第232話 扉の向こう
握手を終えると、グラントは戸張の手を離し、仲間たちへ視線を向けた。
取引は成立したが、四人はまだ六層にいる。
ケイレブは自力で歩けるものの、負傷した腕からの出血は続いていた。狼型に襲われた後で弾薬も消耗しており、森砕きが逃げたとはいえ、安全に帰れる状態とは言い難い。
戸張はスマートフォンへ文章を入力し、英訳だけを表示した。
『扉まで案内します。移動中、周囲の生物はあなたたちを襲いません』
グラントが文章を読み、森の奥へ視線を向ける。ケイレブも同じ方向を見た。
先ほどまで四方から感じていた視線の正体を探しているらしい。
戸張が音声入力へ切り替えると、グラントが端末に向かって話した。
『あなたが制御しているのですか?』
聞かれると思っていた。
嘘をついても、先ほど周囲の気配が一斉に変化したことをケイレブに察知されている。森砕きが逃げた理由についても、四人なりに考えているはずだった。
ただし、どのような方法で制御しているのかまで教える必要はない。
『少なくとも、今この周辺にいるものは私の指示に従います』
戸張が画面を見せると、グラントは短く頷いた。エレナがスマートフォンへ話しかける。
『先ほどの狼もですか?』
戸張は少し迷ってから答えた。
『あなたたちを襲った狼については違います』
あの狼型たちは、戸張が寄生させた個体ではない。
森砕きの出現後に逃げていったため、今も近くにいる可能性はあるが、戻ってきたとしても戸張がいれば四人へ近づかせずに済むだろう。
エレナは翻訳された返答を読み、携行端末へ何かを記録した。
取引をしたからといって、調査者としての行動まで止めるつもりはないらしい。
戸張は四人へ進む方向を示す前に、契約について伝え忘れていた部分を思い出した。
自分の力を一度だけ貸す。
その条件だけでは、アメリカ政府や軍が依頼権を引き継いだと言い出す可能性がある。
ハウンド・スリーへ提示したものであって、国家や組織へ渡したものではない。
戸張は少し長い文章を入力した。
『一度だけ受ける依頼について、条件を追加します。依頼できるのは、現在ここにいるハウンド・スリーの四人だけです。その権利を政府や別の組織、ほかの人間へ渡すことはできません』
グラントが画面を読み終えると、コールとエレナも横から文章を確認した。
ケイレブは周囲の警戒を続けながら、画面へ一度だけ視線を向ける。グラントが音声入力へ答えた。
『理解しました。依頼する場合は、私たち四人の依頼として行います』
戸張は続けて入力する。
『依頼が完了したかどうかは、私が判断します。依頼の内容が途中で変わった場合や、最初に示された範囲を超えた場合は、そこで協力を終えることがあります』
自分でも、細かい条件を後から足している自覚はあった。
しかし、相手が四人だけで完結する集団ならともかく、背後にはアメリカ政府がいる。曖昧なままにしておけば、後になって「まだ依頼は終わっていない」と言われかねない。
グラントは仲間と短く英語を交わした。
「Reasonable.」
【妥当だ】
「Better than signing a government contract.」
【政府との契約書に署名するよりはましだ】
コールの言葉にエレナが何かを返したが、戸張には聞き取れなかった。
グラントがスマートフォンへ向き直る。
『その条件も受け入れます』
これで、今決められる範囲のことは決めた。
連絡方法だけは残っているが、戸張は自分から接触すると伝えてある。すぐに依頼を受けるわけでもなく、帰還後の動きを確認してから方法を考えればよい。
戸張はスマートフォンをしまい、五層へ戻る扉の方向へ歩き始めた。
四人も隊列を整えて後へ続く。
負傷したケイレブを中央寄りに置き、グラントが前方、コールとエレナが左右と後方を警戒していた。戸張が案内している間も、武器を完全に下ろすことはない。
それでよいと戸張は思った。
取引が成立したからといって、出会って間もない正体不明の人間を信用しきる方が危うい。
戸張は歩きながら、周囲へ四人を攻撃しないよう意図を伝えた。
茂みの奥で狼型が距離を取り、頭上では鳥型が枝から枝へ移っていく。蜘蛛型は木々の高い位置から動かず、ほかの生物が近づかないよう周囲を警戒していた。
