穏やかだった。
探索者ギルド。
まだ日本では前例のない組織だ。
行政が探索者を管理するための窓口ではなく、探索者自身が情報を持ち寄り、仲間を探し、装備や経験を共有し、危険な場所から生きて帰るために支え合う場所。
槙野がずっと欲しがっていたものが、ようやく形になろうとしていた。
「そういえば」
料理をつまんでいた石橋が、ふと思い出したように顔を上げた。
「一番大事なこと、まだ決まってなくないですか?」
「何がです?」
「ギルド名ですよ」
その一言で、何人かが顔を見合わせた。
「ああ」
「そういや仮称のままだったな」
「探索者互助会準備会って、正式名称にするには長すぎるしな」
「絶対嫌ですよ。役所みたいじゃないですか」
また笑いが起こる。
誰かが冗談半分に、ドラゴンだの銀翼だの、いかにもゲームに出てきそうな名前を口にし始めた。
「深淵の守護者」
「却下」
「早いな」
「じゃあ、黒銀騎士団」
「誰が騎士なんだよ」
「槙野さん、こういうの好きそうじゃないです?」
「昔ならともかく、今それを正式名称にする勇気はありませんよ」
槙野は苦笑しながら答えた。
そこで石橋が尋ねる。
「じゃあ槙野さん、何か候補ないんですか?」
「ああ、それなら既に決めてあります」
何気ない返答だった。
部屋が少し静かになる。
「……決めてある?」
「はい」
「候補じゃなくて?」
「ほぼ確定で考えています」
「初耳なんだけど」
槙野は何事もなかったように立ち上がった。
そのまま部屋の端へ歩いていき、置かれていたノートパソコンを開く。
さらにプロジェクターの電源を入れた。
「ちょっと待ってください」
石橋の声が飛ぶ。
「なんでプロジェクター準備してあるんです?」
「説明する可能性があると思ったので」
「説明する可能性を想定して祝い会にパワポ持ってきたんですか?」
「はい」
そのやり取りを聞いていた亀山が、少しだけ目を細めた。
「……これ、なんか面白くなりそうですね」
誰に言うでもなく呟くと、スマートフォンを取り出して録画を始める。
戸張はその様子を横目で見たあと、前方で淡々と機材を操作している槙野へ視線を戻した。
「張り切ってるなあ……」
思わず苦笑が漏れた。
普段の槙野から考えれば、祝いの席に自分からプロジェクターまで持ち込んでいる時点で、かなり珍しい。
部屋の照明が一部落とされる。
白いスクリーンに大きな文字が映し出された。
ANVIL
「ギルド名は、ANVIL。アンビルです」
数秒、沈黙が続いた。
「……アンビル?」
「金床です」
槙野が即答する。
誰かが吹き出した。
「地味だぞー!」
「鍛冶屋じゃねえか!」
「もっとこう、冒険者ギルドなんだから格好いい意味なかったのかよ!」
あちこちから野次が飛び、笑い声が広がった。
槙野は怒るでもなく、むしろ想定通りだと言わんばかりに頷いた。
「そう言われると思っていました」
手に持っていた小型のリモコンを押す。
「それでは、こちらをご覧ください」
「まだあるの?」
亀山のスマートフォンが、しっかりと槙野を捉えた。
戸張は腕を組んだまま、少し楽しそうにスクリーンを見る。
スライドが切り替わった。
A ―― ANCHOR
「まず、AはANCHOR。アンカーです」
画面には錨の簡単な図と、その横にいくつかの文章が表示されていた。
「探索者は未知の場所へ向かいます。しかし、前へ進むためには、帰ってこられる場所が必要です。ここを、探索者にとってそういう場所にしたいと考えています」
「……おお」
「ちゃんとしてる」
先ほどまで笑っていた何人かが、少し姿勢を正した。
槙野は次のスライドへ進む。
N ―― NEXUS
「NはNEXUS。人や物事が繋がる結節点という意味です」
探索者同士を繋ぐ。
経験者と新人を繋ぐ。
探索で得られた情報を共有し、誰かの失敗を次の誰かの生還へ繋げる。
行政、研究機関、装備を扱う企業との窓口にもなる。
「個人が命をかけて得た経験を、その人だけのものにして終わらせない。そのための場所でもあります」
「……槙野さん」
「はい」
「これ、何枚あるんです?」
「まだ途中です」
「途中」
少しだけ空気が変わった。
亀山は録画を止めなかった。
むしろ、何かを確信したようにスマートフォンを持ち直している。
V ―― VANGUARD
「VはVANGUARD。先陣、先駆者です」
未知へ進む者。
誰かが最初に道を見つけ、その経験を後続へ残す。
無謀に先へ行くという意味ではなく、安全な道を拓いて次へ繋ぐ者たち。
「俺、これ好きだな」
誰かが小さく言った。
「確かに。探索者っぽい」
槙野が少し嬉しそうに頷く。
戸張も、そこまでは素直に感心していた。
「結構ちゃんと考えてるんだな」
隣で録画していた亀山が、小声で返す。
「でも、まだ途中らしいですよ」
「そこがちょっと怖いな」
I ―― IDEAL
「IはIDEAL。理想です」
ダンジョンへ行ってみたい。
未知の場所を見たい。
探索者として生きてみたい。
そんな夢を、ただの無謀で終わらせないための場所。
「安全だけを考えるなら、ダンジョンには入らないのが一番です。でも、それでは探索者というもの自体が成立しません。行きたいと思う人間がいる以上、その夢をできる限り現実的な形で支える必要があると思っています」
