第244話 渡りに船
両親に家の建て直しも引っ越しも断られた翌日、戸張のスマートフォンに村瀬から連絡が入った。
話したいことがいくつかあるので時間を取れないかという内容で、急を要するような書き方ではなかった。戸張としても特に予定はなく、指定された管理施設へ向かうことにした。
通された部屋には村瀬のほかに二人の職員が待っていた。一人は以前にも何度か顔を見た管理側の職員で、もう一人は初対面だったが、今回の話には会計や契約関係も含まれるらしい。
「今日は何かありました?」
「いくつか確認させていただきたいことがありまして。まず、異常空間内部の構造についてです」
村瀬が端末を操作し、戸張の前に一枚の画像を表示した。
床に広がる、青白い円形の光には見覚えがあった。
「……これ、どこですか?」
「国内で管理している異常空間の一つです。詳細な場所については伏せさせてください」
「まあ、俺も言ってないですからね」
「助かります」
お互い様だった。
画像を見た時点で、だいたい何を聞かれるのか分かったが、戸張は続きを待った。
「五層のボスを討伐した部隊が、その先にある六層を確認しました。これは六層から五層へ戻ったあとに出現したものです」
「六層まで行ったんですか」
「はい。周辺確認だけで撤退しています」
思っていたより早かった。
以前、自衛隊との模擬戦で装備を渡してから、それなりの時間は経っている。小人が作った武器や防具も追加で渡していたし、それを使って本格的に攻略を進めていることも聞いていた。
それでも六層まで来たとなると、かなり進んだことになる。
「この円形のものについて、何か知っていることはありませんか?」
戸張は画像をもう一度見た。
形も色も、自分が使っているものによく似ている。暗渠の場所や内部構造を細かく話すつもりはないが、これについて黙っていても、向こうにはすでに現物がある。
どうせ調べれば、いずれ何らかの形で分かることだろう。
「多分ですけど、転移するやつだと思います」
「見たことが?」
「あります。俺のところにも似たものが出ました」
村瀬だけでなく、隣にいた職員も戸張を見る。
「使用したんですか?」
「普通に使ってますよ」
「……普通に?」
「はい。俺の知ってるやつは、一層と五層を直接行き来できます。装備を持ったままでも移動できますし、生き物も一緒に通れました」
部屋の空気が少し変わった。
戸張にとっては、今では深層へ向かう時間を大幅に短縮してくれる便利な床という認識の方が強い。しかし政府側にとっては、今回初めて実物を確認した現象なのだろう。
「双方向ですか?」
「俺のはそうです。一層側から五層にも行けるし、五層から一層にも戻れます。ただ、そっちのやつも同じかは分からないですよ。俺のところだと決まった二か所を繋いでる感じです」
「出現条件は分かりますか?」
「正確には分かりません。六層から戻って来たあとに出てきたので、それが関係してるとは思いますけど」
村瀬は手元の資料へ何かを書き込んだ。
「今回、こちらでは使用を見送っています」
「その方がいいと思います。俺のと同じなら便利ですけど、どこに飛ぶか分からない状態で試すのは怖いですからね」
戸張自身が最初にどうやって確かめたかについては、あえて詳しく振り返らないことにした。
村瀬が次の画像へ切り替える。
今度は、褐色の巻物だった。紙というより少し厚みがあり、画像を見る限りでは皮革のようにも見える。
「こちらについてはどうでしょう」
戸張は少し身を乗り出した。
「ああ……似たの見たことあります」
「これも?」
「俺のやつも、確か皮だったかな……。だいぶ前なんで、そこまではっきり覚えてないですけど」
画像だけで同じ物だと断定はできない。ただ、巻かれた形や雰囲気には覚えがあった。
「使用方法は分かりますか?」
「俺の時は、開いてみたら何か使えましたよ」
「開くだけで?」
「少なくとも俺はそうでした」
「どのような効果がありましたか?」
当然そこまで聞かれるだろうとは思っていた。
戸張は少し考えてから答えた。
「効果は言えません。ただ、有益なものではありました」
村瀬がわずかに間を置く。
「危険な作用は?」
「俺が使ったものではなかったです。ただ、それが同じ物かどうかまでは分かりませんよ」
「使用後、その巻物はどうなりました?」
「残らなかったと思います。使い切りみたいな感じですね」
戸張が話せるのはそこまでだった。
風の刃を使えるようになったことまで教えるつもりはない。自分の能力に直接関わる情報であり、わざわざ開示する理由もなかった。
政府側も、それ以上無理に聞き出そうとはしなかった。
「現時点では使用せず、検査を優先します」
「それがいいと思います。俺のと同じでも、一回使ったらなくなるなら、先に調べられるだけ調べた方がいいでしょうし」
実物をどこまで非破壊で調査できるか検討するという話になり、ひとまず異常空間についての確認は終わった。
そこで、初対面だった職員が資料を開いた。
「戸張さん、もう一点、こちらからお願いがあります」
「はい」
「これまで買い取らせていただいた装備についてです」
昨日見た銀行残高を思い出した。
「何か問題ありました?」
「性能については、むしろ逆です」
職員は少し言葉を選んでから続けた。
「提供いただいた武器、防具について、実戦運用を含む評価が進んでいます。当初の査定は、前例のない物品であることから暫定的なものでした。しかし現在までの試験結果と実際の運用実績を反映すると、評価額を大幅に見直す必要があります」
「ああ……」
なんとなく嫌な予感がした。
「昨日、前払い分は確認されましたか?」
「しました。びっくりしました」