四人へ彼らの姿を見せるつもりはない。
それでも、進路から生物の気配が消えていくことまでは隠せなかった。
しばらく歩いたところで、コールが周囲を見回しながら英語で何かを言った。
「The whole forest is moving out of our way.」
【森全体が俺たちのために道を空けている】
単語の一部しか理解できなかったが、森の生物が道を空けていることに気づいたらしい。
ケイレブが低い声で返す。
「They’re not moving away from us. They’re moving because of him.」
【俺たちを避けているんじゃない。あいつがいるから動いているんだ】
戸張は聞こえなかったふりをして進んだ。
完全に隠し通すことは、すでに諦めた方がよいのかもしれない。
森砕きを殴り飛ばし、森の至る所から視線を向けられ、その後は生物に襲われることなく歩いている。
少なくとも、戸張が六層の生物へ何らかの影響を与えていることは伝わっている。
それでも、小人の拠点と暗渠の入口が知られていなければ、守るべきものの中心はまだ隠せている筈。
移動の途中、エレナがケイレブの腕へ応急処置を施した。
防具の裂けた部分を確認し、止血材を当てて包帯を巻く。ケイレブは痛みに顔をしかめたが、足を止めようとはしなかった。
戸張は歩調を少し落とした。
急げば早く扉へ着けるが、負傷者を置いて進むほど切迫した状況ではない。周囲にいる寄生生物たちも、今のところ新たな大型個体の接近を知らせてこなかった。
やがて木々の間に、五層へ戻る扉が見えてきた。
戸張が普段利用しているものとは位置が違うが、形はほとんど同じだった。
この先には、ハウンド・スリーが攻略してきたアメリカ側の五層がある。
戸張にとっては、日本から出た経験すら多くない。それが今は、扉を一つ通ればアメリカのダンジョンへ入れる場所に立っている。
グラントたちは扉の手前で足を止めた。
エレナが周囲を撮影し、扉の位置と形を記録する。コールは残弾を確認し、ケイレブは最後まで戸張の背後にある森を警戒していた。
グラントがスマートフォンを指したため、戸張は再び取り出して音声入力を起動した。
『あなたの名前を聞いてもいいですか?』
戸張は画面に表示された日本語を見た。答えを用意していなかった。
本名を教える選択肢はない。偽名を名乗れば、その名前が記録に残り、今後も使い続けることになる。
少し考えた後、戸張は短い文章を入力した。
『今は必要ありません』
画面を読んだグラントは、追及しなかった。
コールが横から覗き込み、笑いを含んだ声で何かを言う。
「Then we’ll have to call him something ourselves.」
【それなら、俺たちで何か呼び名をつけるしかないな】
戸張には細かな意味まで分からなかったが、名前を勝手につけようとしているような気がした。
それはそれで困るが、止めるために会話を続ければ、どんな呼び方をするつもりなのか聞くことになる。
知らないままの方がよいかもしれない。戸張は端末へ最後の文章を入力した。
『戻った後、ワープが現れても使用しないでください。約束が守られていることを確認できれば、必要な時にこちらから接触します』
グラントが文章を読み、真剣な表情で頷いた。
『約束します』
最初にエレナが扉を通り、続いて負傷したケイレブが入る。
コールは扉の前で一度振り返り、戸張へ片手を上げた。
「See you when you find us.」
【俺たちを見つけたら、また会おう】
最後に残ったグラントも、黒い槍を携えたまま戸張を見た。
「Until next time.」
【次に会う時まで】
二人の姿が順に扉の向こうへ消える。戸張はその場に残り、しばらく扉を見つめた。次が本当に来るのかは分からない。
できれば、貸しを使う必要がないまま終わってほしい。
そう思いながら周囲へ意識を向けると、隠れていた生物たちが少しずつ姿を現し始めた。
戸張は自分の側の拠点へ戻るため、アメリカへつながる扉に背を向けた。