部屋の中が少し静かになった。
この場にいる多くの人間が、その言葉に多少なりとも心当たりがあった。
危険だと分かっていても、行ってみたかった。
他人には理解されなくても、ダンジョンの向こうを見たかった。
槙野自身も、その一人だった。
L ―― LODESTAR
「最後のLはLODESTAR。旅人を導く星、進む方向を示す指標という意味があります」
未知へ向かう時にも。
迷った時にも。
帰る時にも。
進むべき方向を見失わないための目印。
最後に五つの文字が一つになった。
ANVIL
「そして、ANVILそのものは金床を意味します」
今度は、最初のような野次は飛ばなかった。
「探索者がここへ来て、知識を得て、経験を積んで、外へ出る。失敗することもあるでしょうし、撤退して帰ってくることもあると思います。その経験を持ち帰って、また次に備える」
槙野はスクリーンを見上げた。
「何度も叩かれながら形を作っていく金床みたいな場所になればいいと思っています」
しばらく誰も何も言わなかった。
やがて石橋が感心したように息を吐く。
「……いや、いいじゃないですか」
「最初に金床って聞いた時はどうかと思ったけど」
「結構好きだぞ、俺」
「普通に格好いいな」
賛同する声が広がっていく。
戸張も頷いた。
「良いんじゃないですか。アンビル」
「ありがとうございます」
槙野は満足そうに頷いた。
名前はほぼ決まりだった。
良い雰囲気だった。
ここで終わっていれば。
「では、名称についてご理解いただけたところで」
槙野がリモコンを押した。
亀山がわずかに身を乗り出す。
「来た」
「何が?」
「多分ここからです」
戸張が怪訝そうに亀山を見る間に、画面が切り替わった。
ANVIL GUILD EMBLEM
「……ん?」
「ギルド章も既に作成してあります」
「は?」
槙野が机の下から箱を取り出した。
蓋を開く。
中には、小さな金属製のバッジが綺麗に並べられていた。
金床を意匠化した中央部分を五つの線が囲み、その下に小さくANVILの文字が入っている。
「本日参加されている皆さんの分はありますので、後ほどお配りします」
「ちょっと待って」
石橋が手を上げた。
「名前、今初めて聞いたんですよね?」
「はい」
「なんでバッジがもう完成してるんです?」
「名前は決めていましたので」
「俺たちに聞く気なかったでしょ」
「意見は聞くつもりでしたよ」
「完成品作った後に?」
槙野が一瞬だけ黙った。
「大幅な反対があった場合は再検討する予定でした」
「そのバッジどうするつもりだったんだよ!」
笑いと困惑が一緒に広がった。
亀山の肩も小さく震えている。
録画は当然、続いていた。
「撮ってて正解だった……」
「配信は許可を取ってからですよ」
戸張が呆れ半分に言う。
「さすがに許可取りますよ」
そう答えながらも、亀山は録画を止める気配がない。
しかし、槙野はまだ終わっていなかった。
「なお、こちらは一般会員用の試作品です」
「一般会員用?」
全員の視線が槙野へ向く。
カチッ。
正会員章
運営章
協力員章
「現在、三種類を想定しています」
「増えた!」
「なんで役職別まで作ってんだよ!」
「裏面には登録番号を刻印できるようになっています。将来的には偽造対策も必要になる可能性がありますので、正式発注時には――」
「槙野さん!」
「はい?」
「今日、祝い会ですよね?」
「そうですね」
「なんで正式発注の話してるんですか?」
槙野が不思議そうな顔をした。
「重要なので」
「駄目だ、この人」
誰かが呟いた。
戸張もとうとう堪えきれずに笑った。
「本当に張り切ってるなあ……」
普段なら真っ先に話を整理し、暴走する人間を止める側にいるはずの槙野が、今日は誰よりも止まらない。
しかも本人だけが、それをまったく理解していなかった。
「ほかにも、施設入口に設置するロゴについて三案あります」
「まだあんの!?」
「ウェブサイト用は横長の配置も必要になるので、そちらは別案です」
「ウェブサイトまで作ったの?」
「仮ページは」
「仮ページあるの!?」
石橋が頭を抱えた。
「槙野さん、一番浮かれてるじゃないですか」
「そうですか?」
本気で分かっていない顔だった。
亀山がカメラ越しにその表情をしっかり記録している。
「これは残しておいた方がいいなあ」
「何年か後に本人に見せたら効きそうだな」
戸張の言葉に、亀山が無言で頷いた。
周囲が少しずつ引き始めていることにも気づかず、槙野は次のスライドを表示した。
ANVIL 旗章案
「あと、ギルド旗についてですが」
「旗まであんのかよ!」
今度こそ部屋中から声が上がった。
槙野は少しだけ眉を寄せる。
「旗は必要でしょう」
その言い方があまりにも当然だったので、一瞬だけ誰も反論できなかった。
そして数秒後、部屋はこの日一番の笑いに包まれた。
戸張も笑いながら、既に出来上がっている金属製のギルド章へ目を落とす。
まだ正式発足すらしていない。
それなのに槙野の中では、どうやらずっと前から先の姿まで出来上がっていたらしい。
机の上では、ANVILの金属章が照明を受け、妙に立派な光を返していた。