「本来の評価額は、それで終わりではありません」
「まだ増えるんですか?」
「増えます」
戸張は椅子へ背中を預けた。
昨日、使い道がなくて困ったばかりだった。
「ただ、問題がありまして」
職員が申し訳なさそうに資料へ視線を落とす。
「金額が、当初想定していた買い取り予算の範囲を大きく超えています。すでに受領している物品について支払いをしないという話ではありませんが、残額の処理には追加の予算措置と手続きが必要です」
「時間がかかるってことですか?」
「はい。少しお待ちいただきたい、というお願いになります」
戸張としては特に困らなかった。
昨日確認した金額だけでも、自分一人が普通に生活するなら何年使えばなくなるのか分からない。
「別にいいですよ。急いでないんで」
「ありがとうございます」
「というか、これからもあの装備を持ってくるなら、また増えるんですよね」
「……その可能性は高いです」
「ですよね」
いよいよ何のために稼いでいるのか分からなくなってきた。
そこで、昨日の両親との電話を思い出した。
家を買うと言っても断られ、引っ越しもする気がないらしい。自分が金を持っていても、それだけでは家族を安全にできない。
目の前にいるのは、その問題をどうにかできる可能性がある人間たちだった。
「あの、だったら一つ相談していいですか?」
「どうぞ」
「お金じゃない形でお願いできることってあります?」
職員が村瀬を見る。
「内容によります」
「家族のことなんですけど」
村瀬の表情が少し変わった。
戸張は、昨日考えたことをそのまま話した。自分の存在が国外にまで知られ始めている可能性があり、今後さらに深い階層へ進めば、情報を欲しがる人間は増えるだろう。
自分自身を狙われるなら、まだ対応できる。
問題は家族だった。
「一応、昨日引っ越さないかって聞いたんですけど、断られまして」
「断られたんですか?」
「家はいらないから結婚しろって言われました。途中から孫の話になって、もう何の電話だったのか分からなくなりました」
村瀬が一瞬だけ口元を緩めた。
「それで、両親は今の家から動く気がなさそうなんです。俺がずっと近くにいるわけにもいかないんで、何かあった時に対応できるようにしてもらえないかなと」
「常時警護を希望されていますか?」
「そこまですると逆に目立ちません?」
「その通りです」
村瀬はすぐに答えた。
戸張の家族であることを理由に警察官や自衛官を常時配置すれば、それ自体が周囲へ特別な存在だと知らせることになりかねない。現在も必要な範囲で情報上の注意は払われているが、露骨な警護体制には別の危険があるという。
「それなら、何かあった時にすぐ来てもらえるだけでもいいです。俺が戻るまで守ってもらえれば」
「戻るまで、ですか」
「俺がいる時なら、多分自分でどうにかできますから」
村瀬は否定しなかった。
むしろ、その言葉を前提として考え始めているようだった。
「ご実家の近くに、現在管理対象になっている異常空間があります」
「ありますね」
場所は知っていた。両親の家からそれほど遠くないところにあり、現在は公的管理下で探索と調査が続けられている。
村瀬は少し考えたあと、隣の職員へ視線を向けた。
「そこを利用できるかもしれません」
「利用?」
「現在、深層攻略を想定した人員の育成と、装備運用のための訓練場所を増やす話が出ています。ご実家近隣の異常空間を継続的な訓練・攻略拠点の一つに指定できれば、一定の人員を配置する理由そのものは作れます」
戸張にも意味が分かった。
「俺の家を守るためじゃなくて、ダンジョンのために人を置くってことですか」
「本来の任務も異常空間の管理と攻略です。そのうえで、緊急時の対応計画にご家族の安全確保を組み込むことは検討できます」
ダンジョンがあるなら、人員や車両が出入りしていても不自然ではない。
訓練や攻略を理由に一定数の隊員を継続的に置き、その中に即応能力の高い人員を含めることもできる。普段から実家の前に誰かを立たせる必要はなく、異常があれば短時間で動ける距離に対応可能な人間がいる状態を作れる。
「さっき話に出た装備を使ってる人たちも、来る可能性あります?」
村瀬は少し間を置いた。
「具体的な部隊についてはお答えできません。ただ、深層対応を目的とする以上、それに適した人員の配置は検討されると思います」
それで十分だった。
「それ、お願いできますか」
「今日ここで正式決定はできません。ただ、方向性としては現実的ですし、関係省庁との調整を始めることはできます」
「お願いします」
「一つだけ整理しておきますが、すでに買い取った装備の代金を警護と相殺することはできません。支払うべきものは支払います」
「別にもうそんなにいらないんですけど」
「そういう問題ではありません」
真顔で言われた。
ただし、今後の装備提供を含む協力関係について、戸張本人と家族の安全体制を考慮することは可能だという。
戸張にとって、それなら十分だった。
昨日は、金だけあってもどうにもならないと思っていた。両親は引っ越す気がなく、自分は六層や七層へ行けば何時間も、場合によってはそれ以上連絡できなくなる。
その問題をどうしたものかと考えていたところへ、向こうから話が転がり込んできた。
「……渡りに船って、こういうことか」
「何か言いました?」
「いや、ちょうど困ってたところだったんで」
家を買ってやることはできなかった。
だが、今の家に住み続けたいという両親の希望を変えずに、その周囲を少しだけ安全にする方法なら見つかるかもしれない。
昨日まで使い道に困っていた金の話が、思いもよらないところで親孝行につながり始めていた。




